NHKで現在放映中の大河ドラマは「鎌倉殿の13人」である。物語は平安時代末期から鎌倉時代初期を時代背景とし、主に東日本の坂東が舞台の群像劇だ。私はこの番組に物心つく前から付き合ってきた視聴者の1人だが、そうなってしまったのは、母の両親、つまり祖父母が歴史好きで、この大河ドラマの第1作「花の生涯」からの熱心なファンであったことによる。この為、小学生の頃から母の実家に帰省した折には、日曜日の夜になると大河ドラマが映っているテレビ画面に違和感なく見入っている自分がいた。それでも物語世界がはっきりと記憶に残りだしたのは、仲代達矢が平清盛の役で主演した「新・平家物語」からだと思う。
特に平家の世をつくり栄華を極め尽くした平清盛が、高熱に魘されたまま仁王立ちし、鬼のような形相で息耐えるシーンには、テレビドラマとはいえ、未だかつて体験したことのない戦慄を覚えた。つまりゴジラのような怪獣に匹敵するほどの大迫力だったわけである。そして小学生ではあっても、その衝撃の大きさからこの時代をもっと深く知りたいという願望が自然に生まれたようだ。それでも実際にこの大河ドラマの原作、吉川英治の歴史小説を読むのは大学生になってからなので、平家物語の素養は、学校の歴史の授業などよりも祖父母から聞かされた話がメインになった。今回貼り付けた画像も、手塚治虫のライフワーク「火の鳥」の乱世編から抜粋しているが、このスケールの大きい漫画を堪能できたのも、祖父母から学んだ歴史知識のお陰である。
通説だと平家物語は作者不詳で鎌倉時代に成立したといわれる。そして特筆すべきは盲目の琵琶法師たちが日本全国を回りながら、文字ではなくその法師が語る言葉と、琵琶を奏する音楽で物語を表現していたことだ。しかもその影響はかなり広範囲に及ぶ。まず皇族や貴族、それに武士といった支配階級だけではなく、一般民衆にも広く伝わった。恐らくその場に遭遇した人々は琵琶法師を介して、情景を脳裏に思い浮かべたり、登場人物に感情移入することで大いに空想の翼を広げれたはずである。
平家物語には、数々の印象的なシーンが存在するが、私が個人的に心に永く留めているのは、熊谷次郎直実のエピソードだ。それは彼が平敦盛と対決する場面で、立派な鎧兜に身を固めた敦盛を、直実はてっきり歴戦の強者で平家の勇猛な大将クラスだと思い込み、大手柄を立てるべく捕まえて投げ倒すのだが、兜を脱いだ敦盛の顔を目にして愕然とする。そこには直実の息子ほどのまだ若過ぎる青年の姿があった。そしてこの瞬間、直実は戦場にあっても、何かに突き動かされるようにして、覚悟を決めて自らの首を取れと直言する敦盛に対し、助けたい一心で逃げるよう訴えるのだ。源氏に仕えている鎌倉武士としては有り得ない行動だが、実は前日の戦いで直実の息子が敵の矢を受けて軽傷を負っていた。その時、直実は従軍する息子の傷が生死を左右するほどのものではなくとも、ひどく心を痛めてしまった。ゆえに敦盛の親の気持ちをリアルに想像せざるを得なくなる。それでも背後にはもう味方の軍勢が迫ってきており、泣く泣く直実は不本意ながら敦盛を討ち果たす。
こうした状況は多分、戦場において古今東西関係なく、その不条理に遭遇した兵士はいたと思われる。そしてこの直実の心の動きは間違いなく正しい。なぜなら彼は明らかに戦争の狂気から脱出できているからだ。平家物語において、この直実の心境と真逆なケースは「鎌倉殿の13人」でも描かれていた伊東祐親と平時子の孫殺しである。伊藤祐親は娘が産んだ源頼朝の子の千鶴丸を殺しているし、平清盛の正室で二位尼と称された時子は壇ノ浦の合戦で平家の敗北が確実になった時、慈しみ抱きかかえた孫の安徳天皇に、海の底にも美しい都があると告げて道連れに入水してしまう。この孫を無惨な死に追いやった2人の精神構造に通底するのは、一族の危急存亡や名誉の為ならば命など惜しくはないという儒教的社会通念だ。
