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ペルシャについて

2021-11-30 23:35:38 | 日記
紀元前6世紀に勃興し、約200年の栄華を極めたアケメネス朝ペルシャは、とてつもなく広大な版図を誇った史上初の世界帝国である。そして人類の曙たる4大文明のうち、エジプトとメソポタミアとインダスの農耕先進地帯3つを抑えて、多民族、多宗教、多人種を吸収しながら、徴税や交通網のインフラを整備した機関システムは近現代における超大国を連想させる。そして、現代の宗教国家イランはこのアケメネス朝ペルシャ以降のイラン高原を郷土とし栄枯盛衰を繰り返したペルシャ人の大国群の末裔だ。

私たち現代人が抱く西アジアから中東にかけてのイランのイメージは、イスラム世界におけるシーア派を代表する地域大国であり、昔日のアケメネス朝ペルシャの面影はない。それは紀元後の7世紀にアラビア半島から津波のように広まったイスラム教の勢力に飲み込まれた結果なのだが、興味深いのはイスラム世界の一員になってからも、ペルシャ民族は確固たる存在感を歴史に刻んできたことだ。特に意外に思われるかもしれないが、中国やインドほどではないにせよ、ペルシャの文物は遠い昔から波濤を超えて日本にも届けられてきた。

今回のブログ記事に載せた写真は、アケメネス朝ペルシャ時代のレリーフである。ところが壁面に彫刻された横顔の男性像はペルシャ人とは違う。彼らは朝貢すべく諸外国からこの地を訪れた使者だ。よく見ると判別できるのだが、鼻がペルシャ人ほど高くはなく、多分アラビアかアフリカの人々のような印象を受ける。そして注目して頂きたいのは、この2人の男性の頭上に彫られた蓮華紋のようなデザインだ。この模様は日本人にはとても馴染み深い形である。

アレキサンダー大王にアケメネス朝ペルシャが滅ぼされたのは、紀元前4世紀辺りなので、その頃の日本列島はまだ本格的に大陸から農耕技術が伝わっていない縄文時代であった。したがって紀元後に成立した国家間の海外貿易で、この円形デザインを施した工芸品を含めた様々な文物が公的に輸入されてきたはずだ。恐らくインドを経て中央アジアからシルクロードを経由し、中国に一旦は収められてから朝鮮半島に移動して、それから日本海を渡って辿り着いたと思われる。

前回と前々回の記事にもアケメネス朝ペルシャのことを書かせてもらったが、この古代における超大国は、その後に出現した幾つかの世界帝国の見本になった形跡がある。良きにつけ悪きにつけ、その要素が非常に強かった。そして滅亡後、稲妻のような破壊者の役割を終えて急死したアレキサンダー大王の後継者3人が、この帝国領を3分割して統治し、アンティゴノス朝マケドニアとプトレマイオス朝エジプトとセレウコス朝シリアを合わせた全域、つまりインダス川流域から中央アジア、西アジア、中東、北アフリカを経てバルカン半島の地中海沿岸に至る一帯は、ペルシャ色からギリシャ色に塗り替えられてヘレニズム世界が現出したと力説されている。しかし事実はそんな単純ではない。そもそもアレキサンダー大王の大東征が短期間で成功した要因として、アケメネス朝ペルシャの整備された帝国交通網の利用があげられる。つまりペルシャの超大国を侵略したギリシャ連合軍は、逆説的にペルシャが進歩的な文明園であったことを立証したわけだ。

ここで時代を遡りたい。ペルシャ民族は元々、農耕ではなく遊牧の民であった。この為、定住せずに移動しつつ小集団から国家を形成するほどの大集団に変化してきたと思われる。歴史的に農耕民族が築いた大帝国が遊牧民族に侵略されて滅亡するのはよくあるパターンだが、アケメネス朝ペルシャの成立もこの例外ではない。そして侵略した側の遊牧民族が崩壊した帝国を継承する形で、本来の遊牧の民からいつしか逸脱していくわけだ。

アケメネス朝ペルシャの場合、メソポタミア文明の本家本元のようなバビロニアの王朝を倒してその後釜に座ることで、遊牧民の機動性を活かしながら領土を拡大し、巨大帝国へと変貌を遂げる。このようにしてペルシャ人は史上初の世界帝国の担い手となるわけだが、滅亡までの期間が200年以上も続いた事実は、優れた長所も有していたことを認めざるを得ない。そこで鍵になるのが、この蓮華の花のようなデザインである。

この最古のデザインらしき形状のルーツは、古代エジプト文明において創造された。そして実のところ、この模様は蓮華に似てはいてもその実態は睡蓮であり、その睡蓮が蓮華に変化してしまうのは、インドに伝わって仏教の影響が反映されて以降のことだ。私たち日本人がこれを見て自然と思い浮かべてしまうのは、仏様が座る台座のイメージである。しかし花びらが円環状に繋がったこのデザインには、もっと象徴的な意味があるようにも思えるのだ。それはアケメネス朝ペルシャに朝貢してきた使者たちが、各々東西南北の世界各地から参集して来ており、多様な人々が中心を囲んで輪になり手を繋ぐ平和的な外交の姿だ。

そしてアケメネス朝ペルシャは、政治的には中央集権的ではあっても、文化的には地方分権的であった。特に支配地域においても多様な文化を尊重する姿勢は、先に述べたように、その後の歴史に登場してきた多くの世界帝国が見習った良質な点である。恐らくアケメネス朝ペルシャよりも短命に終わってしまった世界帝国は、そうした寛容性に欠けていたように思える。ただこの長所とは逆に強固に中央集権的な徴税システムは、官が民を大いに苦しめた可能性がある。つまり少数の支配階級が腐敗して贅沢に溺れ、大多数の被支配階級から貪るように搾取を続けていれば、それはやはり悪質な短所でしかないからだ。

