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根津神社のツツジを観に行く

2023年04月15日 | お出かけ・国内旅行

新聞で根津神社のツツジが満開になっていると書いてあったので行ってみた。今までツツジが満開になる時期に何回かきたことがある。

行ってみると全体の半分強のツツジが満開になっている。全く咲いていないツツジと満開になっているツツジのコントラストが面白い。つつじ祭り開催中で、神社のホームページによれば、「境内にある約2000坪のつつじ苑には、約100種3000株のツツジが咲き競い、見頃は4月中旬から下旬(その年の気候によりかなり異なる)、種類が非常に多く、開花時期が違う為、早咲きから遅咲きへと花が移り変わり、長い期間様々なツツジを楽しむことができます」とのこと。

夕方行ったせいか、平日だったせいか境内はびっしり満員という状況ではなく、見やすかった。


「新宇都宮カントリークラブ」でゴルフ

2023年04月15日 | ゴルフ

栃木県芳賀郡の新宇都宮カントリーでゴルフをしてきた。行きつけのゴルフ場である。27ホールある。このコースは何度まわっても飽きない面白さがある。今年50周年記念とクラブハウス内に大きく書いてあった。アコーディアグループにもならずにやっていけるのはコース維持等関係者の努力が大きいのだろう。

各ホールは変化があり、同じようなホールはないのでラウンドするとハッキリと記憶に残る。もともと2グリーンで作ったコースだが今はサブグリーンを潰して実質ワングリーンで運営している。カートはフェアウェイ乗り入れ可であり有難い。クラブハウスは古くなっており、また、カート道も荒れており改善の余地は大きい、今後の課題だろう。また、トイレやレストランのメニューも改善の余地があろう。

このコースが気に入っているのはコースレイアウトに加えて、空いていることが多いからだ。27ホールあるコースは平日は18ホールしか使えないやり方が多くなってきているがここは27ホール全部解放していることも多い。18ホールの場合でもスイスイ回れて気持ちいい。

経営は大丈夫か心配だが、オーナーは金持ちなんだろう、いつまでも独自路線でやってほしい。

 


新国立劇場で歌劇「アイーダ」を観る

2023年04月14日 | オペラ・バレエ

新国立劇場で歌劇「アイーダ」を観てきた。座席はC席、4階の中央よりやや左側、一番後ろの席、値段は高齢者割引で10,450円でちょっと高め。C席は一番後ろの方がかえって舞台がよく見える気がする。平日の昼間なので来ている客はシニア中心だが若い人、特に女性も少し目立った。人気の演目だからか。

『アイーダ』は1871年12月24日、カイロ劇場で初演、1998年に新国立劇場開場記念公演としてフランコ・ゼッフィレッリを演出に招いて制作したプロダクションで、以降節目の年に再演を繰り返してる。『アイーダ』はヴェルディ後期の大作で、スエズ運河開通を記念し建設されたカイロ歌劇場で初演された。

あらすじは

【第1幕】
エジプト軍の将軍ラダメスは、王女アムネリスに仕える奴隷アイーダを敵国エチオピアの王女と知らず愛し合う。ラダメスはエチオピア征伐軍総司令官に任命される。アイーダはラダメスと祖国エチオピアへの想いの間で苦しむ。ラダメスが「清きアイーダ」、アイーダが「勝ちて帰れ」を歌う。

【第2幕】
ラダメスを愛しているアムネリスはアイーダにラダメスは戦死したと嘘を言う、アイーダの動揺を見て嫉妬する。エジプトが軍が凱旋。有名な「凱旋行進曲が」が流れる。捕虜の中にアイーダの父エチオピア国王の身分を隠したアモナズロがいる。エジプト王は戦勝の報奨としてラダメスにアムネリスとの結婚を命じる。

【第3幕】
夜のナイル河畔に、アイーダがラダメスと密会、父アモナズロが現れて祖国のためにラダメスから軍事機密を聞き出すよう命令。アイーダに情報を流したラダメスは謀反人として投獄される。アイーダの「おお、わが故郷」が歌われる。

