有吉佐和子の「青い壺」(文藝春秋)を読んでみた、有吉佐和子(1931-1984)は「個と家の相克」「埋もれてしまった女たちの人生」「老いの深刻さと尊厳」など戦後の文壇が長らく直視してこなかった問題に挑み、それらの問題が引き起こす悲喜劇を真っ向から描き続けた作家、昨年は没後40周年だった
今まで有吉佐和子の小説は、文楽の三味線弾きの名手を主人公にした「一の糸」を読んだだけだった
この「青い壺」は全13話からなる、それぞれは短編として独立しているが青い壺を通して繋がっている、それぞれの短編では、登場人物が抱える人生の葛藤のようなものを描き、読者に自分だったらどうするか考えさせる物語が書かれている
昭和の時代の家庭における中年夫婦の生活の悩み、舅姑らとの関係、子供の人生、本人たちの人生、舅姑らの人生などについてそれぞれが「自分の人生はこれで良いのだろうか」と悩んだり喜んだりする
青い壺の変遷を一つのキーにしてその青い壺を保有した人の人生を描くという著者のこの構想は素晴らしいアイディアだと思った
小説の内容を再確認するために、青い壺の変遷をまとめてみた
第1話
そんなに有名でもない陶磁家の牧田省三が作り、出入りのデパートが買い取る
第2話
定年退職して家で毎日ブラブラしている寅蔵が千恵夫人から言われて世話になった原副社長へのお礼の贈答品として青い壺を買う
第3話
副社長夫人の芳江が生け花に熱中しており、贈答品の壺を気に入る
第4話
芳江の亭主の副社長が青い壺が家にあるのを見て、この家に置いとくなと指示、芳江の生け花の友人千代子にあげることにする
第5話
芳江から壺をもらった独身の千代子、母が緑内障で片方の目が失明し、もう片方の眼も見えなくなってきたが医者に連れて行ったら白内障と言われ手術で直してくれた、そのお礼に執刀した石田医師に贈答する
第6話
その石田先生が患者からもらったものを酒と勘違いして包みを開かずなじみの銀座のバーにもっていき「みんなで飲んでくれ」と言って置いていく
第7話
銀座のバーのマダム(梶谷洋子)が青い壺が入っているのをみて、高そうなので石田家に返しに行く、その青い壺を石田一郎医師の母が気に入る、ロンドン暮らしをしていた時に夫君が青い壺が好きだったため
第8話
石田一郎、厚子夫妻の家に保管されていた青い壺は石田夫婦が芝の高級レストランに外食に出かけている間に泥棒に入られて盗まれる
第9話
京都で開催されたクラス会に参加した弓香が、東寺で開催されていた骨董品セールに出ている青い壺を気に入り3千円の安値で買う
第10話
弓香の孫の悠子は自分が卒業したミッションスクールの小学校で栄養士をしていたが、祖母から青い壺をもらう
第11話
悠子はミッションスクールの栄養士の上司にあたるシスターが母親の病気で国のスペインに一時帰国するときに、今までお世話になったお礼に青い壺を贈答する
第12話
青い壺はシメが清掃員を務める病院、そこには弓香も入院しているが、の個室でスペインで感染した肺炎を患っている気難しい患者の部屋にあった、その壺はスペインから持ってきたものと言う
第13話
シメの病院に入院していた青い壺を持っていた患者は牧田省三の師であった、省三が退院した師の快気祝いに私邸を訪ねると、師は牧田にスペインで見つけた掘り出し物だと言ってあの青い壺を見せると牧田は驚き、これは自分の作品だと言うが、師は信じない
さて、この小説も2024年12月23日にNHK「100分de名著」という番組で取り上げられたことがある、そのwebサイトを見ると(こちら)、「青い壺」は「人生の皮肉を斜めから見つめる」小説だとして、どのエピソードにも「リアルな人生の皮肉」を描くところが話題を呼んだ、としている。幸せが驕りや怠慢などによって不幸せに転化し、不幸せだと思って引き受けたものが幸福をもたらしたりもする一筋縄ではいかない人生を、さりげなく、しかし深い味わいで描いたとしているがそうかもしれない
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