映画「ルードウィヒ」は現ドイツの南部に存在したバイエルン王国の狂王ルードウィヒ2世の即位からその死までを描いた壮大な歴史絵巻である。監督はイタリア映画界の巨匠ルキノ・ヴィスコンティ。日本での公開は1980年で、ヴィスコンティの死後4年目のことであった。公開当時は「ルードウィヒ / 神々の黄昏」と副題が付けられていたが、これはルードウィヒ2世が音楽家ワーグナーに心酔しており、映画音楽にもワーグナーを多用したことによると思われる。そして「神々の黄昏」はワーグナーの楽劇「ニーベルングの指環」三部作の第三部のタイトルだ。
私は劇場公開時に映画館に足を運んだのだが、3時間を超える長尺にも関わらず館内はほぼ満席であった。また1978年頃から日本の映画館ではヴィスコンティ・ブームが巻き起こっていた。きっかけは「家族の肖像」というバート・ランカスター主演の映画が大ヒットしたことによる。この映画は、ローマの広い邸宅に18世紀絵画等の懐古趣味の優雅なインテリアに囲まれて静かに暮らす初老の主人公の孤独な生活に、迷惑な他人が賃貸契約のトラブルから無礼講に入り込んできて共同生活が始まり、単なる偶然で成立してしまった疑似家族が悲劇的に崩壊する迄を描いた人間ドラマであったが、元来家族というテーマが好きな日本人に大いに受けたのだ。これが呼び水となり、ヴィスコンティの映画を漁るように鑑賞しだした人は多かったはずである。尤も人によって傾向は様々で、物語性はさておきヨーロッパの異国情緒漂う貴族趣味の豪華な映像美に酔い痴れたいだけのファンも少なからず存在した。そして見栄えのする端正な顔立ちの俳優陣を物語の主軸に据えて人物像の造形美を訴求し、美男美女に目がない鑑賞者の要求に十全に応えているのも大きな魅力だろう。実際、この「ルードウィヒ」で主役を演じたヘルムート・バーガーは、世界で最も美しい獣と呼ばれたほどの美貌の持ち主である。このように日本人に好まれる晩年の作品は、豪華絢爛たる貴族や上流階級を扱った映画が多い。しかしそうした側面だけがヴィスコンティの作品世界ではなく、晩年以前の作品群には労働者階級を主人公にした社会派の人間ドラマや、世界的文豪ドストエフスキーの「白夜」やカミユの「異邦人」を映画化したものも立派に存在する。この為、一面だけ捉えてヴィスコンティを評価すると真実を見失うかもしれない。
ヴィスコンティ映画の根源に横たわる主題が何かと問われれば、それは人間の孤独であり滅びの美学であろう。ヴィスコンティ自身が、勝者よりも敗者の物語に魅かれるしそれを創造したいのだと公言していることからも、それは明らかだ。そしてヴィスコンティその人がイタリアの傍系貴族出身ながら共産党に入党していた時期があり、映画界では赤い公爵と呼ばれていた。つまり社会に対し常に真摯な問題意識を持ち、現代を映す鏡のように過去を扱いながら巧みな映像表現で政治的なメッセージさえ送っていたように思えるのだ。たとえば彼とほぼ同世代の黒澤明が、世界文学を下敷きにして日本の歴史を描くことで現代社会に痛烈なメッセージを発し続けたように。
前置きが長かったようだが、いよいよ本題の映画「ルードウィヒ」に入りたい。主人公の王の治世は約22年に及び18歳で即位し40才で廃位。その人生の舞台は19世紀中頃のヨーロッパで、大国同士が領土拡張を企み対外戦争を重要な国策にして鎬を削っていた時代であった。にも関わらず、この小国の王様は政治や経済には殆ど無関心で、ひたすら音楽と建築に国費を注ぎ込み、自らが愛好するメルヘンチックな神話の世界に引き籠る。そこら辺は典型的な世間知らずのお坊ちゃんで内向きな性格だが、内省的ではなく偏執的なのがルードウィヒ2世の大きな特徴である。要は王が廃位したのは自業自得であり、常軌を逸した浪費により国家を破産寸前まで追い込んだ張本人であったからに他ならない。ある意味、この物語は奇妙奇天烈な愚か者の生涯を描いた悲喜劇なのだが、流石はヴィスコンティである。一筋縄ではいかない。映画の制作段階では「ルードウィヒ」の副題は当初「神々の黄昏」ではなく「全ては玩具にすぎない」であったことからもそれは理解できる。大規模な建設事業も罪悪感の無い子供が積木で城をつくっているかのようである。そして歴史上は狂王とさえ評されたこの主人公ではあるが、短絡的に諸悪の根源の如く描かれてもいない。むしろそれとは逆に人間存在そのものの弱さへの同情や滅びゆく者への哀惜の念さえ感じられるくらいだ。
