
バーちんが大事にしていたる我が家のゼラニューム。本当はこんなに満開になるはずだったんだねぇ・・などと、話しをしながらお散歩。
とりとめない話しをしながら・・今日のバーちんは涙もろくて泣いてばかり。
お散歩中も、ハンカチ放せず・・鼻水すすりながら泣いていた。
「どうしてこんなことになってしまったんだろう・・そう思っちゃうと悲しくて・・。」
バーちんがそう言った。
バーちん・・わかってきたのかな?
「歩くから、車椅子止めて・・。」
わかってることと、わからないことが半々なのかな。
イロンナ事をリアルに解ってしまう辛さ・・わからなくなる辛さ・・比べることは出来ない辛さ。どちらも悲しくて・・切なくて。
孫一号に車椅子押させて・・私はデジカメ写しながら泣いてしまった。
30分位歩いて、そろそろ疲れてきたバーちん。
病室に戻ることにして、2階へ上ると・・談話室兼食堂に患者さんが集まっていた。
どうやら「集団リハビリ」が始まるところに戻ってきたみたい。
今日は「集団リハビリ」やりますよぉ・・って、お知らせはないのね
後から入った都合上、はみ出る形で一番前。
これで全部の患者さん?ってくらい・・少なかったから、おそらく参加していない方もいらっしゃるんだろうな。
なんだか不慣れな男性看護士さんが、貼られた模造紙に書いてあるリハビリ体操を前に出て始めた。
両足を順番に持ち上げたり、回したり・・。
完全に装具に守られている左足・・じっと固まって動かない。
やっぱり・・バーちんが、誰より切ない状態のような気がして・・。
でも、バーちんは一生懸命看護士さんのマネをして運動してる。
私がメソメソしてどうすんだ!!私も一生懸命頭の中にインプット。
時々、同室の95歳のおばぁちゃんが、看護士さんに声をかける。
可愛らしいおばーちゃんで、車椅子に固定されて楽しげに他の患者さんを応援してくれる。
車椅子のステップを上げて、足首を回す運動。つま先をつけて・・。
左足の番になると、バーちんの顔が見れない私。本当に情けない私だ。
「看護士さーん!足が届きませ~ん」
95歳のおばーちゃんの声に皆が笑い声をあげる。
なんとも、微笑ましい声。
「皆さ~ん、頑張ってくださいよぉ~」
とっても可愛いおばーちゃん、ありがとうね。
私の母を、バーちんなんて呼んでる私。まだ71歳なんだよね。
いつも、あんたの祖母ではない!!って、怒られるんだけど・・遂、いつのまにか「バーちん」になってしまったぁ・・・。
だって・・「ママ」って呼んでた私に、今更「お母さん」なんて言えないもん。
一通り体操が終わると、今度はカラオケをすることになって。
70歳前後の方が多いせいか・・こういう時は「美空ひばり」なんだそうだ。
「川の流れのように」これを皆で合唱。
イントロからバーちんは泣き始めた。
大学病院のリハビリでもカラオケをよくやって頂いていたんだけど・・歌うのが大好きなバーちんは、この「川の流れのように」が十八番。
必ず歌いながら泣いていた。
もう・・泣かないでよぉ・・って、言いながら・・私もやっぱり涙が出て・・リハビリしながら泣くなんて・・これが最後だよ!って、自分に約束した。
時間があっという間に過ぎてしまった日曜日。
心が痛くて・・迎えに来てもらった車の中でも涙が一杯出てしまった。
最近、現実だか何なんだかわからない時がある。
現実逃避・・で、ブログに逃げてるみたいな私。
今日あったことを・・冷静に振り返ることが出来るのが次の日。
だから、私の日記は一日ずれてしまうんだぁ・・。
クヨクヨしたって仕方ないから、今出来ることを考えて。現実をちゃんと見なかったら、何も始められない。
わかっているけど・・いろいろわかっているけど・・。
この6ヶ月・・夢ならどんなにいいかしら・・。
なんてことをやっぱり思う私です。
でも・・最近、涙はグーンと減りました。頑張ってるんだよこれでも。
とりとめない話しをしながら・・今日のバーちんは涙もろくて泣いてばかり。
お散歩中も、ハンカチ放せず・・鼻水すすりながら泣いていた。
「どうしてこんなことになってしまったんだろう・・そう思っちゃうと悲しくて・・。」
バーちんがそう言った。
バーちん・・わかってきたのかな?
