明日晴れたら、、、

今日は雨だから、ゆっくり過ごそう。
明日晴れたら、、、ちょっとだけ頑張るかなぁ。

秋の空

2007年09月17日 | 家族のお話。


秋の空・・青くて高くて・・が、しかし・・今週はまだ残暑厳しく真夏日が続くとか。
もういい加減に涼しくなって欲しいと、ホント・・頼むよぉ

 

 

さて、ショートから戻った母は、大混乱でした
このところ・・いつもそうです。
どこから帰ってきたのか・・わからない。
どこにいたのかも・・わからない。
わからないんじゃなくて、わかってるんだけど・・繋がらないという感じです

それを正そうとしたのが間違いなんでしょうね・・怒り一杯で私と父に当たります。

帰って来させたくないから、わざと私を怒らせるんでしょう!」って。
邪魔だと思ってるんでしょう」
追い出したいならハッキリそう言ってよ!」

その言葉を聞くたびに・・最近・・私は「聞き飽きた!」って、言っちゃってます。
母の障害・・いい加減に私も上手く付き合っていけそうなものを・・全然、ダメです。
母の哀しさはわかっています。
苛立ち・・切なさ・・ダレのせいにも出来ないから、尚更怒りになることも。

喧嘩して・・血圧が上るのも怖いので・・早々に退散です。
あとは父に任せて・・二階の居間でパソコンに向ってしまいます。
(コメントのお返事に一杯愚痴ってしまってます・・読まされてしまってる方達・・ごめんなさいぃ

場所の認知が、悪くなっているような気がします。
ショート・・続いてしまったからナァ。でも、仕方ないし・・。


 
次女の体育祭、晴天と・・通り雨で、暑さ爆発でした。                それでも、中学最後の体育祭は・・しっかり見に行けました
去年の体育祭は、母の薬の副作用が発覚し、飛び回っていたのでした。

これまた毎日のように喧嘩している次女ですが・・朝礼台に上って、校歌の指揮をしている姿・・反抗期でちっとも私の言うことなど聞かないムカつく娘でも・・元気に病気もせず、しっかり育っている事に、ただただ感謝でした。

日曜日は、久し振りに父が洋服を買いに行きたいと言い出して・・旦那が近くのIYDへ連れて行ってくれました
ここのところ・・父には冷たい娘でした・・。
いろんなこと・・私が必死に前を向こうとしているのに・・父は立ち止まって、後ずさりばかり・・それは仕方ない事だけど・・もう少し、元気なフリでもいいから・・と。
そんな想いが父に・・冷たい態度になっていたと思います。
父は悪くないのに・・ただ、不安で・・辛いだけだとわかっているのですが。
そんな私の傲慢で利己的な想い・・反省させてくれたのは、お仲間のブログでした。
優しくないのは・・私でした。
なので・・父への謝罪も込めて・・お買い物にお付き合いしました。

引き篭もり気味の父、新しい服を着て・・ディに行ってくれるのカナァ?

ちょっと洒落たベストと、グリーンのチェックのシャツ。ズボンも二本買いました。
母にも長袖のTシャツをお土産に・・母の好きな色、エンジです。
本来は物凄くお洒落な両親です。伊達に洋服屋さんだったわけではないですねぇ。
昔の父に戻ったようで、とっても嬉しかったです。

でもね・・そんな私の心を知ってか・・父もナカナカツワモノです。
「家で着る服が腰のコルセットで入らなくなったから」と・・こうきましたか

それでも、心不全もどこへやら・・結構長い事歩けてました。
流石に・・疲れた様子でしたが、普段と変わりなく食欲もあり・・大丈夫なんだよな~と、認識してしまった私です。
まぁ、無理強いはしませんが・・ちょっとは・・外へ気持ちを向けて欲しいしなぁ。

そうそう・・父、大きな心配事が待ってるのでした。
長い事・・苦しめられていた歯、とうとう抜く事になりました。
それも・・訪問歯科衣さんに、我が家で抜いてもらう事になったのです。
ワーファリン・・止めずにやるそうです。だ・大丈夫カナァ・・

一応、大学病院の心臓外科の主治医とは、コンタクトを取ってくださっているようです。腫れて・・化膿しやすい歯・・思いきることにした父です。

突然の決断だったので、母のショートに重ねる事が出来ず・・来週の月曜に。
何故か祝日なのに、抜きにきてくれるそうなのです。
お彼岸だから・・弟が父を守りに来てくれてると信じて



ショートのお便り・・夜はデバスだけで眠れていると書かれてました。
母の寝息・・少し前にモニターから、聞えてきましたぁ。
ソロソロ、私も寝なきゃです。

 

そうそう・・こんなの頂きました・・。 
鼻血・・出ちゃうかなぁ・・

 

今週は・・「どんだけ~」寝れるカナァ


「どんだけ~」・・って、意味が違いますね ・・・ゲ!
でも・・「そんなの関係ない~」  ・・・・・へ!

コメント (11)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明けない夜はないけれど・・・。

2007年09月08日 | 家族のお話。


台風・・凄かったですぅ。
暴風雨でした。

だけど・・止まない風雨はないんですねぇ。
空は、青くて吸い込まれそうです
 


ブルースターの蕾も台風一過と共に咲きました。
シジミ蝶が、ランチタイム

天気もそうですが・・朝も、必ずくるもんですね。

このところ・・また母は寝ません
いったい・・どうしてこうも、寝なくて大丈夫なのか不思議です。
健康じゃないから・・寝れないのカナァ

眠たい私は、健康なのか~。ありがたいけど・・辛い夜が続きます。

感情を抑えて穏やかに「大丈夫よ、付き合うわよ・・」言ってあげられません。

「イイカゲンに・・寝て!お願いだから、せめて寝れないなら・・静かにしてて!
「明日もお弁当作らなきゃいけないんだから・・・ナースコール、手に持たないで!

我ながら、意地悪だよぉ~私。
「一刻も早く寝たいんだぁ」光線出しまくって・・キィキィ言っちゃいますぅ。うぅ~・・。


目覚めると母は一人でいられないんですねぇ。
父が隣に寝ていても、左側の父を・・見落としてしまいます。
まして暗くして寝てるから・・怖いのかもしれません。

ただ・・やっぱり、淋しいのカナァ。

眠剤を飲むのが10時半頃、トイレに行って・・オジサンの薬を塗って・・。
11時過ぎに母の寝息がモニターから聞こえてきます。

私も、一緒の時間に寝ればいいんだけど・・。
少しは、パソコンもやりたいし・・娘たちとも喋りたい。
何より、旦那が最近・・遅いんです。
おそらく仕事・・多分仕事・・きっと仕事


次は決まって12時半ごろ。
その時は「まだ寝てないから大丈夫よ」って、にこやかに言ってる私なんだけど。

ここからが・・ね。


2時半~3時半ごろ・・いわゆる、丑三つ時ってやつですか・・ちょっと怖い時間です

これだけの夜もあるのだけど・・そこから始まる夜もある。と。

たまに、パッドにしてくれてた母だったりすると・・全身ビッショリと・・汗と、横漏れのチッチ。
着替えて、拭いて・・三十分はバタバタします。(要領悪い私ですぅ)
大が出たいと言う時もあります。

でも・・毎度のこと・・夜中に大は出ないのですよ。

挙句に、日によっては、トイレコールをした母ったら・・Pトイレに座ったまま寝ちゃったりしています。
当然、チッチも出ません。
Pトイレに音がしない・・したと言い切る母ですが、そんな気がするだけなんですぅ。

「そんなに眠いなら、寝ててくれぇ。
パッドにしてしまえ~
だいたい・・出ないのに、何で呼ぶ!?」

私は本当に・・優しくないんです寝てくれぇ~ばかり。

そんなこんなで、再度布団に入ったのが3時過ぎです。

だけど・・だけど・・こうなっちゃうと・・寝てくれない母です。寝れないんですぅ。

母はコールボタン・・触っているのか「ガチャガチャ」と。
このコールボタンについてるマイクが・・クワセモノですねぇ。

私はこの音・・大嫌いです。

母の辛さも、わかるから。
わかるけど・・

虫の声しか聞こえない静かな夜中・・耳障りに鳴り響いて、寝れないのです。あ~
虫の声より高らかに~秋の気配にまじって、母の気配(なんちって)

三十分・・我慢したけど、うるさくって・・再度母の所に降りていきます。

高次脳機能障害のせいで、時間の感覚がないんです。
だから・・夜中でも、目が覚めると朝の気分。

まだ辺りが暗い夜中でも、毎朝起きがけに飲んでる骨粗鬆症の薬の「アクトネル」を飲ませてくれと言い出すし。

いくら今の時間を言っても・・わからなくなっちゃってるんです

後遺症だから・・そういう障害だから・・仕方ないけど。
母だって、出来れば私を起こしたくはないことだって・・ちゃんとわかってるけど

お腹が痛いからトイレに行きたいって・・座らせても、ウトウトし始めて。
ベットに戻せば・・目はパッチリ。

ホント、赤ちゃんに戻っちゃうのかなぁ

何度かそんなことの繰り返しで、三階に戻るのをやめて・・居間の畳の上で寝たのが四時半。

再び父を呼ぶ母の声・・5時半・・。

その間・・父は全然起きません。

父も眠剤を飲んでるし、難聴だから・・心不全だ。
実際、以前は起きてくれてました。
この頃は、起きません。起きなくていいとは、私も言っていますが・・・。あ、起きる時もあります。
父も、利尿剤・・飲んでいますので、チョコチョコ目は、覚めるようです。

母の父を呼ぶ声・・もしくわ、父を起こすために落とす枕、クッション・・上掛け布団を落とす音。
母も必死なんでしょう。

夜中の・・マイクから聞こえる音・・

一年前と違って、母は大分良くなりました
それゆえ・・ベットの手摺を右手で持って、身体を横向きにすることが出来るようになっています

でも・・それゆえに困ったこと

右側に向いた身体・・麻痺の左手は動きません。置き去りになってしまいます。
右手が疲れて手摺を放したとき、母の身体は元に戻っていますが・・左の麻痺手はからだの下敷き。

時々・・自分の左手だってこと、忘れてしまう母です。
だけど・・亜脱臼の肩の痛み・・わかるようになりました。
だから・・必死に左手を身体の下から抜こうとするけど・・・抜けないんだって。

