母…
ショート中に、ベットから転落しての親指骨折から、ちょうど二週間。
え?!まさか…。
今日、また別の施設のショート中に、今度はトイレから転落しました。
トイレで一人にするなんて、ありえない。
右側にポールがあっても、左側には手摺りのないトイレだそうです。
ポールから手を離したら、麻痺側は重いから、必然的に落ちるでしょね。
二人介助でトイレに行っても、二人ともいなくなれば意味ないですね。
くれぐれもトイレで一人にしないでと、あれほど頼んでいたのに。
パットを取りに行った数分中に?
なんだかな~
今回は耳の後ろを切りました。
頭のCTと肋骨が痛いと言うので、レントゲンも撮りましたが、とりあえず異常はなさそうでした。
昼過ぎ。
今日はショートから帰宅する日だったので、帰宅時間の電話だと思ったら、またしても転落の連絡…。
看護士の指示で救急車を呼び、主治医のいる大学病院で幸いにも受けて貰えて、ラッキーなことに主治医に診察して貰えました。
そりゃあ耳の後ろが切れるということは、頭を打ってるわけですし。
不思議なことに、一緒にショートに行っている父に言う前に、私の携帯を鳴らしたんですよ。
電話で父にすぐ話して下さいと言ったのに、父が異変に気がついて尋ねるまで、言わなかったそうで…
父の心臓を心配したのか?
だとしても、父は理不尽過ぎて怒っています。
あ、私も…今回ばかりは、これくらいで済んだとは、流石に思えず泣きそうです。泣かないけど。
預けないとやっていけない…だからって、何もかも想定内だと、不可抗力だと家族は思わないといけないのでしょうか……
ショートだから?
特養なら、もっと親身になってくれるのでしょうか…
まだまだ残暑厳しい今年の九月、私にとって毎年いろいろ起こる九月です。
去年の九月三日に突然複視になって・・髄膜腫らしきものが頭の中の視神経の近くにあるとわかって・・一年以上過ぎてしまったなんてビックリ仰天です。
あの時、私の頭の中の「おでき」が悪性だったら・・もうこの世にはいなかったのかもしれないなぁ~
あ、これは脳神経外科の主治医の先生が言ったのですが。
おかげさまで何故か複視も治っており、眼のまわりに多少の違和感と頭の圧迫感はあるものの、無事に暮らしています。
去年の今頃は、それこそイロイロ大変で・・旦那とのツーリングも一番気持ちのよいはずの秋にどこにも行けませんでした。
今年は、復活!本当に感謝です。
早速、9月11日の日曜日、秩父まで行ってきました。
母は週末ショートで、父の朝食と昼食、娘達の昼食を冷蔵庫に作って、洗濯をして・・出発したのが9時。
昼過ぎには秩父辺りまで到着しちゃうのだから、そんなに遠くはないのですね。
緑の中、木の匂い、風の音・・どんなに暑くても気持ちが穏やかになって、ホッとします。
相変わらず、洒落たお昼ご飯ではないけれど、美味しいうどんを頂きました。
私としては、たまには豪華なランチを食べたいんだけどなぁ~うちの旦那は、食にお金をかけるのをモッタイナイというのだからつまんないです。いつだって、二人合わせて千円ちょっと・・ま、いいんですけどね。
超シンプルですよねぇ。
前回のブログにも書きましたが、半日帰りのツーリングも行き先探しがナカナカ大変。
私は緑と木があるところなら、何回同じ所に行ったって良いのですが、旦那は一度行ったことのない所に行きたいようで。
もっと若いペアーなら行き先もまたイロイロあるのでしょうけれど・・ね。
どうも最近は、渋めな場所が好き・・というか、何故かお寺とか・・神社とか・・観音様とか・・苦しい時の神頼み・・かな。
今回も、お寺目的でした。
私が複視になったことをブログで知ってくださったギズモ。さんが、眼の病気にご利益のあるお寺のお守りを送ってくださいました。
そのご利益で、私の複視が治ったのかもしれません。
そこで・・お礼参り。
秩父は34の札所巡りが出来ます。今回は二ヶ所でしたが、いつか全部回ってみたいなぁ。
本当は一ヶ所のつもりが・・実は番号を間違えて・・の二ヶ所。
29番長泉院
二十九番・長泉院(ちょうせんいん)二十九番・長泉院(ちょうせんいん)
13番旗下山慈眼寺
今まで、どれくらい沢山・・祈ってきたかなぁ。
叶った願いもあれば、そうでないこともあったような・・なかったような・・。
悲しみや寂しさや、怒りや・・それがあるから、感じられるものがあるのだろうけど・・もうソロソロただ、穏やかに・・和やかに・・働いて、笑って、生きていけたらそれでいいだけなのになぁ。
なんて・・まだ半世紀をやっと生きてきたばかりなのだし・・まだまだこれから沢山のイロイロが待ってるんだろうなぁ。
神様は、乗り越えられない試練しか与えないって言うけど・・もういらないよぉ。・(ちょうせんいん)二十九番・長泉院(ちょうせんいん)
今日は、両親揃ってショートスティに行ってくれています。
ダブルショートは二ヶ月ブリ。
両親を送り出して、家の掃除をババーっとやって・・午後から完全休養!
