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気ままに生活してるシニアの残日録

「樋口一葉」(ちくま日本文学全集)を読む(その2)

2023年06月12日 | 読書

(承前)

雪の日

15才の珠は山里の草深い小村に生れ、伯母のもとで大切に育てられた。小学校の桂木先生に可愛がられたが、いつの間にか村の噂になっていた。伯母は会うことを禁じ、珠は噂を信じた伯母が恨めしく、1月の雪の降る日、伯母の留守中、桂木の下宿先へと走り彼と出奔した。東京で桂木の妻となった珠は雪の降る景色に見入りつつ、つれない夫に変貌した桂木やはかなく死んだ伯母のことを想い、全ては誤りだったと深い悔恨にうち沈む。

自分の娘が親の反対を押し切って結婚したいと言い出したら止められるだろか、こういう場合、娘にどう言ったら良いのか娘を持つ親の共通の悩みであろう。

琴の音

渡辺金吾の境遇は哀れであった。彼が4才の時に母は実家に引き戻され、あとは酒に憂さを晴らすのみの父との生活を送った。10才のころ、その父も路傍で死にはて、彼は一人すさんだ暗い生を送っていた。その彼がある秋雨の夜、根岸で琴の美しい音色に心ひかれ、耳をすませた。それはお静がかきならす琴の音であった。いつしか金吾のすさんだ心は静まり、生への希望さえわき起こってきた。彼はこれを機会に明るい人生に立ち戻るの。

めずらしく救いのある話。

闇桜

隣り合わせの園田家と中村家の良之助と千代。二人は兄妹のように仲がよい。ふたりは連れ立って縁日に出かけた。その折り千代の背をだしぬけにたたく千代の学友たち。彼女らは「おむつましいこと」の一声を残してかけ去っていった。千代ははじめて良之助への恋心を自覚した。そして、それをうちあける勇気を持てないままに、恥ずかしさと恨めしさに良之助に顔を見せることなく、ひとり悲しみと苦しさに打ち沈みついに床に伏す身となった。良之助が千代の心を知った時はすでに遅かった。

告白できない純情さ、若さゆえの純情さ、大人になってから振り返れば「私も若かった」と笑って言えるのに。

うもれ木

「うもれ木」は長い間地層に埋れて化石のようになった樹木、世間から見捨てられ、顧みられない境遇のたとえ。一葉は世に見捨てられた身の比喩としてこの語を愛好していた。

入江籟三は陶器画工だが世に埋れ、赤貧の生を送っている。その兄を助け、家計をきりもりしているのが妹のお蝶。ふたりの生活を助け、籟三を援助したのがかつての相弟子の篠原辰雄。籟三は陶器の画に打ちこみ、お蝶はいつしか辰雄を慕うようになる。しかし、好意は全て篠原の仕事ためであり、それを偶然知った時、お蝶は篠原から無理を言われ、苦悩のはてに家出をしていた。篠原に裏切られ、お蝶を失った籟三は憤怒にかられて完成した花瓶の陶画を庭石にたたきつけた。

いくら能力があっても世の中から認められるわけではない、自分の信念を少し曲げて世の中に迎合するか、信念を貫いてうもれ木で終わるか、大部分の人は前者だろう。後者は世間知らずでだまされやすい。人生の難しさ。

暁月夜(あげつきよ)

牛込に従三位香山という華族があり、娘の一重は美人であったが縁づこうとしない。学生の森野敏は恋のとりこになった。ついに休学し、名を吾助と変えて庭男として住み込む。次男の甚之助を手なずけ恋文を届けさせた。しかし、一重は何の反応も示さず、鎌倉の別荘へ一人引きこもろうとした。鎌倉へ行く前夜、戸をあけ月をみようとした一重をとらえ思いを吐露しようとする。一重は敏を部屋に招き身の上を語り、恋を断念し世を捨てる決意を敏に言いきかす。二人は別れ、見守るのは有明の月であった。

一惠が語った身の上とは、親の昔、語るまじきこと、家の恥、としか書いていない。が、仮に先祖がひどい恥さらしのようなことをしても愛し合う二人が別れるか、というのが現代的感覚だと思うが、当時はこれで読者も納得したのだろう。そういう時代だった。

やみ夜

お蘭は父が非業の死を遂げて以来、荒れはてた屋敷で下男と共に生を送っている。父の恩を受けたにもかかわらず彼女を裏切った許婚者波崎漂が議員として時めいているだけに、彼女の内面は怨念で凝り固まっている。その彼女の心の暗やみを瞬燃えあがらせたのは、漂白の青年直次郎だった。ふとしたことでお蘭に救われた直次郎は激しい恋情を彼女にぶつけ、その恋情を受け入れたお蘭は彼に波崎暗殺を示唆し、直次郎は波崎を襲う。しかし、襲撃は失敗し、彼は行方不明となりお蘭も佐助夫婦も姿を消してしまった。