そんなこともあるので、結局起きて1階に行くしかないんです。

イイカゲン・・毎晩これだと・・辛い~です。


そして今日・・とうとう大寝坊してしまいましたぁ~。

土日出勤の旦那・・六時に起こしてくれって言ったのに。


4時半に起きた母は、今日はそれきり私を起こさないでくれたのですが・・それゆえスッカリ爆睡の私



そうそう、実は・・今週あった脳神経外科の受診の時(折りしも、台風上陸前日)に、再度主治医のS先生に・・睡眠のことを話しました。
それでも母は元気だし、寝足りてない様子もないのですが・・私の寝惚けた顔を見てか・・S先生が案をだしてくれました。

いつも寝る前に飲んでいる眠剤は「レンドルミン」ですが・・それを飲む前に、軽く導眠剤を飲んでみましょうか・・って。
それを飲んで、夜中に目が覚めてトイレに行った後・・やっぱり寝れない時にレンドルミンを飲む事にしましょう・・って。
これだと、翌日のリハビリに触る事はないでしょう・・ってことです。

出してもらった薬が「デバス」
以前、私が喉の異物感の時に出して頂いた・・精神安定剤でした。

気持ちを安定させる事によって・・眠り易くなるってことですね。処方箋にはそう書いてありました。

で・・「レンドルミン」は眠りを持続させる働きが主だそうです。
母の場合、持続時間が短いですがぁ。


眠りは・・精神的な問題がとっても大きいそうです。

それについては母の場合もその日のうちに、発覚しました

母は主たる薬を朝昼晩、まとめて一包化して頂いているので・・処方箋を出しても薬が出来るまでに時間がかかります。
なので、出来た薬を頂きに行くのは、処方箋を出した次の日にしています。

なのに・・受診をして、新しく薬をもらうことになったその日の母、夜中に一度私を起こしただけでした。

薬が変わったから良く寝れたわ~だと。
おまけに、朝になっても薬が効いてる気がするってぇ・・・

まだ・・飲んでないのにね

結局、昨日はじめてレンドルミンの前にデバスを飲んだわけです。

夜中二度コールがありましたが、すぐに寝なおすことが出来ていたので、レンドルミンを飲ます事はしませんでした。

で・・・朝も、頭クリアで・・私を起こさずいてくれたわけです。
精神的に落ちついているときは、正しく母なのです。

母は、あれこれ言ってても、娘には・・出来れば辛い事はさせたくないとか・・思ってるんですねぇ。



しかし~母のコールボタンで起きた時・・なんと七時半でした

私を起こさないように、トイレも我慢してくれてたんだって。

それが・・・裏目


慌てて旦那を起こして・・ダッシュで1階の母の元へ。
旦那が・・何やら言ってたけど・・・私の頭はパニック。

母をトイレに座らせて、骨粗鬆症のアクトネルを飲ませて・・父を起こして見守りを頼んで・・・。

その間・・旦那は、黙って出勤。
「行ってくる」くらい・・言ってくれればいいのにさ・・そりゃ・・悪かったけどさ。
二階の玄関のドアの音に、慌てて1階の玄関から出てみれば・・早足で歩く旦那の後姿がありました

怒らないとは思うけど・・一時間半の寝坊・・・。
まづい・・・よな。
一応、謝りメールをしといたけど・・返事こないんだナァ~これが・・・。うぅ~・・・。

今日は、東京の現場へ車で行ったのでした。
土曜日だし・・渋滞する前にってことだったんだけど・・モロ渋滞時間に出て行ったぁ。ウギャ!

でね・・長女だけは・・六時に起きてたんですねぇ。
文化祭一日目・・クラスは「カキ氷屋さん」をするそうで・・。
化粧するために・・早起きしてたそうです

起こしてくれればいいのにねぇ~。
下手に起こして「まだ寝れたのにぃ~!」ってお母さんに言われるのムカつくから・・だろな。ハハハ。


とにかく・・八時にヘルパーさんが来る前に、両親の朝食の準備してぇひたすらバタバタ


母はそうして・・出かけて行きましたとさ。

今回は、夏バテぎみの私を気遣って・・文句も言わず、行きたくないけど行くって・・言ってくれました。



父は・・ディだったんだけど・・またしても、お休みです
もう・・全然、行く気がしないようです

父のこと・・イロイロ思ってしまいますが、本人・・行きたくないんだから、仕方ないです。


だけど・・家族、来訪してくださる母関係の方達、病院の関係者以外とは・・接する事もなく。
狭い部屋の中で過ごす日々

母と私が散歩に出ても・・父は家にいるんだものぉ。
一緒に行こうって母が誘っても・・ダメなんだものぉ


このままじゃ・・引きこもりになっちゃう。

なんとなく・・話してても、ポーってしてる時間があるし。
物忘れが多くなったような気もするし・・。

身体の調子も心配だけど、そっちも気になる私です。

父は、もう何年も神経内科に通院してるけど・・自律神経失調症、不安症はナカナカ・・手強いです。

というわけで・・・今日から二日間は私の休息日
なんとか時間通りに母を送り出せたので、家事を終えて・・あとはもう、冷房のきいた居間で一人ですきなように過してます。
上の娘は文化祭、下の娘は塾でーす。

今日はレトルトカレーに決定しているので、朝は一杯寝たことだしPC三昧。グフフです。


なんだか・・少しだけ気持ちが下向きの今週だったので、矢印上向きにしなきゃなぁ。

更年期・・のせいなのかなぁ~何を見ても涙が出ちゃった今週でした。可愛いもんです。ゲ!


台風一過の秋空は高くて・・ほんの少し、夜風が心地よくなりました。

   赤白リップも!


台風の前日から・・一応屋根の下に非難させてた花の鉢、根っこが伸びて動かせなかったブランターの小花も・・風で花びらが随分と飛んじゃったけど・・今日は盛り返しております。

   ミニバラも

皆様も・・夏の終わりに、風邪ひかないで下さいね

コメント (23)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

流されて。

2007年08月28日 | 家族のお話。

いろいろと、あった日々でした

母は日曜日から二泊三日のショートです。

今回は・・なんだかこの暑さにスッカリ負けてしまったのと、困った~が沢山あったりしたので・・気が付くと引っくり返って寝てました。

 

ちなみに・・小さな困ったは、こんなです

先週の始め・・前歯(糸切り歯の隣)の差し歯が折れたのですぅ
今も、まだない歯無し・・
予約がナカナカ取れなくて、やっと今週木曜日に取れました・・。他の歯も、ヤバイです。
いったいいくらかかるんだろう。当然、保険内でなんとかしてもらいますが~。



それから・・父の診察券を出しに行く途中、自転車のチェーンが壊れて・・自転車を引っ張りながら・・30分往復した月曜日でした。
荷物止めの網が・・ゴム製だったのが失敗。籠からぶら下がっていたのに気が付かず・・車輪に巻き付いて・・チェーンに食い込んで~。
突然べダルが動かなくなって・・やっと気が付いた私でした。
炎天下・・汗だくになって道の端っこで絡んだ網をなんとかしようとあがいていた私。
ありがたいことに・・見ず知らずの方が・・ハサミを持って来てくれました助かりました。
ちょど朝のゴミ出しをしてたようで・・私に声をかけてくださって、親切なおばちゃん、本当にありがとう。

なんとか網を切り、ペダルが回るようになったのですが・・なんのことはない・・チェーンが割れてしまったのですぅ
母の愛車だった自転車・・もう・・かなり使い込んでいたので・・チェーンも寿命だったようです。
これまた・・自転車・・買わなきゃですよぉ。飛んできますねぇ~
加えて、顔にかいた汗の粒のせいでしょうか・・あせものように痒くて・・真っ赤になって、ボロボロですぅ。
どなたか・・いい化粧水(安い)でも、御存知ないでしょかぁ~・・美人が台無しぃ



そして・・二ヶ月以上・・やってこなかったお客さんも、流石に心配になってきました。
それはそれで楽でしたが、筋腫持ちの私としては・・心配している時間を伸ばしていても・・。
ってことで、予約外の受診を決心。
もう・・前回の受診から一年半もたっていました
初診扱いになるはずで・・特別診療費の三千円も取られる覚悟で・・直接外来の窓口に主治医の担当曜日の確認の電話を入れてみました。
とっころが、自宅介護でナカナカこれなかったと事情を話すと・・カルテの用意はしてくださって、おまけに初診扱いもしないでくれたのですぅ。
母のディの合間に、行って来れました。
しっかし・・予約外ではあったため・・待つこと三時間しっかり・・居眠りしていた私です。
子宮ガン検診・・久々なので、痛かったのナンの~おまけに次の日からは貧血モノの・・・。
挙句に今度はナカナカ帰ってくださらず・・もう、イイカゲン帰ってくれぇ~です

(男性の方、女性はイロイロ大変なのです。奥様、いたわってくださいね~アハ)

子宮筋腫の方は、これから向う更年期徐々に小さくなるでしょうとのことでした。
腫瘍マーカー、ちょっと怪しい時期があったので・・こっちは結果待ち。

そんなこんなで、自分自身も一杯一杯でした。

それでもとりあえず・・こうしてパソコンの前に座ってる時間を持てたんだから、大丈夫なんですけどね。
(どっちかってーと、もう・・開き直ってしまった感もありますがぁ)



私の方は、もう・・なんとでもなれと言う感じですが、本当に困ったなぁは・・こっからでした

 

先週の金曜日、父は毎月何回かある受診科が二つ重なりました。
午前に皮膚科、午後は消火器内科。

この暑さで、二つの科の掛け持ち・・同じ大学病院だけど、本院と東院と場所が微妙に離れており・・おまけに予約時間はまるきりの午前と午後に。
予約を取時に・・調整してもらえばいいものを、普段細かい父・・何故かいつも医師の言うままになってるんですねぇ。大学病院の担当医は、結局のところいつもいるわけではないから、そうなってしまうのも仕方ないんだけど・・一週間前倒しにするとか、後にするとか・・考えればいいんだけど。
時々こういう日、ある父です。

で、午前はつつがなく終了し、午後の受診。
旦那が車で仕事に行ってしまったので2往復のタクシー移動です。
父も一級障害者なので、タクシー券を頂いていますが・・こんな使い方をしているので、あっという間になくなってしまいます。
市で運営している福祉バスもありますが、肢体不自由でない父には使用できません。
杖をついて、ヨロヨロと歩いていようが・・沢山の科に受診していようが・・・


そして、午後の診察で・・消火器内科の主治医に「かなり心不全の症状が出ているから、早急に心臓外科の受診をした方がいい」と言われてしまった父でした。

何日か前の
心臓外科の主治医の受診があり・・「心不全」と、言われたらしいのです。
その時は・・私には・・父は、そのこと言わなかったんです。
これ以上の心配、かけさせまいと・・。そして・・だからどうする・・ってことも、出来ないし。
弁置換手術をして11年、人口弁の動きがあまりよくないのかもしれません。
薬を処方してもらって、無理なく過すしか・・ってことで・・父も納得するしかなかったようです。

