(承前)
雪の日
15才の珠は山里の草深い小村に生れ、伯母のもとで大切に育てられた。小学校の桂木先生に可愛がられたが、いつの間にか村の噂になっていた。伯母は会うことを禁じ、珠は噂を信じた伯母が恨めしく、1月の雪の降る日、伯母の留守中、桂木の下宿先へと走り彼と出奔した。東京で桂木の妻となった珠は雪の降る景色に見入りつつ、つれない夫に変貌した桂木やはかなく死んだ伯母のことを想い、全ては誤りだったと深い悔恨にうち沈む。
自分の娘が親の反対を押し切って結婚したいと言い出したら止められるだろか、こういう場合、娘にどう言ったら良いのか娘を持つ親の共通の悩みであろう。
琴の音
渡辺金吾の境遇は哀れであった。彼が4才の時に母は実家に引き戻され、あとは酒に憂さを晴らすのみの父との生活を送った。10才のころ、その父も路傍で死にはて、彼は一人すさんだ暗い生を送っていた。その彼がある秋雨の夜、根岸で琴の美しい音色に心ひかれ、耳をすませた。それはお静がかきならす琴の音であった。いつしか金吾のすさんだ心は静まり、生への希望さえわき起こってきた。彼はこれを機会に明るい人生に立ち戻るの。
めずらしく救いのある話。
闇桜
隣り合わせの園田家と中村家の良之助と千代。二人は兄妹のように仲がよい。ふたりは連れ立って縁日に出かけた。その折り千代の背をだしぬけにたたく千代の学友たち。彼女らは「おむつましいこと」の一声を残してかけ去っていった。千代ははじめて良之助への恋心を自覚した。そして、それをうちあける勇気を持てないままに、恥ずかしさと恨めしさに良之助に顔を見せることなく、ひとり悲しみと苦しさに打ち沈みついに床に伏す身となった。良之助が千代の心を知った時はすでに遅かった。
告白できない純情さ、若さゆえの純情さ、大人になってから振り返れば「私も若かった」と笑って言えるのに。
うもれ木
「うもれ木」は長い間地層に埋れて化石のようになった樹木、世間から見捨てられ、顧みられない境遇のたとえ。一葉は世に見捨てられた身の比喩としてこの語を愛好していた。
入江籟三は陶器画工だが世に埋れ、赤貧の生を送っている。その兄を助け、家計をきりもりしているのが妹のお蝶。ふたりの生活を助け、籟三を援助したのがかつての相弟子の篠原辰雄。籟三は陶器の画に打ちこみ、お蝶はいつしか辰雄を慕うようになる。しかし、好意は全て篠原の仕事ためであり、それを偶然知った時、お蝶は篠原から無理を言われ、苦悩のはてに家出をしていた。篠原に裏切られ、お蝶を失った籟三は憤怒にかられて完成した花瓶の陶画を庭石にたたきつけた。
いくら能力があっても世の中から認められるわけではない、自分の信念を少し曲げて世の中に迎合するか、信念を貫いてうもれ木で終わるか、大部分の人は前者だろう。後者は世間知らずでだまされやすい。人生の難しさ。
暁月夜(あげつきよ)
牛込に従三位香山という華族があり、娘の一重は美人であったが縁づこうとしない。学生の森野敏は恋のとりこになった。ついに休学し、名を吾助と変えて庭男として住み込む。次男の甚之助を手なずけ恋文を届けさせた。しかし、一重は何の反応も示さず、鎌倉の別荘へ一人引きこもろうとした。鎌倉へ行く前夜、戸をあけ月をみようとした一重をとらえ思いを吐露しようとする。一重は敏を部屋に招き身の上を語り、恋を断念し世を捨てる決意を敏に言いきかす。二人は別れ、見守るのは有明の月であった。
一惠が語った身の上とは、親の昔、語るまじきこと、家の恥、としか書いていない。が、仮に先祖がひどい恥さらしのようなことをしても愛し合う二人が別れるか、というのが現代的感覚だと思うが、当時はこれで読者も納得したのだろう。そういう時代だった。
やみ夜
お蘭は父が非業の死を遂げて以来、荒れはてた屋敷で下男と共に生を送っている。父の恩を受けたにもかかわらず彼女を裏切った許婚者波崎漂が議員として時めいているだけに、彼女の内面は怨念で凝り固まっている。その彼女の心の暗やみを瞬燃えあがらせたのは、漂白の青年直次郎だった。ふとしたことでお蘭に救われた直次郎は激しい恋情を彼女にぶつけ、その恋情を受け入れたお蘭は彼に波崎暗殺を示唆し、直次郎は波崎を襲う。しかし、襲撃は失敗し、彼は行方不明となりお蘭も佐助夫婦も姿を消してしまった。
男に裏切られた女の復讐は成就せず、救いはない、今だったら週刊誌などを使って復讐できるであろう
うつせみ
名家の一人娘で雪子という美しい女性は気が狂い、下僕の世話で貸家を転々として養生している。老いた父母や養子で許婚者の正雄が新しい養生先へやって来て看病するがしきりに「植村さん」「ゆるし給へ」などと繰り返す。植村録郎、彼女に許婚者がいることを知らずに彼女を恋し、自殺をして果てた。雪子が罪の意識から狂っていったのは、それが原因、8月中旬から雪子の狂気は激しくなり、泣く声ばかり昼夜に絶えないが、それもしだいに細々と弱り消えていくようである。
思いつめる、というのは怖いことだ。こういうことは親も学校でも教えない。後から見れば何でもないことなのに。
あきあわせ
秋袷(あきあわせ)とは、広辞苑によれば「秋になり、単(ひとえ)では冷える感じがして着る袷(あわせ)」のこと、俳句の季語にもなる奥ゆかしい言葉。雨の夜、月の夜、雁がね、虫の声の項目に分けて人生の虚しさ、儚さを書いたもの。
すずろごと
漫ろ言(すずろごと)とは、つまらないこと、とりとめもないはなし、という意味。庭に来るホトトギスの鳴き声に感じることを書いたもの。
にっ記一
一葉の生活の一端がわかって興味深い
塵の中
台東区下谷の竜泉寺町に住んでいた時の日記、当時このあたりは吉原遊郭に関係した商売をする貧しい人たちが住む地域であり、その状況を見て「塵の中」というタイトルをつけた。ここでの生活で貧しい人たちや子供たちと接し、社会の本質や人を見る目を養った。後に書かれた「たけくらべ」などの小説に大きな影響を与えたと言われている。一葉記念館のあるのもここだ。
恋歌九首
彼女の読んだ歌
明治の初め、文明開化の時代にあっていまだ女性の地位は低く、貧困の中で苦労して作家を専業として身を立てようと奮闘した教養ある日本女性。早世したのは残念だが、死して名を残し、日本文学に確固たる地位を築いた、いまだに紙幣にも描かれている彼女の肖像、安らかに眠り給え。