明日晴れたら、、、

今日は雨だから、ゆっくり過ごそう。
明日晴れたら、、、ちょっとだけ頑張るかなぁ。

青い花。

2007年03月30日 | 私。

今回の母の骨折で・・随分沢山の人が泣きました。
当然、本人。「迷惑をかけて申し訳ない」って、何かにつけて泣いてます。
その度に「バーちんは悪くないよ。悪いのはショートの介護士さんだよ!職務怠慢て言うんだよ!!」なんて言ってた私でした。
でもは母は「あんなに忙しいんだから、ちゃんとジッとしてられなかった私が悪いんだ」って、自分を責めます。
全ての責任は自分にあって、自分だけが悪いんだと思っている母なのです。
あんなに嫌がっていたショートにさえ、私がシンドイ顔をしてると「明日から行くから、電話しておいて」と言う母です。
「でも・・どんな顔をして行けばいいんだか、会わせる顔がない・・」とひたすら自分が悪いと泣く母なのです。

それから父。いろんな気持ちがあると思います。
やっぱり・・母がこうなってまでも「女房の身体ひとつ支えられない」と自分の弱い身体、母の重なる悪運を嘆き・・声を殺して泣いていました。
でも、今回は・・今後が心配になるくらい、父は必死に手を貸そうとしてくれました。救急車にさえ一緒に乗り込もうとしなかった父でしたから、身体は辛いのだと思います。
それでも、帰宅した母の痛みを少しでも感じさせないようにと、一生懸命になっているのが私にはわかりました。
そんな父も、今回は・・「入院させた方が良かったかもしれない・・。」と口にしたりしています。


私も、久々に人前で泣いてしまいました。 転落してしまった直後は、怒りが強くて泣けませんでした。
悔しくて、切なくて・・いろんな想いはありましたが、何より悲しんでいる父や母の手前、不自然なくらい笑おうと努力していたのです。
それは・・ある意味、感情がおかしくなっていたのかもしれません。
もう、何が起こっても驚かない・・というか、まだまだ「底」では無かったんだと諦めに似た気持ちもあったのかもしれません。
だけどいつだって、気持ちは自分次第だってことも・・少しはわかってきていたので、少しくらい後ろに下がってもきっと、なんとかなるさ!って前向きな気持ちもちゃんとあった私でした。
もっともそれは・・「骨折している」ってことを聞くまででした。
整形外科の医師に「脳の方は、三日たっても前回同様に梗塞部分に変化はありません。ただ・・やはり骨折箇所がわかりました。痛みが薄れるのに三週間から四週間はかかります。それまではベット上で安静にして、どうしても排尿がベットで出来ないならPトイレでも仕方ないですが」と言われた瞬間、あまりにも悔しくなってしまって子供みたいにしゃくりあげて泣いてしまいました。
トイレは車椅子で移乗して、私一人介助でも出来るようになって、健常側だけど右足だけで随分しっかりと自分の身体を縦にすることが出来るようないなってた母でした。
リハの療法士さんも、少しづつですがいろんなことが出来るようになった母を褒めてくれいたのです。
リハビリパンツを止めて、そろそろ普通の下着に替えてみようか・・って、そんな話も出ていた矢先だったのです。

ショートの責任者であるKさんは、母がこのショートスティを始める時からずっと変わらず低姿勢の好青年です。
今回のことも、責任をとても感じてくださっていますし・・誠意もとても伝わってきます。母のことを第一に考えてくださいますし、出来る限りのことをしようという気持ちも、態度とともに伝わってきます。
病意の受診は、全て自分が付き添い・・救急車にも一緒に乗り込んでくれましたし、今後の受診も全て同行してくれると言ってくれました。

彼の年齢は・・25歳なのです。
だから何?なのですが・・。

その若いショートスティの責任者であるKさんの涙も見ることとなりました。
救急車に乗って、再度整形外科のレントゲンを撮っている間・・母を置き去りにした介護士さんの名前を聞きました。
知ったからと言って、責めた正すつもりはなく・・どんな人なのか、母に聞いてみようと思ったからです。
母にとって、その介護士さんのいつもの様子を聞いてみたかったのです。
母が診察を終えて、車の手配の為に電話をかけにKさんが母と私の側を離れた時、母にその介護士さんの名前を出しました。
「バーちんの着替えの途中で、呼ばれて出て行っちゃったのはNさんなんだってね」
すると、母は「そんなわけないわよ!Nさんは、凄く優しくて皆が取り合っちゃうくらいいい人なんだから。私を置き去りにするわけないじゃない!!あの時の人、思い出そうと思ってるんだけど、名前のプレートが見えなかったの。誰だったんだろう」って。

しっかりと、Nさんではないと断言しました。
いつも良くして頂いていたんだってことですね。

母は、人の認識が家族以外・・あやふやな時があります。
でも、良くして頂いてる人のことは・・しっかりと覚えています。
責任者のKさんについても、Kさんがいるからなんとかショートに行っているようなものです。
そして、ショートの介護士さんの中には・・母が気に入らない人もいたりするのです。
母は私が言うのもナンですが、結構人の好き嫌いがあります。
自分が嫌っていると、大概相手もそうだったりしますから、そういう意味でも・・今回、母を放置して行った介護士さんが、普段母にとってどんな方だったのか知りたかったのです。
こうなってしまった今でも、ショートを使わなければ私も父も疲れ果ててしまうことは目に見えるようですし・・その介護士さんも当然、母の側にいるかもしれない。

母が責任者のKさんが言った、あの時の介護士さんはNさんじゃないこと・・Nさんはいつも母に優しくて、気を使ってくださる人だってこと、わかったから・・もうそれ以上は私も問い詰める事をやめました。
帰りのワゴンの中で、その話をKさんにしました。
「母を置いて行ってしまった人は、Nさんじゃないそうですよ」って。
母も再び「NさんのわけないわよKさん、Nさんはそりゃ~優しくて、皆がNさんになら頼み易いねって、Nさんの取り合いしちゃうくらいなんだからぁ~。誰だったかしらねぇ・・あの時、ネームプレート見とけば良かったわ」
母の記憶の中では、Nさんは自分を後回しにして行ってしまう人ではなかったのです。
逆に、それだけ信頼している看護士さんだったから、あの時待つことも出来たのだと思いました。実際は、待てずに落ちてしまったわけですが。