【第4幕】
アムネリスは自分を愛せば命を救うとラダメスに迫るが、彼は応じず、やがて裁判で死刑宣告。地下牢でラダメスの前にアイーダが現われ、二人は永遠の愛を誓いながら死を待つ。アイーダとラダメスの二重唱「運命の岩がとざされた」が歌われる。地上ではアムネリスが死者の冥福を祈る。

鑑賞しての感想

  • 全4幕で休憩時間が1幕毎にあった、それぞれの幕が1時間以内などで休憩は2幕目が終わったところで1回取れば十分な気がするが、何か舞台設定上の理由があったのだろうか、ワーグナーのオペラなどもっと長いものは多くあるが、どうも最近は集中力が持続しなくなっているので4時間近くになると辛い
  • 一番の見せ場は2幕目のエジプト軍の凱旋行進だが、あまりに派手に大人数でやり過ぎなのではないか、どうもビジネスマン経験が長いと、こんなに出演者が多くなるとチケット代を少々高くしても出演者等に十分な給与が出せないのではないか、などと心配してしまう、映画でも大人数の大きなロケで戦争場面などを作る場合も少なくないが、あまり好きになれない。
  • ヴェルディーの音楽がそんなに好きなわけではないが1幕目や2幕目のような派手目なストーリー・演出の時はそれなりに楽しめる音楽だ、ただ批判的に言うならば、やかましい音楽だと感じる。やたらうるさい、レクイエムでも途中で非常に大きな音の演奏がされるが、如何なものかと感じてしまう。
  • バレエの椿姫はジョン・ノイマイヤーが振付けをした作品だが、音楽はベルディーの音楽は使わずショパンの音楽を使った。繊細さと甘美さを重視し、自分の振付けにはベルディーの音楽は合わないと考えたのだ。だからベルディーの音楽が劣ると言っているわけではない。
  • 記憶は曖昧だが、映画「アマデウス」でモーツアルトが宮殿で皇帝に謁見し、楽長のサリエリから何か作曲するなら当時ヨーロッパで主流だったイタリア流の作品を作れといわれた時、モーツアルトは「あんな音楽はうるさいだけのもので自分はもっと素晴らしい作品ができます」と言った。もちろん、ベルティーはモーツアルトより後の作曲家だから彼のことを言ったわけではない。モーツアルトが作曲したらどんな音楽になるだろうと考えてみるのも楽しい。
  • 2幕目までの派手な音楽の後、3幕目、4幕目は一転して静かな音楽となるのはストーリーからして当然なのだが、終幕までずっとそんな基調が続くのが前半と対照的である。最後のフィナーレくらいは盛り上がる音楽で終わってほしいと思うが。
  • セレーナ・ファルノッキア、ロベルト・アロニカ、アイリーン・ロバーツらの主役級はいずれも素晴らしい歌唱力であった。

【指 揮】カルロ・リッツィ(62、伊)
【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団
【演出・美術・衣裳】フランコ・ゼッフィレッリ(2019年、91才没、伊)
【再演演出】粟國 淳
【舞台監督】斉藤美穂

【アイーダ、エチオピア王女】セレーナ・ファルノッキア(50、伊)
【ラダメス、エジプト将軍】ロベルト・アロニカ(伊、テノール、新国立初登場)
【アムネリス、エジプト王娘】アイリーン・ロバーツ(40、米、メゾソプラノ、新国立初登場)、ユディット・クタージから変更
【エジプト国王】伊藤貴之(バス)
【アモナズロ、エチオピア王】須藤慎吾(バリトン)、フランコ・ヴァッサーロから変更
【ランフィス、司祭長】妻屋秀和(バス)
【伝令】村上敏明(テノール)
【巫女】十合翔子

 


月イチ歌舞伎「わが心の歌舞伎座」を観る

2023年04月13日 | 歌舞伎

月イチ歌舞伎の「わが心の歌舞伎座」を映画館で観てきた。3時間近い映画だが面白かった。ただ、客はA列からK列まである室内で私ともう1人の2人だけであったのはさみしい。

新シーズンは4月から来年2月まで毎月1本放映される。今回はちょうど10年前に建て替えのため取り壊された旧歌舞伎座をめぐる物語だ。取り壊された旧歌舞伎座は4代目のものだ。1951年(昭和26年)開場で閉鎖されたのは2010年(平成22年)4月の公演終了後。約60年の間、いろんな役者により歌舞伎が演じられてきた。その軌跡を大御所たちの回想を交えて映画にした。出演した役者たちの歌舞伎や歌舞伎座に対する熱い思いが伝わってきた。

