■■■■■
帯とけの金玉集
紀貫之は古今集仮名序の結びで、「歌の様」を知り「言の心」を心得える人は、いにしえの歌を仰ぎ見て恋しくなるだろうと歌の聞き方を述べた。藤原公任は歌論書『新撰髄脳』で、「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」と、優れた歌の定義を述べた。此処に、歌の様(歌の表現様式)が表れている。
公任の金玉集(こがねのたまの集)には「優れた歌」が撰ばれてあるに違いないので、歌言葉の「言の心」を紐解けば、歌の心深いところ、清げな姿、それに「心におかしきところ」が明らかになるでしょう。
金玉集 雑(七十四)中 務
待ちつらむ都の人に逢坂の 関まで来ぬと告げややらまし
(待っていただろう都の人に、わたしは逢坂の関まで来たと知らせたものだろうか……待っていたでしょう、宮この男に、ようやく合う山坂の難所まで来たわと、言ってやろうかどうしょう)。
言の戯れと言の心
「都…京…宮こ…感の極み」「人に…(もの詣でに出かけたのだろう、帰りが遅いので心配して待っていたに違いない)身うちの人に…(先に宮こへいった)男に」「逢坂…逢坂山…関所のあるところ…合坂…感の極みの合致すべき山ば」「関…関所…隔てる物のある処…難関…難所」「つげややらまし…告げてやろうかどうしょう…ためらいの意をを表す」「まし…仮定の上に立って不満などの意を込めて用いられることが多い」。
歌の清げな姿は、待っている家人への気遣い。歌は唯それだけではない。それだけでは歌ではない。
歌の心におかしきところは、先に合坂越えて宮こへいった男へ、女の現状を告げるべきかどうか、ためらってみせたところ。
歌の心は、あと少しとの励ましか、先発したことへの皮肉か、何なのかは聞く男によって異なる。
中務(なかつかさ)の母は伊勢の御、父は宇多帝の皇子敦慶親王。母に似て才色兼備であったらしい。藤原公任の選んだ優れた歌人三十六人の中に母娘揃って入っている。
ついでながら、後撰和歌集恋四にある中務の歌を聞きましょう。
平かねきがやうやうかれ方になりにければつかはしける
(平かねきが次第に離れがちになったので、詠んで遣った歌)
秋風の吹くにつけてもとはぬかな 荻の葉ならば音はしてまし
(秋風の吹くに伴って、訪れないのねえ、荻の葉ならば、音ぐらいしているだろうに・音さたもない……心に飽き風が吹くにつけても、訪れないのねえ、男木の端くれならば、おとぐらいは立つでしょうに)。
「秋…飽き」「風…心に吹く風」「をぎ…荻…男木」「葉…端…身の端…おとこ」「おと…音…声…おとづれ…たより…うわさ…おとさた」「まし…するだろう…不満などを込めて使われることが多い」。
伝授 清原のおうな
鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。
聞書 かき人しらず
『金玉集』の原文は、『群書類従』巻第百五十九金玉集による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。