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北岡伸一「日本の近現代、政党から軍部へ」を再読する(その3)

2023年06月29日 | 読書

(承前)

さて、北岡教授の本を読んで、これはいかがなものか、という部分も記載してみよう

  • 南京事件について「相当大量の捕虜の処刑、民間人の殺傷、略奪、強姦あったのは、否定できないと思われる、その数は、ハッキリしたことは分かりようがないが、少なくとも板倉由明の16,000人、おそらく秦郁彦の4万人あたりではないか」と述べている。そして「4万人でも1万人以下でも大惨事であり、大不祥事である」と述べている(いずれもp293)。これはいただけない。学者が証拠も示さずに憶測でこのようなことを書くとは。藤原正彦教授が「私は大虐殺の証拠が1つでも出てくる日までは、大虐殺は悪質かつ卑劣な作り話であり、実際は通常の攻略と掃討作戦が行われたとだけ信ずることにしています」(「日本人の誇り」p120)と述べているが、これこそが学者がとるべき態度ではないか。
  • 一方、真珠湾攻撃について「ルーズベルトが日本の真珠湾攻撃を知っていて、やらせたという説がある。孤立主義の国民を説得することが難しかったので、日本という裏口を通って、ドイツに対する参戦を果たしたというバックドア・セオリーをアメリカでしばしば指摘される。しかし、長年の学者やマニアの探索にもかかわらず、大統領があの時期に真珠湾を日本が奇襲することを知っていたという証拠は出ていない」と述べている(p286)。こちらの方は正論で学者らしい態度である。南京についても同じ態度がどうして取れないのだろうか。
  • 教授は「アメリカが日本に最初の一発を打たせ、それによって国民を結束させ、世界大戦に参戦したというのは、大筋でその通りである、これを汚いという人もあるだろう、しかし、国際政治とはかなりの程度駆け引きであり、場合によってはだましあいである、アメリカが狡猾だと行っても始まらない、だまされる方が悪いのである」と述べている(p388)。その通りであるが、書いていることに首尾一貫性がないのではないか。
  • この本では、1929年の米株式市場大暴落に端を発する世界同時不況により欧米がブロック経済を構築して日本やドイツがその被害者である点を書いていない、持てる国と持たざる国との格差が生じ、資源が無く貿易立国の日本は窮地に追いやられた。この大事な点について何も言及がないのは当時の日本のおかれていた状況を適切に記述しているとは思えない。

まだまだ書きたいことはあるが、学者の論文でもないのでこの辺にしておこう。

この時代の歴史を書くのは本書のボリューム(420ページ)では難しいところだが、教授のこの本はよくまとまっており、バランスもよく、片寄った偏向した思想で書かれてないと思う。その点で素晴らしい書籍だと思う。北岡教授の考え、行動に対する批判があるのも承知しているが、本書は読むべき歴史書だと思った。


北岡伸一「日本の近現代、政党から軍部へ」を再読する(その2)

2023年06月29日 | 読書

(承前:この本の素晴らしところについて)

  • 教授は満州事変が起こったとき首相だった若槻礼次郎について関東軍が東京の意向を無視して朝鮮軍を出兵させたことについて幣原外相や井上蔵相が反対したにもかかわらず事後承諾を与えたことを書いている(p160)。若槻はまれに見る能吏であって、頭脳明晰という点は歴代首相の中でもトップクラスであると言われたが、その分、粘り強さや決断力に欠けていたと述べている(p48)。若槻はロンドン海軍軍縮会議の全権としてアメリカのスチムソン国務長官と交渉してアメリカからは日本にも良識的な政治家やいると評価されたが、常識が通じない軍部などを相手にしての交渉は全くダメだったことをよく書いてくれていると思う。最近では宮沢喜一が同じような政治家だろう。
  • 満州事変から国際連盟脱退にいたる過程を批判した清沢洌は「松岡全権に問う」で、小村は日本のために必要だと確信して、不人気な条約を結び、石を持って迎えられた、あなたは今、歓呼の声に迎えられる、どちらが日本のためになるだろうか、と勇気ある発信をしたが、当時の論壇は強硬論一色であって、他に同様な主張をするものはほとんどいなかった(p183)、と書いているのは評価できる。
  • 帝人事件が1934年に起こり、政界と財界の癒着、権力濫用した不正を時事新報が暴露した、背後には斉藤内閣の倒閣を目指す勢力があったが、1937年関係者は全員無罪となった、事件は全くの空中楼閣であることが裁判官によって明らかにされた(p190)。こういうことも書いていることは評価できる。このようなでっち上げや些細なことで政権や首相に悪印象を与えることは最近でもある。