そしてこの儒教的社会通念は現代の日本においても、近代以前ほどではないにせよ、コップの底に沈殿するようにまだ残っている。組織における上下尊卑、絶対服従が優先されてしまう形がそれだ。無論、平家でなければ人にあらずとまで公言できるほど隆盛した平家一族が仕切った世では、それが常識だからこそ、先に述べた平清盛の甥の敦盛も、恥を重んじて名を惜しみ、戦場からの逃亡を促す熊谷次郎直実を拒絶できたのだ。つまり平敦盛もまた、平時子や伊東祐親と同様に生命の重みを忘れ決然と捨ててしまっている。
奢る平家が源氏に滅ぼされていく戦乱の渦中にあって、その群像の多くは戦時下における暴力が不可避だと決め込んでいるようだ。では熊谷次郎直実の一瞬の気付きは突然変異であろうか。否、そうではないはずである。直実の場合、息子の負傷が起点だとはいえ、それがなかったとしても彼の心には戦争を放棄する種を宿していたように思える。平家が滅亡して源平の争乱が治まった後、熊谷次郎直実は暫くして息子に家督を譲り出家した。仏門に入る決心には、敦盛を殺めてしまった過失もかなり影響したようだ。浄土宗の開祖法然の門弟となり法力房蓮生と称している。
ここからは今回載せた画像「火の鳥」について述べてみたい。「火の鳥」は作者の手塚治虫も語っているとおり、彼のライフワークであり漫画家としての不屈の執念さえ感じさせる不朽の名作だ。恐らく漫画の神様と賞賛された彼が最も残したかったメッセージが如実に現れているのではないか。手塚治虫は1928年生まれの典型的な戦中派世代であり、青少年期に過酷な勤労奉仕を経験したり、大阪大空襲に遭遇している。また彼が漫画を描きながらも医者を志望し、大学で医師免許を取得したのは、世界が地獄を見るほどの悲惨な戦争で莫大な戦死者を出し、散々に蔑ろにされた生命を敬う気持ちが人一倍強かったからだと思われる。
「火の鳥」は手塚治虫が1989年に他界された為に未完の大作になってしまったが、この大長編で大変興味深いのは、物語の構造が古代と未来から始まって現代で完結する構成になっているところだ。第1巻の黎明編では古代日本列島の邪馬台国に支配された世界が、第2巻の未来編ではコンピュータに支配された人類が滅亡寸前の世界がそれぞれ現出する。そして過去と未来の物語が交互に現れて最終的に現代で重なり、その全貌が顕現するのだ。しかしどうも手塚治虫自身は「火の鳥」が未完で終わる可能性を視野に入れていたような形跡がある。なぜなら現代を舞台に創造した他の作品にも、ライフワークの「火の鳥」と相通じる強い軸が存在するからだ。特に第2次世界大戦から中東の紛争までを描いた「アドルフに告ぐ」には、火の鳥のような超越的生命体は登場しないが、そのメッセージは十二分に共有されていた。
それは人類最悪の恒常的な愚行、戦乱と搾取の否定であり、そこには人間社会に対する悲観主義さえをも感じさせる。また物語の狂言回しのような役割の火の鳥は、地球上だけではなく宇宙空間も自由自在に飛び交い、しかも時空を超えて移動し、人の世に警鐘を鳴らし続ける。その有様はまるでキリスト教やイスラム教の神のようだ。そして人々に釈迦が到達した悟りや高次の良心を、つまり仏性を期待する姿は仏教的といってもよい。しかし決して宗教を過大評価しているわけではなく、権威や権力に宗教が悪用されてしまう悲しい現実も見事に描き出している。
この壮大な物語において、火の鳥の生き血を飲んだ者は不老不死になるという伝説が存在するのだが、この設定によって手塚治虫は生命の尊厳を最大限に訴えている。それを逆説的に象徴するように火の鳥の捕獲を目論む人々は時の権力者ばかりであり、彼らは例外なく自分以外の生命をどうしようもなく軽視する連中だ。この源平の争乱の時代が描かれた乱世編では権力の頂点に座す平清盛がまさにそれである。また陰謀好きで天下の大天狗と呼ばれた後白河法皇、目的の為には手段を選ばない冷徹な源頼朝、軍事的天才で戦争オタクのような源義経も所詮は平清盛と同じ穴の狢の存在感で立ち現れてくる。
