歌劇「ドン・カルロ」(1884年ミラノ4幕版)をテレビで観た
ヴェルディ作曲
演出:ルイス・パスクワル
原作:フリードリヒ・シラーの戯曲『ドン・カルロス』
初演:1867年3月パリ、オペラ座(4幕改訂版は1884年1月、スカラ座)
<出演>
ドン・カルロ:フランチェスコ・メーリ(1980、伊)
エリザベッタ:アンナ・ネトレプコ(1971、ロシア)
ボーサ侯爵ロドリーゴ:ルカ・サルシ (1975、伊)
エボリ公女:エリーナ・ガランチャ(1976、ラトビア)
フィリッポ2世:ミケーレ・ペルトゥージ
大審問官/修道士:パク・ジョンミン
修道士(カルロ五世):イ・ファンホン
合唱:ミラノ・スカラ座合唱団
管弦楽:ミラノ・スカラ座管弦楽団
指揮:リッカルド・シャイー(1953、伊ミラノ)
収録:2023年12月7日 ミラノ・スカラ座(イタリア)
パリでフランス語による5幕のオペラとして初演され、ヴェルディ自身が何度も改訂したので、このオペラにはいくつもの版がある。イタリア語4幕版が一般的だったが、最近はイタリア語5幕版もよく上演される、今回はイタリア語4幕版。
原作の戯曲は読んだことがあるし、このオペラも1度観たことがあるが久しぶり、一度観ただけでは3時間以上あるこのオペラは理解できない、今回は一回観てから再度、要所を部分的に見直した
あらすじは
スペインの王子ドン・カルロは、フランス王女エリザベッタと婚約していたが、彼女は政略によってカルロの父、王フィリッポ2世と結婚、女官であるエボリ公女はカルロのことを密かに愛していたが、彼がまだエリザベッタのことを忘れられないことを知って嫉妬、カルロの肖像画が入っていたエリザベッタの宝石箱を盗み王に渡す
カルロの親友ロドリーゴは恋に悩むカルロに、王子としてスペインの圧政に苦しむフランドルの救済に力を注ぐように言うが、反逆罪で捕らえられる、ロドリーゴはカルロを救おうとし、身代わりになって処刑される、一方、良心の呵責を感じていたエボリ公女はエリザベッタに罪を告白し、カルロの命を救うことで罪を償おうとする
月夜の静かな修道院、エリザベッタが待っているところへカルロが現れ、フランドルに密かに旅立つため、永遠の別れを決意、そこへ王が現れカルロを捕らえようとするが、先王カルロ5世の亡霊が出現し、カルロとともに地下に消えていく
以上があらすじであるが、このオペラの原作シラーの戯曲は実話に基づく部分も多いという、16世紀のスペイン国王カルロ5世は広大な領地を治め、死後、スペインを息子のフィリッポ2世に与えた。エリザベッタがカルロではなく、フィリッポ2世に嫁いだこと、フランドル地方(現在のベルギーとフランス北部)の独立戦争も史実
この物語の軸となるのは次のような人間関係だ、主要登場人物全員が苦悩を抱えている
- ドン・カルロとエリザベッタの悲恋
- エボリ公女の嫉妬
- ポーサ侯爵ロドリーゴとカルロの友情と政治
- ボーサ侯爵のドン・カルロと国王との板挟み
- 国王の苦悩
主役はドン・カルロ、エリザベッタ、エボリ公女、ボーサ侯爵の4人だろう。歌手陣は、タイトルロールのフランチェスコ・メーリは知らなかったが、エボリ公女のガランチャ、エリザベッタのネトレプコ、ボーサ侯爵のルカ・サルシと大物ぞろいだ
実話に基づく部分が多いと述べたが、国王が妻から愛されていないと苦悩するところは本当かどうか? 結婚がお家存続のためから愛に基づくものに変わりつつあった時代、政略結婚で夫婦になったエリザベッタを愛していたのだろうか
オペラの進行に合わせて、感動したところなどを中心に感想を述べたい
第一幕
第一場:エステ修道院の中庭
- 修道士が出てきて悲恋に悩むカルロに「地上の苦悩は修道院の中でも我々につきまとうもの、心の葛藤は天において鎮まるのだ」と述べる、その声をカルロは「あの方の声だ、まるで祖父皇帝が王冠と黄金の鎧を隠して修道衣を纏い声がまだ堂内に響いているようだ、恐ろしい」という。これは最後の場面の暗示であろう、同じ場面が最後にもう一回出てくる
- カルロとロドリーゴが友情を誓う二重唱「主よ、われらの魂に」が美しかった
第二場:エステ修道院の中庭の外、心地よい場所
- エボリ公女が小姓テオバルドの伴奏で歌うアリア「美しい宮殿の庭で」、ガランチャの歌もよかったが、舞台のカラフルさとダークさのコントラストがよかった
