2つの社説を紹介したい。
長文になるが、是非とも、読んでもらいたく、
投稿しました。
-------------ここから全文転載
一ッ目
東京新聞 TOKYO Web
【社説】
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2012050402000102.html
泊停止・原発ゼロへ 私たちの変わる日 2012年5月4日
あす、原子力発電の火が消える。私たちは、それを日本の大きな転換点と考えたい。
新しく、そして、優しいエネルギー社会へ向かう出発点として。
私たちは間もなく、原発のない社会に暮らすことになる。
全国五十基の原発がすべて停止する。
国内初の日本原電東海原発(茨城県東海村)と敦賀原発1号機(福井県敦賀市)が
止まって以来、四十二年ぶり。
ただし、稼働中の原発がその二基だけだったころのことだから、比較にはならない。
◆不安定な基幹電源
東海原発は一九六六年に、営業運転を開始した。
その後七〇年代に二度のオイルショックを経験し、北海道から九州まで、
沖縄を除く日本全土に「国策」として、原発が建設された。五十基が現存し、
この国の電力の約三割を賄う基幹電源に位置付けられる。
しかし、安全意識の高まりの中で、新規立地や増設が難しくなってきた。
ここ十年で新たに運転を開始したのは、中部電力浜岡原発5号機など四基にとどまる。
電源開発(Jパワー)が建設中の大間原発(青森県大間町)などは
福島第一原発事故の影響もあり、操業開始のめどは立っていない。
震災前にも、定期検査以外に不祥事やトラブルが相次いで、平均稼働率は六割台と低かった。
震災後の昨年度は二割強にとどまった。
原発は少し大きな地震に遭えば長い停止を余儀なくされる。
基幹電源とはいわれていても、もともと不安定な存在なのである。
「原発ゼロ」とはいうものの、原子炉は消えてなくならない。
すぐに大きく社会が変わり、安心安全が訪れるわけでもない。
震災時、福島第一原発4号機は定期検査で停止中だった。
ところが津波で電源を失って、使用済み燃料を保管するため併設された
貯蔵プールが冷やせなくなり、危険な状態に陥った。
◆神話と呪縛を克服し
止まった後の課題も今後、ますます深刻になるだろう。
中でもすぐに直面するのが二つの原発依存である。
電力の約半分を原発に依存する関西の電力不足と、
経済の大半を原発に頼り切る立地地の財政と雇用の問題だ。
このほかにも、欧米や中国からも後れを取った風力や太陽光など
自然エネルギーの普及促進や行き場のない高レベル放射性廃棄物の処分など、
難しい課題が山積だ。
原発ゼロはゴールではなく、原発に頼らない社会の構築へ舵(かじ)を切る
スタート地点なのである。
それでも明日は、われわれの社会と暮らしにとって、大きな転換点には違いない。
ゼロ地点に立ち止まって考えたい。
震災は、原発の安全神話を粉々にした。
安全神話の背後にあるのが経済成長の呪縛である。
原発、あるいは原発が大量に生み出す電力が、経済成長を支えてきたのはもちろん疑いない。
経済成長を続けるため、電力需要の伸びに合わせて、高出力の原発を増設し続けた。
そうするには、原発は絶対に安全でなければならなかったのだ。
その結果、原発は安全神話に包まれた。
消費者も、そのことにうすうす気づいていたのだろう。
日本は世界唯一の被爆国である。
私たちの記憶には世界中の誰よりも核の恐怖が染み付いている。
経済成長がもたらす物質的な豊かさは、恐怖さえ、まひさせたのかもしれない。
被爆国としての倫理に勝るほど、成長の魅力は強かったのか。
経済成長の神話にも今は陰りが見える。
目の前の転換点は、消え残る神話と呪縛を克服し、
被爆国の倫理を取り戻す契機になるはずだ。
経済の効率よりも、私たちは人間の命と安全を第一に考える。
野放図な消費を反省し、有限なエネルギー資源をうまくいかすことができるのなら、
新しい豊かな社会を築いていけるはずである。
優しい社会をつくるため、私たち消費者もエネルギー需給の実態をよく知る必要があるだろう。
暮らしを支える電力がどこでつくられ、電気のごみがどこへ葬られるかも知らないで、
原発推進、反対の対立を続けていてもしかたがない。
電力事業者の誠実な情報開示が必要だし、私たちの暮らしのありようももっと考えたい。
◆ゼロ地点から始めよう
浜岡原発の全面停止を受けて名古屋では、原発推進、反対双方の市民有志がこの三月、
地域にふさわしい電力供給と消費のあり方を事業者とともに考えようと、
「中部エネルギー市民会議」を発足させた。
「エネルギー自治」を目指す新たな試みだ。同様の活動は各地で始まっている。
ゼロは無ではなく、そこから生まれるものは無限大という。
明日訪れるゼロ地点から、持続可能で豊かな社会を生み出そう。
私たちの変わる日が来る。
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2つめの社説
東京新聞 TOKYO Web
【社説】
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2012051102000131.html
原発住民投票 今こそ民意問うときだ 2012年5月11日
原発を動かすべきか否か。東京都民の意思表示の機会を求め、
市民団体が石原慎太郎知事に住民投票の条例づくりを請求した。
原発ゼロの地平に立ち、草の根の本音をじかに確かめる意味は大きい。
市民団体「みんなで決めよう『原発』国民投票」は地方自治法に基づき、
有権者の2%を超す三十二万三千人分余りの有効署名を添えて直接請求した。
石原氏は、市民団体がつくった条例案に賛否の意見をつけて議会に出す。
条例ができれば住民投票が実現する。
議会は直接民主制の重みを十分にくみ取り、成立を期してほしい。
問われるのは、都内に本店を構える東京電力の原発運転を認めるかどうかだ。
福島第一原発の事故を引き起こした当事者である。
原発の放射能禍は恐ろしい。
多くの国民の命や暮らし、国土さえ奪い去る。
発電に使った核燃料のごみは手つかずのまま増える一方だ。
将来の世代につけを回す負の遺産はあまりにも大きい。
こんな厄介な原発の取り扱いが国と電力会社、立地先自治体のみのさじ加減に
委ねられている。
国民を欺いてきた安全神話は崩壊したが、閉鎖的な仕組みは相変わらず温存されている。
東電の再建に向けた総合特別事業計画には、新潟県にある柏崎刈羽原発を二〇一三年度に
再稼働させる方針が盛り込まれている。
国はゴーサインを出した。
またも国民は蚊帳の外に置かれた。
原子力政策は国家の命運を左右する。
原発事故でそれがはっきりした。
市民団体が求める住民投票は、いわば“原子力ムラ”が独占している政策を
国民の手に取り戻そうとする試みでもある。
首都東京は、福島県や新潟県などの地方に原発を押しつけ、
その電力を大量に消費して繁栄を築いてきた。
東京都は東電の大株主でもある。
もはや都民は原発に対して無関心でいてはいけない。
住民投票が実現すれば、一人ひとりが問題意識をしっかりと持ち、意思を示す。
その代わり結果について責任を負う覚悟が求められる。
法的拘束力はないが、歴史を見れば民意は重い。
福井県にある関西電力大飯原発の再稼働に対し、大阪府や京都府、滋賀県などの
関西の周辺自治体は慎重な姿勢だ。
だが、政治的駆け引きで原発の取り扱いが決まらないかと不安の声も出ている。
地域ごとに住民の思いを真摯(しんし)にすくい取る努力が大切だ。
住民投票の機会を全国各地に広げたい。
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