冒頭の即位式に臨む若き王は純真無垢な美青年であり、債権者から逃亡を続ける音楽家ワーグナーを宮廷に招き彼のパトロンになった頃は希望に燃えている。しかし本来の資質には合致しない政務からのストレスで理想と現実との乖離に悩み、美しい従姉のオーストリア皇妃エリザベートへの敵わぬ恋をプラトニックなまま終生引きずり続ける姿は哀れである。またエリザベートの勧めでその妹のゾフィーと婚約するのだが、悩んだ末に破棄。またこの数年後にバイエルン王国は、普墺戦争や普仏戦争に参戦。ルードウィヒ2世の弟で戦地に従軍したオットー1世が精神に異常をきたす。また我儘なワーグナーを臣下からの諫言でついに追放せざるを得なくなる。この時期から彼の人生は大きく転回しはじめる。それまでのルードウィヒ2世は国家の王に相応しい器になるべき努力を曲がりなりにも続けていたようだが、ここから坂道を転げ落ちるように極端な方向へと舵を切ってしまう。青年期の純朴な夢想家が壮年期には誇大妄想狂へとエスカレートしていくのだ。太陽王と呼ばれたルイ14世の建設事業を真似るように尊大な巨城を建設し、その広大な要塞で昼夜逆転した隠棲生活をおくる。髭面で下膨れした中年男の容貌には、もはやかつての美青年の面影はなく、酒に溺れ、若い従僕らとの同性愛に耽り、久方ぶりに訪ねてきた憧れの女性エリザベートにも会おうとしない。この時、オーストリア皇妃エリザベートがベルサイユ宮殿を模したヘレンキームゼー城の大広間で笑い崩れるシーンがある。彼女は従弟であるバイエルン国王の極限的な贅沢に呆れているわけだが、その直後に従弟から再会を拒まれ、孤独な彼の行く末を案じる。しかし彼女が危惧した通り、国家財政の危機を憂えた臣下の裏切りに遭い医師の鑑定により精神病の烙印を押された揚げ句、クーデターの末にベルク城に幽閉された後、シュタルンベルク湖で入水自殺を遂げる。王の最期が自殺だったのか他殺だったのか事故だったのかは歴史的な事実としては謎のままだが、この映画では医師を道連れにした自殺という解釈をとっている。
ヴィスコンティが孤独を病んだこの王の生涯を描く気になったのはいったいなぜなのか?これは私の推測だが、栄耀栄華の終焉を美と醜を絡めて潔く見せることで、人類全体に貪欲さを避けて謙虚になるよう諭しているのではないか。そしてヴィスコンティが敗者の物語に拘り続けた理由もそこにあるように感じる。栄光を勝ち誇った者を称賛した物語にはどこか軽薄さが付きまとう。それとは真逆の世界が此処には在る。大航海時代以降のヨーロッパ文明は七つの海を越えてアフリカ、アジア、新大陸アメリカに覇を唱え、地球上の資源を貪り喰らいながら巨満の富を産出してきた。特にこの映画が扱っている時代には、ヨーロッパよりも産業革命が進展しなかったアジアのオスマントルコ帝国とムガール帝国と清帝国は衰退期に入っていた。バイエルン王国も産業革命の恩恵を受けて、ドイツ帝国に統一される以前の小国ながらも経済成長の波に乗っており、この影響でルードウィヒ2世の空前の浪費も可能になったと云える。晩年のヴィスコンティ作品の殆どが主人公の死で物語は終わるのだが、この映画も例外ではない。エンディングロールが流れるラストのカットは水死した王のデスマスクであり、富と権力を体現した者の淋しい末路を象徴している。私は鑑賞した後に、ヨーロッパとは異質ながら、私達日本人が古来から親しんでいる平家物語のメッセージを思い出した。
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。おごれる人も久しからず。ただ春の夜の夢のごとし。猛き者も遂には滅びぬ。ひとへに風の前の塵に同じ。