そして、その話を聞いたとき・・責任者のKさんは・・声を出して泣いていました。

もう・・それで、私の中で・・これ以上誰かを責める気にはなれなくなりました。

甘いかもしれません。
ケアマネさんに、本当の気持ちを話したとき・・どうしようもない怒り、悔しさ。
「こういうことで、告訴される方も沢山います」って言っていました。

現実問題として・・これで縁を切るのなら・・そういうことも出来たのかもしれません。
でも、こうなってまでも利用しなくては・・母を自宅に帰せない。
そして、やはり・・母にとって、信頼出来る介護士さんが出来たショートを・・替える事は母にとって良い事なのか。

今回のショート、母は二人から三人の介助で痛みを軽減させて頂いたようでした。
ショートを利用した当日に、骨折箇所付近に青痣が出来、今日は内出血も出来ていました。それが黄色く変色して、今日はそれで父は大騒ぎでした。
再開したマッサージ師さんに「お腹を打っていなければいいですが・・」なんて言われてしまったものだから・・。
訪問看護士さんに事情を話して、日を追って皮膚の色が変色するのは仕方ない事だと教えられるまで、また受診をするかしないかで、実は父ともめました。
ショートから戻って一日目・・既にかなり疲れている私です。だらしないったらないですねぇ。でも、とりあえずなんとか一日が過ぎました。

今、ショートに行かない日はヘルパーさんに来てもらっています。・・朝の8時から10時の朝食介助と、トイレ介助、時間によっては清拭を。昼の1時から2時まで昼食の介助をしてもらっています。
うまいこと、その間に便通があるとラッキーですが・・ナカナカそうはいかなくて。

今日もPトイレ・・汗を沢山かきましたぁ。かかせましたぁ~。

てなわけで・・テンプレート・・ロボット君再び。
天を指して・・うつむかないで、また明日も頑張ります。

大好きな青い花の鉢・・頑張ってる私の御褒美の前渡しでーす。へへへ


自宅&ショート療養。

2007年03月29日 | 福祉・手続きのお話。
沢山の御心配、本当にありがとうございました

母は、火曜日から二泊でショートにお願いしています。
木曜日の昼過ぎには戻ります。

入院しないで自宅介護を続けることを選んだものの、やっぱりパワー充電しないといろいろ支障をきたしそうなので、早速ショート先へお願いしてしました。
実際、前回のショートは一日だけの泊まりで・・私と言えば疲れる一日を過してしまったゆえに、体力も気力も・・ドヨドヨのヨレヨレの蓄積
で、二日ゆっくりさせて頂く事が出来れば・・なんとかなるかなぁって

今回のこと、ショート先の責任者の方やスタッフの方達、責任をとても感じてくださっています・・誠意も見せてくださっています。
通常なら、二ヶ月前の予約で一杯になっているはずの部屋・・なんとか空けてくださいました。
一生懸命、痛みを抱えている母の介護を、してくださると言ってくださいました。
特養施設でのショートなので、出来たのかとも思います。
そんなの当たり前だって気持ち、正直・・ないわけじゃないです。
けれど、怪我をさせてしまうこともあるかもしれません・・というような文章が、契約書に書いてあったような気もしています。
そして、それにサインした・・家族(私と父)です。
全然違うけど・・母が動脈瘤手術中に起こしてしまったリスク、あの時の切なさと・・重なってしまいました。
「不運」の一言でかたずけるには哀しすぎますが、魔の時間・・まさかの時間は、そっと母に・・家族に、忍び寄ってきてたのですねぇ。

訪問看護士さんが、「お尻を捲くってしまう施設もあるの。そうじゃなくて良かったわね」とおっしゃってました。
そして、ケアマネさんは「告訴される方も、沢山いらっしゃいます」とおっしゃってました。



入院しないで自宅介護を決めたのは、私です。父は・・そこにはいませんでした。
それは、ショート利用も混ぜながら・・を念頭に置いてのことでした。
とても勝手な私の、一方的な要望であり方法ですが、それには医師も賛成してくださいました。
骨折が判明するまでの二日間、ベット上での排尿が難しく、「痛い~」の悲鳴をあげながらPトイレは否めませんでした。どうしても、ベットの上では出ない母なんです。それだけ回復してたってことなんですよねぇ。
リハパン止めて、パッドは入れるけど布パンツにしようか・・なんて通所リハビリの介護士さんと言ってた矢先だったのです。
一人介助でトイレに連れても行けてたのに・・腰の悪い父と二人で、Pトレイ介助をするしかありませんでした。渾身の力を搾り出し、毎回私の細腕(嘘!)で、母を持ち上げるPトイレへの移乗、やっぱりナカナカ毎日数度となると、こ・腰が・・。
でも、出ないものは仕方ないと、諦めるわけにはいかないのです。
ショートなら、プロの介護士さんの複数介助も望めるか

整形外科の医師からは、Pトイレへの移乗くらいで骨折に悪い影響を与える場所ではないから、本人が痛いと感じさせてしまうことを良しとすれば、大丈夫ですとは言われました。
いずれにしても、痛みは三週間くらいは続くそうです
でも、いったん立つなり、座るなりをしてしまえば・・痛みもないのです。
動かしている最中が、痛いわけです。

骨折が判明したと同時に「入院しますか?個室なら、ベットを今日から空ける事が出来ますよ」と医師に言われました。

「但し、入院となると・・安静にして骨折箇所を早く治すことが主体になりますから、尿管カテーテルは入れさせてもらいます。痛がらせて、Pトイレに移乗させることは・・病院では出来ないです。けれど床擦れは気を配れます。家に帰って、ダメならベットの用意をするってことも出来ますよ。」

