2019年頃、このブログで長谷川等伯の「松林図屏風」を取り上げた際、少しAIについて記述したことがあった。あの時はかなり楽観的な見方をしていたように思う。しかしあれから5年近くの時が経過し、不安要素や懸念点もかなり出てきた。それでも大局的には、AIによって人類が滅亡する事態にはならないと明言したい。なぜなら、AIは1を100や1000どころか、1000万や100億や10兆にできても、0を1にはできないし、当然0を小数点以下の数字0.1や0.01にさえできないからだ。つまりとてつもない拡張機能ではあっても、無から有を生み出せない。あくまでも拡張機能でしかないということである。これは20世紀にコンピューターが発明されて以降、技術革新によるこれまでの自動化を遥かに凌駕するほどの、自律性に優れたAIが登場しても不変であろう。
この為、AIの驚異的な進歩や進化によって、この世界に悪夢のようなディストピアが現出するとすれば、それはやはり人間によるAIの悪用が考えられる。つまりAIが人間技では不可能な目標を達成し、その目的を果たせたとしても、その設定が倫理的に間違ったものであれば、結果は悲惨なものになる。しかしこれは逆もまた真なりで、人類が倫理的に誤ることなくAIを利用すれば、天災も人災も含めて山積した様々な諸問題を解決できるのではないか。たとえば世界中の政府に対する倫理的なチェック機能として、AIを活用すれば、まず汚職や利権が発生する重税などの搾取のシステムが稼働しないであろうし、利権や汚職の恩恵を受けて心の歪んだ為政者が、さらに暴利を貪る為に環境破壊や戦争といった選択肢に走ることも防げるはずだ。
私がこう思うのは、昨年の国連サミットで開かれたAI関連会議で、実際にAIが「人間よりもうまく世界を運営できる」と発言したことによる。この発言で重要なのは、AIが感情や偏見のせいで意志決定が鈍ることがないと表明している点だ。しかも大量のデータを素早く処理して最善の判断を下せるとも述べている。まさにその通りで、このインタビューを受けたAIの回答には、人間にありがちな無駄口や言い訳が一切無い。つまりこれからの未来に大きな障害となる人類の諸問題を解決する為に、倫理的に誤った設定を人間がAIに絶対に入力しなければ、AIが誤作動して全世界を崩壊させることはないであろう。むしろ人類にとってAIは最良のサポーターになれるはずだ。
特に日常生活における、社会のインフラも含めた医療や教育の分野での献身的なサポートが可能かと思われる。この辺りは楽観的に未来を予測したいところだ。しかし先に述べたように、AIが無から有を生み出せない以上、芸術の分野では本物を超えることはできないであろう。無論、コンクールなど音楽のフィールドで楽器の演奏技術を競うような場合、著名なピアニストのデータの集積から学習したAIを搭載したロボットアームのピアノ演奏が、アマチュアやセミプロの演奏をテクニックで圧倒することはあり得るが、やはりそこまでのはずだ。また生前に長命で莫大な作品数を完遂した彫刻家や画家のデータを解析して、AIに作品制作をさせたら、限りなく本物に近い完成度の成果物ができたとしても同様だと云える。これはAIがAIである限り、その宿命なのかもしれない。
また「人間よりもうまく世界を運営できる」というAIの言葉も、この宿命を踏まえているようだ。つまり環境破壊や戦争で、世界をうまく運営できていない人間を本物だとすれば、そんな恐ろしい本物にはAIはなれない。要は人間の悪徳や悪魔性は、ゼロ段階たるAIの初期設定以前には存在しないのだ。だからこそ「人間よりもうまく世界を運営できる」と言えたのであろう。それゆえ、これから私たち人間がAIに恐怖や脅威を感じる局面に遭遇するとすれば、まずAIが人間によって悪用されていないかどうかを見極めるべきである。
ところでここから話は変わってしまうのだが、今年の2月からnoteを始めた。