「歩くから、車椅子止めて・・。」
わかってることと、わからないことが半々なのかな。
イロンナ事をリアルに解ってしまう辛さ・・わからなくなる辛さ・・比べることは出来ない辛さ。どちらも悲しくて・・切なくて。
孫一号に車椅子押させて・・私はデジカメ写しながら泣いてしまった。
30分位歩いて、そろそろ疲れてきたバーちん。
病室に戻ることにして、2階へ上ると・・談話室兼食堂に患者さんが集まっていた。
どうやら「集団リハビリ」が始まるところに戻ってきたみたい。
今日は「集団リハビリ」やりますよぉ・・って、お知らせはないのね

後から入った都合上、はみ出る形で一番前。
これで全部の患者さん?ってくらい・・少なかったから、おそらく参加していない方もいらっしゃるんだろうな。
なんだか不慣れな男性看護士さんが、貼られた模造紙に書いてあるリハビリ体操を前に出て始めた。
両足を順番に持ち上げたり、回したり・・。
完全に装具に守られている左足・・じっと固まって動かない。
やっぱり・・バーちんが、誰より切ない状態のような気がして・・。
でも、バーちんは一生懸命看護士さんのマネをして運動してる。
私がメソメソしてどうすんだ!!私も一生懸命頭の中にインプット。
時々、同室の95歳のおばぁちゃんが、看護士さんに声をかける。
可愛らしいおばーちゃんで、車椅子に固定されて楽しげに他の患者さんを応援してくれる。
車椅子のステップを上げて、足首を回す運動。つま先をつけて・・。
左足の番になると、バーちんの顔が見れない私。本当に情けない私だ。
「看護士さーん!足が届きませ~ん」
95歳のおばーちゃんの声に皆が笑い声をあげる。
なんとも、微笑ましい声。
「皆さ~ん、頑張ってくださいよぉ~」
とっても可愛いおばーちゃん、ありがとうね。
私の母を、バーちんなんて呼んでる私。まだ71歳なんだよね。
いつも、あんたの祖母ではない!!って、怒られるんだけど・・遂、いつのまにか「バーちん」になってしまったぁ・・・。
だって・・「ママ」って呼んでた私に、今更「お母さん」なんて言えないもん。
一通り体操が終わると、今度はカラオケをすることになって。
70歳前後の方が多いせいか・・こういう時は「美空ひばり」なんだそうだ。
「川の流れのように」これを皆で合唱。
イントロからバーちんは泣き始めた。
大学病院のリハビリでもカラオケをよくやって頂いていたんだけど・・歌うのが大好きなバーちんは、この「川の流れのように」が十八番。
必ず歌いながら泣いていた。
もう・・泣かないでよぉ・・って、言いながら・・私もやっぱり涙が出て・・リハビリしながら泣くなんて・・これが最後だよ!って、自分に約束した。
時間があっという間に過ぎてしまった日曜日。
心が痛くて・・迎えに来てもらった車の中でも涙が一杯出てしまった。
最近、現実だか何なんだかわからない時がある。
現実逃避・・で、ブログに逃げてるみたいな私。
今日あったことを・・冷静に振り返ることが出来るのが次の日。
だから、私の日記は一日ずれてしまうんだぁ・・。
クヨクヨしたって仕方ないから、今出来ることを考えて。現実をちゃんと見なかったら、何も始められない。
わかっているけど・・いろいろわかっているけど・・。
この6ヶ月・・夢ならどんなにいいかしら・・。
なんてことをやっぱり思う私です。

でも・・最近、涙はグーンと減りました。頑張ってるんだよこれでも。

障害受容の中で苦しんでおられるのかもしれませんね
一人娘さんがいつもそばにいてあげて、バーチンの話をじっと聞いてあげていてください。
バーチンが安心できることが今は大切かも
ブログに逃げてるなんて、そんなことはないと思います
どんどん書くべし!!
これ、後で読んでみると、きっと
「ああ、こんな時期があったんだな~」
って思えるよ。
貴重な回復記録になるし、書く事によって自分と向き合うことが出来る。
ガンガン書いちゃおう
そして、ガンガンコメント入れちゃおう
クヨクヨウジウジ考えずに・・マンマの私で生きまする~。
今からバーちんに会いに行ってきます。
外はバリバリ
ちえさん
六ヶ月ですもの。毎日泣きますよー!
