遠くまで・・・    松山愼介のブログ   

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ
読書会に参加しているので、読んだ本の事を書いていきたいと思います。

松山愼介『「昭和」に挑んだ文学』(不知火書房)

2023-02-24 19:22:03 | お知らせ
松山愼介『「昭和」に挑んだ文学』(不知火書房)
     3080円(税込み)
   「文学表現と思想の会」のホームページでも、注文を受け付けます。





 松山愼介『「昭和」に挑んだ文学』(不知火書房)が発刊されました。
 「昭和」は戦争と検閲の時代でした。この波に、翻弄され、闘った三人の文学者がいました。
 横光利一、江藤淳、火野葦平です。
 彼らの闘いと文学を論じました。是非、書店で手に取ってください。

木山捷平『白兎、他9編』を読んで

2023-02-24 19:15:13 | 読んだ本
木山捷平『白兎、他9編』         松山愼介
 戦争が日本の敗北によって終わったとき、蔣介石は以徳報怨(いとくほうえん)「徳を以って恨みに報いよ」という有名な演説を行う。この演説が浸透したためか、大陸にいた日本人の軍民二百五十万人は一年数カ月で日本に帰国することができた。「敵は日本軍閥であり日本人民を敵とはしない」という趣旨のもので、蒋介石の人徳が称賛されることになった。
 これにより、堀田善衞や武田泰淳も曲がりなりにも上海で生き延びることができた。しかし、よく考えれば、この演説も戦後の国内での混乱を防ぐためとか、中国での国民党の支持を得るための戦術だった可能性もある。
 一方で満洲では、ソ連が侵攻してきたため大混乱となった。五十数万人がシベリアに抑留されたことは周知の事実である。軍関係者は、敗戦の情報をいち早くつかんで、家族を日本へ脱出させている。このなかで、木川は白酒(高粱酒)を売って生き延びる。ソ連兵による日本人狩りがあるので、ナー公という女の子を連れて外出する。前に読んだ『長春五馬路』では、敗戦後の生活の悲惨さや、帰国の困難さが克明に書かれていたが、『白兎』はそれほど強調されていない。
 満洲というと、農民の開拓団がすぐ思い浮かぶが、これは現地農民の農地を日本軍の威光で取り上げて入植したものであった。そのため、敗戦の事実が伝わると、日本人の入植村は現地農民の攻撃を受けている。満洲へは、軍人、農民だけではなく、木山捷平のように、満洲農地開発公社の役人になったり、満鉄、満映その他、いろんな商売で一旗揚げようという魂胆を持った人々も、渡満したと思われる。ちょとした知り会いの、親戚か父親が飛行士になりたくて軍に入ったのだが、日本は制空権がなく訓練できないので、満洲に渡ったという。まだ十代後半だったらしい。数カ月の満洲生活に過ぎなかったがシベリアに抑留され苦労したという。
 NHKのドキュメンタリーで、開拓村を現地農民の襲撃から守ってもらうために、ソ連兵に村の女性の身体を差し出したという話があった。この小説では三階がにわか女郎屋になったという話が書かれているが悲劇のようには書かれていない。
 今から考えれば、どうかんがえても満洲だけならまだしも、日本が中国大陸全体を支配しようとするのは無理だということは、まじめに考えればわかる話だ。軍の統帥権の独立を盾にして軍部が独走し中国へ侵攻する。ハル・ノートで中国からの全面撤退を突きつけられて、日本はアメリカとの全面戦争に突入する。時の勢いというのは恐ろしい。この時、アメリカは中国の範囲に満洲を含めていなかったという話もある。
 このような満洲体験に比べて、後の諸編でえがかれる日本での生活は何かのんびりしている。痩せこけけ還ってきて、胃腸が食べ物を受け付けなくても、食べ続け、十六日目に下痢が止まるというのはユーモラスでさえある。ヨーロッパ戦線で、米ソがユダヤ人収容所を解放するのだが、アメリカ軍の方は、好きなだけ食料を与えたので、多くのユダヤ人がなくなり、ソ連軍の方は、少ししか食料を与えられなかったので、ユダヤ人が救われたという話もある。
 この作品集は、満洲体験から戦後の、昭和の生活事情がわかるようにうまく構成されている。子供の頃、我が家にもクズ屋さんが来たが、あれで商売は成り立ったのだろうか。鍋の穴を塞ぐという商売もあった。『雨』に銭湯の話がある。私も学生時代銭湯に行ったが、夜の十時頃になると、お湯の表面は垢で汚れてしまう。私は垢を手で除けて浴槽に入ったものだった。大工さんの話とか、よく分かる話が出てきていた。
 なお、木山捷平は一貫して日本が名付けた新京を使わずに、もとの中国の地名、長春を使っている。これには木山の思いが込められているのだろうか。
                              2022年12月11日

