今期から社内清掃分担を均等に割り振るようにしたんだけど、給湯室の掃除がまわってくるのはまいった。トイレ清掃も駐車場のゴミ拾いも床のモップがけももちろんやるし、いやじゃない。終わったあとは気持ちがいい。ただ給湯室を掃除せよといわれるとなんだか釈然としなかった。
自分は清掃作業の過度の均等化は望んでいない。どんな仕事でも均等に割り振るというのはもともと不可能だと思っている。均等化に労力をかけるより、それはある程度のところで留めて自然の流れに任せるほうが結果的には効率的にも精神衛生上もよく、許容範囲内の誤差に収まる可能性が高いと思う。
人にはそれぞれ特性がある。その長所を活かし、伸ばす方がいいと思う。
たとえば営業とシステム開発の仕事は、どちらの方がラクだとかたいへんだとか議論するのはむなしくて、どこにもラクな仕事なんてない。役割が違っていて、忙しい時期も違うと思うけど、1年間通してみればどちらの労力が多いか少ないかなどということは誤差の範囲に収まってくると思う。
新入社員や入社年数が浅い社員が先輩社員のために掃除をするとか、お客さんに同行するときは「ぼくが運転します」と言って車を運転するのも普通のことだと思う。そのかわり先輩社員は後輩社員の面倒見て、仕事を教え、後輩がしでかしてしまった仕事のミスの責任はすべて上司がかぶる、そのくらいのことはしてもらいたい。これは1年とかのスパンで見ると上司の方がワリが合わないかもしれないけど、10年くらいのスパンでみれば、部下も育ち、上司が助けられることも多々あり、多分バランスはとれているのではないか。そもそもそういう上司も元部下だったわけで、誰かに仕事を教えてもらったハズ。その借りを返しているに過ぎないと思う。
男子社員と女子社員も同じで、お客様が来社したときのお茶入れはできれば女子社員にやってほしいし(ウチの会社では今、そうなっています。どうもありがとう)、、お茶の生産現場である給湯室はやはり女子社員に掃除をしてもらいたい。ここのパートを男がやるというのは、なんとも絵にならないというか、あまりそういうシーンは見たくないと自分は思う。そのかわり、男子社員は、たとえば女子社員が重いものを運んでいたら、「あ、それ持とうか」くらい声をかけて、サッと持ってあげてほしい。高い天井の蛍光灯が切れたときも、率先して脚立を運び、変えてやってほしい。別に男でもお茶入れも給湯室の掃除もできるし、女でも脚立にのって蛍光灯をかえるくらいは体力的にはできると思う。でも、そこに男子社員がいる、女子社員がいるのであれば、男女のそれぞれの特徴を活かした役割の違いがあってもいいはずで、こういうことも年間くらいの単位でみれば、仕事の量自体は多分許容範囲内の誤差でしかないはずだ。
ぼくの要望で、給湯室の掃除は男子社員ははずしてもらったので、あとは男子社員が上記のように重いものを運ぶとか高所に登るようなことがあったときは、男らしく積極的に動いてほしいと思っている。
本当の理想は、当番制を全廃しても、社内が清潔である ということ。
当番だからやる というのは 当番でなければやらない ということにつながるし、そこでは「ぼくがやる」「私がやる」という自発性が希薄になってくる。
自発的に行われる仕事は感動を呼ぶし、その上で量の均等化も許容範囲内の誤差で、一人ひとりに納得感がある状態が理想。そうなってほしいと思っている。
絶対に向かってはいけない方向というのは
ルールを作り、守れない人がいると罰則を設け、それでも守れない人がいるとさらに罰則を強化する という方向。この方向には向かっては絶対にいけないと思っている。今のアメリカ文化ってそういうところがあるように感じている。結果的に超訴訟社会になっているけど、これは不幸な社会で、日本は伝統的にそのような社会を作ってこなかったし、マネする必要はさらさらないと思っている。
海外からお客様が来社されたとき、同じきれいな会社でも
「ウチの会社には清掃ルールが厳然とあり、罰則規定もあるので、みんなきちんとやっているのです」という会社と「ウチの会社には何のルールもないのですが、みんな気がついた人からやってくれるので、こういう状態を保っています」という会社と、どちらが感動を呼ぶか考えてみてほしい。
一人ひとりがもつ素晴らしい特徴を伸ばしながら、自主的に動いている会社。そして清掃作業をしている人に「ありがとう」と感謝の気持ちが素直に伝えられる会社。そういう会社を目指して日々実践を積み重ねている会社はすでにある。私たちもそういう会社を目指して実践していきたい。
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いわゆる内発的動機だったら最高ですね。
集団的内発的動機っていうのがあるとしたら・・・そんな感じかなぁ・・・
言語化されていない・・・先輩から後輩への伝統・・・みたいなのも良いかも・・・
今日 社員が書いたブログに感動しきりの私ですhttp://futureproject.blog88.fc2.com/
それぞれが思いやりによって成り立つ環境になると最高だなあ、って思います。
常にイーブンになっているか、を意識していると、全体的に小さくなるような気がします。
これだけ与えたのだから、これくらいの見返りがあっていいはず、といった考えをしていると、そうでなかったときに多少なりとも不満が出てきますしね。
小さな子供が困っているときに助けてあげるけれど、その見返りを子供から求める人っていないと思うんです。
それは、自分が子供よりも大きいから。
気持ちよく、見返りを求めなく、思いやりで成り立つ環境というのは、各々が大きい人になって、人と接することができる社会で、そうなると本当にいいようなあ、って思います。
RESがすっかり遅れてしまい申し訳ありません。たいへん失礼いたしました。「集団の内発的動機」っていいですね。経営者オフサイトに参加している社長さんたちが苦労しながらたどり着いたところ。皆さん、内発的な動機を引き出すことに成功し、組織がやらせじゃなくて動いている感じがします。ウチはまだまだですが、それでも芽が出てきていると感じています。社員さんのブログ、素晴らしいですね。とても素敵です。
1000本さん、「思いやり」が動機ということですよね。それ、最高ですよね。清掃活動にしても「後から使う人への思いやり」が動機だったら、名実ともに暖かいです。子どもたちを助けるときの見返りを求めないあのやさしさ、すべての社員を家族と同じようにみることは正直とても難しいことだと思いますが、ビジネスでもそこが原点かもしれません。そういう気持ちをもてるようにがんばります。