荻窪にある国指定史跡の荻外荘 (近衛文麿旧宅)を見学に行ってきた、荻窪駅南口から歩いて15分くらいで到着し、300円の入場料を払えば誰でも見学できる
荻外荘(てきがいそう)の概要について、杉並区のホームページから適宜要約して引用すると、
「荻外荘は、大正天皇の侍医頭を務めた医師の入澤達吉が昭和2年(1927年)に建てた別邸。設計者は日本を代表する建築家・伊東忠太。その後、内閣総理大臣となった近衞文麿が健康の相談相手であった入澤から譲り受け、昭和12年(1937年)から住みはじめた。「荻外荘」という呼び名は、近衞の後見人であった西園寺公望が命名したといわれている。「荻外荘」で暮らすことに決めた近衞であったが、次第に国家の重要な会談の場として使用するようになった。
終戦後、近衞文麿が荻外荘で命を絶った後は、ご家族が静かに暮らしていたが、家主であった近衞文麿の次男が逝去すると、荻外荘保存の声が上がり、区が平成26年(2014年)に荻外荘の土地と建物を取得し、平成28年(2016年)には国の史跡に指定された。そして、約10年にわたる復原整備が完了し、令和6年(2024年)12月に荻外荘公園が開園し、一般公開されるようになった」とある
この日は土曜日で、昼過ぎに訪問するとけっこうな人が見学に訪れていた、見学できるようになって間もないからか、受付でチケットを買って順路に従って、応接室、茶の間、食堂、客室、居間、書斎、和室と見学した、各場所には係りの人がいて適宜説明してくれたのは有難かった
客室は歴史上有名な昭和15年(1940年)の「荻窪会談」、昭和16年(1941年)の「荻外荘会談」の会場として使用された部屋であり、備え付けのタブレット端末を操作すると会談の内容などが音声と画面で説明されるようになっていた
食堂では大型画面のテレビがあり、荻外荘の概要などが見れるようになっており多くの人が見ていた、テレビでは、戦後の一時期、吉田茂が住んでいたこと、その後玄関棟と客間棟が豊島区へ移築されたこと、「荻外荘保存活用計画」策定後は戻されたことなども説明されていた
応接室から食堂にかけては廊下があり、庭園(今は公園)が見える景色の良い場所となっていた
入って右手の奥の和室はショップとカフェになっていた
ゆっくりと当時を思いやり、見学できた、帰りは再び荻窪駅まで歩いて帰ったが、この辺りは立派なお屋敷の多い高級住宅街であることがわかった
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