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帯とけの「伊勢物語」
紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観で、在原業平の原作とおぼしき「伊勢物語」を読み直しています。
平安時代の歌心有る女たちの読後感と同じであれば、正当な読み方ができたのでる。清少納言の読後の第一感は、「恨んでいる男が女に寄こす悪戯な文」であった。紫式部の第一感は、「貶し腐して伊勢の海の千尋の底に沈めたくなる下劣な物語」であった。
やがて、描かれてあるのは生身と生な心をもった人たちであり、この世から消してしまえない深い心のある物語であると知るのである。
伊勢物語(四十五) ゆくほたるあき風ふくと雁に告げこせ
むかし、おとこありけり(昔、男がいた…武樫おとこがあった)、他人の娘で大切に育てられていたのが、なんとかしてこの男に、ものいはむ(言葉を交わしたい…物、井、食む)と思っていたのだった。言い出し難かったのだろうか、もの病み(何らかの病気…片恋の病)になって、死ぬべき時に(死ぬだろうという時に…死んだ方がましよという時に)、かくかくしかじか思っていたと言ったのを、親が聞きつけて、泣く泣く、この男に・告げたので、男は・惑いながらやって来たけれど、しにければ(女が・死んだので…武樫おとこが・逝ったので)、することもなく、女の家(井辺)に・籠もっていたのだった。時は、水無月(六月…みな尽き)のつごもり、たいそう暑いころで、宵は、あそびおりて(楽器など弾いていて…ぶらぶらしていて)、夜更けて、やや涼しい風が吹いてきた。蛍、高く飛び上がる。この男、見ふせりて(身伏したまま…見てもの伏したまま)、
ゆくほたる雲の上へまでいぬべくは 秋風ふくと雁に告げこせ
(ゆく蛍、雲の上まで行くことができたならば、秋風吹くと雁に告げてくれ……逝く、ほ垂る・蛍よ、山ば越え・雲の上までいくならば、わが心に・飽き風吹いていると、雲居の雁に・雲井の女に、告げてくれ)
暮れがたき夏のひぐらしながむれば そのことゝなく物ぞかなしき
(暮れ難き夏の日暮らし、物思に耽っていると、なんとなく、もの悲しいことよ……果て難き、あつき日、朝から晩まで、長めていると、そのことでなく、我が・物が、もの悲しいよ)
貫之のいう「言の心」を心得、俊成のいう「言の戯れ」を知る
「かしづく…愛育している…大切にしている」「死ぬべき…死ぬだろう(推量)…死ぬはずだ(予定)…死ぬほうがいい(適当)」「見…覯…媾…まぐあい」。
「ゆく…行く…逝く」「ほたる…蛍…愛の火…秋(飽き)がくると昇天するもの…ほ垂る…お垂る」「雲…煩わしいばかりに心にわきたつもの…情欲など、広くは煩悩」「かり…雁…鳥…言の心は女…狩り…刈り…あさり…めとり…まぐあい」。
「ひぐらし…日暮らし…朝から晩まで…一日中」「ながむ…物思いにしずむ…ながめる…眺める…長める」「物…ばくせんとしたこと…物体…おとこ」。
紫式部は、この女性と本性の同じ人を、夕霧の妻として、雲井雁(雲居雁)と名付け「源氏物語」夕霧の巻に登場させた。夫君がもてあますほど、情が深くて嫉妬深いけれど、心幼いところも有って、にくくは無い。「子などあまた」いらっしゃる(男の子四人、女の子四人)。
少なくとも、「伊勢物語」のこの章段を、紫式部と同じように読めたのだろう、読めたと思っていいだろう。紫式部は、「伊勢物語」の余情を踏まえて「源氏物語」を語り、当時の読者を「心におかし」と思わせた。これは、たぶん「本歌取り」という歌の技法と同じだろう。
(2016・5月、旧稿を全面改定しました)