楽しいく読める、村上春樹『騎士団長殺し』
題名はとっつきにくいが、「騎士団長」はモーツァルト『ドン・ジョヴァンニ』、リヒャルトシュトラウス『薔薇の騎士』からきているという。
第一部の三分の一くらいまでは、話に入りきれずにいたが、それからはトントン拍子に読み進めることができた。結局、三日間くらいで読んだのではないだろうか。正直言って、『1Q84』はパラレルワールドで話の展開が難しかった。その点、今回の『騎士団長殺し』はこれまでの作品のパターンが踏襲されている。妻との別れ話、深さ三メートルの井戸のような穴、時空間を越えた妻とのセックス、そして妊娠といった、『ねじまき鳥クロニクル』、『海辺のカフカ』のパターンがいかされている。そのため、読者は安心して村上ワールドに入ることができる。前半の井戸の中から、鈴の音が聞こえてくるというのは、ミステリータッチでわくわく読み進めることができる。
『海辺のカフカ』では、カフカ少年は、四国の高松にいて、東京にいるジョニーウォーカーを殺すことになる。村上作品を読む鍵は、読者も作者と同じように時空間を越えられるかだ。『海辺のカフカ』では『源氏物語』の六条御息所の「生き霊」をヒントにしているが、この作品も同じである。ただ、終盤の〈私〉が死期を迎えている雨田具彦の老人ホームから、「顔なが」を引きずり出した穴を通って井戸に至ることと、秋川まりえが免色渉の家に無断で入り込み、そこから如何に脱出するかという話とがパラレルに展開されているが、これがうまくかみあっていない。
「現在」の高度資本主義社会を捉えるためには、平面的な物語では手に負えない。小説も時空を越えることによって、この社会システムと対決できると村上春樹は考えているのだろう。ただ、雨宮具彦の絵から身長六〇センチの「騎士団長」がイデアとして出現することは納得できない。よしもとばななの作品を私が読まなくなったのは、作中に妖精のような小人が出てきてからである。
気になったのは、村上春樹のブルジョワ趣味である。免色渉の車は高価なジャガーだし、彼の家ではシェフを招いて〈私〉に料理を振る舞ってくれる。しかも、この免色渉という男は、相当な金額で家を、住人を追い出すようにして購入している。資本主義システムに反対しているはずの村上春樹がこのようなブルジョワ趣味をひけらかすのはどうだろう。またかつて小谷野敦が批判していたように、主人公の〈私〉が、妻と別居状態になっても、難なく絵画教室の奥様と性的関係を、いとも簡単にむすんでいる。しかも、ベッドで常に二回戦に及ぶというのはどうだろう。
もう一つ気になったのは村上春樹が歴史を取り込んでいることである。『ねじまき鳥クロニクル』ではノモンハン戦争が無理なく取り込まれていれたが、この作品では南京大虐殺や、捕虜の斬首という処刑を持ち込んでいる。最後では東北大震災のシーンも出てくる。文学は現実と一定の間隔を取って、それを越えなければならない。南京大虐殺や東北大震災を作品に導入する気持ちは分からないではないが、いささか安易ではなかったか。このような不満もあるが、全体としてワクワクして村上ワールドを楽しむことができた。
2017年6月19日
題名はとっつきにくいが、「騎士団長」はモーツァルト『ドン・ジョヴァンニ』、リヒャルトシュトラウス『薔薇の騎士』からきているという。
第一部の三分の一くらいまでは、話に入りきれずにいたが、それからはトントン拍子に読み進めることができた。結局、三日間くらいで読んだのではないだろうか。正直言って、『1Q84』はパラレルワールドで話の展開が難しかった。その点、今回の『騎士団長殺し』はこれまでの作品のパターンが踏襲されている。妻との別れ話、深さ三メートルの井戸のような穴、時空間を越えた妻とのセックス、そして妊娠といった、『ねじまき鳥クロニクル』、『海辺のカフカ』のパターンがいかされている。そのため、読者は安心して村上ワールドに入ることができる。前半の井戸の中から、鈴の音が聞こえてくるというのは、ミステリータッチでわくわく読み進めることができる。
『海辺のカフカ』では、カフカ少年は、四国の高松にいて、東京にいるジョニーウォーカーを殺すことになる。村上作品を読む鍵は、読者も作者と同じように時空間を越えられるかだ。『海辺のカフカ』では『源氏物語』の六条御息所の「生き霊」をヒントにしているが、この作品も同じである。ただ、終盤の〈私〉が死期を迎えている雨田具彦の老人ホームから、「顔なが」を引きずり出した穴を通って井戸に至ることと、秋川まりえが免色渉の家に無断で入り込み、そこから如何に脱出するかという話とがパラレルに展開されているが、これがうまくかみあっていない。
「現在」の高度資本主義社会を捉えるためには、平面的な物語では手に負えない。小説も時空を越えることによって、この社会システムと対決できると村上春樹は考えているのだろう。ただ、雨宮具彦の絵から身長六〇センチの「騎士団長」がイデアとして出現することは納得できない。よしもとばななの作品を私が読まなくなったのは、作中に妖精のような小人が出てきてからである。
気になったのは、村上春樹のブルジョワ趣味である。免色渉の車は高価なジャガーだし、彼の家ではシェフを招いて〈私〉に料理を振る舞ってくれる。しかも、この免色渉という男は、相当な金額で家を、住人を追い出すようにして購入している。資本主義システムに反対しているはずの村上春樹がこのようなブルジョワ趣味をひけらかすのはどうだろう。またかつて小谷野敦が批判していたように、主人公の〈私〉が、妻と別居状態になっても、難なく絵画教室の奥様と性的関係を、いとも簡単にむすんでいる。しかも、ベッドで常に二回戦に及ぶというのはどうだろう。
もう一つ気になったのは村上春樹が歴史を取り込んでいることである。『ねじまき鳥クロニクル』ではノモンハン戦争が無理なく取り込まれていれたが、この作品では南京大虐殺や、捕虜の斬首という処刑を持ち込んでいる。最後では東北大震災のシーンも出てくる。文学は現実と一定の間隔を取って、それを越えなければならない。南京大虐殺や東北大震災を作品に導入する気持ちは分からないではないが、いささか安易ではなかったか。このような不満もあるが、全体としてワクワクして村上ワールドを楽しむことができた。
2017年6月19日