「異土」17号 「上海そんなに遠くない」―林京子の上海―
上海という場所は火野葦平を読んだ時から、気になる場所であった。日中戦争においても、満洲事変、日支事変が中国北方で謀略的に起こされたにもかかわらず、主戦場は上海となっている。第一次上海事変、第二次上海事変である。とくに第二次上海事変は、蒋介石が上海郊外に大軍を集め、日本との決戦に打って出た。日本も主戦場が上海になると想定していたが、海軍と陸軍の対立もあって、当初は中国軍を甘くみていたため守勢一方で多大の犠牲をだした。
中国軍はドイツ軍事顧問団によって近代化されていたのである。であるのに日本は中国軍に対して「一撃」で勝利できると考えていた。上海で守勢に回った日本軍は、対峙していた海軍陸戦隊にかわって、陸軍の増派を決定する。このときも、日本得意の(?)軍の逐次投入になるのだが、中国北方に展開していた師団を上海に集め、日本からも三個師団を派遣し、上海南方の杭州に敵前上陸することによって戦局を打開することに成功する。この杭州作戦に火野葦平が参加していた。
この杭州作戦においては、中国は杭州に兵を展開していなかったので、日本軍は抵抗なく上陸に成功した。実際に上陸した日本軍は十万人だったが、上海市内に「日軍百万上陸杭州北岸」というアドバルーンが上げられた。上海は遠いように感じるが、当時の長崎からの連絡船は一昼夜(二十四時間)で到着できる距離であった。日本軍も動員準備ができれば輸送にそれほど時間がかからなかったと思われる。
この「日軍百万上陸杭州北岸」という情報によって、中国軍は退路を断たれることを恐れて南京方面へ撤退することになる。この中国軍の撤退をみて現地軍は追撃を独自に決定し、敵の首都・南京を攻略することによって、あの広大な中国を支配することができると考えたのだった。しかし、日本軍は、兵隊を輸送する車両、補給のための車両を持っていなかった。まだ自動車産業は緒についたばかりだったのである。補給は馬、人による大八車によっていたのである。このため、日本軍は補給のないまま徒歩で上海から三百キロ先の南京を目指したのである。このためもあって後に南京事件とよばれる混乱を引き起こすことになる。蒋介石は最初、南京で抵抗するつもりであったが失敗し重慶に退くことになる。
このような上海に、林京子は父が三井物産に勤務していた関係から、一歳で移り住んでいた。『上海・ミッシェルの口紅』(講談社文芸文庫)には少女の眼を通してこのような時代の上海が見事に活写されている。『祭りの場』という長崎の「原爆小説」でデビューした林京子だったが、彼女のルーツは上海にあったのである。「異土」17号の『「上海そんなに遠くない」―林京子の上海―』はこのような視点で、日本と中国の関係を考えてみたものです。
松山愼介
(興味のある方は「文学表現と思想の会」のホームページからお申込み下さい)
上海という場所は火野葦平を読んだ時から、気になる場所であった。日中戦争においても、満洲事変、日支事変が中国北方で謀略的に起こされたにもかかわらず、主戦場は上海となっている。第一次上海事変、第二次上海事変である。とくに第二次上海事変は、蒋介石が上海郊外に大軍を集め、日本との決戦に打って出た。日本も主戦場が上海になると想定していたが、海軍と陸軍の対立もあって、当初は中国軍を甘くみていたため守勢一方で多大の犠牲をだした。
中国軍はドイツ軍事顧問団によって近代化されていたのである。であるのに日本は中国軍に対して「一撃」で勝利できると考えていた。上海で守勢に回った日本軍は、対峙していた海軍陸戦隊にかわって、陸軍の増派を決定する。このときも、日本得意の(?)軍の逐次投入になるのだが、中国北方に展開していた師団を上海に集め、日本からも三個師団を派遣し、上海南方の杭州に敵前上陸することによって戦局を打開することに成功する。この杭州作戦に火野葦平が参加していた。
この杭州作戦においては、中国は杭州に兵を展開していなかったので、日本軍は抵抗なく上陸に成功した。実際に上陸した日本軍は十万人だったが、上海市内に「日軍百万上陸杭州北岸」というアドバルーンが上げられた。上海は遠いように感じるが、当時の長崎からの連絡船は一昼夜(二十四時間)で到着できる距離であった。日本軍も動員準備ができれば輸送にそれほど時間がかからなかったと思われる。
この「日軍百万上陸杭州北岸」という情報によって、中国軍は退路を断たれることを恐れて南京方面へ撤退することになる。この中国軍の撤退をみて現地軍は追撃を独自に決定し、敵の首都・南京を攻略することによって、あの広大な中国を支配することができると考えたのだった。しかし、日本軍は、兵隊を輸送する車両、補給のための車両を持っていなかった。まだ自動車産業は緒についたばかりだったのである。補給は馬、人による大八車によっていたのである。このため、日本軍は補給のないまま徒歩で上海から三百キロ先の南京を目指したのである。このためもあって後に南京事件とよばれる混乱を引き起こすことになる。蒋介石は最初、南京で抵抗するつもりであったが失敗し重慶に退くことになる。
このような上海に、林京子は父が三井物産に勤務していた関係から、一歳で移り住んでいた。『上海・ミッシェルの口紅』(講談社文芸文庫)には少女の眼を通してこのような時代の上海が見事に活写されている。『祭りの場』という長崎の「原爆小説」でデビューした林京子だったが、彼女のルーツは上海にあったのである。「異土」17号の『「上海そんなに遠くない」―林京子の上海―』はこのような視点で、日本と中国の関係を考えてみたものです。
松山愼介
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