この後白河法皇、平清盛、源頼朝、源義経といった人々は、いってみれば儒教を礎とした社会構造によって支配層に居座っており、彼ら日本史の主役級の人物を批判的に描いた手塚治虫は、理想主義的でかなり問題意識の強い人だ。こういった表現者としての誠実な姿勢は、作品世界が偽善ではないヒューマニズムにも溢れており、後に続く多くの漫画家たちにも大きな影響を与えた。そして2度の世界大戦に参戦した大日本帝国の支配下で青年期までを過ごした彼は、敗戦という現実を直視して目が覚めた時、それまで帝国を教条的に支えていた儒教的社会通念に相当な疑念を抱いたはずである。
琵琶法師によって伝えられた平家物語は、実のところ鎌倉幕府による演出という説が濃厚だ。その目的は平清盛及び平家を悪者にし、それを倒した源氏は正義の味方であり、棟梁の源頼朝が征夷大将軍になって開いた鎌倉幕府の正当性を強固に示したかったからである。それゆえ、源氏の嫡流の将軍が途絶えた後も、源氏を祭り上げて親族にもなった執権の北条氏の権威と権力は揺るがなかった。要は朝廷からの御恩を忘れて後白河法皇を幽閉までした平清盛は不忠の極悪非道であり、そんな平家の世は滅びて当然だと儒教的に解釈して民衆の洗脳を図ったわけだ。
しかしながら、実際に平家物語を受容した被支配層の民衆の側からすれば、事情はかなり違っていたように思われる。これは鎌倉時代にこの平家物語も、鎮護国家の枠を越えて仏教が民衆の視点で布教される契機になったからである。先に述べたように平家物語には、心に迫る印象的なシーンが多く、それらは儒教的な勧善懲悪では殆ど説明できない。朝廷や幕府の大半はそれに気付こうともしなかったのかもしれないが、琵琶法師の奏でる琵琶の響きと物語を語るその言葉からは、仏教的な無常観やもののあわれを感じた人々の方がずっと多かったのではないか。
そして手塚治虫版「平家物語」といっても差し支えない「火の鳥」の乱世編にも、無常観やもののあわれは通奏低音のようにして物語全体に流れている。特に目を引くのは、一般的な平家物語では有り得ない武蔵坊弁慶の脚色だ。これこそ手塚治虫のストーリーテラーとしての真骨頂であろう。私が「火の鳥」のシリーズで繰り返しよく読んだのは鳳凰編と復活編だが、歴史上に実在した人物が多数登場するのは、この乱世編ではないか。まだ手塚治虫の漫画を読んだことがない人には、「火の鳥」は大変お薦めできる作品である。
特に平家の世をつくり栄華を極め尽くした平清盛が、高熱に魘されたまま仁王立ちし、鬼のような形相で息耐えるシーンには、テレビドラマとはいえ、未だかつて体験したことのない戦慄を覚えた。つまりゴジラのような怪獣に匹敵するほどの大迫力だったわけである。そして小学生ではあっても、その衝撃の大きさからこの時代をもっと深く知りたいという願望が自然に生まれたようだ。それでも実際にこの大河ドラマの原作、吉川英治の歴史小説を読むのは大学生になってからなので、平家物語の素養は、学校の歴史の授業などよりも祖父母から聞かされた話がメインになった。今回貼り付けた画像も、手塚治虫のライフワーク「火の鳥」の乱世編から抜粋しているが、このスケールの大きい漫画を堪能できたのも、祖父母から学んだ歴史知識のお陰である。
通説だと平家物語は作者不詳で鎌倉時代に成立したといわれる。そして特筆すべきは盲目の琵琶法師たちが日本全国を回りながら、文字ではなくその法師が語る言葉と、琵琶を奏する音楽で物語を表現していたことだ。しかもその影響はかなり広範囲に及ぶ。まず皇族や貴族、それに武士といった支配階級だけではなく、一般民衆にも広く伝わった。恐らくその場に遭遇した人々は琵琶法師を介して、情景を脳裏に思い浮かべたり、登場人物に感情移入することで大いに空想の翼を広げれたはずである。