それを聞いて・・迷いました。
入院すれば・・少なくとも痛みはなく過せるでしょうし、私も父も・・ハッキリ言ってその間は楽になるかもしれません。通いにしても、家から何しろ自転車で5分の病院ですし

でも、結局、入院は止めました。
母は・・やっぱり望まない。
家に帰りたくて・・心細そうに顔が引きつってるのがわかりましたし。

「入院して次の日には・・認知が進んで何もわからなくなる患者さんもいるのよ。お母さん、しっかりされてるから・・家がいいと思うわよ」の、看護士さんの怖くなるような言葉もありましたぁ。

そんなわけで、自宅に戻ってきたのでした


ショートのKさんには、心の中の奥にある言葉は・・口にしてはいません。
悔しくて、骨折と医師に骨折と聞いたときは大泣きしてしまった私ですが・・。
アハァここにはいっぱい書いちゃったから、少しスッキリ。
口にしたら・・結局・・苦しいのは家族や母のような気もしました。

それに、すべからく・・私の望みを叶えてくださったKさんでした。


ショートに行く朝、母が安心して行けるように、責任者のKさん自ら、ちゃんとリクライニングの車椅子持参で、二人介助で迎えに来てくださいました。
母は、自分が動いてしまったばかりに・・いろんな人に迷惑をかけて申し訳ないと思っています。
家族がどんなに「バーちんの責任じゃないよ!」って言ってもです。
迎えに来てくださった二人に詫びていました。
「お父さんや、娘が疲れてちゃってるから・・よろしくお願いします」って
その度に、Kさんは頭を上にあげられず・・母に詫びて下さっていました。
二人で、誤りっこをしているのですねぇ。
でも、母にとってKさんは、こんなことが起こる前から、既に「信頼の出来る人」になっていたのです。「安心出来る人」だったんです。
そんなショートに、なっていたのです。
だから尚更、残念でもあり・・少しガッカリもしてしまいましたが

いろいろな想いはあります。
でも・・母にとって、今後にとって、家族にとっても・・前向きに生きるための今出せる結論。(ちょっとオーバーですかね
今まで通り【母が二度・・車椅子から落下するに至ったショート】を使って(嫌味ですねぇ)いくことに。

落ちた事実を受け止めてしまったことが、ショートのスタッフの方達の気持ちにどう伝わるか・・それはこれから、見極めていきたいと思います。
そして、母が今回お世話になることで・・他の利用者さんが、落ちる寸前の母にならないことを祈りつつ

明日の午前中は、脳神経外科の代理受診に行ってきます。
丁度、血液検査、レントゲン、CTと・・母の数字は出ているんので、母は昼ご飯を食べてから、ゆっくり帰ってきてもらいます。
さてと、主治医に愚痴の一つも~どんな顔、するかなぁ~

コメントのお返事、後回しにして、更新しちゃいました。ごめんなさい。
ゆっくりお返事しますので・・待っててくださいねぇ。
コメントもらえることが、何よりの私のパワーなんですぅ

骨折。

2007年03月25日 | 福祉・手続きのお話。

水曜日、母をショートに送り出し、何年ぶりかに電車に乗って町田駅まで娘二人とショッピングに行ってきました。
もう娘達は友達と出かけるほうが断然多くて、これからもっとそうなんだろうけど・・久々に、親子で出かけられて嬉しかった私でした。
「おばぁちゃんが元気だったら、絶対に一緒に行ってたね」って喋りながら。
娘達のお気に入りのお店に、端から連れて行ってもらった私でした。
結局のところ・・私は「お財布」・・なんですけどねぇ。

朝の11時から、夕方6時まで・・ひたすら歩き回った私でした。
久々の都会の雰囲気(だって、109がある街ですからぁ)を味わいつつ、
カタカナ名前のお店を回って・・ヘトヘトのヨレヨレなんだけどぉ~ダウンぎみで座り込んでるのは私でなくて娘達でした。
近頃の子供は本当に体力無いです。自分達の買うものを買ったら・・ベンチに座って携帯!
そうなんです!知らず知らず・・日々の階段上り降りで筋力が付いてる私なのかもです。
それに、母は土曜日の夕方まで帰らないし・・ゆっくり明日は寝てようって思えたからの底力でもあったんだと思います。事実、翌日の朝は身体がドロドロでしたからぁ。
買ってきたものといえば、娘達の今時の洋服に靴・・自分の物はほとんどなくて。
それでも楽しい一日でした。
久々に、自分の時間を過せた気分でありました。

そして木曜日・・昼寝&パソコン三昧をする為に・・朝の6時に旦那を送り出してから、ひたすら家事に励みました。
午前中に一杯疲れて、午後はグッスリ眠って、パソコンから離れない宣言もして。

久しぶりに寝坊が出来てた父に、遅い朝ご飯を運んで、外の花達に水をあげていたのが・・8時半。

「プルンプルン

嫌な予感に1階の玄関を開けるとぉ~電話を持ってる父の顔色が変わり・・眉間の皴が・・どんどん深くなっていくではありませんかぁ~

「おばぁちゃん・・また車椅子から落ちたらしい」

補聴器を外してる父は・・何度も同じことを聞いているようなので、とにかく受話器を渡してもらって。

「左側の麻痺足が痛むというのですが、どうしますか?」
ってことだったのです。
母が「大丈夫」と言わないから、医者に連れていかねば・・ってことですね。

いつもの木曜日なら主治医がいます。
でも、その日に限って・・主治医は学会で休診だということは、前回の受診の時に聞いていました。
それでも、整形外科がメインの病院ですから、ショートから病院へ連れてきてもらうようにお願いしました。
母はとっても元気そうで・・でも、やはり足は痛むようでした。