私も朝晩二回は泣いていました。ホントに夢ならいいですよね。時間が戻せるものならなんでもするって思いますよね。
母の障害も辛かったですが、母が泣く事が私も一番辛かったです。
二年と二ヶ月が経過した今、私が泣くのは二週間に一回くらいかな。ずいぶん減りました。
本当に月並みですが、時間が解決しますよー。
こんな風に思える日が来るとは当時は信じられなかったけど。
これからもどんどん書いて下さいね。
楽しみにしています。
アハハー、ゴメンナサイ
多分ね、一人娘さんと私、お母様とママン、性格も環境も病気の初めも違うからだと思うんだけどね。
私も沢山泣いたけれど、オムツのウンコ手に一杯つけながら、情けない思いもしたし、家で1人きりの時に、涙がにじんできたりしたけど、でもママンが可愛そうとか、6ヶ月間が夢だったらとか、そういう風には思わなかった気がする。そして病気になる前のママンを思い出すこともなかった。今でも夢もみません(多分)。
だって死んじゃうかも、植物人間になるかも、寝たきりになるかもしれなかったのに、
食事ができて、車椅子にも乗れて、話すこともできて、本当に少しずつだったけど、できることも増えてきて、それがうれしかったです、私は。生きていてよかったって。
お母様だって、頭蓋骨外すくらい脳が腫れてから、半年でこんなに回復されたのに、それでも夢だったら・・って思いますか?
お母様が可愛そうって泣くことは、誰にでもできます。お母様のご兄弟、お父様、お友達。お母様自身にも。でも主たる介護人には、どんなに泣いても、やらなければならないことは、減ってくれないのです。誰も代わってくれないのです。そして全て現実なのです。
こうなったことを後悔しても、仕方ないし、それが何も生みません。手術だって、脳梗塞起こすくらい、他の血管が細くなっていたり原因があったかもしれない。クモ膜下になっていたら、もっと重篤だったかもしれません。手術同意書に印はつきませんでしたか?リスクにも同意したのだから、自分たちで決めたのだから責任は自分たちにもあるのです。
水分だって、お母様が遠慮なさるなら、一人娘さんから看護婦さんに「水分こまめに声かけてください」くらい言ってもいいと思います。泣き寝入りではなく、ちゃんとしかるべき人に言うべきです。
お母様を安心させてあげるってことは、一緒に泣いてあげることだけではないと思います。口先だけはなく、お母様があなたを見て「これだけ強い娘なら、安心して家に帰れる」と心から思わせることが必要なのではないでしょうか。
いろいろ書きましたが、最近の記事を読んでの私のホンネです。不快に感じたら削除してください。
でもね、同世代、同じ麻痺の親を見ていくーという似ている境遇なのだから、もっと一緒に頑張りたいのです。
今のままじゃ、タイトルの「頑張れ一人娘」が泣きますよ!!
私も本音を書きます。
バーちんが、元気な頃のこと考えています。今この瞬間も。夜更かししてたら「電気代の無駄!」って、怒られてるところだな・・とかね。夢の中にも沢山、病気になる前のバーちんは登場します。
戻れない時間だってことは百も承知です。
リスクの説明も、動脈瘤を実際作っていた事実も。頭の中で何度も言い聞かせています。
実際、ジィーには偉そうに言ったりしています。
ちゃんと生きて側にいること・・回復してきていること・・それが何よりだってことも。
これからも、うんと長生きして欲しい、生きていて本当に良かったってことが全てだってことも。
ゼリーさんのコメント、何回も読んで・・恐らく、一番最初に「頑張れ!」って言ってくれてたゼリーさんだからこそ・・のコメントだってこと、きちんと受け止めました。
うすうすはわかってました・・。ゼリーさんの心の中にある私に対する憤り。
今までは、バーちんが一家の「司令塔」だったので、バトンタッチされたと思ってこの半年過ごしてきました。
なかなか一家6人を取り仕切るには役不足の私。へたれ虫このうえなくて、情けなくて泣けるのです。
バーちんのおしっこが手に掛かっても、全然平気な私です。
でも・・掛けたおしっこを拭こうとしてくれるバーちんの気持ちに泣けてくるのです。
まだ介護も介助も本当のところは全く未知の世界の私ゆえ、ゼリーさんとゼリーママンは、私にとってひとつの道標なんです。
そこまで行き着くには、すぐかもしれないし・・ゼリーさんの何倍もかかるかもしれない。
バーちんは病院で、リハビリを一人で頑張っています。
私は、バーちんが帰ってきて安心できる場所を整えることに頑張らないといけない。
前向きな気持ちを蓄えるため、今のうちに弱音を吐き出して・・臨んでいこうと思っています。吐き出し過ぎてしまって、うっとーしいかもしれませんが。
ゼリーさんに、ガツン!!と言われて、改めて、思い知った気がします。
俄然ファイトが沸いてきました。
私は今、泣いてる場合じゃない立場だったってこと。一緒に泣いてる立場ではないってこと。
もう一度頭にインプットします。
通りすぎる風にならず、立ち止まってくれたこと・・心から感謝しています。
削除なんて・・しませんよぉ。
逆に、このコメントが気に障ったらごめんなさい。
ゼリーさんが、「頑張って!」ではなく・・「頑張ってるね!」って、思えるようになりたいと・・タイトル返上しないように、これからも一人娘。は頑張りますよ!!
