■■■■■
帯とけの枕草子〔百十八〕あつげなるもの
言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。
清少納言枕草子〔百十八〕あつげなるもの
あつげなるもの、ずいじんのおさのかりぎぬ。なふのけさ。いでゐの少将。いみじうこえたる人のかみおほかる。六七月のすほうの日中のじをこなふあざり。
文の清げな姿
暑くるしそうなもの、随身の長の狩衣。衲の袈裟。出居の少将。ひどく肥えている人の髪、多く有る。六七月の修法を日中の時に行う阿闍梨。
心におかしきところ
お熱つそうなもの、身に付随のおさが、かり来ぬ、汝夫の今朝、出で居が少々。ひどく肥えている女の下見の多い。身な尽き夫見尽きのすほうを、昼の日中の時に行うあさり。
言の戯れと言の心
「随身…お供して警護する者…生まれながら付き従っている身の一つのもの」「おさ…長…男さ…おとこ」「かりぎぬ…狩衣…かり来ぬ」「かり…狩…猟…めとり…まぐあい」「のう…なふ…衲…端切れ布の継ぎ接ぎの僧衣…納…納まる」「いでゐ…出居…行事の野外の座…出で居…動き」「少将…少々」「六七月…残暑の候…みなつきふみつき」「月…おとこ…突き…尽き」「す…修…棲…洲…女」「かみ…髪…下見」「見…覯…媾…まぐあい」「あざり…阿闍梨…高徳の僧…あさり、むさぼり、かり…まぐあい」。
紫式部日記の枕草子批判を、あらためて聞きましょう。
「漢字など書き散らししていらっしやる程も、よく見れば、またとても耐えられない言が多くある、このように、人に異ならんと思い好むような人は、必ず見劣りし、行末、ますますそうなるだけでしょうから、艶になってしまった人は、とくに何とも無い折も、感心する方に進み、おかしきことを、見過ごさないとするうちに、自ずから、あのように、(婀娜な)徒な様になるのでしょう。そのあだになってしまった人の果て、(生き様や文芸)どうして良いでありましょうか」。
枕草子を「言の心」で読めば、的確な批評だとわかるでしょう。
伝授 清原のおうな
聞書 かき人知らず (2015・9月、改定しました)
原文は「枕草子 新 日本古典文学大系 岩波書店」による