ところが、長年も看て頂いている消化器内科の主治医にまでも言われてしまったものだから・・父はすっかり病人になってしまいました。
消化器内科の医師は、父の性格もよく知っており、心臓の手術をする前から、大腸のポリープもあり看て頂いている医師でしたから・・多少のことは口に出したりしないんです。
その医師の「心不全」の言葉に、私も母も大動揺をしてしまいました。

母は、また・・自分のせいだと泣き出すし。
心配で、もうどこにも行きたくないと・・。父の側にいるんだと・・・。


父の足の浮腫みは、少しづつ全身に広がって行ってるような気もします。
弁の動きが思わしくないから、血液をうまく運べていないんでしょうか。
本人診断の不整脈も・・出ているって。

行く気になっていた土曜日のディも、一日短くした母の日曜日からのショートの送りも・・すべて中止です。
なんだか・・すっかり元気がなくなってしまいました。
(その後、不整脈はおさまったようでしたが)

父の場合、要支援2・・介護保険は予防介護ってことですが、このままだと・・どうなることか。
ディの看護士さんに言わせると・・元々心不全だったんだし・・少し、症状が強いのかもしれないけど・・今すぐ慌てなきゃいけない状態なら、主治医の指示があるはずよ。って。
確かに、消化器内科の医師に言われたことを電話で心臓外科の医師に伝えても「心配ないと思います」って、再診はありませんでした。

そんなこんなで・・すっかり後ろ向きの父。
どうしたもんか・・

挙句に、頼りの伯父が・・原因不明の高熱で、今日で五日も寝込んでいます。
父が心不全を心配している真っ最中に、」病院へ行っていたらしいのですが、今日になってもまだ朝方から40度近い熱が出てくるので・・多分これから検査入院になりそうなのです

ショート中の母に会いに行ってもらおうと思ったけれど、それどこではなく・・。
伯父夫婦は子供がおらず、出来れば私が手伝いに行きたかったけれど・・無理だし。




そんなこんなを耳にして、不安一杯でショートに出かけた母からは・・ショート先から毎日電話がありました。二泊なんだけど・・母にとっては、とっても長い時間だったんでしょうねぇ。
あと・・数時間で帰って来ますが、どうかなぁ。
これを打ってる間にも・・電話、きたんですよぉ。一刻も早く、帰りたいんですねぇ。

ショートは、日曜日に私が介護タクシーで送って行きました。


今回は、手土産にクッキー持参致しましたささやかな、娘心です。

フロアーには、結構な数の利用者さん、母の顔見知りもいらしたので、少しホッとしました。
だけどこれでは・・夜中のトイレ介助は無理だろナァ・・。
そう思ったりもしてたけど、近寄って来てくださった看護士さんと・・思いがけず沢山話しが出来ました。
結局・・母の骨折云々というより、更なる問題になったのが「骨粗鬆症」だったようでした。

骨折完治を告げられた時に、整形外科の医師に「ひねると折れる可能性がある」と言われたのを一緒に聞いていた、ショートの責任者のKさん。
ゆえに、一人介助のトイレなんて・・危険すぎる。って判断したようです。
もちろん、夜間の当直は一人だし・・ナースコールの多さもあり・・。
母を丁寧に扱えない可能性が・・って。

聞く所によると・・昼間も二人介助で、母の左足には一切の負担をかけないように・・二人介助で持ち上げるようにトイレに座らせて下さってると・・・。

「娘さん、家ではお一人で?

当然です。私しか、いないですもん。


向かい合って、家でやっている母の移乗の仕方の説明なんぞを・・今更しました。


私と体格的には変わらない看護士さん、私より体格の立派な介護士さん。

 

結果、余裕がありましたら・・夜中のPトイレも試してくれるってことでした
昼も、母の調子を見ながら・・一人介助でもやれるか試してみるそうです。

それで骨折したりしては何もならないので、私も無理はしなくて良いですと・・付け加えました。

母は、そんなにも大事大事にして貰ってたって・・ことですね。


そう考えれば、私の怒りは・・ショートの方にとっては理不尽な怒りだったんでしょうねぇ。

ちゃんと・・現場のスタッフと話すことが、とっても大切だってわかりました

ケアマネさんや、責任者さんに話を通す事が筋だと思ったりしていましたが・・実際に手を使い、考えて動いてくれるのは・・ダレでなく、現場のスタッフさんなのです。

物凄く、当たり前のことなのにね・・・。

これからは、何かあったら・・行ってみようと思った私でした。
結局、面倒だけど・・それが一番早かったりするんですねぇ。

 

ケアマネさん、相談員さん・・それなりに、いろいろ考えてくれてくださってる事もわかります。

だけど、言葉は・・案外伝わってるようで、伝わらない事も多いから。



なんだか、正直・・何も考えたくない私です。
実際、もう考えてもいなんですが

いろいろ起こってしまいます。
やれやれ・・って、
ハーまたか・・。そんな、感じでいるだけですが・・。
以前ほど、起きた事に動揺しなくなったナァ。


考えなくても、いろいろ進んでいきますね。
そんなもんかもしれません。
なるように・・なってくので・・流されて、過しています。

流されて、なるように動いてると、案外気が付かなかった事も冷静に見れたりも・・するんですねぇ。


いいことだって、あったのですが・・・。
母の長谷川式のテストが2ポイントあがって24に
もうそれは、認知症のラインを超えたってことらしいです(認知障害は沢山ですが)

とりあえず、母が帰ってくる前に、ここにシンドイことを置いておかなくては・・と、またまた長い記事になってしまいました。

空は、いつのまにか・・ずいぶん高くなったような気がします。
秋の気配・・。

久々に、青い花買ったし

また、忙しい毎日が始まるので・・心して・・頑張りましょう

コメント (14)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

頑張ったよ。

2007年07月03日 | 家族のお話。


今年も買ってしまったアメリカンブルー。

今日で、母が自宅に帰ってから丸一年になりました。


 

去年の今日、7月3日に母は自宅に戻ってきたのでした。




今更ですが・・脳動脈瘤を左の視神経の近くに発見した母は、コイル塞栓(そくせん)手術中に、哀しくも脳梗塞を起こしてしまいました。
五ヶ月の大学病院での急性期を終え、回復期リハビリ病院へ転院。
「廃用症候群」ということで二ヶ月のリハビリ療養を経て、自宅に戻ってきたのが去年の今日です。

 

退院した時、母は呂律が上手く廻らず、私以外には何を言っているのか聞き取れない状態でした。
後日、薬の影響だったということが発覚し、今では一日中ズーっと喋ってる母です。

 

一年前の母は、車椅子に座っている時間も一時間が限界でした。
今は、半日だって座ってる事が出来るようになっています。

 

四月に寛骨臼骨折をしてしまって、全治三ヶ月。
今までの努力が水の泡になるような気がして、悔しさで一杯でした。

 

でも今は、母は再び、通常の車椅子に戻って、ほぼ一人で食事をとっています。
リハビリも、ベットから車椅子の移乗を主に再開しました。

 

相変わらず、左半身は全廃状態だけど。
左側の空間無視はあるけれど。
時には、異次元へ出かけてしまう母だけど。

 

それでも、退院した時に比べたら、回復しているんだと思います。

 

上を指す矢印の角度は緩やかで、時には下を向いてしまうこともあるけれど。
車椅子で、半日近く出かけることも出来るようになった母です。

 

そして、私も元気だった頃の母を想い、ひたすら泣くばかりを卒業しました。
もちろん、まだまだ「あの頃」を想うと、胸が痛く涙も出てしまいますが。

 

強く、キツク・・時にはケアマネさんに、言い返してしまうようにもなりました。

 

いつかその強さが、優しさで一杯になるように頑張っていきたいと思います。

 

母同様、なかなか感情のコントロールは難しいです。
それが、今の私の課題かなぁ~と思っています。


 

 

今日から在宅介護、二年目に突入です。

 

母は、一生懸命生きてくれました。
何度も死にたいと泣いた母だけど、それでも生きてくれてます。
まだまだ、前向きな日ばかりの母ではないけど・・。

 

一生懸命、生き続けて欲しいんだぁ。

そして、リハビリも頑張ってます。

 

それから、父も頑張りました。
要支援の父は、本来なら介護をされる側なのかもしれません。
浮腫んで腫れた足を引きづりながらも、痛い腰を庇いながら・・頑張って妻たる母の介護をしています。

 

そして、頑張りましたよぉ~私。

反抗期の娘二人、B型で一見マイペースで黙して語らずの旦那と過しながら。
母として、妻として・・一杯手を抜きながら・・も。

この一年、わかったこと。
頑張らない介護は、難しいです。

頑張ろうと、少し気を入れないと・・私の場合は凹み凹みでドヨドヨになってしまいます。

頑張らないんじゃなくて、いいかげんな介護「良い加減、良い塩梅」で、それを目指して生きたいと思います。

介護・・というか、身体が思うように動かない母との生活。それが当たり前の毎日になりたいと。
私の人生の一部で、なんてことない日常だって心から思えるようになること。

そう思える日まで、やっぱり私は頑張っていくのだと思います。

時には凹み、時には浮かれ。

私はまだまだ「頑張れ一人娘!」って、自分に発破かけながら。

 

そして、沢山私を励ましてくださったブログ友の皆様。

本当に本当に、いつもありがとうございます。

こんな私だけど、この一年過すことが出来ました。

あれもこれも、それもどれも・・頂いたコメントや、メール、それから皆様のブログを読ませて頂いて・・なんとか一年過す事が出来たのだと思います。

どうぞどうぞこれからも、よろしくお願い致します

コメント (26)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今年のバラ。

2007年05月29日 | 家族のお話。

バラが咲いた~ブルースターも咲いたぁ~
今年のバラは、去年より少し色が薄いかな・・。
蕾が一つの茎に三つもついてるけどデッカク綺麗に咲きました。

 

 

火曜日から次女は修学旅行です。京都奈良で二泊三日・・新幹線でGO

母がショートに行った日の日曜日は、次女の修学旅行用の雑貨の買い物に行ってきました。
それは、骨折する二ヶ月前からの約束でした。その為に、今回のショートは入ってたのでした。
(ゆえに・・父に母を送って貰ったわけです。父は・・最初嫌そうでしたが・・送って行った後の母の様子はとっても良かったらしく、母が「帰っていいって言った」って、あっという間に帰ってきた父でした)

