庄野潤三『夕べの雲』 松山愼介
庄野潤三の名は「第三の新人」としてはよく知っていたが、作品は読んだことがなかった。「第三の新人」には、島尾敏雄、庄野潤三、吉行淳之介、遠藤周作、安岡章太郎、小島信夫、三浦朱門らが挙げられる。第一次戦後派が、マルクス主義の洗礼をくぐって、戦争を冷ややかに見ていたのに対して、「第三の新人」は戦争を批判的に見る機会もなく戦後を迎えた。そのため、彼らは社会よりも、家庭、個人をテーマにしたといわれている。今回のテキスト『夕べの雲』も家庭小説のごとくである。
庄野潤三は大正十年生まれで昭和二十一年に結婚し、二十二年に長女、二十六年に長男、三十一年に次男が生まれている。私は二十四年に生まれているので、世代的には庄野家、大浦家の家族であっても不思議ではない。読んでいて懐かしい場面がたくさんあった。例えば「山芋」の章である。私も母が山芋を摺るのを手伝って、すり鉢を抑えていたことがある。摺るのに結構時間がかかり、その上に出し汁を入れた覚えがある。子供にはおいしいものではなかったが。私が小学校の頃、住んでいた家の近くには田圃や畑があった。林もあった。その細い道には蛇がいたこともある。シマ蛇と呼んでいて、ガキ大将が尻尾を持って地面に叩きつけ殺したことがあった。トンボもまだ町中に銀ヤンマ、オニヤンマなどが飛んで来ていた。「ムカデ」の章にあるように、紐の両端に小石を括りつけ、それを空に投げあげてトンボを取ろうと試みたこともあった。これを「ぶり」というらしいが、トンボが取れたためしはなかった。
このように私には懐かしい場面があった作品であったが、もう少し詳しく庄野潤三を知ろうと思って『プールサイド小景』、『静物』を読んでみた。『プールサイド小景』は会社の金を使い込んで会社を馘首になったサラリーマンの家庭の話である。夫が失業して家にいることになり、夫婦の会話がうまれる。その結果どうも夫が浮気をしていたらしいことが判明する。『静物』は『夕べの雲』の前段のような作品である。老人の医師が「い、い、い、い、い、いちどやると」、「何度もやるようになる」と云う。ある休みの日、妻がいつまでたっても起きてこない。《「おい、起きないか」彼はそう云って、妻の肩に手をかけようとした。すると、この時初めて彼女が妙なものを着ているのに気が附いた》というような場面がある。この作品ではこれ以上の説明はなく、男の子が蓑虫をとってきて箱のなかで飼おうとしたり、女の子と映画へ行ったりする、一見すると単なる家庭小説のようであり、タイトルの「静物」の意味もわからない。ところが川西政明の『新・日本文壇史 第十巻』を読むと、この作品では妻が夫の浮気を苦にして(それだけではないだろうが)自殺をはかったのだった。一度やると何度もやるというのは自殺未遂のことであり、妙なものを着ているというのは死に装束のことであった。「静物」というのは、睡眠薬を大量に飲んで静かに眠っている妻のことなのであった。
実際に庄野潤三の妻が自殺をはかったのは昭和二十三年十二月二十五日の朝のことであった。《この妻の不意打ちの自殺未遂を経験した潤三は、妻が求める愛を確立することが、なによりも大切だと気づいた。潤三は「最も日常的な世界である家庭を私の文学のテーマとして、一人の夫と一人の妻とがそこでいかに生活するかを描いてみようという気持ちを起した」(「わが文学の課題」)のであった。(中略)ここに第三の新人の文学の大きな骨組みとなる「家庭」を描く視点が定着する》と川西政明は前掲書で書いている。
なにげなく書かれている『夕べの雲』の前にはこのような出来事があったのである。このため『夕べの雲』の主人公大浦は妻を含む家庭を守ることが第一義となり、これを評して江藤淳が『成熟と喪失』で「治者の文学」といったのであろう。「治者の文学」とは「被治者の文学」の対立概念である。「被治者の文学」とは『日本文学の進路をめぐって』(「群像」一九六五年六月号)という小田切秀雄との対談で話されたものである。ここで江藤は《明治以来の近代文学の発想はというものは被治者の発想である》と断定し、戦前のプロレタリア文学運動も、党を頂点とするヒエラルキーのもとの文学でしかなかったと批判した。このような江藤淳にとって、第一次戦後派の文学は批判すべきものであり、第三の新人の文学こそが、これからの文学と思われたのである。しかし、『夕べの雲』の標高九十メートルの家が団地(多摩ニュータウン)の造成によって脅威を受けるように、第三の新人の文学も日本資本主義の高度成長によって、その基盤を揺すぶられていったのである。 2015年12月12日