東洋と西洋という文明の差異や、武士から貴族に成り上がった一族と生まれながらにして王族であった者の違いこそあれ、ヴィスコンティが問いかけたかったことは、平家物語と同様のメッセージであったように思う。
ルードウィヒ2世の生涯は、ある意味極端で愚かしくもあったが、彼が贅を尽くして建設したノイシュバンシュタイン城、ヘレンキームゼー城、そしてリンダ―ホーフ城は現在でもドイツの有名な観光名所である。実際に映画を大画面で鑑賞すると、映像のパワーに圧倒されて当地を巡る観光気分を味わえるほどだ。また城だけではなくバイロイト祝祭劇場も残しており、ワーグナーの言いなりで建築した木造のオペラハウスだが、こちらも世界中から音楽ファンが集まってくる。このようにとてつもない贅沢はしたが歴史的な遺産を残したわけだ。ルードウィヒ2世は奇異な人間ではあっても狡猾さには欠けており、映画の中で絵に描いたような悪役に最も近いのは大音楽家ワーグナーであろう。そもそも王が湯水のように音楽へ資本を投入した理由はワーグナーへの極端な傾倒にあった。ワーグナーの音楽に心底惚れ込み、彼の優れた才能や作品と人格を同一視してしまう王の純真さゆえに、臣下もその無謀な政策を手遅れになる迄止められなかったようだ。事実、ワーグナーの人間性は相当に問題有りであった。放蕩三昧な生活で借金塗れになっているし、自意識過剰でプライドが高く弟子の妻と不倫し略奪婚を敢行。完成度の高い芸術作品を創造する才能がありながら、とにかく私生活が倫理的に堕落した食わせ物である。只、ワーグナーにとってはこのルードウィヒ2世は最高のパトロンであったことだろう。完全に信頼しきっており、金は出しても口は出さないのだから。
一説によると、生前のルードウィヒ2世は自身の死後にノイシュバンシュタイン城を破壊するように遺言していたらしい。しかしそのような愚行は現実化しなかった。それはルードウィヒ2世の廃位後に、バイエルン王国を統治した叔父のルイトポルト摂政が城を破壊せずに地元の住民に開放したからだ。この白鳥のように美しい城はあのディズニーランドのモデルとしても有名である。
私は劇場公開時に映画館に足を運んだのだが、3時間を超える長尺にも関わらず館内はほぼ満席であった。また1978年頃から日本の映画館ではヴィスコンティ・ブームが巻き起こっていた。きっかけは「家族の肖像」というバート・ランカスター主演の映画が大ヒットしたことによる。この映画は、ローマの広い邸宅に18世紀絵画等の懐古趣味の優雅なインテリアに囲まれて静かに暮らす初老の主人公の孤独な生活に、迷惑な他人が賃貸契約のトラブルから無礼講に入り込んできて共同生活が始まり、単なる偶然で成立してしまった疑似家族が悲劇的に崩壊する迄を描いた人間ドラマであったが、元来家族というテーマが好きな日本人に大いに受けたのだ。これが呼び水となり、ヴィスコンティの映画を漁るように鑑賞しだした人は多かったはずである。尤も人によって傾向は様々で、物語性はさておきヨーロッパの異国情緒漂う貴族趣味の豪華な映像美に酔い痴れたいだけのファンも少なからず存在した。そして見栄えのする端正な顔立ちの俳優陣を物語の主軸に据えて人物像の造形美を訴求し、美男美女に目がない鑑賞者の要求に十全に応えているのも大きな魅力だろう。実際、この「ルードウィヒ」で主役を演じたヘルムート・バーガーは、世界で最も美しい獣と呼ばれたほどの美貌の持ち主である。このように日本人に好まれる晩年の作品は、豪華絢爛たる貴族や上流階級を扱った映画が多い。しかしそうした側面だけがヴィスコンティの作品世界ではなく、晩年以前の作品群には労働者階級を主人公にした社会派の人間ドラマや、世界的文豪ドストエフスキーの「白夜」やカミユの「異邦人」を映画化したものも立派に存在する。この為、一面だけ捉えてヴィスコンティを評価すると真実を見失うかもしれない。