久々の大きな駅の人ごみに・・疲れちゃったのなんの。遊んでて疲れるなんてぇ~ヤバイですねぇ。
姉の方は部活だったので、次女と二人で美味しいものも食べてきちゃいましたぁ。
あ、父の昼ご飯は・・ちゃんと用意して出かけました・・・

インドカレ-三色。チキンの辛かったのなんの・・ 

 キハチのソフトクリーム、キャラメルのトッピング

 


朝5時半に起きて、6時半に友達がお迎えに来ました。
嬉しそうな後姿に「いってらっしゃい」が久々に言えてヨカッタァ

駅まで20分は歩くカナァ・・そこから、電車に乗って新幹線の停まる「小田原駅」で集合です。

荷物は・・昨日のうちに宅急便でホテルへ。
ホテルはキーカードのあるツインの部屋ですよぉ。もちろんバス、トイレ付きですって。
おまけに、観光の一日はグループ毎で貸切タクシーなんですよぉ。

私の頃とは大分、修学旅行の様子が違っています。
理由は、イロイロあるようです。

去年の姉の時は、雑魚寝状態で・・観光は公共の交通手段でした。
でも、去年が特別だったようです。
枕投げ・・楽しかったって言ってました。輪になって・・怖い話しと~男の子の話とかね

どちらが良いかもイロイロですね。

とりあえず、楽しんで良い想い出が出来たら、それで良しです。
楽しい時は一杯楽しんでおいでってなことを言ってた私に「わかってるぅ~クドイ」だって。


ナントね、荷物は・・前日と、帰宅後に宅急便で送られてくるんですよぉ・・洗濯物
中学三年生、人生楽ありゃ・・苦もあるさぁ~の最初の時かな



そして入れ
違いに、母がショートから帰宅しました。

一度、起立性の低血圧・・起こしたみたいですが、一時間で解消したようです。
一泊目の夜・・三時間しか寝れてなかったからかもしれません(ノートにそう書いてありました)

今回は、電話してこなかったなぁ。本人は「かけて貰ったけど留守だった」とか言ってますが
いつも一緒になる方が、帰りまで一緒だったようで、話し相手が確保出来ていたみたいでした。
なので、前回よりは・・帰りたいコールが少なかったみたいでした。

足の痛みもなく、本当に骨折は良くなっているみたいです。

そうそう・・これはきっと珍しい事ではないのだと思いますが、薬が増えました。
整形外科の先生の処方。

骨粗鬆症の薬「アクトネル」 

骨密度、0.328 同年齢の平均骨密度と比較して72%
           若年成人と比較すると51%(80%が理想だそうです)

いずれにしても、骨は先生曰く「スカスカ状態」
牛乳大嫌い、乳製品は食べられない母なので・・ナカナカねココアやコーヒー牛乳で少しカバー。
煮干だの、なんだのぉ~食事からカルシウムを摂取するのは難しい~そうですね。
ホカにもイロイロ薬があるそうですが、脳梗塞の経験者にはリスクもあるそうです。
足の血管に、血栓が出来易いそうです。
とにかく・・アクトネルで改善出来ることを祈ってそれから、二度と骨折しないように

ついでに、肩のレントゲンも撮ってもらいました。
「先生、もう一箇所・・診て頂きたいのですが~。亜脱臼だとは言われてる肩なんですが、痛みが結構強くって」

先生、しっかり診察してくださいました。
「一センチ~二センチ弱かなぁ。これくらいなら、全然問題ないですよ。こんな言い方はナンですが、麻痺肩でこの程度なら、よい方かもしれませんよ」って。

「痛みは、筋肉の硬直痛か・・切断痛みたいなものかもしれません。脱臼による痛みではないと思いますよ」って。

「なるべく、肩の後ろの筋肉を付けるように頑張るか、腕を下に垂らさないで吊るか・・で、対処してください」だそうです。

母は、相変わらず・・麻痺して動かない左手を「孫の手」だって思ってる時もあって・・まぁ、それゆえ大事にしていますが、麻痺側の擬人化・・ってのが不思議です。
ウルルさんに作ってもらったベストのポケットに手を入れて・・大事にしてるから、亜脱臼・・思ったよりも酷くなくて済んでるんですねぇ。

次回、六月の受診で「もう、何をやっても大丈夫ですって言ってあげれると思います。もう少し、頑張ってくださいね。歩く練習以外なら、何をやってもいいですよ。」

骨折部位のリハビリは、特別しなくてもいいそうです。
徐々に以前のスケジュールに戻して・・ショートを少なく出来るように、頑張ってこうね母

 

  バラの花もブルースターも満開



ゼラニュームのジャングル・・ 

コメント (24)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

気が付けば・・。

2007年04月13日 | 家族のお話。

訂正 

15日以前に読んで下さった皆様へ。

老健と記載してしまいましたが、私の間違いです。
特養でした。本当にごめんなさい。


へへ・・また買っちゃいマシたぁ。

昨日から、母はショートへお願いしました。今回から二泊三日を一週間に一度。
4月一杯は、そんな感じでやってきます。

昨日は脳神経外科の受診をして、そのままショート先へ送り出しました
ショート先の相談員さんのKさん、今回も母に付き添ってくださいました。
骨折後に始めて脳神経外科の主治医に会った母は、なんだか泣きそうな顔をしていました。不安・・そのものの母でした。
骨折して三週間目、念の為の脳のCTを撮ってもらい、結果は以前と変わりなく。
とにかく、骨折を治して・・リハビリ再開を待ちましょう。

私だけがショートの送迎車から降りて、母に手を振って「いってらっしゃい!」
相変わらず、寂しげな母の顔でしたが・・今回は私もスケジュールが一杯です
それに、
前回のショートから四日しか空いていないけど、たったの四日間で、実はヘロホロの私と父だったのです。
父は連日の病院通い(皮膚科に、心臓外科に、消化器内科)も手伝ってノンビリしている時間は皆無です。
足がパンパンに浮腫んで、ワーファリンの影響でしょうか・・つま先の毛細血管が切れてしまっていました。無理しているのはわかってたけど、ヘルパーさんを三時間お願いしても、なかなかノンビリまではいかないもの・・。
父の主治医である心臓外科の医師には、父は介護の限界を告げられたようです。
無謀なことをしていると

でも・・母の自宅介護をやめることは出来ない、私と父です。
施設での骨折と言う事を経験したばかりなので、怖さが先にきています。
全ての施設が・・といういわけでは、ありません。
骨折完治の暁には、もちろんまた・・通所リハビリやディサービスに行ってもらいますし。ショートも使わなければやっていけない。

足繁く通い、見守る余裕・・根性カナァ?私にそれがあるか・・。
家にいるから、介護も生活の一部に出来ているけれど。
実は・・本当に情けない私なのです。
長期に施設を利用した場合。。。私は冷たいかもしれません。


既に、施設で穏かに過している方もいることを知っています。
母と同じような状態で、探している方もいらっしゃいます。
家族ではないけれど、家族ではないから・・居心地の良い生活・・望んで、お願いしている人に・・探さなくても、ちゃんとそこに・・あって欲しいのに。

今回はしみじみと・・介護施設というものの現実を考えてしまいました。

というか・・今回のことで、お願いする場所を探すことが難しいとも思ってしまいました。
今の母の状態では、当然預かってもらえるのはショート以外ないでしょう。
仮にあったとして・・ショートよりも人手の少ない場所では・・危険が一杯。
「わかった?」って聞かれたら「わかった!」って100パーセント言える母です。
全てのことが少しづつわからなくなってきているわけではありません。
健康な時と変わらないところも、沢山ある母なのです。
けれど入所すれば、おそらく・・そうなっていくことは否めない。

実は、母がCTを撮ってる間、Kさんにショートのある特養の様子を聞いてみました。

兼ねてからケアマネさんに、保険のような感覚で、特養の申し込みを進められていたのですが、まだしていない我が家です。
今回、このようなこともあり・・父も限界が見えている今・・そして、三年先のことをチラリと考えたとき、再度、頭をかすめたのが老健の申し込み。
いずれにしても、すぐには入所出来るすべもなく、一生利用しないかもしれない。
何しろ、百人単位の・・相変わらずの空き待ちなのですからねぇ。

加齢と共に弱る介護者(父、私だって・・)そちらも大事な身体です。

ショートのSさんは、以前は特養の相談員さんだったそうです。
ほんの短い時間でしたが、特養全般、ということで・・話を聞いてみました。
実際、母のショートのある部屋は特養の建物内で、そこを通って行くので・・なんとなく普段の様子は私も見てはいます。
静かで・・笑い声など聞こえない場所・・・たまたま聞こえなかったのかもしれません。
でも・・そういうところばかりではないことを・・聞かせて欲しかった。

そして、やはり今の母にとって、好ましい場所ではないことが・・遠まわしに聞こえました。Sさんも、こんなことを言っては・・と言いつつ、まだ母の来るべきところではないと言ってるように聞こえました。

50人強の利用者さんを看て下さるスタッフさんの数は、一人当たりの抱えている人数に対して、ショートより一層少ないようですし、寝たきりの方が多い場所でもあるそうです。
そして、身寄りのない一人暮らしの利用者さんが、半分はいるそうなのでした。

母は、寝たきりを避ける為にも、今、自宅療養してるわけです。
今後もそれを続けたいのです。それは父も想いは同じだと思います。
いろんなタイプの特養はあると思います。
たまたま・・ここがそうなのか・・?!