本音は抱き合って泣きたいくらいです。
でも・・「全然なんでも無い事、大丈夫!」って、口先では言っています。
口先・・なんですけどね・・今は本当に。
バーちんの前では泣きません。
涙が出ちゃう時は、ごまかしてるつもりです。
でも・・実際は・・ごまかしきれていないかもしれません。
父の前でも泣きません。娘の前では強い母?
時々、旦那の前では泣いてしまいます・・。
woolさんが二年たって、気持ちの整理がついたよって言ってくれたこと・・とっても嬉しかったです。
その時、いつかこの日を振り返って、あんな弱気なへたれ虫にも根性ついたもんだって思えるように、ガンガン根性つけたいと思います。
Woolさんのプログの記録、「現在進行形」の私ですが、つづきを首を長くして待っています。
みなさんのコメント、両方分かります。
私は随分泣きました。
どうしたら涙が涸れるのかと思うくらいなきました。
でも私の心の生長はその涙があったからこそがんばってこれましたし、
笑えるようにもなりました。
今は悲しい涙ではなく感謝の涙。
ブログで吐き出してください。
無理にためてしまうと辛いです。
泣く事が弱虫でも、がんばっていないのでもないのです。
人によってさまざま、泣けない人のほうがもっと辛いそうです。
涙の力・・・と言う詩を載せた記事貼り付けておきます。
http://blog.goo.ne.jp/miho-2005_2005/e/4e8e6a86281b04a6dbd11086d7f8d6a6
私は一年近く、家族がいないとき、
個室で泣きました。
だから6年半経った今、感謝の涙が流せます。
時間は心を癒す漢方薬のようなものでした。
叱咤激励してくれるお友だち、
いいお友達をお持ちですね。
だから、前向きに進んでいけますね。
一緒にがんばりましょう!
参考までにコメントします。
(1)脳出血直後の1、2ヶ月
意識回復の状態=4肢体完全マヒ+よく見えず+よく聞こえず
+喋りはゴモゴモ+もちろん飲み食いは一切出来ず。
→ヘレンケラー状態の自分に、驚愕落胆失意し絶望を繰り返す。
(2)折り合い
健常時とのギャップが大き過ぎて、一度死んだ事にしないと、
自分の中でどうにも折り合いが付かない。
健常時代をリセットするため、
発病前=前世、
発病後=今生、とみなすことで、自分に折り合いをつけた。
(3)折り合い以降(リハ転院~現在)
意識回復した直後の状態、ここが今生の原点。
家族にも、健常時代の自分との比較を厳禁。
原点からどれだけ良くなったか、
自分も家族もそうすることにより、
精神をプラス指向に維持。
つまり、死んだ子のトシを数えない。
追:ゼリーさんのコメントより引用
>お母様があなたを見て「これだけ強い娘なら、安心して家に帰れる」と
>心から思わせることが必要なのではないでしょうか。
私も全く同様に思いますよ。
自分は自分でいいと思います。
自然に泣きたくなったら泣けばいい。
それを押し殺すことはないです。
自分のときはそうだったからって、押し付けることはおかしいです。
誰でも、病気になる前のこと、思い出しますよ。当然です。
思い出さないほうが絶対におかしい。
人娘さん、ありのままでいいんですよ。
泣きたいだけ泣けば、立ち上がれます。
うじゃうじゃ理屈つける必要はありません。