平家物語には、数々の印象的なシーンが存在するが、私が個人的に心に永く留めているのは、熊谷次郎直実のエピソードだ。それは彼が平敦盛と対決する場面で、立派な鎧兜に身を固めた敦盛を、直実はてっきり歴戦の強者で平家の勇猛な大将クラスだと思い込み、大手柄を立てるべく捕まえて投げ倒すのだが、兜を脱いだ敦盛の顔を目にして愕然とする。そこには直実の息子ほどのまだ若過ぎる青年の姿があった。そしてこの瞬間、直実は戦場にあっても、何かに突き動かされるようにして、覚悟を決めて自らの首を取れと直言する敦盛に対し、助けたい一心で逃げるよう訴えるのだ。源氏に仕えている鎌倉武士としては有り得ない行動だが、実は前日の戦いで直実の息子が敵の矢を受けて軽傷を負っていた。その時、直実は従軍する息子の傷が生死を左右するほどのものではなくとも、ひどく心を痛めてしまった。ゆえに敦盛の親の気持ちをリアルに想像せざるを得なくなる。それでも背後にはもう味方の軍勢が迫ってきており、泣く泣く直実は不本意ながら敦盛を討ち果たす。
こうした状況は多分、戦場において古今東西関係なく、その不条理に遭遇した兵士はいたと思われる。そしてこの直実の心の動きは間違いなく正しい。なぜなら彼は明らかに戦争の狂気から脱出できているからだ。平家物語において、この直実の心境と真逆なケースは「鎌倉殿の13人」でも描かれていた伊東祐親と平時子の孫殺しである。伊藤祐親は娘が産んだ源頼朝の子の千鶴丸を殺しているし、平清盛の正室で二位尼と称された時子は壇ノ浦の合戦で平家の敗北が確実になった時、慈しみ抱きかかえた孫の安徳天皇に、海の底にも美しい都があると告げて道連れに入水してしまう。この孫を無惨な死に追いやった2人の精神構造に通底するのは、一族の危急存亡や名誉の為ならば命など惜しくはないという儒教的社会通念だ。
そしてこの儒教的社会通念は現代の日本においても、近代以前ほどではないにせよ、コップの底に沈殿するようにまだ残っている。組織における上下尊卑、絶対服従が優先されてしまう形がそれだ。無論、平家でなければ人にあらずとまで公言できるほど隆盛した平家一族が仕切った世では、それが常識だからこそ、先に述べた平清盛の甥の敦盛も、恥を重んじて名を惜しみ、戦場からの逃亡を促す熊谷次郎直実を拒絶できたのだ。つまり平敦盛もまた、平時子や伊東祐親と同様に生命の重みを忘れ決然と捨ててしまっている。
奢る平家が源氏に滅ぼされていく戦乱の渦中にあって、その群像の多くは戦時下における暴力が不可避だと決め込んでいるようだ。では熊谷次郎直実の一瞬の気付きは突然変異であろうか。否、そうではないはずである。直実の場合、息子の負傷が起点だとはいえ、それがなかったとしても彼の心には戦争を放棄する種を宿していたように思える。平家が滅亡して源平の争乱が治まった後、熊谷次郎直実は暫くして息子に家督を譲り出家した。仏門に入る決心には、敦盛を殺めてしまった過失もかなり影響したようだ。浄土宗の開祖法然の門弟となり法力房蓮生と称している。
ここからは今回載せた画像「火の鳥」について述べてみたい。「火の鳥」は作者の手塚治虫も語っているとおり、彼のライフワークであり漫画家としての不屈の執念さえ感じさせる不朽の名作だ。恐らく漫画の神様と賞賛された彼が最も残したかったメッセージが如実に現れているのではないか。手塚治虫は1928年生まれの典型的な戦中派世代であり、青少年期に過酷な勤労奉仕を経験したり、大阪大空襲に遭遇している。また彼が漫画を描きながらも医者を志望し、大学で医師免許を取得したのは、世界が地獄を見るほどの悲惨な戦争で莫大な戦死者を出し、散々に蔑ろにされた生命を敬う気持ちが人一倍強かったからだと思われる。
「火の鳥」は手塚治虫が1989年に他界された為に未完の大作になってしまったが、この大長編で大変興味深いのは、物語の構造が古代と未来から始まって現代で完結する構成になっているところだ。第1巻の黎明編では古代日本列島の邪馬台国に支配された世界が、第2巻の未来編ではコンピュータに支配された人類が滅亡寸前の世界がそれぞれ現出する。そして過去と未来の物語が交互に現れて最終的に現代で重なり、その全貌が顕現するのだ。しかしどうも手塚治虫自身は「火の鳥」が未完で終わる可能性を視野に入れていたような形跡がある。なぜなら現代を舞台に創造した他の作品にも、ライフワークの「火の鳥」と相通じる強い軸が存在するからだ。特に第2次世界大戦から中東の紛争までを描いた「アドルフに告ぐ」には、火の鳥のような超越的生命体は登場しないが、そのメッセージは十二分に共有されていた。