結局、こういうことだったのでした。

水曜日の朝、パジャマから私服に着替えている途中に他の利用者さんの呼び出しベルが鳴り、介護士さんは母を車椅子に乗せたまま・・部屋を出て行ったと。
母は待ちきれず、ナースコールのボタンを探し・・目の前にあったコードをつかもうと立とうとしたらしいのです。

「左足がグニャンとしちゃって・・立てなかったの」
母は・・そうなんです。
自分が立てないと・・わからない時もあるんです。
「ジッとしてね」って・・介護士さんは、きっと言ったとは思います。
でも・・そんな支持が持続できない事は、もう何度も伝えてあるし・・十分承知してるはず。

このショートにお世話になって、9ヶ月。
月に二~三度、二~三泊しているわけで・・。

そして、もうすでに一度・・このショートで母は車椅子から落下しているのです。
あの時は、大事にならなかったけれど。
そう・・ノートにただ「転落しました」とだけ書いてあっただけで、電話すらかかって来なかったような。

どうして車椅子から降ろして、母をベットに戻さなかったのか。

前日から、母の精神状態がとてもクリアだったそうで・・帰りたくないといつもなら言ってる母が、他の利用者さんの「帰りたくない」をなだめていたくらい・・しっかりしていたようなのです。
それって・・何なんでしょう。
母の場合、クリアな時とそうでない時の差が激しい事も・・知ってるはずでは??


              上の記事を書いてから、日がたってしまいました。
              とにかく、状況だけ・・書いておこうと思います。


医者にはもちろん連れて行きました。
主治医のいる病院へ。残念ながら、主治医は学会で休診でしたが、元々整形外科ですし、CTも完備してあります。

落下当日のレントゲンでは、骨折はしていないようでした。
でも、それはあくまでも・・フィルムに写っている場所は・・・ということだったのです。
股関節を含め、母の骨はうすく、弱くなっている事を見とれました。
大きな骨折はないだろうけれど、股関節部分が、限りなく怪しい答え方の医師だったのです。
本人が痛みをあまり訴えていないので、それ以上のことはしませんでした。
骨折していれば、腫れるし痛いはず・・。

けれど、考えたら・・母の状態は、足の痛みより別のことで一杯だったのです。
便通を我慢していた母が、堪えきれずにリハパンにしてしまった瞬間、血圧が一気に下がり、意識が薄れてしまったのです。母をショートの責任者のKさんと共に呼んでも・・返事が出来ない状態だったのです。
とにかくCTをとり、脳の様子を調べてもらいました。
脳の梗塞部分は変わりなく、レントゲンでは骨折部分を知る事は出来ず。
とにかく点滴で血圧も戻った所で「安静に」という支持のみで、自宅へ帰ってきたのでした。

痛みがとれるまで安静にしているように言われても、トイレもままならないので紙オムツを購入したりしましたが、状態の良かった母には・・寝たまま排尿することは難しく・・ポータブルトイレに座る事を望みました。
悲鳴に近い「痛い」を訴えながらも、排尿をすることを選び、それが大丈夫な事なのか不安で一杯でした。
痛みが強くなっていくことを電話で医師に伝えても、安静にするしかないと言われてしまいました。

訪問看護士さんに相談し、夜はロキソニンを飲ませ、眠剤を飲ませ・・翌朝きれいなままのオムツ。
「痛い」を耳元に聞きながらのPトイレでの排尿。

金曜日には、主治医のいる大学病院へも電話をかけましたが、残念ながら・・外来にいるはずの主治医は学会で休診。
事情を話しましたが、整形外科を受診する事は出来ても・・初診といことで待ち時間は長いだろうと。
そこで・・やはり安静を言われる可能性を考えてしまい、母も、二日たって少しは落ち着いていたようだったので、無理をするくらいならと、もう一日様子を見ることにしたのでした。

ところが、今日。
土曜日になって・・痛み方が強くなったような気もしはじめました。
ウトウトと眠っている時間も長くなり、不安で一杯になってしまった私。
整形外科へ電話を入れたところ、今日の医師は・・非常勤の外部医師。
私は・・思わず、研修医を想像してしまったのです。
一度診てもらった医師の、わからない答えに辟易していたので・・これ以上、芳しくない医師に診て貰っても・・とういう気持ちも起こってしまいました。

そして、思い切って私の掛かりつけの整形外科に電話を入れて受診をしていただくことにしたのでした。
ショート先の責任者のKさんも同行してくださって、ストレッチャーに近いタイプの車椅子も持参してくださいました。責任をとにかく感じてくださっていました。当然のことだと思いますが、起こしてしまったことの責任は、十分に果たそうとしてくださっていました。

やはりレントゲンでは骨折を確認できませんでしたが、股関節ではない部分が・・もしかしたらということで、細かい検査を出来る病院へ行くように進められたのです。
脳梗塞を起こした病院へ、とにかく問い合わせる事。それが筋だとも。

ところが土曜日は休診、大学病院の主治医は不在でした・・脳の問題ではないわけで、あくまでも骨折を心配している私。
三次救急センターである大学病院では、受け入れはしていただけませんでした。
それでも、状態を考慮し、二次救急に受診するよう進められ・・つまり、救急車を呼んで行けということです。

救急車、呼びました。
病院を探してもらいましたが、結局受け入れ先はナカナカありません。
私の話を聞いて、救急隊の方はとても親身に考えてくださいました。

そして、行き着いたところが・・最初に診て貰った、主治医のいるいつもの整形外科だったのでした。

研修医なのかはわかりません。
けれど、幸運なことに・・その医師は母の骨折箇所をみつけてくださったのでした。
加えて、主治医のいる大学病院から出向している医師でした。

