すぐやれそうなスポーツはないかと思いましたが、家人と卓球ぐらいですかね。
ラリーが続けばいいんですが。
子供の頃は、父にすすめられて陸上競技をやりましたが、もともとスポーツをやるのは好きではない。
団体競技は苦痛でしかない。
一人で自然を相手に遊んだり、家の中で絵を描いたりするのが好きだったわけで。
考えてみたら今も同じなんですよね。
仕事で家にいる時間が長くなってしまいましたので、毎日少しでも歩くようにはしています。
歩きながら思いますが、歩きやすいというのがありがたい。
履いてる靴のことや、道路の状態ね。
歩きやすいから続くし、その分体力もついてくる。
死ぬ直前まで自分の足で歩いていたい。
歩きやすくすることが、生きやすくなることでもあるんじゃないですかね。
やっぱり冬の除雪作業員のような仕事が理想だな。
そういう観点からすると、コロナ騒動の中にあって生きやすくするというのは、恐怖を取り除くことでしょう。
恐怖を煽るというのがいろんな障害を作り出す。
先日、テレビの前の無抵抗な視聴者に、視聴率欲しさにテレビが恐怖を煽るのは暴力じゃないかと書きました。
気持ちよく散歩してたら、いきなりつまずかされたようなものですよ。
いきなり後ろから「危ない!」と言われて、その声に気を取られて足元の障害物に気づかずにつまづくとかね。
コロナ風邪の感染を止める為に警鐘を鳴らして止めたのは、コロナ風邪じゃなくて人々の人生でしたじゃあね。
風邪はうつるものやで。
止められへんのや。
せめて予想が外れたなら、テレビに出てきて訂正してくれ。
そういう煽り魔たちへの罰則があってもいいとおもいませんか?
みんな普通に歩いていただけなんだぜ。