黒島伝治『渦巻ける烏の群』 松山愼介
『二銭銅貨』は素朴な作品である。農村を舞台にし、生活の貧しさを強調しているが、それほどイデオロギーは感じられない。ところが『橇』、『渦巻ける烏の群』という「シベリアもの」となると、明らかに反軍隊、反戦というイデオロギーが表に出ている。この転換を示す過渡の作品が『豚群』である。『二銭銅貨』、『豚群』は「文芸戦線」に発表された。『豚群』は青野季吉の『自然生長と目的意識』という論文の強い影響を受けて書かれたという【『日本文学全集 44』(集英社)の小田切進の「作家と作品」】。
『自然生長と目的意識』は「文芸戦線」一九二六年九月号に発表された。プロレタリアートはそれ自身で階級意識を確立することができないので、前衛党による外部からイデオロギーを注入し指導しなければならないという、レーニンが『何をなすべきか』で定式化した「外部注入論」の文学への機械的適用であった。平野謙『昭和文学史』(筑摩書房)から引用すれば《プロレタリアートは自然に成長し、それとともに表現欲も自然に成長する。工場から農村から小説や戯曲が生れる。しかし、それはまだ運動ではない。プロレタリアートの表現欲は、それだけではまだ個人的な満足にすぎない。プロレタリア階級の闘争目的を自覚したとき、はじめてそれは階級のための芸術となる。つまり、社会主義思想に導かれて、階級のための芸術となったとき、はじめてプロレタリア文学運動は起こるのである》ということになる。
この論文をきっかけとして、文学運動は一挙に流動化する。「種蒔く人」の流れをくむ「文芸戦線」はアナーキストもサンディカリストもニヒリストも反資本主義的な人々もが同居する共同戦線体であった。そこへ林房雄、中野重治、亀井勝一郎らの東大新人会系の社会文芸研究会が「文芸戦線」の母体であったプロレタリア文芸聯盟で主導権を握り、マルクス主義的なプロレタリア芸術聯盟に改組されることになった。このため中野重治らのプロレタリア芸術聯盟から、林房雄、黒島伝治、葉山嘉樹らが脱会し労働芸術家聯盟を結成することになる。これが一九二七年六月のことである。『豚群』はこの分裂の直前に発表され、『橇』、『渦巻ける烏の群』はこの分裂の最中に発表されている。ただし、黒島伝治は一九三〇年には、中野重治らの日本プロレタリア作家同盟に加わり、「戦旗」に作品を発表するようになる。
『橇』、『渦巻ける烏の群』は「シベリアもの」といわれ、日本のロシア革命干渉戦争、シベリア出兵の体験を基にしている。黒島伝治は一九二一年五月にシベリアに派遣され、一九二二年三月肺尖炎で入院し、五月に帰国、姫路衛戍病院に転送され、七月に兵役免除となっている。この肺尖炎になったきっかけは『橇』には、シベリアの夏、「道路にすてられた馬糞が乾燥してほこりになり、空中にとびまわる、それを呼吸しているうちに、いつのまにか、肉が落ち、咳が出るようになってしまった」と書かれている。事実はシベリアへ行く前から病気の徴候はあったらしい。ちなみに、私の学生時代、札幌でも馬糞は落ちていなかったが春先の強風を馬糞風と言われていた。
前掲の小田切進の「作家と作品」によれば、黒島伝治のシベリアものは宮本顕治によって「戦争や軍隊の本質が階級的な観点から、さまざまな矛盾とのかかわりにおいてとらえられていない」と批判された。しかし、戦後、宮本顕治は「不備なところはいろいろあるが、当時のシベリア出兵の一局面を通して侵略的出兵を批判的に描いている」と評価し直しているということだ。確かに『橇』、『渦巻ける烏の群』は反戦、反軍的な作品だが、どこかユーモラスな描き方で、戦闘シーンに緊迫感、現実感がない。これは彼が病院の看護兵(衛生兵)であったからかも知れない。『橇』で兵士が戦争は「おれらがやめりゃ、やまるんだ」とか、兵士の銃剣が近松少佐の胸に集中していった、という描写は作者の願望のようで観念的でリアルな感じがしない。。
先の大戦の発端は、一九三一年の満州事変だが、その元はロシア革命にある。満州、朝鮮の権益をめぐって日露戦争が起こったが、ロシア革命の結果、ロシアは満州から手を引かざるを得なかった。その空白と中国の混乱につけこんで日本が満州に進出することになる。日本は太平洋戦争でアメリカに完敗したために、その被害者的側面が記憶に残っているが、もとを正せば戦争の発端は日中戦争(支那事変)にあり、その元はロシア革命に対するシベリア出兵に求められるかも知れない。そうすれば、黒島伝治は単にプロレタリア作家としてだけでなく、先の大戦の大本、シベリア出兵を描いた作家として蘇るかも知れない。
2017年3月11日
黒島伝治はあまり、馴染みのない作家だが、なかなか面白い。そんなにプロレタリア文学という感じもしない。この『渦巻ける烏の群れ』は日本のシベリア出兵をえがいていて、烏の群れの下には日本兵の死体があるのだが、読んでいて何かメルヘン調で、悲惨な感じがしない。悲惨な戦争をメルヘン調に書くことで、戦争をの実態を浮かびあがらせることができる。
