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帯とけの平中物語
「平中物語」は、平中と呼ばれた平貞文の詠んだ色好みな歌を中心にして、平中の生きざまと人となりが語られてある。
歌も地の文も、聞き耳によって意味の異なるほど戯れる女の言葉で綴られてあるので、それを紐解けば、物語の帯は自ずから解ける。
平中物語 (三十七)また、この男、ひとつをの家に
また、この男、一つの家で、従姉妹たちが好い女たちとなっていた。はじめは、よろしき(まあまあだな)とも見ていなかったが、いとよくおひいでにければ(すくすくと成長したので)、かの男、心うごいて、どういう時に、もの言いかけようかと思う時に、若菰(緒と共にむしろに編んで寝床などにする……すでに万葉集の歌で言の心は男)があるのを、女、手にとってなんとなくもてあそぶのを見て、(男の歌)、
沼水に君はおひねど刈る菰の 目に見す見すもおひまさるかな
(沼水にきみは生えないけれど、刈る菰のように、目に見る見るうちに、成長するなあ……沼、水に、きみは感極まらないけれど、かりするこもが、女に見す見すと、感極り増すのだなあ)。
言の戯れと言の心
「沼…女」「水…女」「おひ…生ひ…生える…おい…老い(年齢の極まり)…ものの極まり…感の極まり」「かる…刈る…採る・引く・摘む・漁る・狩る・猟する…めとる…まぐあう」「こも…菰…男…おとこ」「め…目…女」「見…目で見ること…娶り…まぐあい」「す…する…巣…洲…女」「かな…感動・感嘆・詠嘆の意を表す」。
女、返し、
刈る菰の目に見る見るぞうとまるる 心あさかの沼に見ゆれば
(刈る菰が、目に見える見る度によ、うとましくなる、心浅かの、安積の沼に見えるので……かりするそのこもが、女に見えると、見るほど嫌な感じになるわ・近寄らないでよ、心の浅い女に見えるから)。
言の戯れと言の心
「刈・菰・目・見…戯れの意味は上の歌に同じ」「うとまるる…疎ましく感じる…疎遠でありたいと思う…嫌な感じがする」「沼…女」。
とはいうものか(とは言うものか・おどろいただろうこの男、筆者も驚いた)。
広く浅く、決して深みに落ちないように、女をあさるこの男を、よく観察していて、少女はいとこのお兄さんを、浅はかで疎ましいと思っていたのだった。
今の人々にとって、「こも」にそんな意味があるだろうか、ということが問題となるだろう。万葉集の菰の歌を一首聞きましょう。巻第十一、正述心緒。
独り寝と菰朽ちめやも綾むしろ 緒になるまでに君をし待たむ
(独り寝ていると、菰すれ朽ちるかしら、あや織の菰むしろ、緒になるまで、君をし待つわ……――)。
この女歌の余情の艶は、「こも・を・をし」に、「おとこ」という言の心があると心得る人だけにわかる。
原文は、小学館 日本古典文学全集 平中物語による。 歌の漢字表記ひらがな表記は、必ずしも同じではない。
以下は、今の人々を上の空読みから解き放ち、平安時代の物語と歌が恋しいほどのものとして読むための参考に記す。
古今集仮名序の結びに「歌の様を知り、言の心を心得える人」は、歌が恋しくなるだろうとある。
歌の様(和歌の表現様式)については、藤原公任に学ぶ。『新撰髄脳』に「心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」と優れた歌の定義を述べている。歌は一つの言葉で複数の意味が表現されてあることがわかる。これが「歌の様」である。
「言の心」については、先ず、平安時代の言語観を清少納言と藤原俊成に学ぶ。清少納言は「同じ言葉であっても、聞く耳によって(意味の)異なるもの」、それが我々の言葉であると『枕草子』第三章に記している。藤原俊成は「歌の言葉は、浮言綺語の戯れに似ているが、そこに言の深い趣旨が顕れる」という。これらの言語観によれば、歌言葉などには、字義以外にもこの文脈で孕んでいた意味があることがわかる。それを一つ一つ心得ていけばいいのである。
言葉の意味には確たる根拠も理屈もない。ただその文脈で大多数の人がそうだと思い込んでいるだけである。月は男だとか水は女だとかは、そのように思われていたと仮説して、そうだと思われていた時代の歌や物語で確かめるだけである。
歌も物語も、今では「色好み」な部分がすべて消えて、清げな姿しか見せていない。その原因は色々あるけれども、一つは、鎌倉時代に和歌が秘伝となって埋もれたことにある。古今伝授として秘密裏に継承されたがそれも消えてしまった。秘伝など論理的に解明することなど不可能であるから見捨てて、原点の貫之・公任の歌論に帰ればいいのである。もう一つは、近世より、古典文芸について、論理実証的考察が始まったことである。この方法は文献学や言語学には有効な方法かもしれない。誰もがこの方法を、和歌や物語の解釈にも有効であると思いたくなる。しかし、和歌と女の言葉の戯れは、論理などで捉えられるような代物ではなかったのである。「聞き耳異なるもの・女の言葉」とか「歌の言葉・浮言綺語の戯れ」ということを、素直に聞けばわかる。言語観は平安時代の清少納言・藤原俊成に帰るべきである。
歌の修辞法とする序詞、掛詞、縁語を指摘すれば、歌が解けたように思いたくなるが、それは、歌の表層の清げな衣の紋様の発見にすぎない。公任のいう「心におかしきところ」は、「歌の様を知り言の心を心得る人」の心にだけ、直接伝わるものである。