アケメネス朝ペルシャは、国家宗教という思想的インフラを構築しなかったようだが、ペルシャ人は古来よりゾロアスター教を信仰していた。これはインド人のヒンズー教やユダヤ人のユダヤ教のように、ペルシャ人に特有の民族宗教である。そしてアケメネス朝ペルシャの時代、ゾロアスター教に深く帰依していたのは、主に支配階級であったようだ。ここから推測できるのは、為政者の意志決定に大きな影響を及ぼしていたということである。

ゾロアスター教はインドや中国にも伝来し、驚くべきことに日本にも伝わっていた。尤もそれは、古代において国際親善で訪れた外交使節のペルシャの要人がゾロアスター教徒であったというだけで、仮にその後に日本に定住したとしても、日本国内で積極的に布教が行われた史実はない。漢訳すると拝火教と呼ばれ、有名な宗教儀式は死者の埋葬形式が鳥葬という珍しい点で、歴史好きならば、なるほどあの宗教かと思い当たる人は多少なりともいるはずだ。ただしこのゾロアスター教は世界宗教と違う民族宗教ではあっても、世界宗教の仏教やキリスト教やイスラム教よりも起源が古い。そして預言者が神の啓示を受けて始まった啓示宗教だ。この為、ゾロアスター教はユダヤ教以降の一神教に強い影響を与えたとも云われている。

ところが先に述べたように、アケメネス朝ペルシャはゾロアスター教を国家宗教にはしなかった。徴税や交通網のインフラは確りと整備していたにも関わらずである。そしてここが肝心だが、それゆえに文化的には多様性を容認する地方分権が成り立ったのだ。実際にゾロアスター教の教義を法制化して、多宗教を弾圧したり、多民族の風習を禁止してはいない。恐らく神の名の下に官が民を過度にマインドコントロールで締め付けるような、愚策を避ける賢明さを持っていたのだ。

むしろこの時代のゾロアスター教は国家宗教とは異質の、国王や貴族それに祭司も含めた為政者が行動規範として身に付けるべき倫理観に近い。特に支配階級が重視したのは、以下に述べるこの点である。それは生涯において、富を習得する為の実践が説かれている部分で、しかも大変シンプルでわかりやすい、この宗教の基本理念だ。そこでは3つの徳の実践が求められている。善思と善語と善行である。

善思とは善き考え、物事を邪に捉えないこと。善語とは善き言葉、他人も自己も傷つけない言葉を語ること。善行とは善き行い、他人も自己をも害しない行動をすること。総じて、社会及び世界をより良くしようという善き考えや善き言葉を持って善き行動をしましょうということである。これは遥か昔の古代だけではなく、現代を生きる私たちも見習うべき倫理観ではないか。そして多分、この3つの徳を実践できる人々は、人生において心を鬼にして過酷な競争を勝ち抜くことなどせずとも、自然と良質な人間関係にも恵まれ、他者を利用し踏み台や犠牲にすることなく、自分自身が誠実に目標とした成功の地点に辿り着けるはずである。

それでは何故、このようなゾロアスター教徒の支配階級に統治されていたアケメネス朝ペルシャが滅びたのか。それはやはり栄華を極めた末に3つの徳を見失い、忘れてしまったからであろう。事実、それを証明するように、アレキサンダー大王がこの巨大で強大な帝国首都を陥落させた折、宮殿に貯蔵されていた莫大な富、金銀財宝の山を運び出す為に要した労力は、人間の重労働も含めてロバ1万頭とラクダ5000頭という破格の有様であった。まさに空前絶後の贅沢が白日の元に晒されたわけだが、この光景に一番呆れ果てたのは帝国領民の下々の人々であろう。

ここでまたゾロアスター教の3つの徳を振り返りたい。ここ数日にコロナの新しい変異株が確認された。感染力の増加を伴う多重変異する手強いオミクロン株だ。これで今後もコロナ禍がまだまだ続くのは自明の理になってしまうが、世界中の政治家や官僚には、善思と善語と善行を肝に銘じて頂きたい。なぜならこの3つの徳は、パンデミックの危機においても、為政者の意志決定に活かせるからである。特に国を動かせるほどの権力を持つ指導者たちが疑心暗鬼に陥らない為には、善思の徳は有効であるし、互いを敵視して攻撃的な言葉で猛批判を浴びせ合うことも、善語の徳の感覚で防げるはずだ。そして何より善行の徳を認識すれば、極端な格差や環境破壊といった地球の残酷な現実を修正する為の具体的な行動を起こせる。政府の国民への大規模な財政出動などはその好例だ。まず先立つのは公助であり、その次に共助と自助が来るのが筋であるし、成長するにはその前に分配が必要となる。

昨年のバンデミックの発生以降、この危機を乗り越える為には、どうやら私たちは現代文明を根本から見直すことを余儀なくされているようだ。ゾロアスター教の3つの徳は大昔のペルシャから生まれたものだが、その後の世界宗教、仏教とキリスト教とイスラム教にも影響力を発揮したと思われる。そして宗教だけではなく、ゾロアスター教は皮肉なことにアケメネス朝ペルシャを滅ぼしたアレキサンダー大王の家庭教師アリストテレスを含めた古代ギリシャの哲学者たちにも少なからず影響を与えていた。しかもそのアリストテレスに繋がる近代の西洋哲学者ニーチェの名著「ツァラトゥストラはかく語りき」のツァラトゥストラとはゾロアスターのことである。要は太古のペルシャには人類の叡知が眠っていたのだ。現代の私たちは、日常社会を草の根レベルでもより良き方向へ導く為に、今こそこの3つの徳を日々の暮らしにおいて、気負うことなく自然体で生かしていくべきであろう。

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