江藤淳は 『成熟と喪失』に《『夕べの雲』に描かれている大浦家の日常は、もちろん作者が細心につくりあげた虚構である。その虚構に一種抗しがたい現実感が含まれているのは、私小説的な模写の手法で的確に描写されているからではなく、むしろ表面にあらわれた虚構と主人公の背後に隠された作者の心理的現実とのあいだに、きわめて緊密かつ重層的な照応関係が存在するからにほかならない》と書いている。この場合、「表面にあらわれた虚構」というのは、一見すると幸せな家族生活であるが、「主人公の背後に隠された作者の心理的現実」というのは『夕べの雲』を読むだけではわからない。そこで江藤は『静物』と『夕べの雲』を比較する。『静物』において妻は「眠り続」け、そのまま「次第に冷たくなって」いく。江藤も書いているように、曖昧な表現であるが、これは妻の自殺未遂である。この自殺未遂は『静物』の主人公にとって寝耳に水である。主人公・「彼」には妻が自殺未遂するようなことは全く思いあたらない。もちろん、作品中に書かれていないことで、「彼」が仕事で妻が思っていたように家庭を顧みないとか、ありふれた話だが浮気がばれたとかという事実が考えられる。しかし、「彼」の思ってもみなかった妻の自殺未遂は生活の中での恐怖である。この恐怖が「主人公の背後に隠された作者の心理的現実」ということになるだろう。
読者が『静物』から『夕べの雲』へ読み進めば、『夕べの雲』の細君に『静物』の妻の自殺未遂を重ね合わせるのは自然な成りゆきである。しかし作者の庄野潤三はそんなことにお構いなく平和な家庭生活を描いているようにみえる。よく読んでみると、次のような場面がある。日の暮れかかる頃に杉林の谷間で息子たちの遊ぶ声が聞こえている。大浦はもし息子たちが帰らないで、声だけ聞こえているこの時を、先で思いだした時どう思うだろうか考える。彼はふと自分の眼前で起きている事が現実かこの世に無いものか分からなくなるという不安に襲われる。
『静物』の不安は妻の自殺未遂という不安であった。『夕べの雲』の不安は日常性の中にある不安である。江藤淳は、小説の課題は戦争などの社会的現実を仰々しく書くのではなく、同じような事件が日々日常の中にあることを強調してきた批評家である。その江藤淳にとって、『成熟と喪失』で取り上げた、安岡章太郎の『海浜の光景』、小島信夫の『抱擁家族』、遠藤周作『沈黙』、吉行淳之介の『星と月は天の穴』そして庄野潤三の『夕べの雲』はこの日常性にひそむ、不安、恐怖を描いたものであった。ところが『夕べの雲』にいたってこれは「治者の文学」だと書いている。つまり大浦家の主人が家庭の平和を維持する責任を負っていることを「治者」と考えたのである。ところが江藤の『成熟と喪失』の副題は「母の崩壊」である。この「母の崩壊」の前提には江藤の中で、明治以来の父親像が崩壊していることが前提となっている。江藤は《近代の政治思想が実現すべき理想として来たのは、近代以前の「被治者」を一様に「治者」にひきあげようとすることである》と書いている。しかし、日本のような先進資本主義国では農耕文化は崩壊している。そうであれば『夕べの雲』の主人公大浦は《いったい何を、何の権威によって治めようとしているのだろうか?》と疑問を呈さざるを得ない。大浦は定住の意義を発見したから丘の上に家を建てたのではない。家族を一時的に守りうるものとしての家であったに過ぎない。大浦が「治者」になるには「父」から権威を与えられねばならない。しかしこの小説の中のポパイの挿話のように、ポパイの父は夜遊びをしたがって仕方がないので、ポパイは父をベッドにぐるぐる巻きにするのだが、どのようにしてか父は縄を振りほどき遊びに出かけてしまうのである。とても大浦は父から「治者」の権威を引き継ぐことはできない。
これは先進国においては高度資本主義が発展して、農耕社会が崩壊していくのでやむを得ない現象である。そもそも江藤の「治者の文学」とは、明治以降の文学、第一次戦後派の文学を「被治者の文学」として批判するために取り入れられた概念であった。この庄野潤三の『夕べの雲』に「治者の文学」を当てはめることは初めから無理だったのである。『夕べの雲』とは「治者たらんとして治者になれなかった治者の文学」だったのである。
