RURUのひとりごっち

「博多にわか」な「独り言」と「ごちそうさま」を鍋に放り込んでなんだか煮てみたら・・・ひとりごっちが生まれました。

引越し三昧

2006-09-15 21:30:41 | あんたそうと?
生まれてこの方、一箇所の家に長く落ち着いて住んだことがない
数えてみれば15回の引っ越しで15件の家に縁あって住んだ
生まれた父の実家からはじまるがそうなると引っ越しは14回じゃないの?
と思われるだろう、確かに自分の引っ越しは14回
でも一人暮らしの時期に実家の引っ越しもあったから15回でも
間違いやなかろうとおもう、父の実家の記憶はほとんどない
父は私が一才の時、肺結核で亡くなったので母は職業婦人となり独立

2軒めに住んだ家は母と姉と三人で4畳半一間、幼稚園年長まで住んだ
まーぶるまーぶるまーぶるチョコレート♪ぽんっ!のCM時代
分かる人には分かるCM、古るーっう!あんた何歳よ!
幼稚園年少、年中時代このころよくまいごになって彷徨い歩いた記憶があり
本人はまいごになっているとは気づかずあわてる母を尻目に
見知らぬ風景を楽しんで彷徨っていた。

3軒めはふた間あって2Kだ、いわゆる文化住宅と呼ばれていたが
単なる二階建て長屋である、ちっとも文化の香りはない
うちは二階だった、近くのビー玉工場にお休みの日にしのびこんで
ちょっとビー玉をいただいたり、近くに大きな霊園があって遊び場は
墓場という時代、つくしも霊園で摘んだ、食べなかったが…
しかもまだ年長さんだから前の家の近くの幼稚園をやめずに小一時間かけ
小学生の姉と一緒に市バスで普通に通うめずらしい園児だった
一番前の席で大声であろうことか村田英雄の歌をうたうので
姉に他人のふりをされた。

4軒めは3DKでやはり文化住宅だが一階と二階があった
二階にベランダいや日当たりの良い木製物干しがあって
よくふとんを干してふかふかになったら上に寝っころがって昼寝をした
至福の時間♪小学生だったが学校が近く、神社の裏でお祭りに便利な上
隣りに市場もあり毎日の買い出しは私の役目
愛猫のえさに焼いて串刺しになった魚のキスを乾物屋で買い、店のおっちゃんに
『もったいない!人間が食べるもんやで!』と怒られた
でもうちの猫ちゃんはグルメやから・・・
猫のトイレ用に神社の土をいただいた、霊験あらたかなトイレット。

5軒目はやはり二階建ての文化住宅、3DKで中学生になっていた
ジャスコが近くに出来て、ケンタッキーフライドチキンを初めて食べた
フランスベッドがやってきて、ベッドメイキングをおぼえベッドの生活に
文化住宅だけに文化の薫り高く結構ハイカラな生活だ
しかし6畳にベッド2つ勉強机2つがパズルのように配置されていた
模様替えは不可能な、文化的生活。

6軒目は賃貸とオサラバして庭付一戸建ての5LDK
で家族が4人に、そして5人になってまた4人に戻り
その後、姉は東京へいっちっちで3人になり
その家からわたしは一人暮らしに旅立つこととなる。

7軒め1Kのアパートで一人暮らし、持っていった洋服だんすが
入口を通過できず、実家に戻っていった、組み立て家具を買った
隣りにはアル中のおやじがいて、よく大声のひとりごとが聞こえて来た
どんなアパートよ!、1度パトカーも出動、住人が迷惑親父にきれて通報
大学に残り研究室でわずかな時給をいただきつつバイトでしのぎ暮していた
研究室の先輩に結婚を申し込まれたりしたが結婚はしなかった。

8軒めは設計事務所時代2Kだがけっこう広い長屋で
家賃が月15000円とべらぼうに安かった
何故かと言えば職場から1時間半もかかる山への入口で
風呂は薪で焚く五右衛門風呂だった、自分で薪をくべてあつーくしておかないと
ぬるくなっても誰も薪をくべてくれないもんね、一人暮らし山暮らしって
かなりの変人ともいえる、会社の同僚がハイキングしに泊まりに来た。

9軒めは母と二人暮らしになる、川沿いの大きな集合住宅で3LDK
マンションに初めて住む、会社の上司が転勤でその家を間借りしたのだが
まどから河川敷が見下ろせてナイスな景色、川の中洲にいいかんじの木が
三本あって雰囲気があったが、ある時その木はなくなっていた、役人め!
多分役所の指針で切られたのだ。

10軒めはまた庭付一戸建ての住宅地の高台にあって5DK
やはり家主さんが転勤で分譲賃貸である
その家主さんが倉敷の古い家の出身で郷愁からか
普通サイズの柱なのに全部黒く塗られていた、彼の手で
でもそれなりに和風なカンジでまあ落ち着いて暮せた
結婚するまでここで暮した。

11軒めは博多へ来た新婚時代だ、3DKでわりと新しい5階建ての
集合住宅、隣りは田んぼでカエルの歌が聞こえて来た。
この頃は今と一緒でままチャリ生活。

12軒めは夫婦で独立して設計事務所をつくり
住居兼用オフィスとして住んだ4LDK
西鉄沿線で便利だが車の音がうるさい西日のあたるマンションだった。

13軒めは雇人がふえ娘が生まれ手狭になり
12軒めをオフィスとして使い自宅を分離するため
3LDKの分譲賃貸マンションに移り、車でオフィスに通った
芝生の庭がついていた、子供用共用プールもあって娘は泳いだ。

14軒めはマンションを買って、しばらくしてから
またオフィスと住居を一つにした
6LDK納戸庭付のメゾネットマンション、ちょっとリッチ時代
事務所にちょうどいい大部屋があった、母が来て4人暮らしになり
その家には約12年住んだ、その後不況で会社を整理し
個人事務所としてやりなおすため家は売りに出した、買ってくれたのは
紳士服をあつかう社長さん、奥さんは外人さんルーマニアの人だった。

15軒めが今の家で賃貸マンションの5LDKで庭付、事務所兼用である
町中なのに窓からの眺めはまるで千と千尋の神隠しのようなのである。

そして住まいの歴史はまだつづくのかなあ、おかげで荷造り荷ほどきの
手際の良さはプロ級である、好きで引っ越してるわけじゃないので
あまりうれしくはないが。