男に裏切られた女の復讐は成就せず、救いはない、今だったら週刊誌などを使って復讐できるであろう

うつせみ

名家の一人娘で雪子という美しい女性は気が狂い、下僕の世話で貸家を転々として養生している。老いた父母や養子で許婚者の正雄が新しい養生先へやって来て看病するがしきりに「植村さん」「ゆるし給へ」などと繰り返す。植村録郎、彼女に許婚者がいることを知らずに彼女を恋し、自殺をして果てた。雪子が罪の意識から狂っていったのは、それが原因、8月中旬から雪子の狂気は激しくなり、泣く声ばかり昼夜に絶えないが、それもしだいに細々と弱り消えていくようである。

思いつめる、というのは怖いことだ。こういうことは親も学校でも教えない。後から見れば何でもないことなのに。

あきあわせ

秋袷(あきあわせ)とは、広辞苑によれば「秋になり、単(ひとえ)では冷える感じがして着る袷(あわせ)」のこと、俳句の季語にもなる奥ゆかしい言葉。雨の夜、月の夜、雁がね、虫の声の項目に分けて人生の虚しさ、儚さを書いたもの。

すずろごと

漫ろ言(すずろごと)とは、つまらないこと、とりとめもないはなし、という意味。庭に来るホトトギスの鳴き声に感じることを書いたもの。

にっ記一

一葉の生活の一端がわかって興味深い

塵の中

台東区下谷の竜泉寺町に住んでいた時の日記、当時このあたりは吉原遊郭に関係した商売をする貧しい人たちが住む地域であり、その状況を見て「塵の中」というタイトルをつけた。ここでの生活で貧しい人たちや子供たちと接し、社会の本質や人を見る目を養った。後に書かれた「たけくらべ」などの小説に大きな影響を与えたと言われている。一葉記念館のあるのもここだ。

恋歌九首

彼女の読んだ歌

 

明治の初め、文明開化の時代にあっていまだ女性の地位は低く、貧困の中で苦労して作家を専業として身を立てようと奮闘した教養ある日本女性。早世したのは残念だが、死して名を残し、日本文学に確固たる地位を築いた、いまだに紙幣にも描かれている彼女の肖像、安らかに眠り給え。

 


「樋口一葉」(ちくま日本文学全集)を読む(その1)

2023年06月12日 | 読書

樋口一葉(1872-1896、24才没)。東京生まれ、幼いころ草双紙を読み、和歌を学んだ、父の死後、困窮の中に母と妹を養う。19才の時、朝日新聞記者の半井桃水(なからい とうすい)に師事して創作を始め、一時期下谷竜泉寺で荒物・駄菓子屋をやるが失敗、再び創作に専念、「にごりえ」、「十三夜」、「たけくらべ」などを次々に発表したが、24才で肺結核で死去。一葉の肖像は2004年以降、5千円札に使われている。女性が紙幣の肖像となるのは神功皇后以来二人目だ。

先日読んだ森まゆみの「京都不案内」(こちら参照)で彼女が樋口一葉の本も出していることを知り、興味を持ち、先ずは一葉の小説を読んでみようと思った。彼女の小説を読んでいなかったというのも恥ずかしい限りだ。

以下に各小説の簡単なあらすじと読後の感想を記す

たけくらべ

美登利(主人公)、正太郎(田中屋息子)、三五郎(正太郎友人、車夫の息子)・・・表町住人(裕福)
藤本信如(寺の息子)、長吉(少年グループのボス)・・・横町住人(生活苦しい)

和歌山の美登利とその家族は遊女として成功した姉を頼って東京下町に移住、美登利は信如に惹かれる、下町では表町と横町の対立があり表町との喧嘩を仕掛けたのが信如だとわかり複雑な気持ち、美登利が14才に成長したある日、住居の軒先に誰かが水仙の造花を差し込む、それがその日僧侶の学校に入学する信如だった

この小説の最後の部分は、美登利が花魁になることを示唆している、との解説が見られるが、そこまでは読めなかった。成人になる前の男女の淡い恋物語。

にごりえ

お力(菊の井の人気娼婦)、源七(お力に惚れ妻を離縁)、お初(源七の妻)、結城友之助(金持ち遊び人、お力に入れ込む)

金持ちだった源七は遊女お力に入れ込み財産を使い果たし、家庭は崩壊、妻子は出て行く、お力は身寄りのない孤独な遊女だが売れっ子、結城友之助に口説かれ不幸な生い立ちを語る、ある日、源七はお力に復縁を迫るが断られお力を刺して殺し(この部分の直接的な記述はなし)、自分も自死する。

ありがちな話だが、読んで悲しき哀れな男女かな。

大つごもり

おおつごもりとは大晦日のこと。

親を亡くし、親類の金持ちの家に奉公人で働いているお峰、叔父が病気で働けなくなり大晦日に借金の返済期日が迫ってお峰に無心、断れずに奉公先から前借りして工面しようとするもご新造に断られ窮する、思いあまって家の金に手をつけてしまう。大晦日の金勘定で発覚するのは必至、さてどうなることか・・・