書きたい事は山ほどですが、とりあえずはしょります。

母は自宅にいます。
在宅で、安静にするということは・・やはり変わりない結論です。

来週からショートを入れながら、自宅とショートで乗り越えていくつもりです。


雨のち晴れ♪

2007年03月14日 | 私。


久しぶりの空の写真です。青がマブシイィ

母、情緒不安定で・・脳梗塞特有の「感情の起伏が激しい状態」になります。

火曜日の朝の母も、荒れていました
正確に言うと・・夜中から。
夜中の三時くらいに目覚めた母は、どうやら朝まで騒いでいたようで・・・。
と言うか・・単に早く寝た母は、起きたかっただけだし・・遅くまで起きている父は眠剤がよく効き始める時間・・目覚めたくなかった、眠かったってことなんでしょう

自分で動かせるのは右側だけの母。真っ暗い部屋・・左側に寝ている父を認識することの出来ない母です。
ベットの位置を父と替えてしまうと・・車椅子に乗り込めなくなってしまいます
ベット二台・・並べて尚、車椅子移乗をするには・・母の見えない左側に父のベットを置くしかなくて。
母は、父を探して、明かりを探して・・騒いでしまうだけなんですねぇ。
私を呼ぶ為の子機は、充電の為に床の上なので、母には取れません。
夜中は、私と一緒に寝ている旦那を起こさぬように、私の携帯のオルゴールの着信音を鳴らしてもらうことにしています。
私は・・夜中だけは、父に母を任せきりにしています。
もちろん呼ばれれば行きます。
役割分担とでも言いますか・・そうでもしないと、私も身体がもたないのです。
夜中に例え何度起こされても、それはそれで3階から降りていきます・・もうしばらくは、父と母で寝てもらいたいと思ってしまうのは、我が儘なのかなぁ。
母が寝ていても・・父は利尿剤の影響で夜中に何度もトイレへ行くし・・母も父の足音で起きてしまうくらいだから・・私は絶対に寝てなんかいられなくなると思うのです。
私の耳は突発性難聴になってしまうけど・・ものすごーくいいんですよぉ。
何だかんだで・・昼寝だって出来ないんですものぉ。・・パソコンしたいしぃ。

最近の父はマイペース。たいしたもんだと思います
朝五時のトイレコールを私にした時も、その後はグッスリ布団を被って寝てました。
まぁその為に、Pトイレを買ったのだから・・いいんですけどねぇ。

その日の父は持病の腰痛の為に、整形外科の受診日で。加えて寝不足でとっても体調が悪かったようです。
母の不穏さと、父の不機嫌さ・・もう、最低な空気でした
母が何を言っても、父は半ば無視してるような感じ・・もう、腹が立つったら
難聴だから・・仕方ないこともあります。聞こえてないならいいんです・・。
でも、明らかに・・返事をするのも嫌そうで。

父は、機嫌が悪くなると、返事をしません。
聞こえていても、聞きたくないことは・・知らん顔。
「聞こえているなら返事をしてよ!」
「大きな声を出すな!」
聞こえないのかと思って・・大きな声を出しちゃうわけで・・。
そんな親子喧嘩も最近はショッチュウです。

そう、これは・・今まで母と父の夫婦喧嘩だったのですねぇ。

そんなこんなで、暗~く「行ってくる」だけ行ってタクシーに乗り込み病院へ向った父でした。

それからがまたまた大騒ぎ
母は・・ひたすら父を呼びまくり。
私が洗濯物を干したり、朝ご飯の片づけをしている間中もじっとしてることなどないのですぅ。当然、車椅子に乗せておくなんてことできないのでベットです。
動く右半身で・・そのベットの中で、もがいていたようです。
「おとうさーん!」の叫び声に気が付き、一階へ降りた私が見たのは・・ベットの柵に右足を出して、毛布も枕も全てがベットの下に放り出されていました。
母の右手は凄い力があるんですよぉ
奇妙な格好をして起き上がろうと必死になってる母でした。
もう、とっくに病院へ行ったと何度言っても・・父のいないベットに向って父を呼び続ける母でした。
それから・・大きな声で、泣きながら「誰か助けて・・」と泣く母でした。

なんだかんだ言っても、父がいないと不安なんでしょうね。
本当に・・いろんなことを乗り越えてきた夫婦だから。
だからいつでも父の側にいて、父を励ましたり、怒ったり。

そんな母の優しい強さがと・・過保護さが・・父の今を作ったのでしょう。
父は、父で、そんな妻と立場が逆転してしまったことに・・耐えられないんでしょう。

もう・・やっていけないと・・口にこそ出してはいないと思いますが、母にはそう聞こえているようで・・不安がって又、泣くのです。大きな声も出ちゃいます。
おそらく・・くっつき合うように建ってる住宅街。
近所にも、響き渡っているんだろうナァ。くる時が、来たのね・・

そんなことが、この頃沢山あります。

一日のうち、嘆きの母・怒りの母・悲しみの母・穏かな母・・いろんな母がまるで万華鏡のようにやってきます。
私は・・大丈夫なのカナァ。他人事のように心配になってしまいます。

九九だって言えるし、漢字だって書けるし。英語の単語も沢山覚えてる母なのに。
どこ、いつ、誰・・が、理解できない母です。家族のことはわかります。
高次脳機能障害の症状がすべからく当てはまる母です。

