帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの「古今和歌集」 巻第八 離別歌 (399)わかるれどうれしくもあるか今宵より

2018-01-22 20:05:36 | 古典

            

                       帯とけの「古今和歌集」

                      ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って「古今和歌集」を解き直している。

貫之の云う「歌の様」を、歌には多重の意味があり、清げな姿と、心におかしきエロス(生の本能・性愛)等を、かさねて表現する様式と知り、言の心(字義以外にこの時代に通用していた言の意味)を心得るべきである。藤原俊成の云う「浮言綺語の戯れに似た」歌言葉の戯れの意味も知るべきである。

 

古今和歌集  巻第八 離別歌

 

兼覧王に初めて物語して、別れける時によみける 躬恒

わかるれどうれしくもあるか今宵より あひ見ぬさきに何を恋ひまし

(兼覧王に、初めて世間話して、別れた時に詠んだと思われる・歌……かねみのおおきみにおかれては、初めて、あのものの話されて、別れた時に詠んだ・歌)(みつね)

(別れるけれど、楽しみでもあるなあ、今宵より、お逢いできない前は、もしお会いできれば、何の話を恋しいと乞うだろうかと……山ばで、おんなと別れるけれど、楽しみだなあ、小好いより、仮に合い見ない前におんなは、何を乞い恋しがるだろうかと)。

 

 

「に…(話の相手などを)示す…(身分の高い人を主語にすることを避けて)におかれては」「物語…世間話…もの語り…ものの話…(はっきり言い難い)あの話…話をされたのは兼覧王である」。

「今宵…小好い」「恋ひ…乞い」「まし…(仮想してそこに願望などの意を込める)お逢したい、おはなしの先が聞きたい」。

 

もののお話、興味深々、仮にもまたお逢するのが楽しみです、なにの話を乞おうかな――歌の清げな姿。

山ばで、おんなと別れるのはつらいけれど、楽しみでもあるなあ、小好いより、仮に合い見ない前におんなは、何を乞い、わが貴身を恋しがるだろうかと・山ばの果てのおとこの勝手な思い――心におかしきところ。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)