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帯とけの土佐日記
土佐日記(かくあるを見つつ)正月九日~十日
(宇多の松原など)こうして見ながら漕ぎ行くにつれて、山も海もみな暮れ、夜更けて西東も見えなくて、てけのこと(天気のこと…船の運航のこと)、船頭の心に任せた。
男でも慣れないと、(夜に漕ぎ行くのは)たいそう心細い。まして、女は船底に頭つきあてて声あげて泣く。このような思いをしているのに、船員と船頭は船歌唄って、何とも思っていない。
その唄う歌は、
はるのゝにてぞねおばなく、わかすゝきにてきるきる、つんだるなをおやゝまぼるらむ、しうとめやくふらむ、かへらや
(春の野にて、声あげて泣く、若すすきで手切る切る、摘んだ菜を親は見つけるやろうか、姑は食うやろうか、帰ろうや……春のひら野にて、声あげて泣く、若い薄情な男なので、手を切る切る。つんだ汝を、親は見守るやろうか、姑はくってしまうやろう、返ろうや無かったことにしょ)。
よんべのうなゐもがな、ぜにこはむ、そらごとをして、おぎのりわざをして、ぜにもゝてこず、おのれだにこず
(昨夜の若い男がなあ、銭を請求してやる、空言して、掛買いして、沖乗り業して銭も持ってこず、おのれさえ来ない……ゆうべの若衆がなあ、銭請うてやる、うそ言いって、奥乗りわざして、掛け買いの・銭も持ってこず、おのれさえ来ない)。
これだけではなく多くあるけれども、書かない。これらを人が笑うのを聞いて、海は荒れるけれども、心は少し凪いだ。こうして行きつつ過ごして、泊り(奈半の停泊港)に至って、翁人ひとり、老女ひとり、とりわけ心地わるくして、ものもお食べになられないで、ひっそりとなった。
十日。今日は、この奈半の泊りに泊まった。
言の戯れと言の心
「すすき…薄…男…薄情なおとこ」「てきる…(薄の葉で)手を切る…関係を断つ」「つむ…摘む…採る…娶る…まぐあう」「な…菜…汝…女」「かえらや…帰ろうや…返ろうや…(何も無かった時に)返ろうよ」「もがな…願望を表わす…逢いたい…来てほしい」「おぎのりわざ…掛買い…沖乗り業…沖合いでの漁業…奥乗りわざ」「おき…沖…奥…女」。
若い衆の薄情で浮気な有様と若い女の心情が唄われる。この舟歌を聞いて、人は笑ったとある。船歌にも清げな姿と「心におかしきところ」がある。
伝授 清原のおうな
聞書 かき人知らず(2015・11月、改定しました)
原文は青谿書屋本を底本とする新日本古典文学体系土佐日記による。