それでいて・・飛び切りの笑顔でいることも沢山ある、母親らしい母なのでもあります。


午後の母はそんな飛び切りの笑顔を見せてくれました。
ウルルさんのおかげです

前に、チラっとコメントにわがままを書いた所・・忙しくて大変な状態なのにも係わらず・・ウルルさん、一生懸命に作って送ってくださいました。
母の、三角巾替わりのベストです
皮膚の弱い母ゆえに、三角巾で吊った左手の重みに首は赤くなります。
肩は石のようにコリコリになって、そのうち頭も痛くなります。
亜脱臼の左肩・・「あのコ、このコ」で擬人化してしまいます。自分の手だとわからなくなる母なのです(左側の空間無視のせいだとも言えるそうです)
左足は・・自分の足で、動かない事も理解しているのですが・・不思議です。
車椅子に座っている時は、施設でも三角巾を外してもらうようにしています。
でも、移乗する時はやっぱりしないと危ない。
うっかりすると、外してる事を忘れてしまって・・勢い付けてぶら下がってしまうんです。
なんとかならないものか・・探していたところにネコさんのブログ。
お友達が作ってくださったというホルダーは、ドキドキしちゃう形でした。
そこで・・不器用極まりない私は・・・ウルルさんの「微笑みショップ」を思い出し・・器用なウルルさんに「お願い」したのでしたぁ。(リンクを貼り付けようと思いましたが・・×になってしまいます・・ブックマークから「微笑み介護日記」へ是非行ってみてください
   腕が落ちませーん!
送って頂いたのがこちらでーす。大きさも母にピッタリ
首から上は・・本人が照れるのでチョン!でも、満面の笑顔だったんですよぉ。
肩が、首が痛くない~ニコニコ顔の母でした。
おまけに、右手も左手と同じようにポケットの中に入ります。
ポケットの中で、左手のマッサージ
寝ているときも着ていました。何故ならそこにホカロンを入れると・・肋間神経痛の大敵冷えの防止が楽チンに出来るのでース。

母は「あんた(私)は凄い友達がいるねぇ~」って。
母は洋裁の学校に行っていました。スーツも縫える母です(その娘・・は雑巾も縫えませんが
その母も、とっても褒めておりました。そんな友達を私が持っているってことも、嬉しそうでした。
面倒なこと頼んでしまった私です。
ウルルさんのファンの皆さんに怒られちゃうかもですねぇ

ウルルさん、本当に本当にありがとう

その日の午後からは、笑顔だけの母でした。
訪問看護士さんにも、ヘルパーさんにも、マッサージ師さんにも自慢しまくりでした。
母も私も、たまたま偶然いらした介護用品のレンタル会社の兄ちゃんにも「どんなもんだい!」って見せてあげましたぁ。
自分で作ったわけではないけど、私の友達が作ってくれたぁ~ってことで・・みーんなが嬉しがってくれました。私の株も急上昇

「こんなに大事にしてもらって・・お母さんは幸せねぇ」

そうなのでーす。大事にしてもらってるんだよぉ~「バーちん!」

他にも・・ブログの記事じゃないところでコボシタ私に「大丈夫か!」ってメールをくれる友達。
自分だって大変なのに「いつか手伝いに行ってあげるよ!」って手紙をくれた友達。
それから、こんなに長くなる私のブログをいつも読んでくれる友達。
コメントで沢山励ましてくれて、同じだよって肩を叩いてくれる友達。

私も、大事にしてもらってるなぁ・・・って思った今日でありました。

なので今日は・・とびっきりのお天気です

 お!飛行機が写ってたぁ  


卒業式

2007年03月11日 | 家族のお話。

三月九日は長女の中学校の卒業式でした。
とにかく体育館は寒かった~つい何日か前まで暖かだったのにね~。
それでもお天気に恵まれて、快晴の空の下とても良い卒業式になりました。
(そうそう・・やっぱりちょっとだけ・・ウルウルしてしまいました。)

母は前日からショートにお願いしました。
母が一緒に育ててくれた娘です。一緒に、卒業式に行きたかったなぁ。
仕方のないことだけど・・やっぱりそう思わずには、いられませんでした。
もう母も、高校生のおばぁちゃんになるんだねぇ。

長女はこれで義務教育も終了です。
自分で決めた高校、しっかりと前を向いて歩いて行って欲しいです。
そして宝となる何かを、沢山見つけていって欲しいと思います。
元気で・・今までと同じように。
私の出番も・・かなり減るんだろうなぁ~。
自分を振り返って思うことだけど「自立」出来る娘になって欲しいと思います。


二週間連日出勤の旦那もなんとか休むことが出来たので、夫婦揃って娘達の晴れ姿・・しっかり見てきました。


一クラス30人足らずで、三クラスしかない小さな卒業式です。
茶髪が一人もいない、全員集合の中学校の卒業式がナント!珍しい今なのだそうです。

 


卒業式の当日、受付で渡されたプログラムと今期の学校案内です。
二冊とも、長女のイラストが表紙でした。
受験勉強の合間(実は、イラストの合間の受験勉強だわ)やってたのがこれでした。


 あの次女が、壇上で校歌の指揮を。ドキドキ~。

しっかし・・旦那のデジカメの腕・・最悪でしたぁ
まだ見てないけど、ビデオは私担当。こっちはどうだかなぁ・・・

母がショートから帰ってきたら一緒に見るつもりです。また・・泣くんだろな。

それにしても、旦那よ~!下手すぎ!!

卒業式の後は、疲れ果ててしまったので・・思いっきりグータラ三昧でした。
昼は回転寿司。夜はお蕎麦屋さんの出前でしたぁ。

前日に、どうしてもコートが欲しくなって買いに行った私。
暖かかったので着るつもりもなかったのに、突然の寒の戻り(買って大正解!)
チャリで隣の大きな駅へ、卒業式前日の娘を道連れに・・素早い動きでしたぁ。
結局、黒のパンツスーツだの・・アロマオイルだの・・友達のプレゼントだの・・。
お金を使うって・・楽しい~後のことは・・後で考えればいいかぁってなもんで、久々の大盤振る舞いでした。

それからおまけ、娘にとっては忘れられない出来事も。
卒業式の打ち上げをするって、夕方チャリで友達5人とファミレスに向った娘なんですが、途中の狭い歩道でチャリとぶつかってしまって転倒。
6人が一列に並んで・・ちゃんと端を走っていたらしいのですが・・。
(ぶつかってきた「オヤジ」は・・捨てゼリフを吐いて逃げたそうです)