- エリザベッタはカルロに二人が結ばれることは不可能だと言う、その時の二重唱「失われた恋人、たった一つの宝物」が良かった、この二重唱では途中でカルロが「エリザベッタ、あなたの足元で愛のために死んでしまいたい」と歌い実際にエリザベッタの足元に横になる場面があるが、大の大人が子供のように駄々をこねているように見えて面白かった、またエリザベッタへの愛を叫ぶカルロに向かって「ではやりなさい、父を殺して私を婚礼の祭壇の上に導きなさい」というところのネトレプコの迫力がすごかった
- 王は自らの苦悩をロドリーゴに打ち明けると、ロドリーゴは王が初めて心の内を話してくれたと喜ぶところ、ルカ・サルシの表情がうまかった
第二幕
第一場:マドリードにある王妃の庭
- ロドリーゴが間に入って友人カルロを弁護し、エボリ公女をおどすが効き目がない、この時の三重唱「私の怒りを逃れてもむだです」が素晴らしかった、そしてエボリ公が去って、今度は王子とロドリーゴの二重唱がまた素晴らしかった
第二場:アトーチャ聖母教会前の大広場
- 人々が歓喜を歌う合唱「さあ、大いなる喜びの日だ」が良い。ここがこのオペラの一番盛り上がるところであろう、とにかく民衆に扮した合唱団の数が多いこと、それがヴェルディの素晴らしメロディに従って王を讃える合唱をするのだから、アイーダ「凱旋行進曲」と同じで、ヴェルディはこういうのが得意だ
- 苦難のフランドルの民が王の慈悲を求めるが、父王は聞こうともせず、反逆者たちを追い出せと命じる場面の最後でも「さあ、大いなる喜びの日だ」の合唱が再び歌われ、舞台の中央には異端者を処罰する火刑所の火が焚かれ、「天に栄光あれ」の合唱で第二幕が終わるところが盛り上がった
第三幕
第一場マドリードの王の執務室
- エボリ公女は自分の美貌がもたらした結果を嘆き、危険にさらされているカルロを救うことを誓って歌うアリア「おお、醜い運命よ」がランチャの歌唱力が存分に発揮され拍手がしばらく鳴りやまず
第二場ドン・カルロの牢獄
- ロドリーゴが火縄銃で肩を撃たれると、スペイン王国を嫌悪し、腹を立てた民衆が王子を称えながら牢獄に押し入ってくる。そこに大審問官が登場すると民衆は怒りをおさえて、王の前にひざまずく。この場面で人々が「国王万歳」と合唱する歌がヴェルディらしく盛り上がってよかった
第四幕
エステ修道院の回廊
- エリザベッタが少女時代の喜びとカルロへの愛を歌うアリア「人間の虚栄心を知るあなた」、歌い終わった後の拍手がなかなか止まなかった、確かにネトレプコの歌はさすがだと思わせた
- この後、修道士が現れ「地上の苦悩は修道院の中でも我々につきまとうもの心の葛藤は天において静まるのだ」と言ってドン・カルロと同様に地下に消えていく、その後のネトレプコの「ああーー」という絶叫がすごかった、これは彼女でないとできないだろう
- オペラの説明にはカルロ5世が孫のドン・カルロを連れ去る、とあるが、この舞台では第一幕のところでカルロが言った通り、修道士の格好をして現れたのがカルロ5世の亡霊であるという演出であろう、配役のところに「修道士(カルロ5世)」となっている
- カルロ5世の亡霊が出てくるこの場面、大審問官が「カルロ5世の声だ」と恐れおののくが、聖職者のトップが世俗の最高位であった先代の王に恐れおののくというのもおかしくないかと感じた。このオペラの冒頭でカルロ5世の葬儀の場面だろうか、修道士が「彼は、生前は傲岸不遜だったが、神のみが偉大なのだ」というようなことを言っているのにこの終わり方には違和感を覚えた
最後に歌手陣であるが、
- ネトレプコはさすがの演技と歌だと思った、声量の多さ、歌唱力のうまさ、演技のうまさ、どれをとってもピカイチだと思った
- ルカ・サルシも大した歌手だと思った、ボーサ侯爵の役だが、ドン・カルロと並んでいるとルカ・サルシが王に見えてくる貫禄がある
- しかし、ネトレプコ、ルカ・サルシ、どちらもその風貌からは悪役が似合うと思う。ネトレプコはマクベス夫人、ルカ・サルシはスカルピアなどだ、悪役をやらせたら彼らの演技はもっと冴えるだろう、ガランチャもどちらかというと、今回のような一癖ある女が似合う歌手であると思う、その点で今回のエボリ公女役はピッタリはまっていたと思った。
予想外に素晴らしいオペラだった、楽しめました
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