遠くまで・・・    松山愼介のブログ   

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色川武大『百』を読んで

2018-06-13 22:31:25 | 読んだ本
   色川武大『百』             松山愼介
 この作品集には『連笑』、『ぼくの猫、ぼくの猿』、『百』、『永日』の四編で構成されている。『連笑』で弟との関係を、『ぼくの猫、ぼくの猿』、では自分の精神状態を、『百』では父親のことを、『永日』では自分と、父親の生活をえがき、この作品集を読めば、一応、まんべんなく色川武大のことがわかるというようにまとめられている。
『狂人日記』を読んでいるので、幻覚の猫や猿が出てきても驚くことはない。『狂人日記』も作者自身をモデルにした小説だという記憶があったが、『狂人日記』は、その「単行本あとがき」を読むと、有能な飾職人で四十二歳で早逝した有馬忠士をモデルにしたフィクションだということだ。『狂人日記』の装幀の絵は有馬忠士の作である。『狂人日記』の中でも主人公は昭和十年生まれで、父親は薬屋ですでに亡くなったことになっているので、色川武大の実人生とは異なっている。ただ次のような精神病に関する記述は共通のものだろう。

 狂人とは、意識が健康でない者の総称であって、千差万別、度合の差があり、また間歇的に一定時間のみ狂う者あり、部分的に一つの神経のみ病んでいる者あり、完全に正常な意識を失っている者などごくわずかだ。ほとんど度合いの差であるにすぎず、しかもその度合いはレントゲンにもCTスキャンにも映るわけではない。もともとどこまでが正常でどこからが狂疾か、度合の問題がほとんどである以上、この線がはっきりしているべきだが、それも明確になっていない。

 作者のこの精神の不安定さは、戦後すぐの無頼の生活から来ているのだろう。私は幻覚は見ないが、電車の駅で、なんとなく飛びこみそうな気持ちになったことがある。しかし、美馬翔さんに、精神科医の話として、飛びこみたくなる気持ちは誰にもあるという話を聞いてから、そのような気持ちはややふっ切れた。つまり誰にでも狂気の素質はあるということだ。色川武大は高所恐怖症で、私もそうだったが、これも最近ではましになっている。パリの凱旋門の屋上や、ピサの斜塔のてっぺんでも割と平気だった。これは慣れか、年齢による鈍感さかはわからない。
色川武大には阿佐田哲也名で『麻雀放浪記』などの作品があるが、これは真田広之主演で映画になったのを見ている。ただ真田広之がイケメンすぎて、あまり現実感がなかった。ちなみに阿佐田哲也というペンネームは「朝だ!徹夜だ!」からきているという。
 私は末っ子なので、弟に対する気持ちはあまりわからない。ただ弟というのは兄の顔色や機嫌に敏感である。兄の方も、可愛いがりたい気持ちと、兄たらなければならないという気持ちがあって、それなりに大変だったろうというのは『連笑』を読んで感じた。
 この作品集のメインは父親との関係をあつかった『百』と『永日』だろう。最近、大学の同級生の恩師が米寿の祝をするという連絡がきたが、こちらは白寿というからすさまじい。このような作品を読めば、どうしても自分の父母のことを考えてしまう。『狂人日記』を読んだ頃は作者(息子)の視点で読んでいたが、今回は父親の立場の方に身を寄せてしまう。私の親は、奇しくも二人とも九十一歳で亡くなった。私の母親は、認知症があり、偶然、うまく特別養護老人ホームに入れてもらうことができた。それまでは介護に苦労したが、ほぼ寝たきりだったので、この作品の父親に比べれば楽だったと思う。介護の等級を決めるために来た区役所の係の人に「今の季節は?」とか「これから寒くなりますか?暑くなりますか?」と質問されて答えに窮していた時は、こちらもまごついてしまった。老人で認知症があり、体力があれば、徘徊とか暴力とか、それは苦労するだろうと思う。『永日』に出てくる百戦練磨の付添婦の、老人の扱い方は微笑ましかった。
 この作品集の『百』とか『永日』というタイトルは、読む前には意味がわからないが、読み終えるとこのタイトルの意味が身にしみて上手いと思った。
                       2018年5月12日


