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帯とけの土佐日記
土佐日記(同じ所)正月八日
八日。さし障ることがあって、やはり同じ所にいる。
今宵、月は海に入る。これを見て、業平の君の、
やまのはにげていれずもあらなむ
(山の端逃げて月を入れないでほしい……山ばの端にげて、月人壮士、絶え入らないでほしい)。
という歌が思い出される。もしも海辺でお詠みになられたならば、
なみたちさへていれずもあらなむ
(波立ち障へて月を海に入れないでほしい……汝身立ちさえぎって、月人壮士、絶え入らないでほしい)。
とでもお詠みになるだろうか。今この歌を思い出して、或る人(語り手)の詠んだ歌、
てるつきのながるゝみればあまのかは いづるみなとはうみにざりける
(照る月が流れ行くのを見れば、天の川、流れ出る水門は海にあったことよ……照りかがやく月人壮士が、汝涸れ逝くのをみれば、女の所為かは、出家のみなもとは、憂みにあったのよ)。
とか。
言の戯れと言の心
「なみたちさへて…波立ち障へて…波立ち障害となって…汝身立ちさえぎって」。
「てる…照る…おとこのほめ言葉…光る…男のほめ言葉」「つき…月…月人壮士、万葉集ではこのように詠まれている。それ以前の月の別名は、ささらえをとこ」「ながるる…流れる…西に傾く…汝涸るる」「な…汝…あなた…君」「あまのかは…天の川…女のせいかは」「あま…川…女」「かは…反語・疑問の意を表わす」「みなと…水門…みなもと…水源」「うみ…海…憂み…思いの満たされない辛さ」。
伊勢物語(八十二)にある業平の君の歌は、
飽かなくにまだきも月の隠るゝか 山の端逃げて入れずもあらなん
(月見に飽きてはいないのに はやくも月が隠れるか山の端逃げて入れないでほしい……飽き足りていないのに、まだそのときではないのに、つき人をとこはかくれるか、山ばの端逃げて絶えさせないでおくれ……この世に飽きてはいないのに、まだそのときではないのに月人壮士はお隠れになるか、山の端逃げて入道させないでくれ)。
歌には、清げな姿と艶なる余情と深い心がある。
文徳天皇第一皇子の惟喬親王(母、紀氏)のいまだ童であられた時よりお仕えしていた業平が、親王が入道されようとするときに詠んだ歌。出家の原因は、第二皇子惟仁親王(母、藤原氏)を擁立する藤原氏の権勢の圧力とか。
伝授 清原のおうな
聞書 かき人知らず(2015・11月、改定しました)
原文は青谿書屋本を底本とする新日本古典文学体系土佐日記による。