高次脳機能障害がある母。出来ないこともあるけど、出来る事だって沢山。
わからないことも沢山あるけど、昔のことは誰よりもしっかり覚えている母です。
動く事の大好きだった母が、いつまでも、ジッとしていられるわけもなし。
それゆえ・・出来るだけ、母らしく過させてあげたい。
まだまだリハビリだって、頑張って続けて・・奇跡だって起こるかもしれない。
今更ながら・・お金持ちだったら、家と同じくらい居心地の良い場所をみつけてあげることが出来るのかもしれないと思ってしまっている私です。
そう・・お金があったら・・もしもの時は専属ヘルパー付きの完全看護の施設とか
結局・・そういうことなのかなぁって、思ってしまったり。
なんとか・・自宅で介護を続ける為にも、母には早く復活してもらわねばです。
もちろん、整形外科の医師の「完治」の言葉を聞くまでは、安静に。
考えても仕方ないけど・・やっぱり先の心配も出てきてしまうこの頃でした。

頑張らない介護・・いつのまにか頑張ってる介護。
当たり前の生活の一部に確かになってきたけど、イロイロいろいろ起こります。



ベット上の母は、退屈でしょうがない・・時間が止まったような感じなのだと思います。
記憶が留まりません
昨日のことが、思い出せない時が出てきました。
自宅で、介護部屋で・・やっぱり喋る時間が少ないからなぁ~なんだか呂律も悪くなってる気がします。
なので・・退屈しのぎにと、母の友達にも来てもらいました。
事情を話したら、すぐに飛んできてくださいました。
お土産に、夕飯のオカズも沢山頂いちゃってラッキーでした。感謝感謝です。

 
ポテトサラダ・タケノコご飯・レンコンのキンピラ・鍋一杯の大根とガンモに小松菜のおひたしでーす

足の痛みは徐々に回復していますが、やっぱりPトイレの一人介助はどうしても、母の負担になってることも確かです。
ショートから戻った日は、痛みも軽く健常側の右足の立ちもとっても良かったのですが、日を追う毎に痛くなり始めてしまって・・。
そりゃ、骨折してるんだものねぇ

急いでいいことはないですが、なんだか綱渡りをしているような毎日でもあり。
それでも親子で頑張る日々です。

そうそう・・要介護5のみに許可してもらえるサービスをケアマネさんに教えてもらいました。
介護保険が足りなくなった場合、要介護5ならば、申請が出来るそうです。
今はショートの責任としてやっていただきますが、怪我が治った時の父の状態も心配なので。
そのための手続きもしなきゃいけません。次回のショートもすぐだけど・・ノンビリなんかしてられませんね。
ショートの延長と、ヘルパーさんの延長が可能になるそうです。
審査期間に一ヶ月以上かかってしまうようですが~行ってきますとも!
しっかし・・そうならもっと早く教えてくれたら良かったナァ。
結局、審査もあるし・・極力介護保険以内でって、ことなのでしょうかねぇ。
ケアマネさん・・サラリーマンだしね
ケアマネさんも「何でも言って下さい」の陰に、いろいろあることを知りました。

話はなんだかまとまらなくて・・眠気も一日中。相変わらず長い文でごめんなさい。
読んでくださって、本当にありがとうございます。
気を悪くされた方がいらしたら・・本当にごめんなさい。
なんだか・・自分のことばかりが中心で。本当に・・ごめんなさ。
長期療養の施設が、こんなにも素晴らしい!って・・どなたか聞かせてくれませんか?


今日は次女の懇談会もあって、ちょっと疲れてしまいました。
そうそう・・担任の先生、両親の通い介護もしてるんですよ。
介護1と、要支援だそうです。
頭が下がる思いです。でも、なんだか仲間みたいな気もしちゃいました

 

今年も、根性花(赤花夕化粧)がアスファルトの隙間に溢れています。
去年(ポチっとしてね)より、お行儀良いような気もしますぅ


気が付けば・・ブログを始めて一年以上になっていました。
ブログを始めた頃は、まだ母がリハ病院にいました。
今よりずっと、私も母も痩せていましたねぇ

沢山の方達に励まして頂いて、感謝感謝です
どうぞ、二年目も・・背中を叩きにいらしてくださいねぇ。
よろしくお願い致します

 

コメント (18)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

母になった日。

2007年04月09日 | 家族のお話。
誕生日おめでとう

今日は長女の誕生日です。
16歳。ピカピカの高校一年生。
時々、理解不能の宇宙人に変身し・・冷たい視線も浴びせられるけど・・この子が生まれたことで、私も母になれたわけです。
若い頃に子宮内膜炎や付属器炎などを経験し、ナカナカすぐには母になれず。
20代の最後に、大学病院の家族計画科(今は不妊治療科)を受診して、卵管通気の治療をすることになってすぐ・・授かった娘でした。
何故か・・その後、一年半で次女が産まれることになるとは・・ね

いろいろ夢はあるようで、現実的な将来は・・音楽療法士らしいけれど、高校生になって益々、いろんなことをしてみたいと思い始めたようです。
まだ・・決めなくても大丈夫さ

思春期で、反抗期だけど・・それでも頼りになる半分大人の娘。
情けなくて、くたびれちゃってる母だけど、バーちん共々ヨロシクね

とにかくとにかく・・幸せでありますように


何も誕生日らしいこと、してあげられなかった今日でした。
ケーキだけの誕生日。プレゼントは、新しい携帯を二ヶ月前に買ったもんねぇ。

そして夕飯のオカズは「エボダイの開き」
一応「鯛」だけど、「頭」だって付いてた
でもさぁ~おばぁちゃんたら、15分も開けないで呼び出しベルを鳴らすから・・何度も魚の火を止めて。折角の白い身がボロボロになっちゃったぁ
まぁ・・「メデタイ」ってことで

さぁ~明日からお弁当作り開始です。
益々・・蓄積されてくけど乗り越えて生きましょう
コメント (16)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

卒業式

2007年03月11日 | 家族のお話。

三月九日は長女の中学校の卒業式でした。
とにかく体育館は寒かった~つい何日か前まで暖かだったのにね~。
それでもお天気に恵まれて、快晴の空の下とても良い卒業式になりました。
(そうそう・・やっぱりちょっとだけ・・ウルウルしてしまいました。)

母は前日からショートにお願いしました。
母が一緒に育ててくれた娘です。一緒に、卒業式に行きたかったなぁ。
仕方のないことだけど・・やっぱりそう思わずには、いられませんでした。
もう母も、高校生のおばぁちゃんになるんだねぇ。

長女はこれで義務教育も終了です。
自分で決めた高校、しっかりと前を向いて歩いて行って欲しいです。
そして宝となる何かを、沢山見つけていって欲しいと思います。
元気で・・今までと同じように。
私の出番も・・かなり減るんだろうなぁ~。
自分を振り返って思うことだけど「自立」出来る娘になって欲しいと思います。


二週間連日出勤の旦那もなんとか休むことが出来たので、夫婦揃って娘達の晴れ姿・・しっかり見てきました。


一クラス30人足らずで、三クラスしかない小さな卒業式です。
茶髪が一人もいない、全員集合の中学校の卒業式がナント!珍しい今なのだそうです。

 


卒業式の当日、受付で渡されたプログラムと今期の学校案内です。
二冊とも、長女のイラストが表紙でした。
受験勉強の合間(実は、イラストの合間の受験勉強だわ)やってたのがこれでした。


 あの次女が、壇上で校歌の指揮を。ドキドキ~。

しっかし・・旦那のデジカメの腕・・最悪でしたぁ
まだ見てないけど、ビデオは私担当。こっちはどうだかなぁ・・・

母がショートから帰ってきたら一緒に見るつもりです。また・・泣くんだろな。

それにしても、旦那よ~!下手すぎ!!

卒業式の後は、疲れ果ててしまったので・・思いっきりグータラ三昧でした。
昼は回転寿司。夜はお蕎麦屋さんの出前でしたぁ。

前日に、どうしてもコートが欲しくなって買いに行った私。
暖かかったので着るつもりもなかったのに、突然の寒の戻り(買って大正解!)
チャリで隣の大きな駅へ、卒業式前日の娘を道連れに・・素早い動きでしたぁ。
結局、黒のパンツスーツだの・・アロマオイルだの・・友達のプレゼントだの・・。
お金を使うって・・楽しい~後のことは・・後で考えればいいかぁってなもんで、久々の大盤振る舞いでした。

それからおまけ、娘にとっては忘れられない出来事も。
卒業式の打ち上げをするって、夕方チャリで友達5人とファミレスに向った娘なんですが、途中の狭い歩道でチャリとぶつかってしまって転倒。
6人が一列に並んで・・ちゃんと端を走っていたらしいのですが・・。
(ぶつかってきた「オヤジ」は・・捨てゼリフを吐いて逃げたそうです)

娘は膝を擦りむいてタイツはボロボロ、ハンドルでお腹も打ってしまったらしく・・友達にはせっかくだからって・・店へ行ってもらうことにして、一人で家に戻ってきたのでした。こういうところ、自慢の娘です。
黒いタイツは破れて血がコタツ敷きやカバーに、タラ~次の日は大洗濯でしたぁ。
強気の娘が半べそでした。折角の思い出づくりだったのに・・ってね。
旦那曰く「病院へ行くほどのことはないだろ」ってことで、消毒と湿布。
こういう時の旦那は、いつも的確なので様子を見ることにしました。
遅れて行こうか~迷ってる娘のところに・・友達5人・・戻ってきてくれました
皆、とっても優しくて・・やっぱり楽しめない・・って。
家の中がグチョグチョだったけど、嬉しくなってしまった私は上がってもらう事に。
結局、狭い6畳の娘の部屋で1時間ほど六人の黄色い声が、楽しげに響いていました。最近の中学生の靴です・・どうですぅ

結局、大丈夫そうってことで再び打ち上げしに行ってしまった娘でした
友達と一緒がいいんですねぇ。これから一生の友達・・何人出来るカナァ。

大丈夫!今日もちゃんと元気で~す。早速、部活に気合を入れに行くと出かけました。
次女は嫌そう~な顔・・していましたぁ。

そしてこれから4時に、介護タクシーで母を迎えに行ってきます
土曜日、父がディの最中に母と面会をした時・・ショートのチーフさんに「いらした日は、かなり帰りたいとおっしゃって・・涙を浮かべていらっしゃいました」って言われてしまったそうです。
それでも、日曜日に私と娘が迎えに行くってことで・・父は無事(?)帰って来れました。
なんだかバタバタの今回の休みだったけど、またそれなりに頑張って生きますよぉ

 満開のスミレです~ウレシイィ

コメント (25)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

風の音・・。

2007年02月03日 | 家族のお話。

御心配、おかけしました。
月曜日に打ってしまった母のオデコ・・木曜日にCT撮った結果は大丈夫でした。
タンコブもなくなりました~麻痺側ゆえか、ヒリヒリする程度の残痛はあるらしいですが。
もし切れてたら・・恐らく縫ってたろうなぁと思います。眉間は切れやすいって言うから・・ホントに打撲だけで済んでラッキーでした。
月曜日以来・・見張りが厳しくなって・・母は文句ばっかり言ってます。
・・まるで小学生に言い聞かせてるような父の長いクドイ説教で・・私もゲゲ
結局、左目頭・・紫色、殴られた後みたいになってしまって今日は
、左目のまわり・・黄色に変色しています。もう少しで完治かなぁ。
本当に、御心配ありがとうございました。母の頭蓋骨は丈夫みたいです。
とにかく一安心、良かったです。
そして・・水曜日、母の通所リハビリでの定期検討と、見学に行ってきました