2015年12月17日
庄野潤三の名は「第三の新人」としてはよく知っていたが、作品は読んだことがなかった。「第三の新人」には、島尾敏雄、庄野潤三、吉行淳之介、遠藤周作、安岡章太郎、小島信夫、三浦朱門らが挙げられる。第一次戦後派が、マルクス主義の洗礼をくぐって、戦争を冷ややかに見ていたのに対して、「第三の新人」は戦争を批判的に見る機会もなく戦後を迎えた。そのため、彼らは社会よりも、家庭、個人をテーマにしたといわれている。今回のテキスト『夕べの雲』も家庭小説のごとくである。
庄野潤三は大正十年生まれで昭和二十一年に結婚し、二十二年に長女、二十六年に長男、三十一年に次男が生まれている。私は二十四年に生まれているので、世代的には庄野家、大浦家の家族であっても不思議ではない。読んでいて懐かしい場面がたくさんあった。例えば「山芋」の章である。私も母が山芋を摺るのを手伝って、すり鉢を抑えていたことがある。摺るのに結構時間がかかり、その上に出し汁を入れた覚えがある。子供にはおいしいものではなかったが。私が小学校の頃、住んでいた家の近くには田圃や畑があった。林もあった。その細い道には蛇がいたこともある。シマ蛇と呼んでいて、ガキ大将が尻尾を持って地面に叩きつけ殺したことがあった。トンボもまだ町中に銀ヤンマ、オニヤンマなどが飛んで来ていた。「ムカデ」の章にあるように、紐の両端に小石を括りつけ、それを空に投げあげてトンボを取ろうと試みたこともあった。これを「ぶり」というらしいが、トンボが取れたためしはなかった。
このように私には懐かしい場面があった作品であったが、もう少し詳しく庄野潤三を知ろうと思って『プールサイド小景』、『静物』を読んでみた。『プールサイド小景』は会社の金を使い込んで会社を馘首になったサラリーマンの家庭の話である。夫が失業して家にいることになり、夫婦の会話がうまれる。その結果どうも夫が浮気をしていたらしいことが判明する。『静物』は『夕べの雲』の前段のような作品である。老人の医師が「い、い、い、い、い、いちどやると」、「何度もやるようになる」と云う。ある休みの日、妻がいつまでたっても起きてこない。《「おい、起きないか」彼はそう云って、妻の肩に手をかけようとした。すると、この時初めて彼女が妙なものを着ているのに気が附いた》というような場面がある。この作品ではこれ以上の説明はなく、男の子が蓑虫をとってきて箱のなかで飼おうとしたり、女の子と映画へ行ったりする、一見すると単なる家庭小説のようであり、タイトルの「静物」の意味もわからない。ところが川西政明の『新・日本文壇史 第十巻』を読むと、この作品では妻が夫の浮気を苦にして(それだけではないだろうが)自殺をはかったのだった。一度やると何度もやるというのは自殺未遂のことであり、妙なものを着ているというのは死に装束のことであった。「静物」というのは、睡眠薬を大量に飲んで静かに眠っている妻のことなのであった。
実際に庄野潤三の妻が自殺をはかったのは昭和二十三年十二月二十五日の朝のことであった。《この妻の不意打ちの自殺未遂を経験した潤三は、妻が求める愛を確立することが、なによりも大切だと気づいた。潤三は「最も日常的な世界である家庭を私の文学のテーマとして、一人の夫と一人の妻とがそこでいかに生活するかを描いてみようという気持ちを起した」(「わが文学の課題」)のであった。(中略)ここに第三の新人の文学の大きな骨組みとなる「家庭」を描く視点が定着する》と川西政明は前掲書で書いている。
なにげなく書かれている『夕べの雲』の前にはこのような出来事があったのである。このため『夕べの雲』の主人公大浦は妻を含む家庭を守ることが第一義となり、これを評して江藤淳が『成熟と喪失』で「治者の文学」といったのであろう。「治者の文学」とは「被治者の文学」の対立概念である。「被治者の文学」とは『日本文学の進路をめぐって』(「群像」一九六五年六月号)という小田切秀雄との対談で話されたものである。ここで江藤は《明治以来の近代文学の発想はというものは被治者の発想である》と断定し、戦前のプロレタリア文学運動も、党を頂点とするヒエラルキーのもとの文学でしかなかったと批判した。このような江藤淳にとって、第一次戦後派の文学は批判すべきものであり、第三の新人の文学こそが、これからの文学と思われたのである。しかし、『夕べの雲』の標高九十メートルの家が団地(多摩ニュータウン)の造成によって脅威を受けるように、第三の新人の文学も日本資本主義の高度成長によって、その基盤を揺すぶられていったのである。 2015年12月12日
