あけましておめでとうございます。
本年も、どうぞよろしくお願い致します。
2009年、初ブログ投稿となります。
もう今年も・・一週間過ぎてしまったわけで・・早い・・ですね。
今年も、あれよあれよと・・バタバタと過ぎております。
ホント・・なんでこうなるの?って感じです。
年末、大晦日の昼・・ショートスティから戻ってくる母とすれ違うように、父が大学病院の救命救急センターを受診するという・・なんともはやの出来事がありました。
便秘ぎみだった父、トイレで頑張り過ぎて・・・お尻の穴・・が切れて。
おまけに・・その傷から大出血。
ワーファリンを飲んでる父ゆえ・・止まらなくなってしまい貧血ぎみに。
大学病院の救命は、三次救急センターに指定されています。
なので、通常なら電話でお願いしても、診てくれないのですが、有難いことに父はいろんな科のカルテが満載で、特に心臓外科で弁置換手術を受けていることもあり、診てくれると言ってくださいました。
が・・数十分で、母がショートから帰って来ることになっているし・・私が家を空けるわけにはいきません。
なので旦那が父を大学病院まで連れていってくれて、長女も父に付き添ってくれることになりました。
休日の救急センター、とりあえず一刻を争うわけではない父でしたから・・病棟の当番医の手が空くまでは、待合室で待っていなければなりません。
長女が「おじぃちゃんの側にいる」と言ってくれたから・・と、旦那はとりあえず戻ってきました。
その間に、血液検査と心電図、レントゲンを撮って・・・心臓外科の医師に診てもらい心配ないと診断をもらいました。が・・納得できない父は、外科の医師にも、お尻の傷を診てもらったそうです。
「ワーファリンの効き具合も丁度良いし、貧血ありません。心臓の動きも問題ありません。傷口に関しては、処方してもらっている座薬で対応して、便を柔らかくするために「マグネット」を使用してください。」
診てくださった医師が、なんだかボーっとなってる父ゆえに・・家族に渡すようにと長女にメモを書いて持たせてくださいました。
診てもらえたことで、父も安心したようですが・・三時近くに病院へ行って・・自宅に戻ってきたのが7時近くでした・・。
「凄く親切で、優しい先生達だった」と言う娘の言葉もあり、私も一言お礼を言いたくて、大学病院の救命へ電話をしました。
方麻痺の母を残して父に付き添えず、高校生の娘に託してしまったことも伝えました。
「大事にならずに良かったですね」の電話の向こうの優しい声、ホントにありがたかったです。
それにしても・・長女は高校二年生です。
たいしたもんだと思います。
父の側で、4時間・・・文句も言わずに付き添ってくれて・・。
医師の問いかけにも、答えてくれていたようです。
もちろん、旦那がいてくれたので送迎面も助かりました。
が・・娘(孫)の気持ち、には頭が下がりました。
そんなことのあった年末でしたが、とにもかくにも、家族六人で元旦のお膳を囲むことが出来ました。
旦那も元旦の朝だけは、1階の両親の部屋に来てくれます。
「久し振り!」なんて、母に言ったりしていて・・なんだか可笑しくなりました。
多分・・旦那は、母にどう接していいのかわからなくて・・普通にはもちろん接していますが、なんとなくいたたまれないのかもしれないです。
家族六人で御節やお餅を食べて・・今年も穏やかに過ぎていくことを願いました。
が・・・そうは問屋が卸しませんでした。
普段の日々より、やっぱり忙しくなる三が日も過ぎて・・私一人、24時間介護の三日間で、すっかりヘロヘロになってしまってました。
それでも日曜日の四日には、ヘルパーさんにも午前、午後と訪問してもらえて・・なんとか通常へ繋ぐことが出来たわけです。
五日、旦那も初出勤です。
母も、通所リハビリへ元気に行ってくれました。
私は・・ちょっとばかり体調不良で、朝から気持ちが悪くて、寒気はするし・・喉は痛いし・・。
早々に夕飯と昼ご飯の支度をして・・家にいた娘達と父に「母の戻る四時までは、お母さんは完全休憩」宣言をして・・コタツの中で寝入ってました。
二時半・・父が、私を起こしに二階へ上がって来ました。
私・・起きれませんでした。
金縛りになってて・・動けませんでした。
長女の大きな声「お母さん、おじぃちゃんが用事あるって!」で・・やっと目と身体が覚めて・・。
父は、なんだか白い顔で立っていました。
え?!また・・具合が悪くなっちゃったの?って、寝ボケた頭で思ってしまった私でした。
すると・・
「三十分前くらいに、通所リハの〇〇さんから電話があって・・〇〇子が、また車椅子から落ちたらしい。麻痺足を凄く痛がるから、レントゲンを撮ってもらって診察してもらっていいかって電話があったんだけど、お願いしますって言っておいた」