また、普段は見られない楽屋や裏方などもある程度紹介されており勉強になった。

いくつか気づかされた点を述べてみよう

  • 歌舞伎の演出は主演役者がやる、これは知らなかった、役者により従来演じられてきた解釈が大幅に変るようなことはないだろうが、素人が気づかないところで主演役者が自分のその演目にかける考えや思いを他の役者に指導しているのだろう
  • 舞台の道具、例えば背景などはその都度新たに作ると説明されていた、これも知らなかった、てっきり使い回ししているのだと思っていた、背景のきれいな絵、川辺や桜並木、町家の風景、店の店頭など、全部その都度作成しているのだろうか、オペラに比べれば演目もはるかに多いだろうから保管しておく場所も確保できないのだろう
  • 舞台の稽古について歌舞伎座のロビーでやることがある、これも知らなかった、稽古用の部屋もあるのだろうが、ロビーが一番良いのだと富十郎が言っていたのでびっくりした

今の第5代歌舞伎座の設計は隈研吾氏が担ったが、彼がテレビのインタビューで、自分は現代の建築家なので何か新しい趣向を凝らしたかったが松竹から前のものと変えないでくれと要請されて戸惑ったと述べていたのが印象的だ。もちろん目に見えないところで新しいものが導入されているのだろうが、第4代歌舞伎座が評判がよかったので、変えない、というのも大英断で私は良いと思った。変らないから良いものもあるのだ。

歌舞伎の舞台といえば華やかさが一番の売りであろうかと思うが、谷崎潤一郎は「陰影礼賛」の中で、現代の日本は昔と比べすべてにおいて明るすぎて興ざめである、歌舞伎の舞台もその一つの例である、と述べているのは興味深い。確かにそういう面もあるだろう。蛍光灯が普及してからそれが激しくなったのではないかと思う。たまにホテルなどに泊まると部屋の照明がカバー付きのスタンドだけという薄暗い部屋に出くわすが、味があって良いと思うので、自宅の自室の照明を蛍光灯やLEDから電球色の照明やステンドグラスのカバーのついたスタンドに変えようと思っている。

歌舞伎座はヨーロッパのオペラ座に比肩し得る日本の誇るべき文化と芸術の殿堂である。未来永劫しっかりと残していってもらいたい。


名曲喫茶「ミニヨン」にて

2023年04月12日 | カフェ・喫茶店

荻窪の名曲喫茶「ミニヨン」に行ってみたくなり立ち寄った。土曜日で混んでるかなと思ったけど12時半くらに到着したら先客はわずかだった。前回来たときとは別の席に座りコーヒーを注文。450円。

ゆっくり室内を見渡すと前回座った席では気づかなかったこともわかった。例えば、店内の席やカウンターなどにさりげなく花が生けてある。全部のテーブルではないが目立たないように小さめの花が生けてある。女性店主ならではの雰囲気作りであろう。壁には写真がいくつかかかっているが、1998年だったかのウィーン国立歌劇場のワーグナーのオペラのポスター(演目は忘れたが、開催期間、出演者名等の書いてあるもので多分劇場の内外で張り出されていたもの)なども額に入れて掲げてあった。

相変わらず良い雰囲気であり、ゆっくりくつろげる、吉祥寺の「バロック」とは違い、ここは小さい声での会話はOKであり、また、カウンター向こうからはコーヒー豆を挽く音や食器を洗う音なども聞こえてくる、その意味では普通の喫茶店であるが皆さん静かに聴いている。私が入った後次々と客が入ってきたが満員になるほどでない。室内の雰囲気は「バロック」同様、名曲喫茶としてはこれ以上ない、という素晴らしいものだ。上品でシックで落ち着いている、曲はすべてLPレコードである。スピーカーも大きい。音量も適度だ。

ミニヨンは定期的に室内楽のコンサートもやっているようだ、店の中にはピアノもあるのでそれはコンサートの時に使うのであろう。いつまでも残ってほしい店だ。今日は1時間半ゆっくりと過ごした。また来たい。