江藤淳は 『成熟と喪失』に《『夕べの雲』に描かれている大浦家の日常は、もちろん作者が細心につくりあげた虚構である。その虚構に一種抗しがたい現実感が含まれているのは、私小説的な模写の手法で的確に描写されているからではなく、むしろ表面にあらわれた虚構と主人公の背後に隠された作者の心理的現実とのあいだに、きわめて緊密かつ重層的な照応関係が存在するからにほかならない》と書いている。この場合、「表面にあらわれた虚構」というのは、一見すると幸せな家族生活であるが、「主人公の背後に隠された作者の心理的現実」というのは『夕べの雲』を読むだけではわからない。そこで江藤は『静物』と『夕べの雲』を比較する。『静物』において妻は「眠り続」け、そのまま「次第に冷たくなって」いく。江藤も書いているように、曖昧な表現であるが、これは妻の自殺未遂である。この自殺未遂は『静物』の主人公にとって寝耳に水である。主人公・「彼」には妻が自殺未遂するようなことは全く思いあたらない。もちろん、作品中に書かれていないことで、「彼」が仕事で妻が思っていたように家庭を顧みないとか、ありふれた話だが浮気がばれたとかという事実が考えられる。しかし、「彼」の思ってもみなかった妻の自殺未遂は生活の中での恐怖である。この恐怖が「主人公の背後に隠された作者の心理的現実」ということになるだろう。
読者が『静物』から『夕べの雲』へ読み進めば、『夕べの雲』の細君に『静物』の妻の自殺未遂を重ね合わせるのは自然な成りゆきである。しかし作者の庄野潤三はそんなことにお構いなく平和な家庭生活を描いているようにみえる。よく読んでみると、次のような場面がある。日の暮れかかる頃に杉林の谷間で息子たちの遊ぶ声が聞こえている。大浦はもし息子たちが帰らないで、声だけ聞こえているこの時を、先で思いだした時どう思うだろうか考える。彼はふと自分の眼前で起きている事が現実かこの世に無いものか分からなくなるという不安に襲われる。
『静物』の不安は妻の自殺未遂という不安であった。『夕べの雲』の不安は日常性の中にある不安である。江藤淳は、小説の課題は戦争などの社会的現実を仰々しく書くのではなく、同じような事件が日々日常の中にあることを強調してきた批評家である。その江藤淳にとって、『成熟と喪失』で取り上げた、安岡章太郎の『海浜の光景』、小島信夫の『抱擁家族』、遠藤周作『沈黙』、吉行淳之介の『星と月は天の穴』そして庄野潤三の『夕べの雲』はこの日常性にひそむ、不安、恐怖を描いたものであった。ところが『夕べの雲』にいたってこれは「治者の文学」だと書いている。つまり大浦家の主人が家庭の平和を維持する責任を負っていることを「治者」と考えたのである。ところが江藤の『成熟と喪失』の副題は「母の崩壊」である。この「母の崩壊」の前提には江藤の中で、明治以来の父親像が崩壊していることが前提となっている。江藤は《近代の政治思想が実現すべき理想として来たのは、近代以前の「被治者」を一様に「治者」にひきあげようとすることである》と書いている。しかし、日本のような先進資本主義国では農耕文化は崩壊している。そうであれば『夕べの雲』の主人公大浦は《いったい何を、何の権威によって治めようとしているのだろうか?》と疑問を呈さざるを得ない。大浦は定住の意義を発見したから丘の上に家を建てたのではない。家族を一時的に守りうるものとしての家であったに過ぎない。大浦が「治者」になるには「父」から権威を与えられねばならない。しかしこの小説の中のポパイの挿話のように、ポパイの父は夜遊びをしたがって仕方がないので、ポパイは父をベッドにぐるぐる巻きにするのだが、どのようにしてか父は縄を振りほどき遊びに出かけてしまうのである。とても大浦は父から「治者」の権威を引き継ぐことはできない。
これは先進国においては高度資本主義が発展して、農耕社会が崩壊していくのでやむを得ない現象である。そもそも江藤の「治者の文学」とは、明治以降の文学、第一次戦後派の文学を「被治者の文学」として批判するために取り入れられた概念であった。この庄野潤三の『夕べの雲』に「治者の文学」を当てはめることは初めから無理だったのである。『夕べの雲』とは「治者たらんとして治者になれなかった治者の文学」だったのである。
2015年12月17日