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帯とけの「古今和歌集」
――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――
古典和歌の国文学的解釈方法は、平安時代の歌論と言語観を全く無視したものである。中世に秘事・秘伝となって和歌の奥義を見失ったのだから、原点に帰って、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成に、歌論と言語観を学んで紐解き直せばいいのである。ほぼ次のような文脈である。
紀貫之のいう歌の様(表現様式)と言の心
仮名序の結びに「歌の様を知り、言の心を得たらん人は、大空の月を見るが如くに、古を仰ぎて、今を恋ひざらめかも」とある。「言の心」とは字義以外に、その時代に歌言葉の孕んでいた諸々の意味である。用いられ方から心得るしかない。
藤原公任の捉えた歌の様
公任は、歌の様(歌の表現様式)を捉えている。「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを、優れたりと言ふべし(新撰髄脳)」と優れた歌の定義を述べた。歌の「心におかしきところ」が秘義となったのである。歌の表現様式は、一つの歌に、深い心、清げな姿、心におかしきところの、三つの意味を同時に表現することである。それは、一つの言葉は多様な意味を孕んでいるので可能である。
清少納言の言語観は枕草子にある
われわれの用いる言葉は、「聞き耳」によって(意味の)異なるものであると枕草子にある。言葉の意味は、受け手にゆだねられる、この超近代的ともいえる言語観に従えば、一つの言葉には言の心を含む多様な意味があり、歌に多重の意味があることなど当然のこととなる。歌の「心におかしきところ」は、聞き耳を持つ人だけに聞こえるのである。
藤原俊成は、清少納言と同じ言語観で歌の様を捉えている
歌の言葉は「浮言綺語の戯れには似たれども、ことの深き旨も顕れ、これを縁として仏の道にも通はさんため、かつは煩悩即ち菩提なるが故に」云々と『古来風躰抄』で述べている。ほぼ次のように読める。「歌の言葉は、浮言綺語のように戯れているけれども、そこに、ことの深い主旨や趣旨が顕れる。これを縁にして仏道に通じさせると(顕れたエロスは言わば)煩悩であるが(歌に詠むほどに自覚したならば)即ち菩提(悟りの境地)であるから――(云々とあるが以下は難しいので略す)」。ここに歌の様は、明確に表示されてある。
上のような文脈に立ち入って、今では消えてしまった和歌の奥義を紐解き続ける。
古今和歌集 巻第三 夏歌 巻頭(135)
題しらず よみ人しらず
わが宿の池の藤波咲きにけり 山郭公いつか来なかむ
この歌、ある人のいはく、柿本人麿が也
(我が仮住まいの池のほとりの藤の花々咲いたことよ、今は・山に居るほととぎす、いつの日、来て鳴くのだろうか……我がすまいの、逝けの、臥しの身、咲いたことよ、山ばで且つ乞う妻は、いつの日来て泣くのだろうか)
この歌は、或る人が言うには柿本人麿の歌である。
歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る
「やど…宿…仮の住まい」「池…言の心は女…(戯れて)逝け…(精根など)尽き果てた」「ふじなみ…藤波…木の花…言の心は男…多数の藤の花房が揺れているさま…(戯れて)不二な身・臥しな身・わがおとこ」「な…の」「さきにけり…咲いてしまった…放ってしまった」「に…ぬ…完了を表す」「けり…詠嘆を表す」「山郭公…山に居るほととぎす・まもなく里に来て鳴く…郭公…鳥の名…鳥の言の心は女…(名は戯れて)且つ恋う・且つ乞う」「山…ものの山ば」「きなかむ…来て鳴くのだろう(か)…来て泣くのだろう(か)」。
旅の宿、初夏四月、藤の花房咲き垂れて揺れている、山ほととぎす、いつの日、ここに来て鳴くのだろうか。――歌の清げな姿。
仮の宿、逝けの臥しの身、さいてしまった、山ばの吾妻、いつの日来て、且つ乞うと泣くのだろうか。――心におかしきところ。
古今集に収められた伝承・人麿の歌(七首)は、流人として流される船旅か流罪地かで、それ以外あり得ないような孤独な情況で、妻を恋う歌である。これはその第一首目。
(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)