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竹西寛子『蘭 竹西寛子自選短篇集』を読んで

2024-09-29 22:46:24 | 読んだ本
           竹西寛子『蘭 竹西寛子自選短篇集』       松山愼介
『蘭』(2005 集英社文庫)と『兵隊宿』(1991 講談社文芸文庫)の2冊を読んだ。両者に共通していたのは、『蘭』『虚無僧』『兵隊宿』であった。講談社文芸文庫の方は、主人公はほぼ「ひさし」少年で、『蘭』の方は少女が主人公の短篇もあった。「虚無僧」という言葉は、今では死語になっているのだろうか。でも、確かに、子どもの頃尺八を吹きながら門付け(?)をしている虚無僧を何度も見たことがある。門付けで生活できていたのだろうか? そういえば、子どもの頃、クズ屋さんも各戸を回ってビール瓶などを回収していた。今から考えると、あれで生活できていたのか不思議だ。NHKの朝ドラに傷痍軍人が出ていたが、これも私が小学校低学年だった昭和30年代前半に大阪駅の地下で何度も見たことがある。ニセモノという噂もあったが。
「日中戦争も勝ち戦の頃でした」という『鶴』と、「乗船待ちの出征軍人の宿を割り当てられた」ひさし少年の一家をえがいた『兵隊宿』の2篇が戦争の時代だとわかる作品である。『鶴』には広島という都市の名前も出てくる。一方、文芸文庫版の方には、「陸の港から舟でほぼ十五分」かかる島へ上陸用舟艇で運ばれ、土掘り、土運びのために勤労動員された、ひさし達、中学生の様子がえがかれた『猫車』が収録されている。「猫車」は荷物運び用の一輪車のことだ。
 竹西寛子は、被爆体験前の広島を書くにあったって、文芸文庫に、少年を主人公にしたことについて、「少年でなければ見えない少年の世界もあるが、大人だから見える少年の世界もある」と書いている。さらに、腰も目の位置も低して平明に書くことをこころがけたという。戦争中もいろいろあっただろうが、この短篇集はそれらをじっくり読ませる。
 日本の戦争は昭和6年の満洲事変から始まったといっていい。その過程で左翼運動は治安維持法、特高警察によって昭和10年頃までに壊滅させられた。その間に、庶民を戦争に取り込んでいく過程が進んでいく。『兵隊宿』にえがかれた、民家に軍人を泊めるというのも、その一環だろうか。考えてみれば、戦争を遂行するために国家、軍部が国民を動員していった過程は驚くべきものがある。推測でしかないが、日本が百万人単位で軍隊を海外に展開したということは驚くべきことだ。工場では、まともな工員はいなくなり、農家では働きざかりの農民も徴兵された。このため、代わりに女性、年寄、中学生、学生が動員される。ベテランの工員がいなくなった工場では、部品が足りないこともあったが、まともな製品が造れなかったという。農業生産も落ちこんだと思われる。
 原爆を待つまでもなく、家庭から金属供出なんてことをやりだした時点で敗戦は見えている。被爆体験も様々だ。竹西寛子は、その日、体調が悪く勤労動員に出なかったため、爆心地から2、5キロ離れた自宅で被爆し、勤労動員に出た同級生の多くが被爆死している。竹西寛子も長生きしているが、その間に体調不良があったに違いない。被爆もそれぞれである。『はだしのゲン』の中沢啓治はコンクリート壁の影にいて被爆したので、程度は軽かったという。東大助手でありながら二等兵として召集された丸山眞男も、爆心地から五キロの地点で被爆したが軍の建物の影にいたため爆風の影響を受けなかったということだ。
 映画『無法松の一生』で阪東妻三郎の相手役を務めた女優・園井恵子も移動劇団桜隊に所属し、丸山定夫とともに広島で被爆し、家の下敷きになったが、這い出ることができ助かっったが、放射能の影響で、8月21日に亡くなっている。原爆の被害は、さまざまで一律にあつかうことはできない。
                        2024年6月8日

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