今日の朝、青年が新しく旅たつ謝罪会見があった。
亀田興毅選手である。
多くの報道陣、カメラ、フラッシュを前にして、悠然と毅然と
眼を背けず、自分の言葉で謝罪し、家族をかばう
青年がいた。
マスコミ・メディアがここぞとばかり質問を浴びせ、
(これは、たたき以外なにものでもない)
親子、兄弟の絆を破壊しようとしているなか、
ひとりの青年は、「世界一の父」とも述べた。
いままでのパフォーマンスについても「いき過ぎ」とも反省のことば。
「家を代表して」「長男として」
ひさびさに、若者らしい、言葉を聞いた。
まだ、日本の若者も捨てたもんじゃないと思う。
嵐のなかに、自ら飛び込み、反省しつつ闘い続ける
勇気に感動し、新たに旅たつ若武者の姿を
暖かくみつめていきたい。
(2007・10・26)
亀田興毅選手である。
多くの報道陣、カメラ、フラッシュを前にして、悠然と毅然と
眼を背けず、自分の言葉で謝罪し、家族をかばう
青年がいた。
マスコミ・メディアがここぞとばかり質問を浴びせ、
(これは、たたき以外なにものでもない)
親子、兄弟の絆を破壊しようとしているなか、
ひとりの青年は、「世界一の父」とも述べた。
いままでのパフォーマンスについても「いき過ぎ」とも反省のことば。
「家を代表して」「長男として」
ひさびさに、若者らしい、言葉を聞いた。
まだ、日本の若者も捨てたもんじゃないと思う。
嵐のなかに、自ら飛び込み、反省しつつ闘い続ける
勇気に感動し、新たに旅たつ若武者の姿を
暖かくみつめていきたい。
(2007・10・26)
先日プレスが走った
新生、郵便局株式会社が、アーティストの「矢沢永吉さん」とのタイアップにより
「You Say YAZAWA 矢沢永吉フレーム」のカタログ販売を開始する
とのこと。
そしてコンセプトを
永ちゃんの日本武道館公園100回目を記念し、武道館公園の写真を3つの年代に分けてオリジナルフレーム切手として制作。
凄いと思うのは
誕生したばかりの郵便局株式会社が 企画協力第1号として、企画プロデュースし
たことである。その新しい感性、文化力に注目した。
「官」から「民」への脱皮は、いま始まったばかりであるが、
そのセンスを大事にしてもらいたいものである。
古い時代の時は、芸人を見下した言動があり、いまでも残っている部分が
あるが、いまの時代、ソフトパワー時代のなかにあって、創造者たちが
文化を発信しつつある。
今回のことでも、メディアまでもが、「矢沢永吉さん」と表現。
新会社はアーティスト 矢沢永吉さん と呼んでいる。
郵便会社のコピーは、「あたらしいふつうをつくる。」
である。
フレーム切手の申し込み書で、永ちゃんは、
「デジタルより
アナログのほうが、
ぜったいあったかい・・・矢沢永吉」
と唱えている。
この素敵な企画に乾杯。
新生、郵便局株式会社が、アーティストの「矢沢永吉さん」とのタイアップにより
「You Say YAZAWA 矢沢永吉フレーム」のカタログ販売を開始する
とのこと。
そしてコンセプトを
永ちゃんの日本武道館公園100回目を記念し、武道館公園の写真を3つの年代に分けてオリジナルフレーム切手として制作。
凄いと思うのは
誕生したばかりの郵便局株式会社が 企画協力第1号として、企画プロデュースし
たことである。その新しい感性、文化力に注目した。
「官」から「民」への脱皮は、いま始まったばかりであるが、
そのセンスを大事にしてもらいたいものである。
古い時代の時は、芸人を見下した言動があり、いまでも残っている部分が
あるが、いまの時代、ソフトパワー時代のなかにあって、創造者たちが
文化を発信しつつある。
今回のことでも、メディアまでもが、「矢沢永吉さん」と表現。
新会社はアーティスト 矢沢永吉さん と呼んでいる。
郵便会社のコピーは、「あたらしいふつうをつくる。」
である。
フレーム切手の申し込み書で、永ちゃんは、
「デジタルより
アナログのほうが、
ぜったいあったかい・・・矢沢永吉」
と唱えている。
この素敵な企画に乾杯。
昨日、インターネットで散策している時
偶然に、懐かしき名前に出合う
彼は、現在も闘っていて、長い論文を記述していた
その月刊誌は、2007年8月号のものであった。
彼と会わなくなって10年以上の時間が過ぎている
福岡にきてから全ったく逢っていない。
背が高くファッションセンスもよかった彼は、
長崎の地にあっても、いわゆる垢抜けていて
当時の中央組にも負けない内外面の強さがあり、好感度もNo1であった。
少なくなった前線のなかにあって、彼は何を思い
前へ、前へと歩いているのだろうか
いまの私は、
彼の眼には、どんな姿として映っているのだろうか?
(写真は27歳の私)
偶然に、懐かしき名前に出合う
彼は、現在も闘っていて、長い論文を記述していた
その月刊誌は、2007年8月号のものであった。
彼と会わなくなって10年以上の時間が過ぎている
福岡にきてから全ったく逢っていない。
背が高くファッションセンスもよかった彼は、
長崎の地にあっても、いわゆる垢抜けていて
当時の中央組にも負けない内外面の強さがあり、好感度もNo1であった。
少なくなった前線のなかにあって、彼は何を思い
前へ、前へと歩いているのだろうか
いまの私は、
彼の眼には、どんな姿として映っているのだろうか?
(写真は27歳の私)