小川洋子『ことり』を読んで

2018-06-13 22:18:57 | 読んだ本
小川洋子『ことり』            松山愼介
 小川洋子の作品は芥川賞受賞作『妊娠カレンダー』を読んだだけである。ある時期、芥川賞作品は読まねばならないと思っていた頃のことで、特別な記憶はない。映画『博士の愛した数式』は見ている。『妊娠カレンダー』や、『揚羽蝶が壊れる時』という初期作品は女性の生理にこだわった作品である。母体の中で胎児が成長していくという肉体感覚は、男には想像もつかない。出産の痛みも同様である。私の奥さんによると痛いのは痛いが、我慢の範囲内だということである。
 しかし、我慢できないほどの痛みを感じる妊婦もあり、事故もあるが麻酔による無痛分娩がこれからの主流になっていくのではないだろうか。最近のテレビドラマで『コウノドリ』(綾野剛、大森南朋)というのがあり、「出産は奇蹟だ」というセリフを聞いて感動したことがる。
 ところが、小川洋子という作家は、『妊娠カレンダー』で、このような女性の出産を、姉を通じて不気味な姿としてえがいている。姉はつわりがひどい間は、ほとんど何も食べず、つわりがなくなると制限なく食べはじめ、味覚も変化していく。出産を胎内で異常な生物が成長していくような感じでえがいている。その姉に〈わたし〉は発がん性が疑われる防カビ剤PWHに浸された、アメリカから輸入されたグレープフルーツをジャムにして食べさせる。小川洋子は年齢的にはよしもとばななより、二歳年上で、「海燕」新人文学賞は、吉本ばななの『キッチン』(一九八七)の次の年に受賞している。
 小川洋子『アンネ・フランクの記憶』によると、二十六歳で新人賞をもらってから、「どうして小説を書くようになったのですか」という質問をよく受けるようになり、思いつくまま「子供の頃、嘘のお話を作って、大人たちを驚かせるのが好きだったから」、「虚構の世界を書くことで、現実の自分を冷静にとらえたかったから」と答えていた。そうしてじっくり考えてみると『アンネの日記』にいきついたという。中学一年でこの本に出会ってから、アンネの真似をして日記をつけはじめ、それが昂じて創作から小説へつながったということらしい。一九九四年にはオランダのアンネの隠れ家、アウシュヴィッツを取材している。ただし、アンネ・フランクはドイツのベルゲン・ベルゼン強制収容所でチフスで死んでいる。
 この『ことり』には、小川洋子によるナチスによる理不尽な死から受けた影響がある。ポーポー語を話す小父さんの兄や、鳥の世話を生きがいにする小父さんはナチスの時代には生きられなかっただろう。このようなナチスによる迫害からヒューマニズムを書くのではなく、そこから死と生の不気味さをえがいたことが小川洋子の特色であろう。始めの小父さんの孤独死の発見と、鳥の美しい鳴き声と、鳥の大空への飛翔は、アンネの死と、魂の解放あるいは『アンネの日記』が世界に広く読まれる事になったことを思わせる。この作品は、兄弟の愛情と、鳥をめぐる美しい物語のなかに、不気味さをただよわせている。これが小川作品の特徴だろうか。
ただ、文章が小父さんの視点だけで語られているので、これは三人称小説ではなく一人称小説なのではないだろうか。それと〈小父さん〉という表記も気になった。普通は〈おじさん〉をつかうのではないだろうか。
 偶然、一カ月前にアラン・パーカー監督、ニコラス・ケイジの『バーディー』(一九八四)という、鳥好きの青年がベトナム戦争で精神に異常をきたし、親友のニコラス・ケイジが看病をして、助けるという映画を見たが、小川洋子もこの映画を見て触発されたような気がする。また、大江健三郎の子供・光さんもイメージに入っているだろう。光さんは最初に鳥の鳴き声を聞きわけたという。
 
                         2018年4月14日
 小川洋子の親は金光教だったという。彼女にもその影響が出ているらしいが、金光教については何もしらない。これからの課題である。
 アウシュヴィッツは私も二年前位に行ったが、一度は現場を見ておいた方がいいだろう。日本からのポーランドツアーには、アウシュヴィッツが組み込まれているので、行きやすくなっている。五月で、青空がひろがっていた。ここに収容されたユダヤ人たちも、この青空を見ていたのだろうか。当時は、このアウシュヴィッツ・ビルケナウは水はけが悪く、雨が降ると湿地のようになったというが。