ヴィスコンティ映画の根源に横たわる主題が何かと問われれば、それは人間の孤独であり滅びの美学であろう。ヴィスコンティ自身が、勝者よりも敗者の物語に魅かれるしそれを創造したいのだと公言していることからも、それは明らかだ。そしてヴィスコンティその人がイタリアの傍系貴族出身ながら共産党に入党していた時期があり、映画界では赤い公爵と呼ばれていた。つまり社会に対し常に真摯な問題意識を持ち、現代を映す鏡のように過去を扱いながら巧みな映像表現で政治的なメッセージさえ送っていたように思えるのだ。たとえば彼とほぼ同世代の黒澤明が、世界文学を下敷きにして日本の歴史を描くことで現代社会に痛烈なメッセージを発し続けたように。
前置きが長かったようだが、いよいよ本題の映画「ルードウィヒ」に入りたい。主人公の王の治世は約22年に及び18歳で即位し40才で廃位。その人生の舞台は19世紀中頃のヨーロッパで、大国同士が領土拡張を企み対外戦争を重要な国策にして鎬を削っていた時代であった。にも関わらず、この小国の王様は政治や経済には殆ど無関心で、ひたすら音楽と建築に国費を注ぎ込み、自らが愛好するメルヘンチックな神話の世界に引き籠る。そこら辺は典型的な世間知らずのお坊ちゃんで内向きな性格だが、内省的ではなく偏執的なのがルードウィヒ2世の大きな特徴である。要は王が廃位したのは自業自得であり、常軌を逸した浪費により国家を破産寸前まで追い込んだ張本人であったからに他ならない。ある意味、この物語は奇妙奇天烈な愚か者の生涯を描いた悲喜劇なのだが、流石はヴィスコンティである。一筋縄ではいかない。映画の制作段階では「ルードウィヒ」の副題は当初「神々の黄昏」ではなく「全ては玩具にすぎない」であったことからもそれは理解できる。大規模な建設事業も罪悪感の無い子供が積木で城をつくっているかのようである。そして歴史上は狂王とさえ評されたこの主人公ではあるが、短絡的に諸悪の根源の如く描かれてもいない。むしろそれとは逆に人間存在そのものの弱さへの同情や滅びゆく者への哀惜の念さえ感じられるくらいだ。
冒頭の即位式に臨む若き王は純真無垢な美青年であり、債権者から逃亡を続ける音楽家ワーグナーを宮廷に招き彼のパトロンになった頃は希望に燃えている。しかし本来の資質には合致しない政務からのストレスで理想と現実との乖離に悩み、美しい従姉のオーストリア皇妃エリザベートへの敵わぬ恋をプラトニックなまま終生引きずり続ける姿は哀れである。またエリザベートの勧めでその妹のゾフィーと婚約するのだが、悩んだ末に破棄。またこの数年後にバイエルン王国は、普墺戦争や普仏戦争に参戦。ルードウィヒ2世の弟で戦地に従軍したオットー1世が精神に異常をきたす。また我儘なワーグナーを臣下からの諫言でついに追放せざるを得なくなる。この時期から彼の人生は大きく転回しはじめる。それまでのルードウィヒ2世は国家の王に相応しい器になるべき努力を曲がりなりにも続けていたようだが、ここから坂道を転げ落ちるように極端な方向へと舵を切ってしまう。青年期の純朴な夢想家が壮年期には誇大妄想狂へとエスカレートしていくのだ。太陽王と呼ばれたルイ14世の建設事業を真似るように尊大な巨城を建設し、その広大な要塞で昼夜逆転した隠棲生活をおくる。髭面で下膨れした中年男の容貌には、もはやかつての美青年の面影はなく、酒に溺れ、若い従僕らとの同性愛に耽り、久方ぶりに訪ねてきた憧れの女性エリザベートにも会おうとしない。この時、オーストリア皇妃エリザベートがベルサイユ宮殿を模したヘレンキームゼー城の大広間で笑い崩れるシーンがある。彼女は従弟であるバイエルン国王の極限的な贅沢に呆れているわけだが、その直後に従弟から再会を拒まれ、孤独な彼の行く末を案じる。しかし彼女が危惧した通り、国家財政の危機を憂えた臣下の裏切りに遭い医師の鑑定により精神病の烙印を押された揚げ句、クーデターの末にベルク城に幽閉された後、シュタルンベルク湖で入水自殺を遂げる。王の最期が自殺だったのか他殺だったのか事故だったのかは歴史的な事実としては謎のままだが、この映画では医師を道連れにした自殺という解釈をとっている。