『二銭銅貨』は素朴な作品である。農村を舞台にし、生活の貧しさを強調しているが、それほどイデオロギーは感じられない。ところが『橇』、『渦巻ける烏の群』という「シベリアもの」となると、明らかに反軍隊、反戦というイデオロギーが表に出ている。この転換を示す過渡の作品が『豚群』である。『二銭銅貨』、『豚群』は「文芸戦線」に発表された。『豚群』は青野季吉の『自然生長と目的意識』という論文の強い影響を受けて書かれたという【『日本文学全集 44』(集英社)の小田切進の「作家と作品」】。
『自然生長と目的意識』は「文芸戦線」一九二六年九月号に発表された。プロレタリアートはそれ自身で階級意識を確立することができないので、前衛党による外部からイデオロギーを注入し指導しなければならないという、レーニンが『何をなすべきか』で定式化した「外部注入論」の文学への機械的適用であった。平野謙『昭和文学史』(筑摩書房)から引用すれば《プロレタリアートは自然に成長し、それとともに表現欲も自然に成長する。工場から農村から小説や戯曲が生れる。しかし、それはまだ運動ではない。プロレタリアートの表現欲は、それだけではまだ個人的な満足にすぎない。プロレタリア階級の闘争目的を自覚したとき、はじめてそれは階級のための芸術となる。つまり、社会主義思想に導かれて、階級のための芸術となったとき、はじめてプロレタリア文学運動は起こるのである》ということになる。
この論文をきっかけとして、文学運動は一挙に流動化する。「種蒔く人」の流れをくむ「文芸戦線」はアナーキストもサンディカリストもニヒリストも反資本主義的な人々もが同居する共同戦線体であった。そこへ林房雄、中野重治、亀井勝一郎らの東大新人会系の社会文芸研究会が「文芸戦線」の母体であったプロレタリア文芸聯盟で主導権を握り、マルクス主義的なプロレタリア芸術聯盟に改組されることになった。このため中野重治らのプロレタリア芸術聯盟から、林房雄、黒島伝治、葉山嘉樹らが脱会し労働芸術家聯盟を結成することになる。これが一九二七年六月のことである。『豚群』はこの分裂の直前に発表され、『橇』、『渦巻ける烏の群』はこの分裂の最中に発表されている。ただし、黒島伝治は一九三〇年には、中野重治らの日本プロレタリア作家同盟に加わり、「戦旗」に作品を発表するようになる。
『橇』、『渦巻ける烏の群』は「シベリアもの」といわれ、日本のロシア革命干渉戦争、シベリア出兵の体験を基にしている。黒島伝治は一九二一年五月にシベリアに派遣され、一九二二年三月肺尖炎で入院し、五月に帰国、姫路衛戍病院に転送され、七月に兵役免除となっている。この肺尖炎になったきっかけは『橇』には、シベリアの夏、「道路にすてられた馬糞が乾燥してほこりになり、空中にとびまわる、それを呼吸しているうちに、いつのまにか、肉が落ち、咳が出るようになってしまった」と書かれている。事実はシベリアへ行く前から病気の徴候はあったらしい。ちなみに、私の学生時代、札幌でも馬糞は落ちていなかったが春先の強風を馬糞風と言われていた。
前掲の小田切進の「作家と作品」によれば、黒島伝治のシベリアものは宮本顕治によって「戦争や軍隊の本質が階級的な観点から、さまざまな矛盾とのかかわりにおいてとらえられていない」と批判された。しかし、戦後、宮本顕治は「不備なところはいろいろあるが、当時のシベリア出兵の一局面を通して侵略的出兵を批判的に描いている」と評価し直しているということだ。確かに『橇』、『渦巻ける烏の群』は反戦、反軍的な作品だが、どこかユーモラスな描き方で、戦闘シーンに緊迫感、現実感がない。これは彼が病院の看護兵(衛生兵)であったからかも知れない。『橇』で兵士が戦争は「おれらがやめりゃ、やまるんだ」とか、兵士の銃剣が近松少佐の胸に集中していった、という描写は作者の願望のようで観念的でリアルな感じがしない。。
先の大戦の発端は、一九三一年の満州事変だが、その元はロシア革命にある。満州、朝鮮の権益をめぐって日露戦争が起こったが、ロシア革命の結果、ロシアは満州から手を引かざるを得なかった。その空白と中国の混乱につけこんで日本が満州に進出することになる。日本は太平洋戦争でアメリカに完敗したために、その被害者的側面が記憶に残っているが、もとを正せば戦争の発端は日中戦争(支那事変)にあり、その元はロシア革命に対するシベリア出兵に求められるかも知れない。そうすれば、黒島伝治は単にプロレタリア作家としてだけでなく、先の大戦の大本、シベリア出兵を描いた作家として蘇るかも知れない。
2017年3月11日
黒島伝治はあまり、馴染みのない作家だが、なかなか面白い。そんなにプロレタリア文学という感じもしない。この『渦巻ける烏の群れ』は日本のシベリア出兵をえがいていて、烏の群れの下には日本兵の死体があるのだが、読んでいて何かメルヘン調で、悲惨な感じがしない。悲惨な戦争をメルヘン調に書くことで、戦争をの実態を浮かびあがらせることができる。