モヨロ人…
「流氷の民」とも呼ばれるモヨロの人々は
遥か遠い北方から
流氷に乗ってやって来たと伝えられ
宗谷から道東のオホーツク沿岸に
その足跡と痕跡が数多く点在している…
網走河口のモヨロ遺跡は特に際立ち
6世紀から12世紀に栄えた生活の痕からは
精巧な金属器や芸術的な牙細工
更に本州や大陸からの交易品も出土する…
海獣狩猟や漁労には極めて優れ
独特の海洋文化を営み
死者の埋葬や崇拝にも特徴深さが窺える…
何処からきて、そして何処へ消えたのか
この民族についてはまだまだ謎が多い…
「流氷の民」とも呼ばれるモヨロの人々は
遥か遠い北方から
流氷に乗ってやって来たと伝えられ
宗谷から道東のオホーツク沿岸に
その足跡と痕跡が数多く点在している…
網走河口のモヨロ遺跡は特に際立ち
6世紀から12世紀に栄えた生活の痕からは
精巧な金属器や芸術的な牙細工
更に本州や大陸からの交易品も出土する…
海獣狩猟や漁労には極めて優れ
独特の海洋文化を営み
死者の埋葬や崇拝にも特徴深さが窺える…
何処からきて、そして何処へ消えたのか
この民族についてはまだまだ謎が多い…
美幌町…
かつてこの場所で栄えた大きなアイヌ集落…
そこに暮らした人々はピポロアイヌの名で呼ばれ
絶大な力を誇った大酋長は
その後、菊池ウィントクという日本名を
名乗ったというが
それ以外の事はよく分からない…
彼の功績を称える駅前広場の銅像は
昭和28年に彫刻家谷口百馬氏により作られたが
街中や高台を転々とし
平成9年にこの広場に移されたという…
街の人達に聞いてもこの銅像の由来を
よくは知らないと言うけれど
多分この国の殆どの人達だって
自分の町の事をよく知らないと思う…
僕だって、自分の育った街の歴史を
よく知らない…
かつてこの場所で栄えた大きなアイヌ集落…
そこに暮らした人々はピポロアイヌの名で呼ばれ
絶大な力を誇った大酋長は
その後、菊池ウィントクという日本名を
名乗ったというが
それ以外の事はよく分からない…
彼の功績を称える駅前広場の銅像は
昭和28年に彫刻家谷口百馬氏により作られたが
街中や高台を転々とし
平成9年にこの広場に移されたという…
街の人達に聞いてもこの銅像の由来を
よくは知らないと言うけれど
多分この国の殆どの人達だって
自分の町の事をよく知らないと思う…
僕だって、自分の育った街の歴史を
よく知らない…