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帯とけの「古今和歌集」
――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――
平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って「古今和歌集」を解き直している。
貫之の云う「歌の様」を、歌には多重の意味があり、清げな姿と、心におかしきエロス(生の本能・性愛)等を、かさねて表現する様式と知り、「言の心(字義以外にこの時代に通用していた言の意味)」を心得るべきである。さらに、藤原俊成の云う「浮言綺語の戯れに似た」歌言葉の戯れの意味も。
古今和歌集 巻第七 賀歌 (356)
良岑経也が四十の賀に、むすめに代わりて、よみ
侍りける。 素性法師
万世を松にぞ君をいはひつる 千年のかげにすまむと思へば
(良岑経也が四十の賀に、むすめに代わりて、詠まれた・歌)素性法師
(よろず世を、長寿の松でもって、父君を祝いました、鶴の千年の陰に、住み暮らそうと思えば……よろず夜を、長寿の女をもって、わが夫君の貴身、井這い終えた、千歳の陰により、満足して済まそうと思うので)。
「むすめ…娘…女の子…おとめ…女」。
「万世…よろづ世…万年」「松…言の心は女…待つ…長寿」「君…父君…貴身…を…おとこ」「いはひ…祝い…井這い」「つる…し終えた…完了した意を表す」「鶴…鳥の言の心は女」「かげ…影…蔭」。
よろず世の松にかけて、父君の長寿を祝いました、鶴の千年、父のお蔭のもとに、暮らそうと思うので――歌の清げな姿。
よろず夜を待つ女にぞ、夫君の貴身、井這いつる、千夜の陰に、満足して済ましたいと思うので――心におかしきところ。
娘および妻女たちに代わって、素性法師の詠んだ歌。
古今和歌集 巻第七 賀歌 (357)
内侍のかみの、右大将藤原朝臣の四十賀しける
時に、四季の絵かけるうしろの屏風に書きたり
ける歌。 (素性法師)
春日野に若菜つみつゝ万世を いはふ心は神ぞしるらむ
(内侍のかみ・内侍司の女官長・右大将の妹が、右大将藤原朝臣・定国の四十の賀した時に、四季の絵、描いたうしろの屏風に書いてあった素性法師の詠んだと思われる・歌)。
(春日野で、若菜摘みながら、兄の・万世の長寿を祝う心は、神ぞ、ご承知でしょう……春の野で、若い女つみあつめつつ、よろず夜を井這う兄の心は、かみぞ・女の身ぞ、しるでしょうね)。
「若菜…若い女…菜の言の心は女」「つみ…摘み…つまみとり…めとり」「万世…よろづ世…万年…万夜」「いはふ…祝う…井這う」「井…言の心はおんな」「神…かみ…うえ…言の心は女」「しる…知る…汁…にじみでる…うるむ」「らむ…だろう…推量を表す…ているようで…婉曲にのべる」。
兄の長寿を願う妹の心は、神が御承知でしょう――歌の清げな姿。
つんだ若い女を、よろず夜、井這う兄の心は、女ぞ潤むでしょうよ――心におかしきところ。
内侍司の女官長に代わって、素性法師の詠んだ、皮肉の利いた歌のようである。
(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)