東京日記
静岡県焼津市、藤枝市、北海道の札幌市にあるIT企業グループの経営者 松田敏孝の日記です。





写真は1985年、昭和60年、27歳のときの写真。今から39年前かぁ。場所は茨城県の大洗海岸。当時はもちろんもう社会人でしたが、まだバイクには乗っていました(確かバイクを降りたのは1990年かな)。ちょうど筑波博という科学技術博覧会が開催されていて、その見学に来ていたような気がします。自分は東芝に勤務していました。

1985年頃は日本経済は絶好調で、多くの人たちが、経済成長していくことをあたり前のように思っていた。今からすると仕事はかなりハードだったけど、「成長していく」「豊かになっていく」と思っていたし、その実感もあった。だから、ハードワークなどは、少なくとも自分はまったく苦にならなかった。会社からの帰宅は日々遅かったけど、たまにはやくあがれる日があると、先輩社員の人たちと飲みに行って、普段よりもっと遅い帰宅になったりしていた。そして週末は、こんな風にバイクで遠出したり、草野球チームに所属していたから、多摩川河川敷の野球場で野球をやっていることも多かった。

1970〜80年代というのは、日本経済が最も輝いていた時期だと思う。自分にとって は中高生〜大学生〜若手社会人 という時期で、価値観、世界観、生き方、働き方などが自分の中で確立していく時期。これが重なっていたことはツイていたと思っている。日本は世界の多くの国々から注目され、賞賛され、そして時には警戒され、敵視されることもあった。ただ、多くの日本人たちは、当然 喜怒哀楽の波はありながら、「もっと豊かになる」という希望をもって、明るく、楽しく働き、前向きに生きてきた。今の自分の性格に影響していると思う。

昭和は職場のデスクでタバコを吸いながら仕事をするのがあたり前の時代で、不条理なことも多かった。別に「あの頃に戻りたい」とは思っていないけど、あの頃の精神性や慣習には良かったものもたくさんあって、それらが現代に引き継がれず、一部の識者によって否定されたりして、失われてしまったものがたくさんある。そのことは残念に思っていて、最近、その頃のことが懐かしく思いだされたりすることが多くなってきた。楽観的で不安が少なかった。先が見えなくても「なんとかなる」と思っていた。よく遊んでいたが「やるときはやる」と腹をすえていた。いい時代だったと思う。

今の若者たちの中には、自分たちが若かった頃には考えられないくらい高い社会性や既成概念にとらわれない自由さをもって行動している人も多い。今の時代の若者たちは明らかに自分たちとはタイプが違うけど、やっぱりこれからの新しい時代を拓いていくのは彼らなんだと思う。夢があるし、だから彼らの挑戦には応援させてもらいたいと思っている。

つくづく「若い」っていいなぁ〜と思う。多分、今、あの頃を思い出すとき、その当時の現実よりも美化されて記憶によみがえっているような気がする。多分記憶とはそういうものなのだろう。記憶は今、この時も生産中で、これからもっと歳をとると、今、生産されているこの記憶も若干美化されてよみがえり、幸せの源泉になっていくような気がする。


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