  • 1932年、上海事件の際、肉弾三銃士が話題になったが、今日では造られた話とされていると書いている(p245)
  • 教授は広田弘毅に対して批判的である、例えば広田が進めた和協外交(p186)、陸軍の圧力に対してさしたる抵抗もしようとしなかったこと(p265)、盧溝橋事件で積極的に不拡大の方向で動かなかった(p288)などを挙げているが全く同感である。
  • 日中戦争について、華北から華中に飛び火したのは、中国側の決断でもあったと書いている(p289)、中国も戦争をやる気満々だったことは留意すべきである。
  • 1937年以降の戦時統制について、中村隆英を引用して、当時の学者やジャーナリスト、官僚や軍人の中に、自由経済を弊害の多いものと考え、統制経済、計画経済を謳歌する雰囲気があったと紹介している(p300)。
  • 教授は宇垣一成、𠮷田茂らに好意的である。𠮷田については、𠮷田と原敬はともに、果断のの政党指導者であった、強腕政治を批判された政治家であった、そして両者とも英米協調を首尾一貫して主張していたとしている(p391)。最近でも、民主主義のルールにのっとり国会で採決をとると強行採決と騒ぐ向きもある。

(次に続く)


北岡伸一「日本の近現代、政党から軍部へ」を再読する(その1)

2023年06月29日 | 読書

北岡伸一教授の「日本の近現代5、政党から軍部へ」を再読した。明治維新あたりから第2次大戦敗戦までの日本の歴史には興味がある。今まで時間を見つけては少しずつ関連する書籍を読んできた。この100年という期間、調べれば調べるほど、あまりにも多くのことが起こった非常に複雑な時代であった。

この本は1924年(大正13年)から1941年(昭和16年)までをカバーしている。この間もいろんなことが起こったが、ゆっくり再読してみた感想を述べてみよう。

先ずは、この本を読んでみて非常に参考になったな、また、よくキチンと書いてくれているな、と思うところを述べてみよう。

  • 教授は、「対華21箇条の要求(1915年)は、当時の文脈においては、格別野心的でも侵略的でもなく、それまでの既得権益を確実なものにしようとするものに過ぎなかったが、外交交渉の稚拙さもあって、日本の野心を代表する政策のようにみられてしまった」と書かれている(P40)。その通りだと思う。
  • 教授はいわゆる田中上奏文について「なお、この会議(東方会議)との関連において世に出回ったのが、「田中上奏文」である。これは、田中がその大陸征服計画を天皇に上奏したものだとして、中国が宣伝し、東京裁判でも問題にされたものであるが、今日では偽書ということになっている。」と書かれている(P71)。これもその通りだと思う。
  • 教授は結構いろんな場面で、当時の新聞の報道がどうだったのか、それが政治の判断にどう影響したのか、を述べている。新聞世論の強硬姿勢、軍部への賛同、国民や軍部を扇動するような報道か数々行われていたことを示している。例えば、
    田中内閣時の対中世論の沸騰(P85)、満州事変に対する吉野作造によるマスコミの強硬論への批判(p100)、ロンドン海軍軍縮会議に対する大新聞の偽善的報道(p116)、1931年の満州における中村大尉事件、万宝山事件に対する誇大報道、満蒙問題に関する世論の高揚を招く報道(p157)、1931年、関東軍が錦州で対空砲火を受け反撃した際、新聞は「我が軍、錦州を爆撃す」と報道し、世論を前のめりし、関東軍にうまく利用された(p162)、吉野作造は「自分が特に遺憾に思うことが2つある、まず、新聞が一斉に満州事変を賛美していること」と述べたことを紹介している(p166)、リットン報告書が事前に新聞記者に示されたとき、複雑な問題をよく整理して解決策を示したと感心していたのに、翌日の新聞は、日本の立場に対してまったく無理解な文書であるとの罵詈雑言が踊った(p180)、世論は三国同盟を賛美した、東京朝日新聞は「国際史上画期的な出来事として誠に欣快に堪えざるところである」と称えている(p349)・・・・
    など、数え上げたらきりが無い、こういった報道を新聞がしていた事実をしっかりと記載している教授の姿勢は評価できる。

(次に続く)