お昼ご飯は近くのスーパーのお弁当。
夜は回転寿司に予約を入れて・・私はお昼寝と、パソコン。
記事を分けて書こうと思いましたが、続けて書いちゃおうっと。
本当なら、毎月父もショートに行ってもらっていますが、先月はドタキャンでした。
私も娘達も、楽しみにしていた温泉&食べ放題旅行がドタキャンに・・・。
ショートの数日前に、父の脈拍が140を超えてしまったからでした。
心臓弁膜症で弁置換手術をしている父は、不整脈もあり、薬を沢山服用して調節して頂いていますが、通常の脈拍は50前後と貧脈です。
それが・・薬の変更があった直後に、一気に上がり・・胸苦しさを訴える父。
主治医は不在の曜日でしたが、他の医師が診てくださることになったので、母が在宅の日でしたが、訪問看護士さんの来る日だったので、母をお願いして私も大学病院へ付き添いました。
脈拍を下げる薬はあるけれど、父の場合は脈拍が安定せず投薬をしてどれだけ下がるかわからないと・・。
レントゲンを撮り、心電図のモニターを付けて、外来のベットで様子を見ることに。
廊下まで聞こえる父の脈拍は、まるで滅茶苦茶でした。
ラッキーなことに、学会からたまたま大学病院へ顔を出した主治医に診てもらうことが出来ました。
結局、父の脈拍の不安定さは、想定内で・・父にもそれを伝えてあったみたいですが、父の難聴な耳には届いていなかったようなのです。
脈拍を安定させるには、ペースメーカーの装着も考えなくてはいけないようですが、まだそこまででもないと。
普通ではない父の心臓ではありますが、入院の必要はないし、ディもショートも大丈夫だよと言ってくださったのですが・・・父はすっかり自身をなくしたようで・・九月は全ての予定がキャンセルになりました。
3時位から、7時半位くらいだったでしょうか・・。
たまたま訪問看護士さんが来る日だったけれど、終了時間は迫ってくるし・・気が気ではありませんでした。
結局、夕方のヘルパーさんを繰り上げて貰い、実費で見守りのヘルパーさんをお願いして・・なんとか母を一人にすることなく済みました。
今回はそれでなんとかなりましたが、いつもそうとは限りません。
心臓外科の主治医には、父がどれくらいの介護をしているかわからないけれど・・他の家族がメインだとしても、自分以外の人の介護をしていられる身体ではないことも、改めて言われました。直接母を動かしたりはしていない父ですが、夜は二人で寝ていますし・・最近の寝ない母、すぐ起きる母に付き合うこともしばしば。
母の認知症状の相手も・・かなり心臓に負担が掛かっていることはいなめません。
先日は、荒れた母にちょっと腕をひっかかれた父、ワーファリンを飲んでいるせいで500円玉の青タンと傷になっていました。
そんなことの全てをわからない母・・わからなくなってしまった母は、またまたまたまた・・骨折をしました。
9月5日、朝の6時半頃に電話が鳴りました。
母の泊まっている施設からです。
まだ寝ていた私「お母様が、夜中にベットから転倒してしまいました。怪我はされていないようですが、看護士と様子を観察しています・・」
もちろん、一瞬にして目は覚めましたが、頭がまだ働いていない私は何を聞いたかもよく覚えておらず・・。
果たして様子を見ていてもらうだけでいいのか・・いいはずないですよね。
なんだか、部屋の中をウロウロとしていたような気がします。
いつもいろいろ相談をしている訪問看護士さんへ電話を入れて、どうしたらいいのか聞いてみました。
「たとえ今はなんでもなさそうでも、ベットから落ちたという事実があるなら、病院へ行って検査をしてもらった方が後々の為よ」と。
考えたら、本当に当たり前の答えなのに・・私は。
落ち着いたとこでこちらから電話をしたところ、左足首を痛めているようだとか・・オデコにタンコブと、目の横にもアザが出来たとか。
とりあえず、ショート先まで母の様子を見に行ってきました。
母は、施設のフロアーで車椅子に座っていました。
夜中、トイレに自分で行こうとした母はベットの柵を健常側の右手で外して・・それをベットに置き・・ゴロンとベットから転がり落ちたようです。
家でも時々クの字のバーのネジを回して外します・・どんなに硬くネジを止めても、母の右手は強いのなんの。
ですが、ベットから落ちたことはありません・・・。
ショート先の柵は、簡単に持ち上げられるほど軽く・・母の力なら間違えなく外れます。
