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帯とけの土佐日記
土佐日記(馬の鼻向け)師走の二十三日・二十四日
廿三日。やぎのやすのり(仮名…八木のやすのり…八気の安乗り)という人がいる。この人、国府で、必ずしも使っていた者ではないのである。それが、偉そうに、むまのはなむけしたる(餞別をした)。かみからにやあらむ(守の人柄なのかしらね…女が理由なのかしら)。国人の心の常として、「今はもう」と姿も見せないものなのに、こゝろ(情…下心)ある者は、恥じることなくやって来たことよ。これは贈物によって褒めているのではない。
廿四日。講師(国分寺住職)、餞別の宴をしにいらっしゃった。居合わせる者、かみしも(上下…守も女も下位の者も)、童まで酔い痴れて、一文字も知らない、ものしが(者めが…者が其の)足は十文字に踏んで遊ぶ。
言の戯れと言の心
「やぎ…姓…八木…名は戯れる、八気、多気、気の多い浮気な」「八…多数…はち…はぢ…恥」「やすのり…名…名は戯れる、安乗り、易す乗り」「かみから…守柄…守の人柄…上から…女が原因・理由…女と別れがたく、逢いたくて」「かみ…守…上…髪…女」「から…柄…によって…行為の生ずるもとを表す」「こころ…心…誠意…人情…下心」。「かみしも…上下…守しも…国守さえも…上しも…女さえも」「しも…下…下位の者…さえも…強意を表す」「し…其…代名詞…強調する詞」「十文字…十という字…酔ってふらつく足どり」。
言の戯れを利して、皮肉(遠回しの悪口)、ときには誹謗(そしり)を表す。それらは諧謔(おかしい戯れごと)に包んである。これは和歌の表現方法と同じである。
伝授 清原のおうな
聞書 かき人知らず (2015・11月、改定しました)
原文は青谿書屋本を底本とする新日本古典文学体系土佐日記による。