映画ケン・ラッセルの「マーラー」を再び観る

2023年04月11日 | 映画

映画「マーラー」(1974、英、監督ケン・ラッセル)を観た。3度目だ。先日テレビの録画で読響のマーラー交響曲6番の公演を観たから、再びマーラーのことを少し知りたくなって見直すことにした。

監督のケン・ラッセルは英国人で2011年に84才で亡くたっているが、ウィキペディアによれば、過激な作風とエキセントリックな言動で知られ、そのセクシャルな演出で教会をはじめ多方面から批判を受けた、マーラー、リスト、チャイコフスキー、エルガーなど伝記映画を得意としているそうだ。

今回はある程度事前に、或いは映画を観ている途中でウィキペディアとかこの映画について書いているブログなどを適宜参照にしながら観たが、結論としては、理解できた部分もあるが、よくわからないところが多い映画だということだ。

理解できたところの例としては、映画のはじめの方で駅の列車の中からホームを見ると白い背広を着た紳士と白い服を着た少年がいる場面があり、これはマーラーをモデルにしてヴィスコンティーが作った映画「ベニスに死す」をイメージしていると言うのはわかった、音楽も映画と同様交響曲5番のアダージェットが流れていた。また、マーラーの妻のアルマが草原の中の牛たちから首にかけられているカウベルを取り外している場面がある、これは先日聴いた交響曲6番で使われているカウベルと何か関係がありそうだとは思ったが単なる偶然か。しかし、こんなことは普通の人は予備知識なしで観たら何の意味だか全くわからないであろう。

よくわからなかった例としては、皇帝に謁見してウィーン歌劇場の監督への就任を依頼する場面のあと、その場所の建物の地下道を歩きながらある部屋に行き着き、中にいるフーゴー(ヒューゴーと発音されているように聞こえるが)という人物に会う、彼は牢屋に入れられているような感じで素っ裸で楽譜を書いており、その楽譜を尻で拭いてマーラーに渡す、このフーゴーとは誰かわからない、映画ではマーラーと同学年の友人の作曲家のような言い方をしているが、1860年生まれのドイツの作曲家・音楽評論家のフーゴー・ヴォイスのことか。ネットでマーラーとの関係を調べてもあまり出てこない。

もう一つ挙げれば、冒頭の場面、湖に突き出た小屋が映され、それが突然燃える衝撃的な映像、これが何を意味しているのか、マーラーの破滅を意味しているのか、みている人がそれぞれ解釈すれば良いと言うことなどだろうけど、これだけセンセーショナルに演出して勝手に解釈しろはないだろうと思うが。この小屋はマイアーニックにあった作曲小屋だとは思うが。

監督のこのような制作姿勢というのは如何なものかと思う。良くマーラーのことを勉強している人にしか理解できない、それで良い、と考えているとしか思えない。比喩とか茶化しとかもちりばめられているが、その意味を全部わかる人は相当なマーラーの愛好家だろう。ただ、マーラーを演じたロバート・パウエルが写真で見るマーラーそっくりなのは見事だ、映画の中の言動もさもありなん、という感じだ。

マーラーの交響曲のCDを全部持っているわけではない、それは先日の宇野功芳さんの解説を読んだからだけど、今後も機会を見つけてマーラーの音楽を聞き続けて行きたいとは思っている。

主な出演

ロバート・パウエル:グスタフ・マーラー
ジョージナ・ヘイル:アルマ・マーラー
アントニア・エリス:謎のコジマ・ワーグナー
ピーター・アーン:マーラーの弟オットー・マーラー


吉祥寺「いせや総本店」の焼き鳥をつまみに1人酒

2023年04月10日 | グルメ

行きつけのおなじみ吉祥寺南口のいせや総本店、今日は留守番で1人夕食なので、自宅で一杯やる際のつまみにいせやの焼き鳥を思いついた。テイクアウトで5本、今回は塩を注文した。12時開店なので少し前に行ってみると土曜日だったからか20人以上の大行列。開店と同時に店内に順番に案内されていく、2階にも席があるのでかなりの人数は収容できる、昔入ったことがある。ただ、最近はもっぱらお土産で自宅に持ち帰るやり方にしている。

