遠くまで・・・    松山愼介のブログ   

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芹沢光治良『巴里に死す』を読んで

2018-03-30 10:40:15 | 読んだ本
        芹沢光治良『巴里に死す』            松山愼介
 現在では、パリで日本人が亡くなっても、そう珍しいことではない。しかし、この作品が発表された当時はこの『巴里に死す』というタイトルは、日本人のパリにたいするあこがれもあって、十分、刺激的だったのだろう。この作品の時間は、上海での日貨ボイコット事件とあるだけなので特定できないが、著者の年譜をみると一九二五年、二十八歳で渡仏とあるので、その頃のことであろう。大正から昭和にかけての時期なら日本人の渡仏自体が珍しいことであったろう。
『巴里に死す』は昭和十七年という戦争中に「婦人公論」に一年間、連載された作品である。湯川編集長は《戦力増強に資さない作品を載せるな》という軍からの圧力に抗して掲載したのだったが、軍の報復か、徴兵され沖縄で戦死している。この作品は七十五年前に書かれたことになるが、そのせいか、読んでいて時代を感じてしまった。船の中で、夫の宮村の姿が見えないので伸子が探しに行くと、彼は上甲板のボートによりかかるようにして、手紙を破いてインド洋の波の上へ飛ばしていたのだった。その手紙はプラトニックな恋愛関係にあって、破綻した青木鞠子の手紙だった。それを、持ってきたものを全部、いっぺんに捨てるのならともかく、ひとつひとつ破り捨てたり、ましてまだ捨てなかった手紙を、伸子に渡してしまうのは不可解である。あまりにも通俗的な感傷ではないだろうか。
 健康上の問題で、自分の命と引きかえに子を産むというのも、そう驚くようなテーマでもない。また、娘の名前を、夫の前の恋人、鞠子と同じ万里子と名付けるのも不可解である。また、この伸子が自分の死期を悟って、娘あてに長い手紙、物語を書くのだが、まずこの物語の文体が女性らしくない。しかも、健康上の問題をかかえていて、これだけ長文の物語を書けたかが疑問だ。書くことは想像以上に、頭もだが、肉体的な体力を使うということを最近、実感している。この作品が一九五三年にフランス語訳されて、十万部を売り上げ好評だったということだが、フランス人の異国趣味を満足させただけだったのではないだろうか。
 芹沢光治良がノーベル賞候補になったということだが、小谷野敦はこれを否定している。公開された当時のノーベル賞委員会の文書には芹沢の名前はないということであり、そもそも『巴里に死す』は英訳されていないらしい。諸国語への翻訳という点では、のちにノーベル賞候補と騒がれた井上靖や、井伏鱒二のほうがずっと多いということである。芹沢の経歴でノーベル賞推薦委員と書かれているので、凄いと思ったが、小谷野敦によれば、ペンクラブ会長が自動的にノーベル賞推薦委員になるので、単に芹沢が一九六五年に川端のあとにペンクラブ会長なったということに過ぎないらしい。《代表作『人間の運命』だって、外国語に訳されたという話は聞かないし、どうも芹沢がノーベル賞候補だったというのは、一種の都市伝説のようなものだろうと言うほかない》。このノーベル賞候補というのは『芹沢光治良作品集5巻』(一九七四)の「月報」に《この小説はノーベル賞委員の注目を惹いたようです》と書かれているのが根拠になっているのか。
 というわけで、『巴里に死す』には集中できなかったが、芹沢光治良の経歴には興味を持った。父親が私財を投げ捨て天理教に走るのだが、芹沢自身は〈捨て子〉になり、家で教科書をみることはできない境遇にあったが、学校の授業中に全部、理解できたということである。中学に行くについても、家と義絶していて郡会議員になっていた従弟の紹介で芹沢家の世話になったことがある海軍軍人が毎月三円の援助をしてくることになった。ただこのことで〈村八分〉になったということだが、この意味はわからなかった。一高入学後も、お金に苦労するが品川御殿山の某氏の貸費制度に採用されて、月額二十三円もらえるようになったという。
 公務員になってからも、苦労しながらも幸運にめぐまれ、フランス行きも子供の頃、養子になる予定だったI氏が一万円の信用状をくれたという。フランスの大学でもよい先生に恵まれ、健康を害して結核と診断されてからも高原療養所、スイスの療養所とめぐまれている。結核には海気が悪いらしいのだが、幸運にも《海気を乾燥させる特別装置のある》船がみつかり、無事帰国している。帰国後、神戸駅で買った「改造」に懸賞小説の募集広告があり、五日間で百枚ちかい『ブルジョア』を書き当選し、小説家の道を歩んでいくことになる。このフランス、スイスでの療養所の体験が伸子の身の上に起こったこととして『巴里に死す』が書かれたのだろう。この療養所の場面はトーマス・マンの『魔の山』を思わせる。
 この作品が戦争中にかかれ、編集者が軍部の圧力に屈せず連載を続けたのは評価できるが、かといって作品の評価があがるわけではない。この作品にはとってつけたような展開もあり、時代的な限界を感じた。
                            2018年3月10日