日・月・火と、三日間家にいて・・訪問マッサージさんと訪問看護士、家族だけの三日間だったので、母はなんだかイライラして、メソメソ泣いたり怒ったり・・ちょっとばかりクタビレてしまいました。
何度も行ってるのに知らないところに行かされるような気になってしまって、リハビリなんて行きたくない・・とか言ってましたが、私がリハ室へ行ったときは・・ニコニコと笑顔の母がいましたぁ~。



0.5キロの重りを付けて右足の強化です。

  
輪投げを使って、左側空間無視のある母の重要なリハビリ。
右のものを、左に移動させる。単純な作業だけれど、左側を認識できない母棒の場所が見えないので迷ってしまいます。
リハビリのお陰で、左側があるってことは大分わかるようになってきました。
見ようと努力することが出来る様になったようです

介護度5、一級障害者の母の現在です。

自立度 B2/認知自立度Ⅲa

脳梗塞、廃用症候群/高血圧・高脂血症・糖尿病

左麻痺手指筋緊張、感覚重度鈍麻、左側空間失認、麻痺手の擬人化、記憶障害
(他にも作話、幻視、場所・時間の失認等・・)
HDS-R 21/30(三ヶ月前は17/30でしたので前回より4UP

自宅に戻って丸7ヶ月、認知症の検査に関しては順調に回復しているようです。
それでも日々、てんてこ舞いさせられる・・高次脳機能障害は・・沢山ですねぇ

そして・・コメントで書きましたが、私もまた医者通い。
突発性難聴になってしまいました。
眩暈と右耳の中で強風が吹いているような耳鳴り、自分の声が反響して聞こえてしまう感じ(エコーがかかって聞こえるんです)人ごみのざわめきが金属音のように聞こえてしまったり。
火曜日、あまりに眩暈が強くなってしまったので、訪問看護士さんの来訪時間に耳鼻咽喉科へ行ってきました。
前回の喉の違和感に続いて・・耳鼻咽喉科へ。私にとっては、この先生・・精神科の医師みたいです
やはりストレスと寝不足からくるようです。
細切れでも寝なさい。・・・寝たいけどぉ~なかなかねぇ。
で、薬を二種類頂いて。それでも改善されなかったら、月曜日に強い薬に替えなきゃいけないそうです。
メニエール・・に移行しない為に。ヒエー怖い。
 

 
しっかり飲んでますが・・まだ治りませーん。メソメソ

いろいろあった今週で・・トホホなことも多かったですが、良い事も一つ。
無事、長女は県立高校に合格致しました沢山のお菓子のお陰、買ってあげた私のお陰
トドノツマリは・・私を応援して励ましてくれてる皆さんのお陰ありがとうございましたぁ
受験勉強は塾通いのみ・・内申点と偏差値のギャップがモノスゴークある娘は、ペーパーテストを受けないで、日々の努力(?)のみの前期試験に賭けていたので・・一安心です。
もう気分は高校生、合格祝いは「縮猛矯正パーマ」ですって
おまけに、定期試験が目の前なのに・・明日は友達と映画を見に行くんだとぉ。

まぁ・・とりあえず、心配事が一つ片付いたわけです。
しかし・・今度は次女の番なのでしたぁ。この娘がまたまた・・どうなることか

まだまだ心配事・・なくなりませんねぇ。そこで潤いを・・・。


またまた新顔!私のストレス発散でぇす綺麗な色でーす

コメント (38)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

リハビリへ出発!

2007年01月05日 | 家族のお話。

 1月4日の午前10時。「もう家はウンザリ~異次元のお散歩もウンザリ~」という母を連れて・・受診日の予定は二週間先だけど・・長女と車椅子で病院へ行きマシたぁ!
込み具合によっては・・リハビリだけでもして来ようって。
脳神経外科は何でかとっても空いてました。待ち時間最短の5分。
とくに変った事はなく・・ホントに先生に母娘そろって・・愚痴を言いに言った感じです。
それでも先生は・・ニコニコ聞いてくれました。

お正月の「食べすぎ」ちょっとフックラした母でした・・二週間後に血液検査デース
リハビリ40分受けてきましたそしたら、やっと現実に戻ってきてくれた母でしたぁ・・ハーッ
しっかし・・一日一回は、必ず遠いところに行っちゃって、何をどう言っても「理解、納得」は不可能だと改めて思い知った新年の悟りでした。
発症後1年以上たっているけど、行きたい時にリハビリさせてくれる先生に感謝です

 

お正月・・早く終わらないかと待ちわびて。
「冬休みなんて、大嫌い!」と独り言~沢山言ってしまってましたぁ。
三が日は・・ホント、参りました!ハハハ・・思った以上の有り様で。
たったの一週間で、介護保険の有り難さを噛み締めながら・・お正月の「バカヤロー!」と思わず・・・。

あーやっぱり、笑って毎日過ごせない。
「笑顔、笑顔・・」唱えるほどに、ヒキツル顔でありました。

それでも、なんとか家族は元気に生きているので良かったです

今年の初めの誓いは・・三日坊主でグラグラ揺れておりました。
まだまだ崩れるに至ってはいないから、6日からのショート(明日でーす)で建て直しを図らなくては・・。
それだけ思って過ごしていた私は・・まぁ、介護生活最初の年、こんなもんだわ!で、高笑い(オーホホホ・・・)
・・う~・・それも今は、顔の筋肉が持ち上がらない・・。
無理して笑おうとすると、顔がツッパラカって痛いです。

生まれてこのかた・・こんなに家の中を、外を・・走り回ったお正月はありませんでした。いつも・・コタツで丸くなる私が、丸くなるどころか・・片らゆっくりは入れはしませんでしたぁ。

当然と言えば・・当然なのか
いいいいやぁ・・こんな正月・・たかが一月ってだけじゃないか

一階から三階の往復で・・耳にはいつでも「呼び鈴」が残って。
呼ばれてないのに母の元へ走る私がいたりして、なんともはや。

疲れたぁ~。

ひたすらひたすら疲れてしまって、何がなんだかわからないまま・・介護生活最初のお正月は過ぎ・・今日から又、旦那の出勤に合わせて5時半起きの生活が始まったのでした。

お正月・・楽しかったのは・・・ハテ???
そうそう・・宝くじも見事に玉砕。
地道に生きていきなさいと、どこかで声が聞こえます

愚痴を思わず、お友達のブログに置き逃げしてきてしまいました。
ご迷惑かけて・・ごめんなさーい!


「来年のお正月は、楽しいこと書きましょう!」

例え鬼に笑われても・・・そう思うしかないお正月でしたぁ・・チャンチャン。

残り少ない娘達のかけがえの無い「今」の冬休みをニコヤカニ過ごさせてあげなきゃいけないぞ~と思い直す為と、新年のご挨拶のカッコいいブログをトップに置いておく勇気がないので・・ちょこっと書きに来ちゃった次第です

イエイエ・・決して、へこたれてるわけではありません。
正直、へこたれつつは・・あるけれど。

もう・・お正月じゃなくて「1月」ってことですしね。

旦那のプラモも沢山増殖したことだし、私も元気を増殖させて・・「気弱」にならず「気負」せず・・「気楽」目指して頑張りましょう!

あー・・それにしても、本当に疲れたぁ・・

変なブログ読ませてごめんなさ~い

コメント (22)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

12月10日

2006年12月10日 | 家族のお話。

もう、36年も前になってしまいましたが・・12月10日は弟の命日です。
ごめんなさい。少し、残っている記憶を書いておこうと思いました。
介護の話ではないので・・通り過ぎていただいて良いですよぉ。

弟は小学校1年でこの世を去りました。私が4年生の時でした。
小学校の前の横断歩道・・友達に呼ばれて、飛び出した弟は車にはねられてしまいました。そして、弟をはねた犯人は・・とうとう見つからずにいます。
交通事故で亡くなった弟・・それもひき逃げでした。

当時の事はスライドのように、断片的な記憶しかありません。
切り取られて、スクラップされた新聞記事のようにだけ、私の中に残っています。

弟が車にはねられた時・・救急車の音を聞いたのは、教室でした。
「誰か車にはねられたみたいだぞ・・」その声も残っています。
ただ・・弟じゃなければいいなぁ・・とだけは思いながら家に帰ったことだけ覚えています。慌しくシャッターを閉めている両親・・その頃、両親は洋服屋を営んでいました。

記憶は飛びます。

両親がいない部屋・・確か、母の弟夫婦がいてくれたんだと思います。
ランドセルについていた交通安全のお守りを握り締めて・・二段ベットで弟の命を助けて欲しいと願っていた私でした。
けれど、無常にも・・弟が亡くなったと知らせを受けて・・病院へ向ったのでした。
思ったより、ずっと小さい病院だったように思います。名前もしっかり記憶しています。個人名のその病院・・暫くは私の中で、弟を助けてくれなかった病院として残ってしまっていました。
ほとんど即死状態で、脳が潰れていたそうです。それでも一晩は、命を消さずにいた弟でした。
病院に着いた私が目にしたのは・・泣き叫び、弟の枕下の柵に頭を打ち付けて「私も死ぬ」と言っている母でした。
私の事など目に入っていない母を、父が泣きながら押さえつけていました。

それから、お葬式。
足を骨折した弟の為に、杖を入れたことを覚えています。

弟の同級生が、ハーモニカを吹きながら弟の出棺を見送ってくれました。
商店街の店の前、沢山の人が弟を見送ってくれていました。
私は、同級生のクリーニング屋さんのおかあさんに抱かれて泣いていました。
父も母も・・私の側にはいなかったのでしょうか・・。
火葬場へは、父と一緒に行ったように思います。
子供の葬儀には母親は行かれない・・あれ?母はどうしていたのでしょう。
火葬場で・・母の泣き崩れている姿もおぼろげながら残っています。

新潟から、祖父が弟の為にお経を読みに来ていました。
何日か滞在し、新潟に戻っていく時に浅草橋で当時流行っていた「抱っこちゃんベイビー」を買ってくれたのを覚えています。値段の安い偽者の人形でなく、当時結構高額なその人形を、ネダッタことまで覚えています。
まるで本物の赤ちゃんのように柔らかい身体でした。
20歳の時の火事で、焼けてしまうまで・・ずっと私の部屋にありました。