澁澤龍彦『高丘親王航海記』を読んで

2023-02-24 19:11:18 | 読んだ本
       




澁澤龍彦『高丘親王航海記』        松山愼介
 澁澤龍彦は、サドの翻訳家として有名で、『悪徳の栄え(続)』の翻訳出版により、わいせつ罪で起訴され、その裁判が私の学生時代に進行中で、特別弁護人に、埴谷雄高、吉本隆明、大江健三郎らがなり、その内容は現代思潮社から『サド裁判』として出版されていた。しかし、澁澤の本は読んだことはない。小説を書いていたことも知らなかった。一九八七年に刊行された本の帯には「幻想奇譚」となっている。筋書きは「西遊記」に似ている。高丘親王は実在の人物で、一度は皇太子になりながら、政争に敗れ、廃太子になり出家し、空海の弟子になっている。老年になり、釈迦の生まれた国、天竺を目指して旅立つが、真珠を飲んで体調を崩し、虎に身を捧げ死に至る。
この本は漫画になっていて、作者・近藤ようこのインタビューを引用する。近藤ようこは折口信夫の『死者の書』も漫画にしているという。

――『高丘親王航海記』は、天竺を目指して中国の広州を出発した親王一行が、占城(ベトナム)、真臘(カンボジア)などを巡り、さまざまな不思議に出会う連作小説。ちょっとしたエピソードも含めて、かなり忠実にマンガ化されていますね。
 原作のある作品はできるだけ忠実に描こうと思っています。澁澤さんの原作には、「どうしてこれを入れたんだろう?」と不思議に思うようなエピソードもあるんですよね。たとえば「蜜人」の章に、犬の頭をした男が出てきますが、後のストーリーにはまったく関わらない(笑)。こういう遊びのような部分が、原作の持ち味にもなっているので、省略せずに描きたいと思います。

――幻想的なイメージも原作の魅力です。「儒艮」の章には言葉を話すジュゴンやオオアリクイが、「蘭房」の章には廃墟と化した後宮で単孔(排泄と生殖をひとつの孔でおこなう)の女人・陳家蘭が登場します。
 自由にイメージを膨らませて書いているようですが、調べてみると澁澤さんの原作にはすべて典拠があります。決して気ままに書いているわけではないんですよ。マンガでもそこはしっかり押さえないといけないので、調べ物はかなり大変ですね。
 たとえば単孔の女人がどうして「陳家蘭」という奇妙な名で呼ばれているのか。気になって調べてみると、13世紀に書かれた『真臘風土記』という中国の旅行記に出てくる名称なんですね。カンボジアの宮廷の召使いを指す言葉ですが、おそらく澁澤さんはそこから単孔の女人というイメージを生み出したんじゃないのかなと。こういうことが分かると澁澤さんの思考の流れに触れられた気がして、とても楽しいです。

 私はこの小説はすべて澁澤龍彦の自由な創作、ファンタジー小説だと思っていた。上記のインタビューによると、ほとんどの話に出典があるとのことである。ただ、秋丸と春丸がなぜ入れ替わるのかとか、細かい点では不明の部分がある。澁澤は下咽頭癌の手術で死ぬ一年前に声帯を失っている。真珠を飲み、虎に自身を食べさせるというのも「捨身飼虎」という物語が『金光明経』にあるという。この作品には晩年の澁澤の生と死の想いが込められているようである。
                       2022年11月12日