佐伯一麦『渡良瀬』を読んで

2018-03-30 10:32:28 | 読んだ本
    佐伯一麦『渡良瀬』              松山愼介
 東京で七年間、電気工をやっていた南條拓は、子供の緘黙症や喘息、それに自身のアスベストによる肋膜炎の予後という事情もあって、配電盤作りの見習工として茨城県の渡良瀬の(株)平塚電機製作所で働いている。時は昭和から平成へ代わる時で、昭和天皇の病状の進行を背景に物語が進んでいく。昭和天皇の病状を背景にすることで、単なる配電工と家族の物語に厚みを加えている。途中に宮崎勤事件もはさまれる。
 私は家族経営の単なる薄鋼板販売店で働いていたが、機械の配電盤が故障したりすると、自分で電線を繋ぐこともあったので、規模は異るがこの配電盤を制作している現場の様子はよくわかった。このような大きな配電盤になると、取り付ける現場によって、場所や電気の容量が異るのでひとつひとつ設計するという注文制作になるのだと思われる。そのため既成品ではなく、異なった仕様の配電盤を作らなければならないので電気職人の腕が重要になってくる。技術も先輩の作業を見ながら盗んで腕を上げていかなければならない。
 ラチェットレンチ、六角スパナ、モンキースパナなどは薄鋼板を切断する刃を交換するのに必要な道具なので、いつも使っていたので、働いていた当時を思い出して懐かしかった。電線は絶縁ビニール(?)で被覆されているので、電工ナイフ(ニッパー?)で電線を傷つけないように被覆だけを切り取る。昔はそれをねじってそのまま端子に巻いていたのだが、圧着端子が使われるようになり、電線を圧着端子に通して、首の部分を圧着工具で押し潰すようにして連結するようになった。端子の先は書いてあるように丸型とYの字型の二つの種類がある。太線の場合は油圧式の圧着工具を使うと書いてあるので、相当、太い電線なのであろう。普通は手のひらにおさまる圧着ペンチで十分である。両手で使う大きな圧着ペンチもあるが。
 昭和天皇の死、渡良瀬の鉱害の跡地などがでてくるが、立ち入った考察はなされず配電の仕事の内容だけでこれだけの作品が書けるのは作者の力量だろう。福武書店からでていた「海燕」に連載されていたが、「海燕」の販売不振による休刊によって連載は一九九六年に中止となった。吉本隆明の「イメージ論」も「海燕」に連載されていた。「海燕」の編集者が吉本家に出入りしていた関係で吉本ばななが「海燕」新人賞に応募し、賞を獲得したのは有名な話である。
『渡良瀬』が二〇一三年十二月に残りを加筆して出版されたが、同じ年の二月に『還れぬ家』が刊行されている。これは時間的には『渡良瀬』の続編となっている。『還れぬ家』になると先妻と離婚し、染織家の柚子と一緒になっている。先妻は〈私〉がアスベストの後遺症と胸膜炎、喘息の発作で病院にかかり、退院した直後離婚届を突きつけた。〈私〉は大きな文学賞の賞金と本の印税で、まとまったお金が入り、先妻との関係は冷え切っていたがやり直せるかもしれないと考えて、それを頭金にして家を建てていたのだった。ところが「ゆとり返済」を甘くみていていたのと、医療費と生活費に住宅用の資金を流用し多額の借金をするハメになってしまった。また先妻が無断で駐車場などの追加工事を発注していたためもあった。病気で心が弱っていた時に、この思いがけない工事費の請求がきたため、〈私〉は自殺未遂を起こしてしまう。
 柚子さんは、先妻への慰謝料、子供の養育費、先妻が住んでいる家のローンを払い続けることを承知の上で結婚し、共稼ぎでやりくりしてくれた。しかし、柚子さんは子宮内膜症いかかり、結局、二人の間には子供はできなかった。この『還れぬ家』では、仙台で東北大震災にあっている。家が海から八キロのところにあったので津波の被害は免れている。『渡良瀬』で、昭和天皇の死や、鉱害が他人事のように書かれていたが、こちらでは地元の出来事なのでより深刻に内的に受けとめられている。「私小説」作家といわれる由縁であろうか。もっとも『還れぬ家』のテーマは震災の二年前に亡くなった認知性の父親との関係がテーマなのだが。
 ところで、先妻のことが気になったので『ショートサーキット』を読み返してみると、先妻とは《私と妻は、六年前、フリの客とスナックのアルバイト嬢として知り合ったその夜から、野合同然に一緒に暮し始めたのである。互いに、二十一だった。妻はすぐに子を孕み、私たちは籍を入れて夫婦となった》ということなのだった。別の作品では、すぐ孕んだ子ははたして自分の子だろうかと疑問に思っているところもあった。『渡良瀬』だけでは、なにか物足らなかったが『還れぬ家』を合わせて読むことによって、佐伯ワールドにひたることができた。
                        2018年2月10日