娘は膝を擦りむいてタイツはボロボロ、ハンドルでお腹も打ってしまったらしく・・友達にはせっかくだからって・・店へ行ってもらうことにして、一人で家に戻ってきたのでした。こういうところ、自慢の娘です。
黒いタイツは破れて血がコタツ敷きやカバーに、タラ~次の日は大洗濯でしたぁ。
強気の娘が半べそでした。折角の思い出づくりだったのに・・ってね。
旦那曰く「病院へ行くほどのことはないだろ」ってことで、消毒と湿布。
こういう時の旦那は、いつも的確なので様子を見ることにしました。
遅れて行こうか~迷ってる娘のところに・・友達5人・・戻ってきてくれました
皆、とっても優しくて・・やっぱり楽しめない・・って。
家の中がグチョグチョだったけど、嬉しくなってしまった私は上がってもらう事に。
結局、狭い6畳の娘の部屋で1時間ほど六人の黄色い声が、楽しげに響いていました。最近の中学生の靴です・・どうですぅ

結局、大丈夫そうってことで再び打ち上げしに行ってしまった娘でした
友達と一緒がいいんですねぇ。これから一生の友達・・何人出来るカナァ。

大丈夫!今日もちゃんと元気で~す。早速、部活に気合を入れに行くと出かけました。
次女は嫌そう~な顔・・していましたぁ。

そしてこれから4時に、介護タクシーで母を迎えに行ってきます
土曜日、父がディの最中に母と面会をした時・・ショートのチーフさんに「いらした日は、かなり帰りたいとおっしゃって・・涙を浮かべていらっしゃいました」って言われてしまったそうです。
それでも、日曜日に私と娘が迎えに行くってことで・・父は無事(?)帰って来れました。
なんだかバタバタの今回の休みだったけど、またそれなりに頑張って生きますよぉ

 満開のスミレです~ウレシイィ


ささやかなこの人生

2007年03月07日 | 歌の題名。

桜の花のその前に、イヌフグリの花を見かけ始めると、春なんだなぁと思う私です。
そして、毎年・・この花を持って帰ろうとしちゃうんですが・・まるで「触らない」でと言うように、花がポロリとこぼれてしまう。ここにいたいんですねぇ。でも、ホントに空のように・・キレイな色の小さな花

そして、この季節になると歌ってしまう歌が 「ささやかなこの人生」

花びらが 散ったあとの 桜がとても 冷たくされるように
誰にも 心の片隅に 見せたくはないものが あるよね

だけど 人を愛したら 誰でも心のとびらを 閉め忘れては
傷つき そして傷つけて ひきかえすことの出来ない 人生に気がつく

やさしかった 恋人達よ ふり返るのは やめよう
時の流れを 背中で感じて 夕焼けに 涙すればいい

誰かを 愛したその日には たとえば ちっぽけな絵葉書にも心が動き
愛をなくしたその日には 街角の唄にも ふと足を止めたりする

風よ 季節の訪れを 告げたら 淋しい人の心に吹け
そして めぐる季節よ その愛を拾って 終わりのない物語を作れ

やさしかった 恋人達よ ささやかな この人生を
喜びとか 悲しみとかの 言葉で決めて 欲しくはない


今年の春は・・しみじみと、なんだかしみじみと歌ってしまいそうな気がします。

 


先週の木曜日、2週間振りに脳神経外科の受診と薬を頂く為に、車椅子で病院へ行きました。
暖かくなりましたねぇ。少し風は冷たかったけど、あちこちで小さな花が咲いていました。
このイヌフグリも、車椅子を止めて・・母を待たせて撮った写真です。

母はとっても調子が良くて、やっと「少し落ち着きました」って主治医に言えましたよぉ。
胸の痛みも少しは治まって、夜中に痛くて寝れないってこともなくなりました。

ハキハキと答える母のどこに・・認知障害があるのかしら?そんな感じの母でした。
リハビリも受けて、元気一杯にご飯も食べて、うんち君も心配なく・・このままなら大丈夫だなぁって安心していた私でした。
外の空気を吸うことが、何より好きな母でしたし、これからは介護タクシーに乗らなくても全然OKで病院へも行けます。前もってチャリで診察券を出しておくので、待つ時間も短縮です。
いつのまにか、車椅子での外出・・大丈夫になってる私ですよぉ。
介護を始めた頃、車椅子でのスーパーデビューに二の足踏んでた私も、少しは逞しくなりましたかねぇ

とっころが・・金曜日からの、母は違ってしまいました
たったの数分で、突然顔つきが変わり・・怒り、また見えぬはずの亡くなった祖父を呼んで来いと言い・・。
いるはずのない、あるはずのない下の階の甥っ子たちを呼べと言い・・。
ベットの枕を投げつけて・・。ベットから起き上がろうともがきました。
悲しみに一杯になり「死にたい」「殺してくれ」そして・・「厄介者だから追い出したいんでしょ・・」を繰り返し。
怒りで一杯の母でした。ベットの柵に頭をぶつけてみたり・・タオルで口を塞ごうとしたり。
原因は・・私。多分・・私。きっと私
体中がダルダルで、気を付けてるつもりでも「疲れた・・」って沢山言ってしまったからだと思います。
それから・・父と、またまた口論になってしまったからなんでしょうねぇ。
だって・・最近の父ときたら・・あまりにもマイペース。これは訪問看護士さんも今日言ってました・・。

そんな私を、一番心配しているのが母。
これは・・どんなに異次元世界に行っていようと・・頭が混乱していようと・・母はそういう人なんでした。
だから、母は・・私の心配をした余り、誰かに助けをお願いしてくれようと・・その結果、いないはずの甥っ子や、亡きはずの実父に頼ろうと、母の脳裏から現実に出てきてしまったのだと思います。
母も・・やっぱり両親が・・大好きなんですねぇ。甘えられるのは・・死んでいようがいまいが、両親だからなんですかねぇ。

