徒歩日本二周目(≧∇≦)只今関東地方!

昨日は今日の物語 今日の後に今日は無し…

囚人道路の伍…

2012年11月15日 | 日記
過酷労働で多くの囚人を死なせた
行刑官達の訴えにより
囚人の外役労働は廃止されたが
廃止を主張した行刑官は
その後揃って職を追われている…

その囚人達に変わって
北海道拘禁労働の主力になったのが
「タコ」と呼ばれる労務者達…

逃亡出来ぬように作られた飯場は
囚人奴隷労働の残忍な伝統を受け継ぎ
やがて起こる
常紋トンネルの悲劇を生んでゆく…

囚人道路の四…

2012年11月15日 | 日記
網走刑務所の受刑者達は
北海道中央横断道路の開削以外にも
数々の囚人労働に従事させられた…

遠軽町・弟子屈町の道路工事
網走市の美岬道路
遠軽町の植林整地工事
原野開墾や農耕地拡大整備
橋梁新設工事
常呂川や斜里川の改修工事
美幌町および大空町の飛行機建設工事
開墾地での大規模造林
網走港や宇登呂港の護岸工事…

囚人道路の参…

2012年11月15日 | 日記
網走刑務所…
国策による受刑者達の労働使役は
死人が出る事さえ前提とされていた…

原生林を倒伐し
三軒幅の道を開きながら
吹雪の中でも薄い囚人服しか与えず
両足には二人を一組に鎖が巻かれ
手足の凍傷、栄養失調
それに追い討ちをかけるように
突貫工事の苛烈さは
囚人達に夜を与えず労働を強制した…

網走刑務所過去帳の記録によれば
明治24年に212人の受刑者が
囚人道路の殉難者として死亡
そして
明治14年から昭和9年までの
北海道・樺太での獄死受刑者数は
その数4,600人に上る…

囚人道路の弐…

2012年11月15日 | 日記
端野町緋牛内…

囚人労働の犠牲によって
端野町に至る生活道路は開削開通され
明治三十年の屯田兵入地により
開拓は本格的に始まる…

道路脇に延々と続く土盛りからは
手鎖足鎖の巻かれた
囚人の白骨死体が出てくるので
この地に入植した屯田兵の家族達は
その盛を「鎖塚」と呼ぶようになった…

時代と共に姿を消してはいったが
緋牛内の道路脇には三つの鎖塚が残り
お酒と果物をささやかに備え
手を合わせて御冥福をお祈りした…