今年のノーベル平和賞は、被団協(日本原水爆被害者団体協議会)が受賞した。これは今、世界中で戦禍が増す中、大変な朗報であり、この受賞が戦争による忌まわしい殺戮が止む契機となることを切に願う。またこの壮挙によって、現実に被爆した過酷で悲惨な体験を持つ人々の核廃絶を訴え続けてきた、骨身を削るような不断の努力こそが、為政者の核兵器使用という凶行を許さないブレーキであったことが明確になった。実際に第2次世界大戦が終わって以降、核戦争が勃発せず、国際世論で核のタブーが確立した事実が何よりもその証である。
しかしながら今回の受賞で初めて、被団協の存在を知った人々も地球規模でいえば多かったはずだ。それゆえ、この素晴らしい受賞が世界的な反戦の潮流となることを期待せずにはおれない。特に日本政府はこれを機に、ずっと批准を回避してきた核兵器禁止条約に、重い腰を上げて加わるべきであろう。世界で唯一の被爆国である以上は、当然のこと批准を実現化すべく、米国政府に粘り強く交渉してはどうか。核の傘に入っていても、いずれはこの傘を取り去る日が来ることを肝に銘じて、原発ビジネスなどはもう論外とし、それこそ被団協の人々の不屈の精神と行動力を見習い、人類全体が核廃絶を総意として目指せる段階に進めていただきたい。
また東日本大震災において福島第1原子力発電所事故が発生したように、核被害は戦争による人災だけではなく天災との連動でも起こり得る。核の管理が人間の所業の範囲である限り、それは完全無欠ではない。つまり為政者が考えているほど万全ではなく、人災でも天災でも被爆してしまった日本の政府は本来なら、核の危険性を国際政治の場でもっと真摯に警告していくべきなのだ。そしてその為には、戦争の被害者としての記憶だけではなく、加害者としての記憶も国際社会で潔く表明していく必要がある。
実際、市民レベルの国際的な対話の場で、1945年の広島と長崎の話になると、原爆投下は戦争を終わらせる為に仕方なくそうなったという諸外国からのコメントも出てくるが、これはやはり日本の海外侵略における加害者意識が弱いからではないか。つまり日本政府が加害者としての反省を侵略した国々に対して曖昧ではなく、もっと具体的に示していたら、こうした事情は変わっていたようにさえ思える。要は両国にとって不幸な時代があったなどという煙に巻いた言い方ではなく、あの時は侵略して領土を占領した自分達が悪かった、御免なさいと正直にそう言えば良い。こうした明白な謝罪があれば、被団協の人々の大変な苦労も幾らかは軽減されていた可能性はある。
また被団協の歩みは反核反戦の重大性のみならず、日本社会の様々な問題点も浮き彫りにしてきた。まず被曝者が不条理な差別や偏見の対象になってしまったのは、古来から日本社会に根強く残る、同調圧力と村八分の集団意識であろう。このせいで、被曝者は原爆の外傷から異形視され、そのダメージは想像の域を遥かに超えている。しかしそうした痛切の念さえも起動点として、1945年の長崎を人類最後の核攻撃の被爆地にすべく、全身全霊をかけて反核反戦を貫き通されてきた。
そして広島や長崎の被曝者は、何も日本人だけではない。連合国の捕虜やアジア諸国からの移民など外国籍の人々も、その地でこの最大規模の惨劇に遭遇している。つまり核廃絶は日本だけではなく人類全体が共有できる、戦争を根絶する為に必要な命題である。生あるものに必ず死が訪れる以上、地球上の全ての被曝者の方々も、何れこの世から去っていかれてしまう。ただ今回、この受賞の報道で心強かったのは、被曝経験の無い若者が確りと被団協の意志を継いでいることだ。記者会見では代表の箕枚智之さんと共に、ノーベル賞委員会からの最高の賛辞に、素直に喜んで謙虚に微笑んでいた。この姿に確かな希望の連鎖を感じた。そしてそれは戦争が生む憎悪の連鎖とは真逆のものである。
しかしながら今回の受賞で初めて、被団協の存在を知った人々も地球規模でいえば多かったはずだ。それゆえ、この素晴らしい受賞が世界的な反戦の潮流となることを期待せずにはおれない。特に日本政府はこれを機に、ずっと批准を回避してきた核兵器禁止条約に、重い腰を上げて加わるべきであろう。世界で唯一の被爆国である以上は、当然のこと批准を実現化すべく、米国政府に粘り強く交渉してはどうか。核の傘に入っていても、いずれはこの傘を取り去る日が来ることを肝に銘じて、原発ビジネスなどはもう論外とし、それこそ被団協の人々の不屈の精神と行動力を見習い、人類全体が核廃絶を総意として目指せる段階に進めていただきたい。
また東日本大震災において福島第1原子力発電所事故が発生したように、核被害は戦争による人災だけではなく天災との連動でも起こり得る。核の管理が人間の所業の範囲である限り、それは完全無欠ではない。つまり為政者が考えているほど万全ではなく、人災でも天災でも被爆してしまった日本の政府は本来なら、核の危険性を国際政治の場でもっと真摯に警告していくべきなのだ。そしてその為には、戦争の被害者としての記憶だけではなく、加害者としての記憶も国際社会で潔く表明していく必要がある。
実際、市民レベルの国際的な対話の場で、1945年の広島と長崎の話になると、原爆投下は戦争を終わらせる為に仕方なくそうなったという諸外国からのコメントも出てくるが、これはやはり日本の海外侵略における加害者意識が弱いからではないか。つまり日本政府が加害者としての反省を侵略した国々に対して曖昧ではなく、もっと具体的に示していたら、こうした事情は変わっていたようにさえ思える。要は両国にとって不幸な時代があったなどという煙に巻いた言い方ではなく、あの時は侵略して領土を占領した自分達が悪かった、御免なさいと正直にそう言えば良い。こうした明白な謝罪があれば、被団協の人々の大変な苦労も幾らかは軽減されていた可能性はある。
また被団協の歩みは反核反戦の重大性のみならず、日本社会の様々な問題点も浮き彫りにしてきた。まず被曝者が不条理な差別や偏見の対象になってしまったのは、古来から日本社会に根強く残る、同調圧力と村八分の集団意識であろう。このせいで、被曝者は原爆の外傷から異形視され、そのダメージは想像の域を遥かに超えている。しかしそうした痛切の念さえも起動点として、1945年の長崎を人類最後の核攻撃の被爆地にすべく、全身全霊をかけて反核反戦を貫き通されてきた。
そして広島や長崎の被曝者は、何も日本人だけではない。連合国の捕虜やアジア諸国からの移民など外国籍の人々も、その地でこの最大規模の惨劇に遭遇している。つまり核廃絶は日本だけではなく人類全体が共有できる、戦争を根絶する為に必要な命題である。生あるものに必ず死が訪れる以上、地球上の全ての被曝者の方々も、何れこの世から去っていかれてしまう。ただ今回、この受賞の報道で心強かったのは、被曝経験の無い若者が確りと被団協の意志を継いでいることだ。記者会見では代表の箕枚智之さんと共に、ノーベル賞委員会からの最高の賛辞に、素直に喜んで謙虚に微笑んでいた。この姿に確かな希望の連鎖を感じた。そしてそれは戦争が生む憎悪の連鎖とは真逆のものである。
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