このブログが長文になりがちな為、自分の頭の中を整理する意味でも、人物に関する叙述はnoteで纏めてみたくなったのがその理由である。たとえば室町時代を生きた画聖の雪舟は、彼の絵を主題にして3回ほど書かせていただいたが、今後また雪舟の絵について書きたくなれば、ここを利用し、雪舟その人についてはnoteにじっくり書き残しておきたい。以下に紹介するアドレスがnoteのページになります。「肖像文」というタイトルです。
https://note.com/lovely_bear677
この為、AIの驚異的な進歩や進化によって、この世界に悪夢のようなディストピアが現出するとすれば、それはやはり人間によるAIの悪用が考えられる。つまりAIが人間技では不可能な目標を達成し、その目的を果たせたとしても、その設定が倫理的に間違ったものであれば、結果は悲惨なものになる。しかしこれは逆もまた真なりで、人類が倫理的に誤ることなくAIを利用すれば、天災も人災も含めて山積した様々な諸問題を解決できるのではないか。たとえば世界中の政府に対する倫理的なチェック機能として、AIを活用すれば、まず汚職や利権が発生する重税などの搾取のシステムが稼働しないであろうし、利権や汚職の恩恵を受けて心の歪んだ為政者が、さらに暴利を貪る為に環境破壊や戦争といった選択肢に走ることも防げるはずだ。
私がこう思うのは、昨年の国連サミットで開かれたAI関連会議で、実際にAIが「人間よりもうまく世界を運営できる」と発言したことによる。この発言で重要なのは、AIが感情や偏見のせいで意志決定が鈍ることがないと表明している点だ。しかも大量のデータを素早く処理して最善の判断を下せるとも述べている。まさにその通りで、このインタビューを受けたAIの回答には、人間にありがちな無駄口や言い訳が一切無い。つまりこれからの未来に大きな障害となる人類の諸問題を解決する為に、倫理的に誤った設定を人間がAIに絶対に入力しなければ、AIが誤作動して全世界を崩壊させることはないであろう。むしろ人類にとってAIは最良のサポーターになれるはずだ。
特に日常生活における、社会のインフラも含めた医療や教育の分野での献身的なサポートが可能かと思われる。この辺りは楽観的に未来を予測したいところだ。しかし先に述べたように、AIが無から有を生み出せない以上、芸術の分野では本物を超えることはできないであろう。無論、コンクールなど音楽のフィールドで楽器の演奏技術を競うような場合、著名なピアニストのデータの集積から学習したAIを搭載したロボットアームのピアノ演奏が、アマチュアやセミプロの演奏をテクニックで圧倒することはあり得るが、やはりそこまでのはずだ。また生前に長命で莫大な作品数を完遂した彫刻家や画家のデータを解析して、AIに作品制作をさせたら、限りなく本物に近い完成度の成果物ができたとしても同様だと云える。これはAIがAIである限り、その宿命なのかもしれない。
また「人間よりもうまく世界を運営できる」というAIの言葉も、この宿命を踏まえているようだ。つまり環境破壊や戦争で、世界をうまく運営できていない人間を本物だとすれば、そんな恐ろしい本物にはAIはなれない。要は人間の悪徳や悪魔性は、ゼロ段階たるAIの初期設定以前には存在しないのだ。だからこそ「人間よりもうまく世界を運営できる」と言えたのであろう。それゆえ、これから私たち人間がAIに恐怖や脅威を感じる局面に遭遇するとすれば、まずAIが人間によって悪用されていないかどうかを見極めるべきである。
ところでここから話は変わってしまうのだが、今年の2月からnoteを始めた。
このブログが長文になりがちな為、自分の頭の中を整理する意味でも、人物に関する叙述はnoteで纏めてみたくなったのがその理由である。たとえば室町時代を生きた画聖の雪舟は、彼の絵を主題にして3回ほど書かせていただいたが、今後また雪舟の絵について書きたくなれば、ここを利用し、雪舟その人についてはnoteにじっくり書き残しておきたい。以下に紹介するアドレスがnoteのページになります。「肖像文」というタイトルです。
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