それは人類最悪の恒常的な愚行、戦乱と搾取の否定であり、そこには人間社会に対する悲観主義さえをも感じさせる。また物語の狂言回しのような役割の火の鳥は、地球上だけではなく宇宙空間も自由自在に飛び交い、しかも時空を超えて移動し、人の世に警鐘を鳴らし続ける。その有様はまるでキリスト教やイスラム教の神のようだ。そして人々に釈迦が到達した悟りや高次の良心を、つまり仏性を期待する姿は仏教的といってもよい。しかし決して宗教を過大評価しているわけではなく、権威や権力に宗教が悪用されてしまう悲しい現実も見事に描き出している。
この壮大な物語において、火の鳥の生き血を飲んだ者は不老不死になるという伝説が存在するのだが、この設定によって手塚治虫は生命の尊厳を最大限に訴えている。それを逆説的に象徴するように火の鳥の捕獲を目論む人々は時の権力者ばかりであり、彼らは例外なく自分以外の生命をどうしようもなく軽視する連中だ。この源平の争乱の時代が描かれた乱世編では権力の頂点に座す平清盛がまさにそれである。また陰謀好きで天下の大天狗と呼ばれた後白河法皇、目的の為には手段を選ばない冷徹な源頼朝、軍事的天才で戦争オタクのような源義経も所詮は平清盛と同じ穴の狢の存在感で立ち現れてくる。
この後白河法皇、平清盛、源頼朝、源義経といった人々は、いってみれば儒教を礎とした社会構造によって支配層に居座っており、彼ら日本史の主役級の人物を批判的に描いた手塚治虫は、理想主義的でかなり問題意識の強い人だ。こういった表現者としての誠実な姿勢は、作品世界が偽善ではないヒューマニズムにも溢れており、後に続く多くの漫画家たちにも大きな影響を与えた。そして2度の世界大戦に参戦した大日本帝国の支配下で青年期までを過ごした彼は、敗戦という現実を直視して目が覚めた時、それまで帝国を教条的に支えていた儒教的社会通念に相当な疑念を抱いたはずである。
琵琶法師によって伝えられた平家物語は、実のところ鎌倉幕府による演出という説が濃厚だ。その目的は平清盛及び平家を悪者にし、それを倒した源氏は正義の味方であり、棟梁の源頼朝が征夷大将軍になって開いた鎌倉幕府の正当性を強固に示したかったからである。それゆえ、源氏の嫡流の将軍が途絶えた後も、源氏を祭り上げて親族にもなった執権の北条氏の権威と権力は揺るがなかった。要は朝廷からの御恩を忘れて後白河法皇を幽閉までした平清盛は不忠の極悪非道であり、そんな平家の世は滅びて当然だと儒教的に解釈して民衆の洗脳を図ったわけだ。
しかしながら、実際に平家物語を受容した被支配層の民衆の側からすれば、事情はかなり違っていたように思われる。これは鎌倉時代にこの平家物語も、鎮護国家の枠を越えて仏教が民衆の視点で布教される契機になったからである。先に述べたように平家物語には、心に迫る印象的なシーンが多く、それらは儒教的な勧善懲悪では殆ど説明できない。朝廷や幕府の大半はそれに気付こうともしなかったのかもしれないが、琵琶法師の奏でる琵琶の響きと物語を語るその言葉からは、仏教的な無常観やもののあわれを感じた人々の方がずっと多かったのではないか。
そして手塚治虫版「平家物語」といっても差し支えない「火の鳥」の乱世編にも、無常観やもののあわれは通奏低音のようにして物語全体に流れている。特に目を引くのは、一般的な平家物語では有り得ない武蔵坊弁慶の脚色だ。これこそ手塚治虫のストーリーテラーとしての真骨頂であろう。私が「火の鳥」のシリーズで繰り返しよく読んだのは鳳凰編と復活編だが、歴史上に実在した人物が多数登場するのは、この乱世編ではないか。まだ手塚治虫の漫画を読んだことがない人には、「火の鳥」は大変お薦めできる作品である。
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