さて、家に帰り、夕食の準備、コンビニで生野菜を買い、その上に作り置きのゆで卵を切ったものを乗せ、最近買ってはまっている理研の「ザクザクわかめ(韓国風、ごま油風味)」をふりかけのようにかける、ご飯は炊き込みの作り置き、これに買ってきた焼き鳥をレンジで温め、準備完了。酒は、宝の缶チューハイレモンだ。最初の一杯はこれが一番好きだ。他のメーカーの缶チューハイは実際には焼酎を使っていないものが圧倒的に多い、だからチューハイとは書いてない、キリンの氷結などがそうだ。使っているアルコールはウオッカなどだ、宝の缶チューハイは焼酎使用だから値段が高いがうまい。堂々とチューハイと商品名をつけている。庶民のシャンパンといっても良いくらいだ。

買ってきた焼き鳥はタレと比べると温めてはいるが少し肉の匂いがする、これは仕方ないか、持ち帰りではタレの方が良いかもしれない。だけどうまかった。ごちそう様でした。


「船橋屋亀戸天神本店喫茶室」にて

2023年04月09日 | カフェ・喫茶店

この日は夫婦で歌舞伎座で観劇、自宅から車で歌舞伎座駐車場に入ると、係の人から「観劇ですか」と聞かれ、「そうです」と答えると、「昨日から3日間、仁左衛門さんが倒れたため休場です」と言われショック。まさかこんなことに、事前にホームページで確認すべきだった。3時ころだったので今さらどこかに行くあてもなく、どうしようか迷った末、「そうだ、帰路の途中の亀戸の船橋屋喫茶室によってお茶をして帰ることにしよう」となった。

行ってみて、近くの路上駐車ができるところがあったので、300円で1時間、そこに車を停めて歩いて2,3分で到着。入り口前の藤だなの藤がきれいに咲いている。今年は暖かい日が多かったから例年より早く咲いたのか、これはよかった。

店内にはすぐに入れた。座る前に注文を、今日はあんみつとくず餅を選ぶ。両方とも800円くらいだったか。先客が何組かいたが満席ではない。ただ、前回よりも混んでいる。室内からも藤だなが良く見える。八分咲きくらいか。ゆっくり食べて、帰りがけに亀戸天神にも寄ってみたがこちらの藤はまだあまり咲いていなかった。

今日の演目の余話情浮名横櫛は仁左衛門の与三郎、玉三郎のお冨。観たかったが仕方ない。仁左衛門は確か昨年も休場したが大丈夫か心配だが、その後確認したところ8日から出演しているとのこと、よかった。


「N響第1974回演奏会(ブラームス、ベートーベン」を観る

2023年04月09日 | クラシック音楽

テレビで放映されていたN響1974回定期公演会を録画してみた。

今回の演奏会の指揮者はトゥガン・ソヒエフ(ソ連、40)だ、N響とは3年ぶりの共演だそうだ、ウィキペディアに書いてあるのは2016年が直近のN響との共演となっており、サントリーホールでベートーベンのピアノ協奏曲3番をピアニストのレオンスカヤを迎えて行っている。ロシアのウクライナ侵略を受け、「ヨーロッパでロシア音楽・芸術家が キャンセル文化 の犠牲になっていること」「愛するロシアの音楽家たちと愛するフランスの音楽家たちのどちらかを選ぶという不可能な選択を迫られたこと」を理由としてボリショイ劇場とトゥールーズ・キャピトル国立管弦楽団(パリ)の音楽監督を辞任したと書いてある。

演目は

ブラームス、ピアノ協奏曲第2番ハ長調、ピアノはハオチェン・チャン(33、中国)
ベートーベン、交響曲第4番

ブラームスのピアノ協奏曲2番はCDも持っており、何回も聴いているが、まだ自分にはその良さがわかっていない。1878年から1881年にかけて作曲されたもので第1番の作曲から22年後の作曲、彼の全盛期の作品である、イタリア旅行後に作曲したので彼にしてはめずらしく明るい基調で書かれた曲だとある(ウィキペディア)。4楽章からなり演奏時間は50分と長い。これだけ長いと作品としては冗長になるのではないか、なぜここまで長くしないといけないのかがまだよくわからない。ハオチェン・チャンのピアノは十分本気度が伝わってくる演奏だった。

