帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの枕草子〔百十八〕あつげなるもの

2011-07-16 07:37:20 | 古典

 



                     帯とけの枕草子〔百十八〕あつげなるもの



 言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。



 清少納言枕草子〔百十八〕あつげなるもの

 

あつげなるもの、ずいじんのおさのかりぎぬ。なふのけさ。いでゐの少将。いみじうこえたる人のかみおほかる。六七月のすほうの日中のじをこなふあざり。


 文の清げな姿

暑くるしそうなもの、随身の長の狩衣。衲の袈裟。出居の少将。ひどく肥えている人の髪、多く有る。六七月の修法を日中の時に行う阿闍梨。


 心におかしきところ

お熱つそうなもの、身に付随のおさが、かり来ぬ、汝夫の今朝、出で居が少々。ひどく肥えている女の下見の多い。身な尽き夫見尽きのすほうを、昼の日中の時に行うあさり。

 
 言の戯れと言の心
 「随身…お供して警護する者…生まれながら付き従っている身の一つのもの」「おさ…長…男さ…おとこ」「かりぎぬ…狩衣…かり来ぬ」「かり…狩…猟…めとり…まぐあい」「のう…なふ…衲…端切れ布の継ぎ接ぎの僧衣…納…納まる」「いでゐ…出居…行事の野外の座…出で居…動き」「少将…少々」「六七月…残暑の候…みなつきふみつき」「月…おとこ…突き…尽き」「す…修…棲…洲…女」「かみ…髪…下見」「見…覯…媾…まぐあい」「あざり…阿闍梨…高徳の僧…あさり、むさぼり、かり…まぐあい」。



 紫式部日記の枕草子批判を、あらためて聞きましょう。
 「漢字など書き散らししていらっしやる程も、よく見れば、またとても耐えられない言が多くある、このように、人に異ならんと思い好むような人は、必ず見劣りし、行末、ますますそうなるだけでしょうから、艶になってしまった人は、とくに何とも無い折も、感心する方に進み、おかしきことを、見過ごさないとするうちに、自ずから、あのように、(婀娜な)徒な様になるのでしょう。そのあだになってしまった人の果て、(生き様や文芸)どうして良いでありましょうか」。

 枕草子を「言の心」で読めば、的確な批評だとわかるでしょう。


 
 伝授 清原のおうな

聞書 かき人知らず    (2015・9月、改定しました)


 原文は「枕草子 新 日本古典文学大系 岩波書店」による


帯とけの枕草子〔百十九〕はづかしきもの

2011-07-16 07:05:30 | 古典

  



                                帯とけの枕草子〔百十九〕はづかしきもの



 言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。



 清少納言枕草子〔百十九〕はづかしきもの


 はづかしきもの、をとこの心のうち。いざときよひのそう。

(恥ずかしいと感じるもの、男の心の内。寝覚めやすい夜居の僧……恥ずかしいと感じるもの、男の心の奥、井敏き女の好いの早)。


 言の戯れと言の心

「はづかし…恥ずかしい…(相手の優ることに)気がひける…(我の劣ることに)気がひける」「いさとき…寝敏き…井敏き…井の敏感な」「井…女」「よひ…よゐ…夜居…好い」「そう…僧…さう…早」。



 こそ泥がものの隅に居て見ているのを誰が知ろうか、暗いのに紛れ忍んで他人の物を盗る人もいるでしょう。(こそ泥が見ていて)それこそ同じ心なので、をかしとや思ふらん(おかしいと思うでしょうか・恥ずかしいと感じるでしょう)。

 夜居の僧は全く恥ずかしい者である。若い女たちが集まっていて、他人の身の上を笑い謗り憎んだりもするのを、つくづくと聞き集めていて、いとはづかし(とっても恥ずかしい)。

 「あなうたて、かしがまし(あゝいやだ、やかましい!)」などと御前近き人が気色ばんで言うのも聞き入れず、若い女房たち、言い争い合っての果ては、皆うち解けて寝入ったのも、いとはづかし(怒った心、とっても恥ずかしい)。
 男は、女を・嫌だと思う様子ではなく、もどかしくて自分勝手なところがあると見ていても、差し向かっている女を、はぐらかして頼りにしている様子こそ、いとはづかしけれ(気がひけるほどご立派なことよ)。まして、情けあり好ましい人と知られている男は愚かだと思わせるようには女をもてなしたりしないものよ。心の内だけでなく、またみな、こちらの事をあちらの女に言い、あちらの女の事をばこちらに言い、お互いに聞かせているようだけれど、我がことを知らないで女は、このように(他の女の欠点を語るのは)、やはりこよなく(好きなのはわたしと)思うでしょう。さて男がこうならば、少し思う男に出会えば、心は儚いのだろうと見えて男なんて、いとはづかしうもあらぬぞかし(ひどく気後れするような者でもないのよ)。

とっても哀れで心苦しく見捨て難い事などを、いささかも何とも思わない男も、如何なる心なのかと、浅ましいことよ。やはり、そんな男は・女の身の上を非難しても、ものをとっても旨く言う様子だよ。とりわけ頼める人もない宮仕えの女などに言い寄って、女の身が・ただならないことになってしまった有様を、きよくしらでなどもあるは(きれいさっぱり知らない、なんて男もあるのよ)。


 

伝授 清原のおうな

聞書 かき人知らず    (2015・9月、改定しました)


  原文は「枕草子 新 日本古典文学大系 岩波書店」による