森崎和江『まっくら』を読んで

2023-02-24 18:30:43 | 読んだ本
        森崎和江『まっくら』          松山愼介
 北大に入学して、サークル探しをしていた時、たまたま「労働問題研究会」というのを見つけ、そのボックスをおとずれた。新入生歓迎で炭鉱の見学に行くというので連れて行ってもらった。場所は記憶にないが札幌から一時間くらいの所だったと思う。そこはもう操業していなくて、作業員が一人いて話を聞くことができた。彼はその炭鉱の撤収、保守作業をしているとのことだった。百メートルか二百メートル中に入った。作業員の人が言うには、炭鉱の中は年中温度が一定で、夏は涼しいので炭鉱労働者は、一旦、炭鉱で働くと地上で働くのはつらいということだった。
 他にもNHKの朝ドラ『花子とアン』、『あさが来た』で筑豊の炭鉱の様子を見ている。『あさが来た』では、主人公役の波瑠が炭鉱を買収し、女ながらに、炭鉱の管理に行くという場面があった。それによれば坑夫は納屋頭が掌握しており、経営者も納屋頭を通してしか坑夫を働かせることができなかったようである。
『花子とアン』では、村岡花子の親友となった柳沢白蓮が、九州の炭鉱王・伊藤伝右衛門と結婚する。この伊藤伝右衛門の同業者に麻生鉱業の創業者で、元首相麻生太郎の曽祖父・麻生太吉がいた。伊藤伝右衛門は大正炭鉱の創業者で、一九六〇年代初めに、谷川雁がオルグとなって大正炭鉱闘争を主導する。この谷川雁が「サークル村」の発刊者でここから森崎和江、石牟礼道子が出てくる。
 今年の七月三十日に「第五回森崎和江研究会」(大阪大学?)というのをリモートで視聴した。それによれば、森崎和江の見直しが始まっているらしい。私にとって森崎和江といえば大正炭鉱闘争をえがいた『闘いとエロス』(三一書房 一九七五)だが、これが長い間、幻の書となっていたのが近々月曜社というところから出版されるとのことである。この研究会に石牟礼道子研究家の米本浩二さんがリモートで参加していたので、森崎和江と石牟礼道子について話してもらった。彼によると二人は、かなり近いところにいたのだが、おそらく二人の間に対話は成立しなかったのではないかということだった。
 石牟礼道子の『苦海浄土』と、森崎和江の『まっくら』、『からゆきさん』を読み比べると、石牟礼道子は対象の中に「没入」している感があるが、森崎和江は対象の人物から聞き取りをしているのだが、なにか一定の距離を取っているような感じを受ける。森崎和江はあくまで女性目線である。大正炭鉱を例にとると、昭和六年に、おなごは坑内に下がれなくなったが、戦争中は挺身隊ということで、女性も坑内で働いた。この女性は坑内で四十年働いたというからすごいものだ。
『まっくら』を読んで、一番自分の不明を感じたのは電気がない時代も石炭が掘り出されていたことである。山本作兵衛の絵で当時をしのぶことはできるが、暗闇でかすかな明かりでの労働は想像がつかない。それで、坑内の灯り、カンテラについて調べてみた。

「必需品であるツルバシを5、6挺肩に担いで、腰にはトンコツという煙草入れとキセルを差し、ブリキ製のカンテラと合油(石油と種油を半分ずつ入れたもの)、ヒヤカシボウ(カンテラを提げるためのもの)を持っての入坑です。」入坑は午前三時頃だそうだ。
  (山本作兵衛氏 炭鉱の記録画 http://www.y-sakubei.com/paintings)
 山本作兵衛は最初、墨で描いていたようだが、途中で水彩画を勧められ、色彩豊かな絵を描かれている。坑内は暗いので、最初墨で描かれたのは正解だが、周りから色を付けた方がよく理解できると水彩画を勧められたのであろう。しかし、水彩画にしてしまうと、暗闇での労働という面がうすれ、真実味がなくなるような気がする。明治期にはブリキで作った小さなヤカンのような入れ物に石油と種油(菜種油)を混ぜたものを燃やし、ヤカンの注ぎ口のようなところから炎が出ている。布のようなものが突っ込んで燃やしているようである。このようなもので、どの程度、切羽や労働現場の明かりとなったのかは疑問である。

「昔は種油を使った燈明皿が使われていましたが、持ち運びに便利な容器に代わり、種油から石油(灯油)が使われるようになってからカンテラといいました。さらに大正期にアセチレン灯が加わり、携帯用灯火として、昭和の初めごろまで使用されました。」(石炭記念館 山口県宇部市)
 このアセチレン灯は、燃料がカーバイドで、私達の子供の頃、夜店の灯りとして使われていた。
 一九七五年頃、埴谷雄高、吉本隆明の講演会が京大であり、そのとき井上光晴も来ていて、炭坑節を歌ったのだが、それは「朝の早よから、カンテラさげてよー」というものだった。井上光晴の小説は事実と異なるところが多々あると言われているが、この炭坑節は信じられる。また、井上光晴の小説には、炭鉱の社員が切羽の分担を決めるのであるが、朝鮮人には水が出たり、背が立たないところがあてられたという。これが事実なら、朝鮮で生まれ、十七年をそこで生活した森崎和江の思いが、この『まっくら』に込めれているのかもしれない。
                              2022年10月12日
                                                              

