徒歩日本二周目(≧∇≦)只今関東地方!

昨日は今日の物語 今日の後に今日は無し…

常紋隧道録…(伍)

2012年11月11日 | 日記
現場では水が悪かったせいか
脚気病が蔓延…
しかし治療を受ける事は無く
伝染病だという事にされ
生きているうちに穴を掘って埋められた…

モッコを担ぐ労務者の肩が破れ
ウジ虫がわきだし
それでも休ませる事無く逆に蹴飛ばし
殴りつけ死ぬまで働かせた…

野付牛から常紋に来る医者は
労務者の指から血を採り
あと何日生き延びられるかを診断する
だけだった…

労務者二人がトロッコを押して来て
その一人を監督者が蹴倒してから
何度も棒で殴りつけ
動かなくなるとトロッコの土が掛けられる…
そんな事が、情け容赦無く繰り返された…

常紋隧道録…(四)

2012年11月11日 | 日記
タコ部屋監獄…

土工業者が工事を請け負うと
その現場に「タコ部屋」を作り
数十、或は百人以上の人々を集めてきた…

土工夫の多くは貧しく親方に借金をして
どんなに必死に働いても
お金を返せない仕組みになっている…

朝は三時半に叩き起こされ
夜は七時まで休み無く働かされ
食事は一日に四回立ったまま食べ
米一分麦九分、生味噌と少しの菜っ葉
時々薄い塩マスの切れ端がついた…
休みの日は無く
夜にはタコ部屋に鍵を掛けられ
いつも見張られていた…

北海道にはそんな場所が百以上もあった…

常紋隧道録…(弐)

2012年11月11日 | 日記
常紋トンネル…

鉄道工事中最大の難所であったその隧道は
大正元年より三年の年月をかけ開通した…

本州や四国から集められた労務者は
人権を無視した過酷な扱いを受けながら
飯場に押し込められ
粗食と重労働の為病気が蔓延しても
医薬を与えらる事は無く
体罰だけが毎日毎日繰り返された…

そして使役不能とみた者は一カ所に監禁
死ねばそのまま次々と穴へ遺棄…
そんな残虐非道が日々公然と続く…

このトンネル工事だけで
百数十人の若者が犠牲となり
現場附近に埋められたと言われている…

常紋隧道録…(壱)

2012年11月11日 | 日記
昭和45年9月10日…
十勝沖地震でひび割れが入った
常紋トンネルの壁から
立ったまま埋め込まれた白骨が見つかった…

頭蓋骨の右後頭部には
何かで殴打された傷跡が残っていたという…

北海道開拓の土台にされた人柱達は
今でも多くを語られる事は無い…