帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの『金玉集』 雑(七十六) 伊 勢

2013-01-10 00:06:10 | 古典

    



             帯とけの金玉集



 紀貫之は古今集仮名序の結びで、「歌の様」を知り「言の心」を心得える人は、いにしえの歌を仰ぎ見て恋しくなるだろうと歌の聞き方を述べた。藤原公任は歌論書『新撰髄脳』で、「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」と、優れた歌の定義を述べた。此処に、歌の様(歌の表現様式)が表れている。

公任の金玉集(こがねのたまの集)には「優れた歌」が撰ばれてあるに違いないので、歌言葉の「言の心」を紐解けば、歌の心深いところ、清げな姿、それに「心におかしきところ」が明らかになるでしょう。



 金玉集 雑(七十六)伊 勢

 津の国のながらの橋もつくるなり 今はわが身を何にたとへむ

 (津の国の長柄の橋も新しく造るという、今は、ながらえた我が身を何に例えようかしら……つのくにの、ながらえた身の端も尽きる、今はわが身を何にたとえようかしら)


 言の戯れと言の心

 「津の国の…女のさとの…(古今集の歌では)難波なる…何はなる…どこかの」「津…女」「くに…国…ふるさと…古里…古い女」「ながらの橋…長柄橋…橋の名、名は戯れる。ながらえた古い橋、長い橋、長くつづく端」「はし…端…端くれ…身の端」「つくる…造る…尽くる…若さも容姿も尽きる…身の端も元気尽きる」「なり…と聞いている…伝聞を表す…のである…断定を表す」「たとへむ…譬えよう…普通に譬えるとすれば、老松、ふるさと、ふるいへ、ふるやど、あれ庭など」。


 歌の清げな姿は、ながらえた古い橋も新しく造るという。老いゆくままのわが身よ。

歌の心におかしきところは、ながらえる端もおとろえ尽きる今は、わが身を何に譬えようか。


 古今和歌集 雑体。題しらず。初句「なにはなる」。


 公任の『新撰髄脳』に「これは伊勢の御が中務の君にかく詠むべしといひけるなり」とある。伊勢が我が娘に歌の詠み方を伝授したのである。



 ついでながら、古今和歌集雑歌下にある、伊勢の歌を一首聞きましょう。

   家を売りてよめる(家を売って詠んだ歌)

 あすか川ふちにもあらぬわが宿も せに変りゆくものにぞありける

 (飛鳥川、淵ではないわが家も、瀬ならぬ銭に変りゆくものだったことよ……飛ぶ鳥のとりとめもない女、淵ではないわがやとも、背によって変わりゆくものだったなあ)


 「あすかかは…明日香川…飛鳥川…昨日の淵が今日の瀬になる流れの変わり易い川…とりとめもない女」「川…女…かは…疑問、反語の意を表す」「ふち…淵…深いところ…(思慮)深い…(情が)深い」「宿…女…やと…屋門…女」「せに…瀬に…銭…銭に…銭へと…背に…背によって…男によって」「に…変化の結果示す…原因理由を表す」。

 


 伝授 清原のおうな


 鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。

 聞書 かき人しらず


  『金玉集』の原文は、『群書類従』巻第百五十九金玉集による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。