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帯とけの小町集
小町の歌は、清げな姿をしているけれども、紀貫之のいう、歌のさま(歌の表現様式)を知り、言の心(字義以外に孕む意味)を心得て聞けば、悩める美女のエロス(生の本能・性愛)が、「心におかしきところ」として、今の人々の心にも直に伝わるでしょう。
小町集 75
あだ名に人のさわがしういひわらひけるころ、いはれける人の、とひたりけるかへりごとに、
(仇名について、他の女たちが・騒がしく言い、笑っていたころ、言われた人・小町が、消息尋ねた人への返り事に・詠んだ歌)、
忘草わが身につまむと思ひしは人の心におふるなりけり
(失せた恋しい人・忘れる草をわが身に摘もうと思ったが、あの人の心に生えたのだったなあ……うきことを・忘れる草、わが身のために摘もうと思ったが、仇なる女たちの心に、いま最高に・生い茂っていることよ)。
言の戯れと言の心
「忘草…摘めば恋しい人も忘れられるという草…摘めば憂きことや浮きことが忘れられるという草」「は…強調する意を表す」「おふる…生える…老う…終う…極まる…(噂・笑い声などが)最高潮に達する」「なりけり…断定し詠嘆する意を表す…(どうせわたしは摘まれ捨てられたうき草)ですよ…(女たちの心に生い茂っているので)どうしょうもないことよ」。
良くない噂や蔑みの笑いが騒がしいほどになれば、当の小町が忘れようとしてもどうにもならない。歌は絶望的な気分を表している。
ついでながら、「おふ」に「感極まる・ものごとが最高潮になる」などという意味もあることは、学問的解明の感知するところではないので、「伊勢物語」第一章に、十五歳位の少年が「いと艶めいたる女」を垣間見た後、心地惑って、「おいづきていひやりける」とあるが、若者は「老人ぶって・大人びて、言い遣った」などと訳されている。貫之のいう「言の心」で物語と歌を読めば、その歌の内容から、「感極まって、言いやった」とも聞こえる。もとより、「おふ」は、生える・最高潮に達する・感極まるなどという意味を孕んでいたのである。
『群書類従』和歌部、小町集を底本とした。歌の漢字表記と仮名表記は、適宜換えたところがあり同じではない。
以下は、歌を恋しいほどのものとして聞くための参考に記す。
古今集真名序には「彼の時、澆漓(軽薄な)歌に変わり、人々は奢淫(おごって・淫らな)歌を貴び、浮詞は雲と興り、艶流れ泉と湧く、歌の実皆落ち、その華独り栄える」とある。彼の時は、小野小町等が歌を詠んだ時代のことである。
紀貫之は古今集仮名序の結びに、「歌の様を知り、言の心を心得える人」は、古今の歌が恋しくなるだろうと述べた。
歌の様(和歌の表現様式)については、藤原公任に聞く。公任は清少納言、紫式部、和泉式部、藤原道長らと同じ時代を生きた人で、詩歌の達人である。
優れた歌の定義を、『新撰髄脳』に次のようにまとめている。「心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」。歌は一つの言葉で複数の意味が表現されてあることを前提にした定義である。
貫之と公任の歌論を援用して、歌を紐解いて行けば、隠れていた「心におかしきところ」が顕れる。それは、言いかえれば、エロス(性愛・生の本能)である。もう一つ言いかえれば、「煩悩」である。
藤原俊成は、『古来風躰抄』に次のように述べた。歌の言葉は「浮言綺語の戯れには似たれども、言の深き旨も顕れ、これを縁として仏の道ににも通はさんため、かつは煩悩即ち菩提なるが故に、―略― 今、歌の深き道を申すも、空・仮・中の三諦に似たるによりて、通はして記し申すなり」。
歌の「心におかしきところ」に顕れるのは、煩悩であり、歌に詠まれたそれは、即ち菩提(煩悩を断ち真理を知って得られる境地)であるという。
清少納言の言語観は『枕草子』(3)にある。「同じ言なれども、聞き耳異なるもの、法師の言葉、男の言葉、女の言葉」。同じ言葉でも、聞く耳によって異る『意味に』聞こえるもの、それが我々の言葉であるという。
上のような平安時代の言語観と歌論を無視して、江戸時代以来、国学と国文学によって、歌集や歌物語の歌の注釈と、「清げな姿」のみから憶測する解釈が行われてきたけれども、それらは根本的に間違っている。