夜中・・狭い部屋に川の字になって寝ていました。
枕元に、弟のささやかな祭壇があり・・。
父が布団の中で声を殺して泣いていた・・そんなことも覚えています。

それからずっと・・多分、中学にあがるまで弟の写真をロケットペンダントに入れて首から下げていました。

弟は、私が言うのもなんですが・・とても出来た少年でした。
ひょうきんで、優しくて・・けれどヤンチャで女の子にとてももてていたのです。
入学して半年もたっていないのに、ラブレターをもらってきていた弟でした。
亡くなって何年も、必ずお参りに来てくれる女の子がいましたっけ。
頭もとても良く、当時・・N○Kの算数教室の生徒に選ばれてテレビにも出演したこともあり、両親・・特に母は、私よりずっと愛してやまない子だったと・・私はずっと思っていました。
うーん・・今でもかなぁ。ちょっとブラコンかもしれないですねぇ。

そんな弟が生きていれば・・今は43歳。
きっと、頼りになっていたんだろナァと・・思って止まないこの頃です。

そういえば・・大学病院に入院中・・母がこんなことを言っていました。

弟に会ってきたよって。
川のほとりに母の両親と幸せそうにくらしてたって。

それから、つい最近・・聖蹟桜ヶ丘駅に弟がいて、ホームで傘を持って立ってるのが見えたって。
お嫁さんは、可愛い人で・・弟の帰りを待ってるのが見えるって。

なんだかねぇ・・母の作話・・とも思いますが。

実はね・・私の次女の性格が・・弟にそっくりなんです(おぼろげなる記憶ですが)
生まれ変りなんじゃないかと・・思ってしまってる私です。

 サックスのソロを吹いてるのが・・次女でーす。



あーなんだか・・とんでもない話ばかり書いてしまいました。

でも・・もう一人の私の家族。
たった7年しか一緒にはくらしていなかったけれど・・今でも何かあると「頼むよ!」って、言ってる私です。

生きているから・・大変な事も、辛い事もあるけれど・・元気に明日も頑張らなきゃね。
親より先にだけは死なないように・・・身体に気を付けて頑張らなきゃね。
生きていれば・・きっと楽しい事だって、沢山あっただろうね・・。

弟よ、お姉ちゃんは・・ちゃんとパパもママも見とどけるからね

コメント (25)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

復活記念日。

2006年11月03日 | 家族のお話。

   箱庭でござります。

 ピントが・・ブレブレ

箱庭に咲いたピンクのトレニアです。白のトレニアもまた一つ開きました。
冬になる前に慌てて花を咲かせているのかナァ。
トレニアのおかげで、随分と楽しませてもらいました。
ピンクのカスミソウもかわいいでしょ。
全て・・二度咲き目の花です。
復活の記念日に・・ふさわしい花達でしょう



一年前の今日の夜・・・脳浮腫の為に意識が薄れていく母の頭蓋骨の一部分、外すための手術を受けたのでした。
再び戻った母は、ICUにいて・・日毎に脹れて膨らむ身体。皴も無くなり・・風船の用に膨らんだ顔。点滴と沢山の管を付け・・監視装置の中で二週間、麻酔で眠り続けていた母でした。
そして、あの日からも一年が過ぎました。

今週は、母の状態(認知障害)も大波小波でした。
まるで回線が遮断されたように、現状把握が出来なくなります。
いろんなことが理解できているのに、いろんなことを納得出来ないでいます。

まだまだ・・私も父も・・上手に話を合わせたり、母の世界を理解出来ずにいます。
頭ではわかっているけれど、あまりにしっかりしている母が見えるとき・・それ以上にわかってもらいたいと・・いつのまにか必死になってしまいます。

薬の影響が完全に無くなった母の健常側・・右手右足は、筋肉も大分戻ってきました。
リハ病院にいた時には考えられなかった一人介助のトイレも、今は腰にブロック注射をお願いせずとも大丈夫なくらい、楽になりました。
片手で寄りかかる母の身体を支えつつ・・片手でリハパンもズボンも上げることが出来ます。父の手を借りずとも、一人で車椅子に移乗も出来るようになっています。
日常会話も十分だし、気配りも変りません。

ただただ・・今の自分の状況をわからないことだけを除いては・・・。
そしてそれは、怒りとなってしまいます

父や私にぶつけるしか・・ないんです。
わかってもらいたいと・・母も同じように必死なんでしょう。
それも・・少しづつわかってきました。

わかっているのに・・お互いに譲れない時があるのです。
特に父・・今までの気丈な母を探します。
それから、病弱な父がいつも母に言われていたことなんかを説教しちゃったりして


「どうしてわかってくれないの?」


正しい答えなどないのです。
見えてる今が違うのだから。
否定も肯定もせず、安心と安堵を与えたいと願っても・・うまく抜け出せない時もあります。
そんな時はどうしても・・理解してもらおうと必死になり・・堂々巡り。

「わかった」って言ってくれる母を待つしか出来ない不出来な娘です。
「そうだね」って言ってしまえば・・良いものを。

現在母は、食事介助が一切いりません。
たまにこぼすことはあっても、しっかり全てぺロリと食べきります。
左側空間無視のために食器の位置だけ移動してあげれば・・父の食べるスピードの倍の速さで完食です。
そして・・食べた後・・お腹が空いたと言うのです。
摂食障害でしょうか・・食べても食べてもお腹が一杯にならないようです。
「いつどうなるかわからないのに、食べたいものも食べれない」・・母は怒りで一杯でした
どんなに母のことを考えて想っているか・・コンコンと説明開始です。
「病院へは戻らないで、家にいて欲しいから・・」
「インスリンの注射・・痛いでしょ。もう痛い想いなんてさせたくないのよ・・」

そのうち母の怒りも治まって、今度は悲しみに涙します


体力を戻す為の食事量は十分だとわかっているので、この何日かは食事の時間がとっても恐怖でした。
母自体が自分の食欲に驚き、食事をしたのかどうなのかも忘れちゃうなんて・・これは本当に認知症だって・・ポツリとつぶやいていました。
その度に「そこまでわかってるなら全然大丈夫じゃん!」
それが精一杯の私です


ホンノ少し前の今。
わからない時があるのです。

けれど、それを寝て起きても(次の日の朝)ちゃんと憶えている母もいます。
そうなると・・単純な私は、これなら大丈夫なんじゃないかと、勘違いかもしれないけれど思ってしまいます。

怒りを爆発させた次の日の朝に「昨日はごめんね」って言ってくれる母なんです。
「大丈夫!全然気にしてないよぉ~こっちもごめんね」
「謝らないで・・久美子は何も悪くないから・・いつも心の中でごめんねって思ってるんだよ」って。

心と頭の回線が・・繋がったり切れたり・・。
まだらボケ・・なんて嫌な言葉ですが、でもそれがピッタリとくる今の母です。

何もかも・・憶えているのは辛いから・・「忘れる」っていうことは、何よりの神様の贈り物だって聞いたことあるけど。
本当にそうだと思う時と、切なく悲しく思う時と、それでも笑って過ごせる日々を、今は大事にしなきゃいけないのだってことだけは・・なんとなくわかってきた気もします。そんな日々を繰り返して・・それでもいつか・・
「そんな日もあったね・・」って、笑える日がくることを信じて。

先日のディでは、車椅子で近くの県立公園の植物園へ連れて行ってもらえました。
ディから車で数分の、数え切れないくらいに通った県立公園です。
帰ってきた母は、秋の一日を楽しめて・・とても明るい顔でした。
食事時間のみが、一日の車椅子に座っている精一杯の長さだった母が、ベットに戻ることを拒むようになるなんて・・本当に母の頑張りと、薬の怖さを心底思う今です。
その母の体力の復活に伴って・・呼ばれる回数も増えるこの頃。
夜中のトイレ介助も二度三度。
流石に・・父はボロボロになってしまっています。
私も、母の体力に負けそうです
けれどそれは、本当に何より嬉しい出来事です。
ベットで過ごす時間より、車椅子で過ごす時間が本当に増えたのだから。


そして、前回の担当者会議での話し合いもふまえ・・母のディが一日、今月から増える事になりました。

その方が、狭い部屋に父と母とでいるよりも・・じっとしていることの苦手だった母の以前を考えると・・幸せなのかナァとの結論になりました。
それは、父と私の休息の為にも・・要介護5のご褒美です。

 

母へのご褒美もありました

昨日は、母の友達二人が遊びに来てくださって、母を車椅子に乗せてお散歩に出てくださいました。もう何度も来てくれている元同僚、同郷の友です。
そして念願の、近くのスーパーへお買い物までしてきました。
本当は私がするはずだった「車椅子でのスーパーデビュー」です。

孫へのお菓子の「ジャガ○コ」今日のからあげの為の「ヘルシーライトの○ャノーラ油」多分お茶飲みながら食べようと思ったのか「串だんご」それから・・コナスの漬物。
母が行きたい・・もしくは、行ってきた。って言ってた「お買い物」でした。
私が・・友達が沢山働いているスーパーに足を運ぶのを躊躇っていたのと、なかなか暖かい時間帯に余裕のなかったので・・。(あ~言い訳
みごと、スーパーデビューを果たして来た母でした。

そして、三人・・夜中の三回のトイレコールにヨレヨレの父を二階に追いやって。
一年ぶりのランチです。
お弁当屋さんの「ホカ弁」で買ってきたコナスの漬物と、お茶で

泣いたり、笑ったり・・本当に楽しそうな声が聞こえていました。
時々、話が見えなくなったりしたそうですが、上手に交わしてくれていたようです。
そして・・次回の約束もして、帰って行った母の友達でした。

本当に本当に・・良かった~ね

コメント (24)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

しんどいぃ。

2006年10月15日 | 家族のお話。

いやぁ・・今週はウレシィ~の後が・・しんどい日々に変身。シクシク。
まぁ・・そういうこともあるさネ・・って思うけど、やっぱりこういう日は「なんでこうなるんだろ!」って気持ちがムカムカして・・結局八つ当たりしちゃったり。
誰のせいでもないのに、切なくなって・・気持ちがしんどいぃ~です。

金曜日の朝「医者へ連れて行ってください」って学校からの電話。
長女がジンマシン出てしまって、早引きしてきたのでした。
元々肌の弱い娘で、寒冷ジンマシンもあったり・・虫に指されると異常に腫れて、鳥取帰省の後は・・たいてい皮膚科に行くハメになるのだけれど。
この何週間か・・ジンマシンが結構出てて・・数時間で消えるんだけど流石に心配はしていて、娘も多忙(部活)で医者に行く時間も無いし、私もバタバタで様子を診てたのでしたが~。
金曜日の朝も少し出かけてて、酷くなったら帰るように言ってたら、案の定。
金曜日は、おバーちゃんの予定は訪問マッサージが20分と、訪問リハビリが1時間弱。
午前は何もないから、もう・・即行で病院へ。
アレルギーか・・ってこともあって、町医者ではなく大きな病院を選んだのだけど・・これが待つ待つ・・
9時半に帰ってきた娘・・10時には病院に入ったのに・・終わったのが1時です。
挙句に会計も凄くって、薬局も凄くって・・。
診察は5分もないのに。