吉村昭『殉国』を読んで

2023-02-24 18:25:12 | 読んだ本
    吉村昭『殉国』             松山愼介
 吉村昭はこの作品を書くにあたって、那覇市内に長期滞在用アパートを借り、二十日間取材したという。その精力的な動きには敬意を払う。
 この作品は一九八二年六月に単行本として出版されている。日本の戦争には興味があり、映画もよく見た。十年から二十年くらい前までは敗戦の八月、真珠湾攻撃の十二月に映画会社が戦争映画を作っていた。沖縄特攻で沈んだ戦艦大和を中心にした映画も何本か作られている。
『ひめゆりの塔』も香川京子(一九五三年)、吉永小百合(一九六八年)の両方を見ている。香川京子主演の映画では、冬に撮影し、吐く息が白くなるので、氷で口の中を冷やして撮影したという苦労話を聞いた。どちらも沖縄復帰前の話だ。沖縄復帰といえば、石垣島へ行った時、メインストリートに、車が右側通行から左側通行になった日を記念した碑があった。
『殉国』が二〇二〇年七月に文春文庫から新装版が出ているのを考えると、この作品はロングセラーになっているのだろう。『ひめゆりの塔』は沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校の、女子学徒隊を扱っているが、『殉国』のテーマは中学校の三年、四年、五年生で、ガリ版刷りの召集令状を受け取った鉄血勤皇隊である。年齢的には十五、六歳になるのだろうか。昔、『海軍特別年少兵』という映画もあった。こちらも年齢的に同じくらいだろう。
『殉国』では、陸軍二等兵比嘉真一は後方勤務で、病人の搬送や雑役で、さすがに切り込み隊にはなっていない。今やっているNHKの朝ドラの『ちむどんどん』も沖縄の比嘉一家が中心になっている。母親役の仲間由紀恵はときおり、ガマの発掘作業を手伝っている。
 吉村昭が書く、戦争の悲惨なシーンは心を動かすが、今となっては特に驚かない。NHKは相変わらず、戦争のドキュメンタリー番組を放送している。最近では「次に遺体が映ります」という注意書きの上でだが、遺体が散乱するシーンも出すようになったので、『殉国』の悲惨な場面でも、特に驚かなくなっている。最近のNHKのドキュメンタリーでは、『ビルマ 絶望の戦場』、『久米島の戦争 〜なぜ住民は殺されたのか〜』が印象に残っている。
『ビルマ 絶望の戦場』では、インパール作戦の失敗に懲りず、陸軍はビルマで、二十六万のイギリス軍に対し、ボロボロの日本軍三万人が戦闘を交え、多くの日本兵が戦死したというものであり、『久米島の戦争 〜なぜ住民は殺されたのか〜』では、疑心暗鬼にかられた日本兵が、スパイとして久米島の住民二十名を殺したというものである。
 日本の戦争について、あまり知識のない若者にとっては『殉国』は読まれるべき本だが、一定の知識のある者にとっては新鮮味のない作品ではないだろうか。
 少年兵全員には銃は行き渡らず、ないものは竹槍を準備した。全員に手榴弾三発が配布され、二発は敵撃滅のため、一発は自決用とされた。配属将校は「皇国の兵として潔く死を選ぶのだ」と指示した。その前に県知事が「皇国のために」、配属将校は「お前らは、すでに皇国の兵である」「大元帥陛下のみもとに」と訓示した。
 鉄血勤皇隊という名が示すように、彼らは天皇のために戦うことを強制され、それに疑問をほとんどもっていない。竹槍で戦えると考えたのも、時代とはいえ納得できない。特攻機も最後は、脚の収納できない練習機で、時速三百キロで、アメリカ軍の時速六百キロを超えるグラマンの格好の目標であった。陸軍は鹿児島県の知覧基地から特攻機を出撃させたが、目印のない海上を飛ぶ訓練は受けていなかった。そのため、島伝いに沖縄に向かわざるを得ず、奄美大島上空で待ち構える、アメリカ軍機によって多くが撃墜された。
 昭和天皇は形式的には、軍事と政治の最高権力者であったほとんど唯一の天皇であった。しかも敗戦後は象徴天皇として、その権威を保った。最後に比嘉真一が捕虜になり、「屈辱感と羞恥」を覚えたというのが、吉村昭が『殉国』と作品名を改題したのは天皇制に対する、批判的観点なのだろうか。
 私が小学校高学年の頃、子供向けの雑誌「少年」というのがあった。『鉄腕アトム』『鉄人28号』という漫画が主力であったが、最初のページは、戦艦大和やゼロ戦といった、太平洋戦争で活躍した旧日本軍の主力兵器を称賛し、大人にとっては戦争への郷愁を誘う口絵であった。今から考えると、敗戦から十年もたたないうちに少年向けの漫画誌が戦争をあおる特集を組んでいたことになる。
                                             2022年9月11日
                        (天皇制については赤坂憲雄『象徴天皇という物語』がおすすめです)