そうなると・・母の目には見え始めてしまいます。
でっかい蛾が今回は出てきましたよぉ・・
。あんた(私)には捕まえらん無いから、私が退治してあげる!
今思うと・・これも母の優しさなんですねぇ。私は蛾が大嫌い。母は私の嫌いなものを追い払おうとしているだけなのかもしれません。
けれど私ったら、全く余裕が何も無く・・穏かに受け止める想いの欠片も無く。
不安と、苛立ちと、いろんな思いがとめどなく・・溢れてしまうだけでした。
母の混乱をなんとかしようと、口から出てくるのは説教じみた言葉だけ。
優しさより・・なんとか当たり前のことをわからせようとするだけの私と、それから父でした。
母にとっての真実と、私と父の真実と・・お互いが違う事を許せなかったのですね。

そうなると・・全ての糸が絡まって、家の中は怒りだらけになりました。
娘達にも、結局言わなくていいはずのことまで言ってしまう私だし。

娘達にとっては、私こそが異次元にいるような気すらしているのではないかなぁ。
ともつまらないことで喧嘩になり、気がつけば一人家族の中で孤立してイライラしていたのは私だけ。
結局、私自身も私のいいように合わせて欲しいという・・傲慢さが沢山なのです。

そんな状態の時こそが、踏ん張り時かもしれないけれど。
何も考えず、ただひたすらに時間をやり過ごせたら・・それがわかっていながら、どうしても出来ず。

そうなんです。母の認知症状は、簡単に少し前に戻ってしまいます。
まるで家庭不和を感じて、情緒不安定になってしまう子供のように。
ただ穏かに過したい母の、サインなんだと思います。

少し前は「私はおかしなことを言ってるのかもしれない・・」と思いかけていた(多分)状態の時も多々あって・・それが私には希望の光でした。母が「自分がバカになった」が口癖になってしまいました。
そう思うことが何よりの母の正気で、私は母のそんな悲しい正気を・・母とは逆にうれしかったりしているわけです。少なくとも・・おかしいってことが、わかってると思えたので。
でも、それは・・母にとってはこの上なく、死にたくなる状態なんですね。

一旦、母の正気が失われると・・ただひたすら思いつくままに・・話を組み立てているような感じです。
一言誰かが発した言葉から、沢山の物語が母の中で真実に変わります。
作話って、言うんでしたね。

そうなると、まわりも否定と肯定の使い分けが難しくなり、正直に話す人、母にただ合わせる人・・「あの人はこう言った」「でも、この人はこうだと言う」母は混乱するのも当然ですね。

もう何度も私はそんなことの繰り返しです。
いい加減学習しろ!ってなもんです。でも、これがどういうわけか・・周期的にやってくる。
そして最近は、すぐには反省も出来ません。だって、私は頑張ってるもの。一生懸命やってるもの。
いい加減に、良い塩梅に・・やろうとするけどできません。
出来ない~ので、ひたすら腹がたって、哀しくなって・・久々に・・月曜日は泣きました
もう、本当に「無理!!」って・・何もかも嫌になってしまいました。

朝から不穏の母でしたし、自分で邪魔者だと言い切る母をなだめつつ、明るく元気にいようとしたけど・・・・「こっちのほうが頭が変になる!」って言った父の一言で・・もう私は泣くことにしました。
父にも、母にも・・精一杯の私がわかってもらえない。
通所リハのお迎えのワゴンが到着し、スタッフさんの顔を見た瞬間
スタッフさんの「大丈夫ですか?」の言葉に・・大丈夫とは言いませんでした。
「もう、疲れちゃいました」って・・言っちゃいました。
スタッフさんの方が「大丈夫ですよ」って言って下さって、母を黙って車に乗せてくださいました。
通所リハへ行き始めて・・母を外で見送らなかったのは八ヶ月目にして・・初めてのことでした。
父に、見送ってあげてと言い・・二階へ上ってしまいました。

家族みんなが元気で、幸せだったらいいって、それは本当にそうなんだけど・・
それだけでいいとも、思えなくなってるんですねぇ私ってば
もしかしたら、いつか今が幸せだったと思う日が来る事を・・ただいたずらに怖がってるのかもしれません。
最近本当によく思うことですが・・今がいつか、あの頃に変わるとき「あの頃は良かった」って思うんじゃないかなぁって。
後ろ向きですねぇ。そうなんです。
あの頃は良かったんだナァ~って・・いろんなシーンで思ってしまうこの頃。
グチばっかりの毎日が、実はとっても当たり前に幸せだったって・・もう、思いたくないという焦り。

もちろん、あの頃は大変だったけど、今は言い感じじゃん!て・・なるかもしれないなぁとも思っています。
そうなるように、頑張ってリハビリしてる母なのです。支えてるつもりの私なのです。
もしかしたら、こういう私の座り込みは・・母の回復と比例しているのかもしれません・・。
しゃかりきになってた頃とは違う・・余裕とまでは言えないまでも、それと似た想いもないわけではなく。

少しは良くなっていると思うからこそ・・。違うカナァ~・・。

そして、これからも・・しゃがみこみつつも・・そうなるように、そうなるように。



またまた長くなりました・・・この何日間かの出来事でした。
今日は訪問看護士さんや、ヘルパーさんの力を借りて・・長女の中学校最後の茶話会に二時間行ってくることが出来ました。
介護も大変一杯言って来ました。
本当のところは多分、わかってはいないでしょうが・・それでも明るく元気に過せました。
明るく元気・・・それが取柄の私だったんですよぉ。

大丈夫です私は、ちゃんと元気です

明日は(今日か・・)母は通所リハビリなので、私は美容院へ綺麗にしに行ってきますよ。
九日は中学の卒業式です。八日から母はショートです。きっとまた一騒動起こりそうですが・・。
卒業文集の表紙に長女のイラストが選ばれたし、次女が校歌の指揮をすることになっているので、ちょっとだけ誇らしく出かけてきます。

くどいですが、私は笑っておりますよ。いつまでも、泣いてばっかりはおりませーん

今回も、長々・・読んでくださって・・本当にありがとうございました