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帯とけの枕草子〔百三十二〕つれづれなる物
言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。
清少納言枕草子〔百三十二〕つれづれなる物
つれづれなる物、所さりたる物忌。むまをりぬすごろく。ぢもくにつかさえぬひとのいへ、あめふりたるは、まいていみじうつれづれなり。
清げなな姿
することもなく退屈なもの、他所にてする物忌。駒が出立せぬ双六。任官の日に官職を得ぬ人の家、雨が降りだせば、まして所在無くどうしょうもないのである。
心におかしきところ
どうしょうも無く退屈な物、山ばなど去った物、井身。武間折ってしまった双御露具。路毛具に、津嵩得ぬ人の井辺、おとこ雨うちふったのは、まして、ひどく退屈でどうしょうもないのである。
言の戯れと言の心
「所さり…自宅を去り…所を去り…感の極みなど去り」「物…情況…物体…身の一つの物」「いみ…忌み…井身…女の身」「井…女」「むま…馬…駒…武間…おとこ」「をり…下り…下り立つ…双六で規定の賽の目が出て駒が出立する…折り…逝き」「ぬ…打消…完了」「す…女」「ぐ…具…伴うもの…身に付随のもの」「ぢもく…叙目…路藻具…路毛具…女」「路…女」「つかさ…司…づかさ…頭傘…おとこ」「人…ひと…女」「いへ…家…女…井辺」「あめ…雨…おとこ雨」。
清少納言の言語観は「おなじことなれども、聞耳異なるもの、それが、われわれの言葉である」という。
同じ一つの言葉でも、聞く耳によって意味の異なるもの、それが、われわれの言葉であるということ。
伝授 清原のおうな
聞書 かき人知らず (2015・9月、改定しました)
原文は「枕草子 新 日本古典文学大系 岩波書店」による