幸いにも、ベットの高さはとても低くしてあったのですが、外した柵をベットに置くときに、おそらく頭や目の横に当たったのでしょう。
念のため、靴下を脱がして麻痺側の足を見たら・・足の甲が青くなっていました。
「病院へ連れて行きたい」と申し入れ、施設から車を出してもらいました。
前回、大腿骨骨折の際の主治医が、病棟から降りてきてくださいました。
レントゲンと、頭のCTも撮ってもらいました。
「頭は大丈夫そうだけれど、足の指・・折れてるよ」と。
麻痺側の親指の付け根に二ヶ所ヒビのような骨折。
骨粗しょう症の薬を飲んでいるからこそ・・これで済んだのか・・。
それくらい脆い母の骨が、よくこれだけで済んだと思うくらいにビックリさせられた一日でした。
とりあえず立位にはあまり支障もなく、親指の側面から、取り外しのきく簡単なプラスチックのギブスを被せてもらっています。
それでも私が一人介助で移乗するよりは、負担がかからない施設でみて頂けると言うので・・その日はそのまま施設にもう一泊させて貰いました。
柵を外れないようにするのは、身体拘束・・になるそうです。
そんな馬鹿な話・・あるんですよね。
毎度のことながら、現場を理解していない誰かが作った規則のために・・事故がこうして起こるんです。
不可抗力・・もしくは・・想定内かもしれない出来事でした。
そんなことが起こりながら、日に日に落ちている母の認知症に父も私もヘトヘトになっています。
朝昼晩の・・感覚も、意味もわからなくなっています。
一瞬でも誰もいないと思うと、私の名前や父の名前を大きな声で呼ぶ母です。
母は、眠剤を跳ね除ける強靭な精神力?の持ち主で、私は毎晩母が眠るまで、ベットの側に座って話をしています。
夜中は麻痺側の水溜りが出来そうなほどの異常発汗と、横漏れ尿で全身総取替え・・その間に私も全身汗まみれで、今年は、赤ちゃんのように・・耳の上に汗疹よりが出来た私・・今も髪を染められません~~~何の薬を塗ればいいのか誰か教えてくださいませ。
ひきりなしに鳴るナースコールに疲れちゃって、無視すれば・・途端にトイレに行きたいと騒ぎ出すし。
体中が痛くて、飛んでいくことなんて出来ないのに・・待つことが出来なくなった母。
けれど時には、昔と同じ顔と瞳に戻る母でもあります。
そんな時は、私に謝ってばかり・・死にたいと・・そればかりの母です。
最近は父も、専門のプロの介護士さんに任せたほうが、みんなの為だと言うようになってきました。
そう簡単には、特養の空きは出ないと思うので、まだ暫くは在宅介護は続きます。
でももう・・答えを変えるつもりはないので、その日が来るのを待っているところです。
ただ・・やはり、最後の日まで在宅介護を続けられないことが、残念でなりません。
ただ・・家族のために働き、孫を慈しみ育ててくれた母が、家にいられない・・いると苦しいと私が父が・・思うことが悲しい。
沢山の苦労を父と共に乗り越えてきた母が、一人で施設のお世話になることになると思うと・・切なさと、悲しさと、無念さで胸が痛みます。
それは・・預けることの罪悪感ではありません。
預けるしかない・・そうなったことが、寂しくて悲しいだけです。
出来れば、穏やかに・・母と家族と共に生活できたらよかったんだけどなぁ。
これはいい訳ではないかもしれないですね。
自分を納得させる為の、理由を沢山探していました。
どんなに長く在宅をしたとか・・短かったとか・・どれくらい頑張ったとか・・きっと・・関係ないんだろうなぁ。
精神的に、肉体的に・・母以外の家族にとっても、今が在宅の限界だと私自身が思ったからです。
明日は次女と映画を見に行きます。旦那は仕事だから・・今週のデートはなしです。
長女は就職の内定を頂きました。希望通り、アパレルに入社です。地方勤務もあるようなので、もしかしたら春からは家を出ることになるかもしれません。
それから数年したら、次女も立派な歯科衛生士になってくれてることでしょう・・。
お嫁にもいって・・みんな、暮らす場所はバラバラになるのかな。
それでいいんだと思います。
私も・・何か・・一人でも楽しめることを本気でみつけなきゃなぁと・・思います。
携帯ゲームに依存してばかりじゃ・・ダメですね。
一日がかりで書いてしまいました。
最後まで読んでくださってありがとうございました。
またね