時には観光客のように

2019-10-30 22:32:56 | 日記
時には観光客のように。

写真をパシャパシャ撮るよ。

創成川を渡り。

創成スクエアから地下へ。

ポールタウンに出たら。

地下から地上へ上がり。

大通公園を歩き。


ガラケーのカメラを開いて。

赤い葉っぱを撮るよ。

黄色の葉っぱも撮るよ。

銀杏の実のつぶれた匂い。

鼻から呼吸をやめる。

匂いがしない所まで。

足早にサッサッと歩く。


噴水のしぶきを見たら。

オシッコ漏らしそうになって。

尿意をぐっとこらえて。

開いたガラケー構えて。

聖恩碑を写真に収める。


込み上げる尿意にたえて。

聖恩碑の裏にまわり。

背景の並木の黄色。

枯れ葉が水に浮かぶ。

見とれてシャッター切った。




水を眺めていたら。

再び尿意が襲い。

なんとか間に合ったけど。

パンツがちびりとぬれた、、、、。


バカバカしい人生より。

バカバカしいひとときが嬉しい。

む~ん。

む~ん。

む~。

む~。

む~。

む~。


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「ぐっ」ときてばかりもいられない

2019-10-30 00:21:54 | 日記
今日もyoutubeを聞きながら仕事。

山本太郎の訴えはやっぱり心にぐっときてしまう。

気づくのが遅かったことや、後悔してもしきれないことや、自分じゃどうにもならない悲しいことがいろいろあるからな。

しかし、憲法を守れと安倍政権に訴えたところで、憲法が権力を全く縛れていないからな。

なんでそこをスルーしちゃうのか分からん。

やっぱり権力を握る人や握りたい人は、束縛される事を嫌うのかもしれないな。
 
まるで自分は憲法違反をしないような感じなんだ。

そりゃあ山本太郎は憲法違反はしないと思うよ。

でも権力を縛れない憲法を守るってことはだよ、憲法違反を黙認するってことなんじゃないか。

どこまでも憲法解釈で突き進みますと、言ってるようなものじゃないだろうか。

それじゃあまた気づくのが遅くれて、後悔が一つ増えるだけだよ。

権力を縛れていないから、権力者はジワジワと国民の首を真綿で縛るようなことをする。

権力者は、「あなたを守るためですよ」といいながら、僕らに足枷をつける事もやるよ。

足枷をつけるつもりでしょと言うと、「大丈夫ですよ、軽いですから」とか「伸び縮みしますから」といって足枷をつけるでしょ。


山本太郎の訴えを聞いて、ぐっときてばかりもいられなくなってくるんだよね。

































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