結局、体質的なものだろうって事で・・飲み薬を処方されて終わりでした。
三週間後にもう一度、様子を教えてくださいぃって。
血液検査くらいしてくれるのかと思ったんだけど「心配ないでしょう」
待ってる間にジンマシン消えちゃいました

家に帰ったら、おバーちゃんは欠食児童のように「お腹すいたぁ・・」って。
買ってきたお弁当を凄い速さで食べてましたこの食欲も怖いです
一時期の食欲なしの状態も心配だったけど、この頃の食欲は爆発的で・・。
カロリー計算してないから・・血糖値ね・・問題ありじゃないかなぁと思ってます。
極力、低カロリー食にはしているけれど・・ボチボチこれも考えなくては・・です。

でもって、私。
娘の病院から足の裏がズキズキヤバイなぁ・・って思ってたけど、洗濯物も干さずに病院へ行ってしまったし・・おバーちゃんの先生達も来るので、とりあえず湿布でごまかしておりました。

おバーちゃんのリハは絶好調です
開閉式のバー付きフェンスをお試しレンタル中。
早速、先生と移乗の練習。
おバーちゃんの右手はいつのまにか、震えなくなって・・しっかりとバーを摑みます。
軽く先生が、ズボンの背中辺りをヒョイと摑んで・・
おバーちゃんの右腕の力と右足のさばき・・で車椅子へ移乗出来るじゃーん
 


自慢気に・・立ち上がったおバーちゃんでした



ベットの縁に腰を下ろして、バーをしっかりと右手で摑んで・・けっこう長い時間の座位もOK
おまけに、いつのまにやら寝返りまでしているのです。右も左も。。。グルンとは回れないけど、肩がちゃんと90度になるのでした。これなら仙骨痛も、自分で少し改善できるかなぁ。
そろそろ発症して一年たつけれど、おバーちゃんの回復は・・これからって気になってきました。
その分「出来る」ってことで、危険も沢山なのですが・・・。

 

次の日・・土曜の朝・・私のピンチがやってきました。
足の裏・・痛くて足がつけません。夜中から、痺れてズキズキし始めて。
もう。。。丁度、親指の下あたり(外反母趾ではありません)
人よりかなり、土踏まずが凹んでて・・前々から痛くなる時はあったんですが・・。
おバーちゃんを脳波に連れて行かなくてはいけないのに・・・。
階段も手すりに掴まりやっとです・・。ヤ・ヤバイ

介護タクシーは時間通り、もう・・痛さをこらえて脳波におバーちゃんを連れて行き・・。
整形外科なのに自分は診察してもらう余裕もなく(だって異常に外来が混んでいたのですぅ)
挙句に、結果を聞けるはずの来週・・主治医は休診だって・・どういうことじゃ??
薬もボチボチなくなるし・・別の脳外科の先生のいる日に、薬だけ貰いに行くハメに。
一週遅れての受診・・薬の調整はまた伸びて。
前回の受診の時に、来週も主治医はいるって言ってたのにぃ
ショートと重なる受診日・・・ショート先からの受診出来るって話だけど、それも面倒だし・・。

とにかく、自宅に戻り・・ヒィヒィ言いながら、掛かりつけの整形外科へチャリで行った私でした。


こんなになっちゃいました

足の裏の・・親指の下一面・・赤く腫れてしまっていました。
かなり炎症をおこしているらしいです。軽く指で押しても痛くって
痛風??かもって・・そんなぁ~毎日、減塩・ローカロリーなはずの食事なのにぃ??
レントゲンでは骨には異常がなく・・関節の炎症らしいのだけれど。
血液検査と、尿検査をしてきました。やっと火傷が治ったのに、またまた整形外科のお世話です。
体重が、ここに掛かりすぎるのかもしれません。
何年分かを最近で一気に重心を掛けてしまってるから・・。

おバーちゃんは心配してくれて・・結果、頭が大混乱。
トホホ・・の私はもう・・イライラしまくってしまっています。
こんなに痛いのに・・誰も私を休ませてはくれませーん・・・。
旦那も、娘も・・おジーちゃんも・・「大丈夫?」って思ってはいるのでしょうけれど。

相変わらず、喉の違和感は出てるし・・・。もう・・ボロボロ
今日も昨日に引き続き・・・お弁当のお世話に。
私一人の身体じゃないのは承知だけど・・ホント・・参ったぁ~の週末でござりましたぁ。

ハー・・一難去って・・またまた一難。難儀だなぁ。              私。

コメント (44)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

旦那の誕生日。

2006年10月01日 | 家族のお話。

今日は旦那の誕生日です。
ひとつ年下の旦那と、約一ヶ月半は同じ歳だぁ~ババァなんて言わせないぃ
実は・・結婚式も、この同じ歳の間にやったという・・可笑しな話があったっけ。
そうです。
私は金の草鞋を履く女!ってか・・・どうも履いてるのは旦那のようですが。
旦那の両親もそう・・義母も義父より一つ上なのでーす
そしてまた、鳥取のお義母から沢山の野菜とお味噌が送られて来ました。
今回は、新米付きです。

本当に、私は旦那を産んでくれた義両親に心からの感謝と尊敬
毎回ダンボールを開くたび・・福袋のような数種類の野菜に泣きそうになります。
どうか・・いつまでも元気でいてください。
それから、その義両親の側にいてくれる旦那の兄、義姉にも・・。
心から感謝しています。
何にも出来ない遠い所にいる私たちをいつも影で見守ってくれて、文句一つ言わないで・・私の両親を大事にしてやりなさい・・と言ってくれるもう一つの家族です。
今年の夏は帰れなかったけど、来年は何とか帰って・・親孝行と兄姉孝行をしなきゃです。

旦那と結婚して、今月末で18年目・・今だに不思議な人だけど・・。
時にはムカムカしたり、させたりしちゃうけど・・。

元気で、一生懸命働いてね!
それから、今くらいには「お願い」聞いてくれれば・・戦車でもなんでも作ってていいからさ。
形振り構わない私だけど・・そのうち何とか身奇麗にするからさ。浮気はイヤよ。

ってなことで・・・今日は旦那の45回目の誕生日おめでとう

 

それから、福島の大事な友から「高尾」・・種無し葡萄が送られてきた
今年初めて知った名前の葡萄。
先日、バーちんのお友達が持参してくださったのと同じやつ。
甘くて、種ないし。とにかく美味しいぃ。巨峰よりも美味しいかもぉ。

 
      
       

シブちゃん、本当にありがとね。
バーちんも、ジィーも喜んでいただいてますッス

バーちんは、今日は悪態バーちんでした
何だか機嫌が物凄く悪くって・・。
それでも、バーちん・・漢字で名前も書けたし(左側空間無視だから。。曲がるけど)
100~順番に3をひいてみてぇ・・の私に97・94・91までスラスラと言えました。明日は・・も少し増やしみよぉ~っと。

今日は沢山美味しいものが冷蔵庫に沢山でーす。
だから秋は好きなんだぁ私の腕のミセドコォ
  


コメント (24)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

二ヶ月たちました。

2006年09月02日 | 家族のお話。

バーちんが、自宅に戻って丸二ヶ月がたちました。

いやぁ・・早い。やっぱり早かったです。
バーちんが大学病院に動脈瘤の血管手術の為に入院して・・術中に脳梗塞を起こしてしまってから(しつこくてゴメンなさーい)10ヶ月たってしまいました。あと二ヶ月で一年・・ウヒャ~ビックリです。

シミジミしている余裕もなく・・相変わらずへタレ久美子でありますが、それでもなんとか自宅に、家族6人くらしてることが・・当たり前の様になりつつあります。

時間が・・コッソリと、ちょっと意地悪して戻った気もしています。
やっぱり6人が嬉しい。

 今日はバーちんはディです。元気に出かけて行きました。

ジィーは珍しく、ディで履く為のスニーカーが欲しいと、一人で車で靴屋さんへ。
一人で運転させるのも心配だったけど、いつも行っている大学病院の近くなので・・たまにはいいか・・と送り出しました。身体の調子もマァマァの様子。
新しい靴を買いたいなんて・・本当にナント前向きなんだろう。
今までは、必ずバーちんと二人で買い物行ってたから・・ちょっと寂しい気持ちも抱えていることと思います・・。でも・・とりあえず外に気持ちが向いたことが、何より嬉しい私です。

娘達は部活。これから休みなしで10月の合唱コンクールまで頑張ります。
受験生の姉・・いいのだろうかぁ・・他の部活は三年生は引退。
でも、吹奏楽部は10月の合唱コンクールで引退演奏を終えてから・・。
まぁ~夢中になれるものが勉強でなくてパーカッションでもいいか!
中学生活・・充実して終わればね。内申・・心配だけど・・。

同じ部活の妹も、姉と同じ道を歩みつつ・・来年のことは・・まぁいいか。
部活では先輩、後輩・・家では喧嘩ばかり。どちらかと言うと、ライバルみたいな姉妹かなぁ。

旦那も今日は友人と、久々に会うそうで。昼飯はいらないからラッキー!!でしゅ。
介護生活2ヶ月・・文句も言わずに見守ってくれて・・有り難い旦那です。
B型の旦那で・・本当に良かったよん

久々に一人ぼっち今です。
家事を終えて、買い物行ったら・・結局もうこんな時間だけれど・・静かだなぁ。

それでも、今日はなんとなく・・秋晴れの気持ちの良い空です。 

ディに送る前に、バーちんやジィーをデジカメでパチリ

   今日は、水玉のレース付きのスパッツ。
                  身長147cm・・体重36キロのモデル体形

ジィーは無精髭を生やしていたので・・またいつかね。

それからなんとなく・・今私の家で咲いてる花もパチリ
結局・・一時間近く・・ボーっと花を見てた私でした。馬鹿だねぇ~ 

折角なので、アップします。
花の名前・・いくつわかるかなぁ??って・・私自身・・わかんないのが一杯

 どの花が好きかしら 
  
       カメラマンが下手すぎて・・よくわかんないわぁ~・・・

      

      

     

      

   

     

 

                           ハー・・。
                              疲れた・・・


 

コメント (16)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする