世界的な指揮者として著名な小澤征爾さんが2月6日に他界された。この場を借りて衷心よりご冥福をお祈り致します。長きに渡って、素晴らしいクラシック音楽の贈り物を届けてくださり、ありがとうございました。
小澤さんはライオンのような風貌のインパクトが強く、オーケストラの指揮棒を振るキャラクターとしての存在感は抜群であったが、テレビなどのメディアで実際にインタビューを受けている姿を拝見する限り、その親しみ易い語り口調から猛獣のイメージとは真逆の、大らかで優しい人柄を感じた。正直、小澤さんが指揮するオーケストラのコンサートに足を運んだことも無い身で恐縮だが、ベートーベンの有名な交響曲第5番「運命」とシューベルトの交響曲第8番「未完成」を全編に渡って聴いたのは、この人が指揮したシカゴ交響楽団の演奏が最初である。これは父が持っていたレコードで、そのジャケットにはカメラ目線ではない実直な横顔を向けている、赤い薄手のセーターを着た若々しい日本人男性、小澤征爾その人が写っていた。もう1970年代の昔話なので、そのレコードについて父と何を話したのかは明確に覚えていない。しかし小学生であった私は、世界で活躍する日本人のオーケストラの指揮者がいることに驚き、多分その事実に関しての話をしていたように思う。そして私の質問に対する、父の小澤征爾に対する評価は高かった。そしてこれは母も同様であった。つまり小澤征爾は素晴らしい音楽家なのだと。
私の両親はこのブログでも追悼した大江健三郎さんや、小澤征爾さんとほぼ同世代である。特に母は旧満州の生まれで、第二次世界大戦後は戦争難民の状態で中国大陸から引き揚げて来た。小澤さんも旧満州の生まれだが、日本の敗戦に遭わずして1941年に帰国されており、母のような難民の窮状を経験しなかったであろうが、母は音楽家としての小澤さんの人生に親密感を抱いていたようだ。ひょっとするとベートーベンとシューベルトの代表的な交響曲が収録されたレコードは、母に頼まれて父が購入したものなのかもしれない。今となっては鬼籍に入っている両親に、それを確認するわけにもいかず真実は謎のままだが、私にとってこのレコードがクラシックを親しむ入門書のような役割を果たしてくれたことは事実である。
私個人が聴く音楽の領域においては、邦楽よりも洋楽の方が遥かに広大だ。ただクラシックの分野は現代音楽も含めて、ジャズやロックに比べると狭い範囲に収まっている。それでも、仮にこのクラシックを聴くことを禁じる社会が到来したら、それは非常に困った事態である。バッハやモーツァルトやベートーベンの音楽が存在しない世界など、私にはとても想像できないからだ。ところが幼少期の私には、クラシックに親しんだ記憶は余り無い。また小学校の音楽の授業でクラシックの楽曲を合唱したり、楽器を弾いた経験はそこそこあったにも関わらず、結局その機会において感動体験は生まれなかった。これは多分、学校の義務教育の場では、芸術の感動が伝わりにくいからではないか。そう考えるとあのレコードは貴重な分水嶺となった。
その意味で小澤征爾という音楽家は恩人であろう。彼が届けてくれたベートーベンとシューベルトの音楽は、それを学校で勉強する教科の一つとしてではなく、心を豊かにする友人のような存在として認識できたのだから。88歳というご長命を全うされたわけだが、その生涯は大変なご苦労も多かったはずである。特に小澤さんが若い青年期に海外雄飛し、欧米がホームグラウンドのクラシックの音楽世界に身を投じることは、海の魚が陸の荒野を泳ぐほどの困難を極めたのではないか。
つまり偏見に満ちた異文化の壁が今とは比較にならないほど高く強固に聳え立っていたはずだ。恐らく驚異的な努力の果てに乗り越えたと思われるが、小澤さんの凄いところは、その努力を本人の功績として誇示することなく、身を捧げた音楽そのものの御蔭だと世界に自然体で認めさせたところであろう。これは彼がリリースした膨大な音楽のリストから、どれか一つでも鑑賞すれば実感できる。特にアジア人が中世以降のヨーロッパの音楽作品を表現しても何の矛盾もないのだとわかるし、それが可能だからこそ芸術には希少な存在価値があるわけだ。
これは昨今、ヨーロッパの若者の中にも日本の能楽師や狂言師を志望する人々が現れたこととも付合する。そしてこうした世界平和にも繋がる潮流は、異文化を学ぼうとする人々を受け入れる土壌がなければ生まれない。日本は今更だが、そうした土壌はまだまだ欧米と比較すると脆弱であり、そこを改善していく意味でも、小澤征爾という偉大な音楽家の道程から、大いに学ぶべきであろう。実際、小澤さんご本人も海外で先行して評価された為に、日本国内の硬直した組織からの圧力や無理解にかなり疲弊し苦しまれたようである。また仮に小澤さんが日本から一歩も外へ出ずにその生を終えたとしたら、音楽家として大輪の花が咲くことはなかったはずだ。
私の場合、小澤さんの作品の中では、30年も音楽監督を務められたボストン交響楽団を指揮したマーラーの交響曲の第9番あたりがとても好みなのだが、これは聴く人によって印象もそれぞれであろう。それこそ万華鏡のように。この訃報に接して、小澤征爾の指揮する音楽に触れたいと感じた人は、まずは自分が好きな音楽家を選ぶことから始めると良い。ベートーベンでもチャイコフスキーでも、その代表作のリストから、既に親しんでいる曲を聴いていくのが大変お薦めといえる。
小澤さんはライオンのような風貌のインパクトが強く、オーケストラの指揮棒を振るキャラクターとしての存在感は抜群であったが、テレビなどのメディアで実際にインタビューを受けている姿を拝見する限り、その親しみ易い語り口調から猛獣のイメージとは真逆の、大らかで優しい人柄を感じた。正直、小澤さんが指揮するオーケストラのコンサートに足を運んだことも無い身で恐縮だが、ベートーベンの有名な交響曲第5番「運命」とシューベルトの交響曲第8番「未完成」を全編に渡って聴いたのは、この人が指揮したシカゴ交響楽団の演奏が最初である。これは父が持っていたレコードで、そのジャケットにはカメラ目線ではない実直な横顔を向けている、赤い薄手のセーターを着た若々しい日本人男性、小澤征爾その人が写っていた。もう1970年代の昔話なので、そのレコードについて父と何を話したのかは明確に覚えていない。しかし小学生であった私は、世界で活躍する日本人のオーケストラの指揮者がいることに驚き、多分その事実に関しての話をしていたように思う。そして私の質問に対する、父の小澤征爾に対する評価は高かった。そしてこれは母も同様であった。つまり小澤征爾は素晴らしい音楽家なのだと。
私の両親はこのブログでも追悼した大江健三郎さんや、小澤征爾さんとほぼ同世代である。特に母は旧満州の生まれで、第二次世界大戦後は戦争難民の状態で中国大陸から引き揚げて来た。小澤さんも旧満州の生まれだが、日本の敗戦に遭わずして1941年に帰国されており、母のような難民の窮状を経験しなかったであろうが、母は音楽家としての小澤さんの人生に親密感を抱いていたようだ。ひょっとするとベートーベンとシューベルトの代表的な交響曲が収録されたレコードは、母に頼まれて父が購入したものなのかもしれない。今となっては鬼籍に入っている両親に、それを確認するわけにもいかず真実は謎のままだが、私にとってこのレコードがクラシックを親しむ入門書のような役割を果たしてくれたことは事実である。
私個人が聴く音楽の領域においては、邦楽よりも洋楽の方が遥かに広大だ。ただクラシックの分野は現代音楽も含めて、ジャズやロックに比べると狭い範囲に収まっている。それでも、仮にこのクラシックを聴くことを禁じる社会が到来したら、それは非常に困った事態である。バッハやモーツァルトやベートーベンの音楽が存在しない世界など、私にはとても想像できないからだ。ところが幼少期の私には、クラシックに親しんだ記憶は余り無い。また小学校の音楽の授業でクラシックの楽曲を合唱したり、楽器を弾いた経験はそこそこあったにも関わらず、結局その機会において感動体験は生まれなかった。これは多分、学校の義務教育の場では、芸術の感動が伝わりにくいからではないか。そう考えるとあのレコードは貴重な分水嶺となった。
その意味で小澤征爾という音楽家は恩人であろう。彼が届けてくれたベートーベンとシューベルトの音楽は、それを学校で勉強する教科の一つとしてではなく、心を豊かにする友人のような存在として認識できたのだから。88歳というご長命を全うされたわけだが、その生涯は大変なご苦労も多かったはずである。特に小澤さんが若い青年期に海外雄飛し、欧米がホームグラウンドのクラシックの音楽世界に身を投じることは、海の魚が陸の荒野を泳ぐほどの困難を極めたのではないか。
つまり偏見に満ちた異文化の壁が今とは比較にならないほど高く強固に聳え立っていたはずだ。恐らく驚異的な努力の果てに乗り越えたと思われるが、小澤さんの凄いところは、その努力を本人の功績として誇示することなく、身を捧げた音楽そのものの御蔭だと世界に自然体で認めさせたところであろう。これは彼がリリースした膨大な音楽のリストから、どれか一つでも鑑賞すれば実感できる。特にアジア人が中世以降のヨーロッパの音楽作品を表現しても何の矛盾もないのだとわかるし、それが可能だからこそ芸術には希少な存在価値があるわけだ。
これは昨今、ヨーロッパの若者の中にも日本の能楽師や狂言師を志望する人々が現れたこととも付合する。そしてこうした世界平和にも繋がる潮流は、異文化を学ぼうとする人々を受け入れる土壌がなければ生まれない。日本は今更だが、そうした土壌はまだまだ欧米と比較すると脆弱であり、そこを改善していく意味でも、小澤征爾という偉大な音楽家の道程から、大いに学ぶべきであろう。実際、小澤さんご本人も海外で先行して評価された為に、日本国内の硬直した組織からの圧力や無理解にかなり疲弊し苦しまれたようである。また仮に小澤さんが日本から一歩も外へ出ずにその生を終えたとしたら、音楽家として大輪の花が咲くことはなかったはずだ。
私の場合、小澤さんの作品の中では、30年も音楽監督を務められたボストン交響楽団を指揮したマーラーの交響曲の第9番あたりがとても好みなのだが、これは聴く人によって印象もそれぞれであろう。それこそ万華鏡のように。この訃報に接して、小澤征爾の指揮する音楽に触れたいと感じた人は、まずは自分が好きな音楽家を選ぶことから始めると良い。ベートーベンでもチャイコフスキーでも、その代表作のリストから、既に親しんでいる曲を聴いていくのが大変お薦めといえる。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます