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帯とけの金玉集
紀貫之は古今集仮名序の結びで、「歌の様」を知り「言の心」を心得える人は、いにしえの歌を仰ぎ見て恋しくなるだろうと歌の聞き方を述べた。藤原公任は歌論書『新撰髄脳』で、「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」と、優れた歌の定義を述べた。此処に、歌の様(歌の表現様式)が表れている。
公任の金玉集(こがねのたまの集)には「優れた歌」が撰ばれてあるに違いないので、歌言葉の「言の心」を紐解けば、歌の心深いところ、清げな姿、それに「心におかしきところ」が明らかになるでしょう。
金玉集 雑(六十九)遊女白女
別歌(別れ歌)
命だに心にかなふものならば なにか別れのかなしからまし
(命さえ人の心に叶うものならば、どうして別れが悲しいことがありましょうか……この君の寿命さえ、女の心に叶うものならば、どうして山ばの先での別れが愛おしいことがありましょうか)。
言の戯れと言の心
「命…人の命…君の命…おとこの命」「心にかなふ…心に叶う…心の望む通りになる」「別れ…今生の別れかもしれぬと思う別れ…山ばの峰での別れ…おとこが急にいけへと落ちて逝く別れ」「かなし…悲し…惜しい…愛着を感じる…愛しい」「まし…もし何々だったら何々だろうに…仮想の上に立って思いを表す…もしもこの君の命が女の心のままになるならばこれほど愛おしく思わないのに」。
歌の清げな姿は、餞別の宴での遊女の惜別の心。歌は唯それだけではない。
歌の心におかしきところは、餞別の宴での遊女の愛を込めた惜別の心。
古今和歌集 離別歌。詞書「源のさねが、筑紫へ湯あみむとてまかりける時に、山崎にて別れ惜しみける所にてよめる(源実が、筑紫へ湯治にでかけた時に、山崎で、別れ惜しんだ所にて詠んだ歌)。
伝授 清原のおうな
鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。
聞書 かき人しらず
『金玉集』の原文は、『群書類従』巻第百五十九金玉集による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。