一方、ベートーベンの4番だが、この曲は好きだ。3番と5番という強烈な交響曲に挟まれて地味に感じる曲ではあるが、良く聴くと良さがわかってくる。特にトスカニーニがNBC交響楽団を振ったCDが好きだ。彼の指揮ではオーケストラの音がキリッと締まった切れ味の良い音がする。この表現は非常に難しいのだが、鋭いが重い音だ。一方、ソヒエフの振ったN響の音は上品な気品のある音で、これは近年のオーケストラの傾向ではないか、N響のようなソフトな上品な音に合う曲も多くあるが、ベートーベンの交響曲などはトスカニーニやフルトヴェングラーの方が断然好きだが、これは好みだ。人それぞれで良いと思う。

今回の番組の最後には第1コンサートマスターのマロの引退特集が放映された。海外から招聘したいろんな指揮者の元で勉強して成長してきた、そのマエストロたちから学んだことなどを話していた。大役を無事にこなし、ホットしていることだろう。お疲れ様でした。


「マーラー交響曲第6番悲劇的」を聴く

2023年04月08日 | クラシック音楽

テレビ番組で読響の演奏会「マーラー交響曲第6番悲劇的」の放送をしていたので録画して聴いた。この公演は2023年1月13日サントリーホールで行われ、指揮は山田和樹である。通常は1時間の番組だがこの交響曲は80分と長いので1時間40分の放送になっている。

マーラーの6番イ短調は1903年から作曲を開始し、翌年の1904年に完成した、マイヤーニックの彼の作曲小屋で作曲したもの。マーラーは「6番は聴くものに謎を突きつけ、この謎解きにはぼくの第1から第5を受け入れ、それを完全に消化した世代だけが挑戦できる」と述べている。1906年5月にエッセンの全ドイツ音楽協会音楽祭においてマーラー自身の指揮で初演された。大編成の管弦楽を用い、古典的な4楽章で構成されている。

管楽器と打楽器の拡大が目立ち、打楽器の中でも特にカウベル(牛の首につける鐘鈴)とハンマーが使われているのが特徴である。前者は第1、3、4楽章で登場し、後者は第4楽章で登場する。テレビ中継の良いところは、これらの楽器が使用されるところをしっかりと映してくれることだ。その他、音楽の進行に合わせてポイントになる楽器の演奏姿をアップで映してくれるのは有難い。会場に聴きに行っているときにはできない技だ。

この第6番はマーラーが恋人アルマと結婚して幸せの絶頂にあるときに作曲されたものだが、短調で悲劇的という正反対の曲想になっているところが面白い、逆も真なりでベートーベンはハイリゲンシュタットの遺書を書いた前後に明るい曲を作曲している。

私の敬愛する故宇野功芳氏の解説によれば、マーラーの交響曲について「第1や第8は大仕掛けすぎるし、第5は分裂の度がはなはだしい、結局、形式がキリッと締まった第1、4、6、9、大地の歌が好ましいが、第1は内容が浅いので飽きを生じやすく、文句なしなのは大地の歌でであろうか。第4、6、9にも冗長な部分、分裂しすぎた部分があるからだ、ほかに第4によく似た第3もあるが、曲自体は好きだが、長すぎるきらいは否めない」と解説している。

確かにマーラーの曲は長くて、ベートーベンなどと比べても主張がハッキリせず、抽象的な感じて退屈気味になるので私はあまり好きではない。マーラーといういう人物も神経質で分裂気味で癇癪持ちで、指揮者の時はオーケストラのメンバーをかなり厳しく叱るということがあったのでトラブルもあった。ケン・ラッセルの映画「マーラー」も2度観たが、そこで描かれているマーラーもまさにそんな人物だ。しかし、このような見方は何かのきっかけで変るものである、よって、機会を見つけてはなるべき聴くようにしている。テレビで観たり、演奏会を聴きに行ったり、YouTubeで観たり、いろんな機会に聴いてみるのが良いと思っている。その結果、曲に対する印象が変ったことは今までも何回かある。今回、この6番を改めて聞いて見て、そんなにわかりにくい曲でもないな、と思った。