貧しい家庭で子供をかかえ親が倒れ働き手が亡くなった悲劇、セーフティーガードのない時代、思いあまって奉公先の金に手をつけてしまったお峰、神様は見ていてどういう裁きをしたか

十三夜

普通の家の娘お関、器量よしで裕福な家庭の原田勇に惚れられて結婚、跡取りを産んだあたりから勇が人が変ったように辛く当たるようになり、ついに耐えきれず旧暦の十三夜に実家に帰り父母に離縁したいと告白、母は大いに同情するも、父は原田の計らいで弟の仕事も首尾よく、他にも便宜あり、これがすべて無くなるのは影響大きいとお関に思いとどまらせる

原田の家に帰る車の車夫が偶然まだ娘のころ恋心を抱いた煙草店の高坂緑太郎、あの頃は賢い子供であったがいまは生活が落ちぶれ車夫に。お関が嫁いだころから生活が荒れた。2人は言葉を交わしたが、お互い憂きことかかえながら別れるのであった。

嫁いだ娘が辛いことがあっても実家のために我慢を重ねなれればならない、自分のことより親兄弟、家のことが優先される時代。いまでも起こりうることだが、自分がそういう娘の親だったらどうするだろうか、考えさせられる。

また、好いた女がいるのに告白できない奥手な男、これはいまでもいっぱいいるだろう。日本人は概して奥手だ、昔は結婚の世話をやく大人がいたがいまはいない、出会い系サイトがあっても奥手は不利だ。これが結婚をしない若者が増えている理由ではないか、若い男女は結婚したいと思うのが自然だ、子育て支援だけでなく、未婚男女の縁持ち支援策が一番必要だと思うが。

ゆく雲

野沢桂次は貧農の子のため金持ちの野沢家の養子となった。18才の時に学問修業のため上京し上杉家に下宿したが厭な家だった。我慢してきたのは、上杉の先妻の娘お縫にひかれたからだ。お縫の境遇に同情し、愛するようになった。しかし、野沢家の養父が危篤との報に、彼は家にもどり養親の決めた女と結婚し、家督を継がなければならなくなった。終生便りを欠かさぬとお縫に言い残し帰郷する。その後、お縫のもとには1年間ぐらいは便りがしげくあったが、それからは年始と暑中見舞いの葉書きが舞い込むだけとなった。

継母の元で自分を殺してひっそりと暮らさなければならないお縫、惚れた圭次は家のしがらみで養家に帰り親の決めた相手と結婚する、若い男女がお互い望まない生活を強いられるが、男の方は生活に順応していくが薄幸の女は寂しく行く末の希望が無い。救いの無い話だ、いまの時代も有り得る話だろう。ただ、普通は女の方が順応力が高いと思うが。

わかれ道

一寸法師というあだ名がつく傘家の油引き吉三、女主人お松に拾われて2年後、お松が亡くなると町内の乱暴者になってしまう。その吉三が訪ねるのは、長屋で働くお京、今年の春からこの裏へと引っ越してきたが評判が良い。吉三が入り浸る。12月30日の夜、吉三はお京と遭遇するが、お京はいつもと違う上品な身なりで、突然の別れを告げる。妾になって出ていくことが決まっている様子。「もうお京さんには逢わないよ」そう突き放す吉三。

孤独な男の悲哀、寂しさかな。

われから

「ワレカラ」というのは、海藻などによく付着している生き物で、海藻から食塩を作成する過程において、海藻と一緒に「ワレカラ」も焼かれてしまい、その体の殻が弾けてしまう。こうして殻が割れることから「ワレカラ」と呼ばれる。

一葉の「われから」も、主人公である「お町」が身を砕くような思いをすることと、殻が割れてしまう「ワレカラ」を掛けて題名が付けられている。女性の情念解放に作者の意思が向かっていたといわれ、一葉最後の作品にふさわしい作品となっている。

お町は婿養子の金村恭助の妻、結婚して10年たつのに子供ができないのを後ろめたく思っている。あるとき、夫の恭助に妾がいて子供までいることを知り、頻繁に癪を起こすようになり、書生の千葉に介抱してもらうが、これを女中たちが怪しからぬ関係と疑い、噂を広めて恭助の耳にも入る。そして突然恭助から離縁を言い渡されるが、「私を捨ててごらんなさい、私にだって覚悟があります」というが恭助は「町、もう会わんぞ」といって物語が終わる。

夫は浮気しているのに自分のことを棚に上げて、浮気の疑いだけで真実を確かめもせずに妻に離縁を言い渡す。個人より家が大事、男は絶対、という時代の不条理に一葉が問題を突きつける。

(次に続く)