母の行ってる通所リハビリは、小さめの総合病院の一角にあります。
整形外科もあるし、レントゲン室もあります。
インフルエンザの注射をしてもらっているので、診察券もあります。
寝ている場合ではありません。
慌てて通所リハへ電話を入れて「すぐに自転車で行きます」と伝えました。
15分後・・通所リハのある病院へ着くと、既にレントゲンを撮り終えて、ストレッチャーの上に寝かされた、心細そうな母がいました。
ほどなく、医師に呼ばれて・・診察室にはいると。目の前にはポッキリ折れてる母のレントゲン写真がありました。
医師に説明されるまでもなく・・綺麗に折れてる母の左大腿骨でした。
右足に比べて、明らかに骨密度のない母の左麻痺足の骨。レントゲンに、骨が白くは写っていません。
かろうじて、骨だとわかるくらいに・・薄く映る母の骨。これでは、ちょっとした刺激に折れてしまうのも仕方ないのかもしれません。
毎日飲んでるアクトネル・・骨粗鬆症の薬も、やはりさほどの効果はないような・・。
それゆえ、気を付けて・・案じてきたわけです。
三ヶ月に一度、この施設からもらってくるリハビリ計画書には、必ず「転倒の注意」と書いてあります。
なのに・・トイレの最中に・・転落してしまったのです。
一人で立とうとしたようです。
利き手の健常な右手で、トイレの手摺に掴まって、立とうとしたらしいのです。
介護士さんは、カーテンの向うで母を待っていたようです。
自分で歩けるような・・動けるような、見当違いをしてしまうことは・・皆が知ってるはずでした。
以前・・ショートスティのポータブルトイレで、転落して骨折したことも、皆が知ってることだったのに。
通所リハビリでの母は、どこにいる時よりも、シッカリしていたりするので・・まさか自分で立とうとするなんて、介護士さんは思わなかったのかもしれません。
母が、リハビリ病院を退院し、自宅に戻って来た時は、二時間も車椅子に座っていることが出来ませんでした。(後日、アレビアチンとういう薬の副作用だとわかり、その薬をやめてからは、半日以上車椅子に座っていることが、可能になりました)
障害の重い母は、数箇所の通所リハビリに断られ・・やっと受け入れてくださったのが、今の通所リハビリセンターでした。
なので、もう・・三年近いお付き合いで、どの介護士さんも、相談員さんも、母の状態の変化をよくわかってくれているはずです。
どの介護士さんも優しくて、おもいやりある方達ばかりです。
どこの施設よりも、母を安心して任せられていましたし、母も、嫌がらず、意欲を持って通っていました。
それでも、こういうことが起こるほどに・・母の状態は目が離せないということなのでしょう。
結局、通所リハのある病院には、麻酔科の医師がおらず・・手術の対応が出来ないと言われ、転院することになりました。
毎月、脳外科の受診をしている整形外科へ連絡を取ってもらい、そこで改めて診て貰うことになりました。
母は病院の救急車で、私は自転車で・・。
母は、九日に手術をすることになりました。
明日、担当医師から手術の説明と、今後の方針を聞きに行きます。
入院から二日たちました。
完全看護の病院で、六人部屋にいる母です。
面会は、平日は三時からしか出来ません。
食事の介助も、看護士さんとヘルパーさんでするので、大丈夫だと言われました。
今のところ、問題なく入院している母。
でも・・既に、尿管カテーテルになり・・一日中ベット上。
昨晩は、家と間違えて父や私の名前を大きな声で呼んでしまったと言ってる母でした。
間違えた・・ということを、まだわかってる母ですが、実際この先・・どうなるか。
いろんなことを考えると、気持ちが沈んでしまいそうです。
なので・・ここはもう、開き直って。
再び母が家に戻ってくるまで、私は私で体力、気力を充実させておこうと思います。
父のこともありますし・・ナカナカのんびりも出来ませんが、少なくとも夜はまとめて寝れますし。
もう、目がくっついてしまうんじゃないかと言うくらい、寝てばかりいる今の私。
睡眠のリバウンド?って感じです。
一日、二時間ほどの病院通い・・それも、ただ母のベット横で水を飲ませるくらいです。
退院できるまで、どのくらいの時間が必要なのかなぁ。
寒い季節が和んでくる頃には、元の生活に戻れるといいけれど・・。
桜草の花も、小さな蕾を付け始め・・水仙は、花を開きました。
私は何故か・・冷静です。
特別凹んでるわけでもなく・・きっと、なるようにしかならないだろうって・・思っています。
なんだろう・・以前の私だったら・・きっとこんな風ではなかったような気がします。
これから、きっときっと、いいことも待ってるのでしょう・・。
いつもそうだったもの。
悪いことばかり、続かないって・・。