ヴィスコンティが孤独を病んだこの王の生涯を描く気になったのはいったいなぜなのか?これは私の推測だが、栄耀栄華の終焉を美と醜を絡めて潔く見せることで、人類全体に貪欲さを避けて謙虚になるよう諭しているのではないか。そしてヴィスコンティが敗者の物語に拘り続けた理由もそこにあるように感じる。栄光を勝ち誇った者を称賛した物語にはどこか軽薄さが付きまとう。それとは真逆の世界が此処には在る。大航海時代以降のヨーロッパ文明は七つの海を越えてアフリカ、アジア、新大陸アメリカに覇を唱え、地球上の資源を貪り喰らいながら巨満の富を産出してきた。特にこの映画が扱っている時代には、ヨーロッパよりも産業革命が進展しなかったアジアのオスマントルコ帝国とムガール帝国と清帝国は衰退期に入っていた。バイエルン王国も産業革命の恩恵を受けて、ドイツ帝国に統一される以前の小国ながらも経済成長の波に乗っており、この影響でルードウィヒ2世の空前の浪費も可能になったと云える。晩年のヴィスコンティ作品の殆どが主人公の死で物語は終わるのだが、この映画も例外ではない。エンディングロールが流れるラストのカットは水死した王のデスマスクであり、富と権力を体現した者の淋しい末路を象徴している。私は鑑賞した後に、ヨーロッパとは異質ながら、私達日本人が古来から親しんでいる平家物語のメッセージを思い出した。
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。おごれる人も久しからず。ただ春の夜の夢のごとし。猛き者も遂には滅びぬ。ひとへに風の前の塵に同じ。
東洋と西洋という文明の差異や、武士から貴族に成り上がった一族と生まれながらにして王族であった者の違いこそあれ、ヴィスコンティが問いかけたかったことは、平家物語と同様のメッセージであったように思う。
ルードウィヒ2世の生涯は、ある意味極端で愚かしくもあったが、彼が贅を尽くして建設したノイシュバンシュタイン城、ヘレンキームゼー城、そしてリンダ―ホーフ城は現在でもドイツの有名な観光名所である。実際に映画を大画面で鑑賞すると、映像のパワーに圧倒されて当地を巡る観光気分を味わえるほどだ。また城だけではなくバイロイト祝祭劇場も残しており、ワーグナーの言いなりで建築した木造のオペラハウスだが、こちらも世界中から音楽ファンが集まってくる。このようにとてつもない贅沢はしたが歴史的な遺産を残したわけだ。ルードウィヒ2世は奇異な人間ではあっても狡猾さには欠けており、映画の中で絵に描いたような悪役に最も近いのは大音楽家ワーグナーであろう。そもそも王が湯水のように音楽へ資本を投入した理由はワーグナーへの極端な傾倒にあった。ワーグナーの音楽に心底惚れ込み、彼の優れた才能や作品と人格を同一視してしまう王の純真さゆえに、臣下もその無謀な政策を手遅れになる迄止められなかったようだ。事実、ワーグナーの人間性は相当に問題有りであった。放蕩三昧な生活で借金塗れになっているし、自意識過剰でプライドが高く弟子の妻と不倫し略奪婚を敢行。完成度の高い芸術作品を創造する才能がありながら、とにかく私生活が倫理的に堕落した食わせ物である。只、ワーグナーにとってはこのルードウィヒ2世は最高のパトロンであったことだろう。完全に信頼しきっており、金は出しても口は出さないのだから。
一説によると、生前のルードウィヒ2世は自身の死後にノイシュバンシュタイン城を破壊するように遺言していたらしい。しかしそのような愚行は現実化しなかった。それはルードウィヒ2世の廃位後に、バイエルン王国を統治した叔父のルイトポルト摂政が城を破壊せずに地元の住民に開放したからだ。この白鳥のように美しい城はあのディズニーランドのモデルとしても有名である。
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