ご無沙汰してしまっています。
前記事から、二ヶ月、、、あらら、ビックリ。
私は元気にしています(⌒▽⌒)
三月末には、整形外科の主治医に、バイクに乗る許可を頂きました。
もちろん、レントゲンをしっかりと診て頂きましたよ。
曖昧な言葉でなく「大丈夫!いいよ!」言ってもらえました。
「但し、最初は、1時間毎の休憩が条件だよ。コルセットもしてね!」って。
本当に良い整形外科医、腕はもちろん確かだと思います。
それ以上に、信頼できる。
何でも話せて、私のワガママとも言えそな願いを、叶えようとしてくれた、、、いえ、叶えてくれました。
実は、バイクに乗れるのは、腰椎固定術後半年くらいからからなぁ〜と思っていました。
しかし、春や、初夏の、ツーリング日和に我慢できない私は、術後五ヶ月で、近くの整形外科に出向で来ていた先生に会いに行き「どんなもんですかねぇ〜」と、聞きに行ったわけです。
50代後半のオバさんが、、、です。
なんとも、お恥ずかしい限りですが、一日も早く乗りたかった理由もあり、それも話しました。
いつものレントゲン撮影に加え、腰を目一杯曲げている写真など、数枚を加えて撮って、しっかり見ていただいた上での許可です。
チタンのボルトはしっかりと骨に入っており、骨化してきているそうです。
「日常はコルセットをしてもしなくても大丈夫。不安な時はしていいよ」との事でした。
不安な時、例えば自転車で父の所や買い物に行く時とか、沢山歩くような時。もちろん、バイクに乗る時もね。
足の痛みは、本当に取れました。
痺れも、ほぼありません。
あんなに痛かったのに、ずーっと正座している時のように痺れていたのに、全くありません。
ただ、やはり固定した腰椎には、違和感とツッパリ感。
まぁ、これは仕方ないようです。
慣れる人もいれば、ずーっと鉄板を背中に入れているような感じが残る人もいる。
痛かった足が痛くなくなって、痛くなかった腰に違和感。
さて、、、どちらが良いか?
やはり、痛く無い方が良いんだと思います。
早速、四月一日。
近場からのツーリング。
以前一度行った事がある、日向薬師さんへ。
当時、改修中だったと思います。
今回は、桜の花が散る中の、素晴らしい参拝となりました。
エープリルフールからの再開。
気持ちは、、、噓みたい、、、でした。
また、旦那の後ろに乗り、再び、風の中を走れることが、嬉しかったぁ。
50代でも、ウキウキでした(笑)
その後も、天気が良ければツーリングへ。
富士山の見える、小室浅間神社。
五百羅漢さんのいらっしゃる長安寺。
箱根の仙石原も美しかったなぁ。
丹沢湖のユーシンブルーも見に行きました。
が、、、崖崩れがあったとかで、途中リタイア。
目的地までは行けませんでしたが、途中でも、川は綺麗な水の色でした。
旦那が、ツーリングに行って歩く時、私の鞄を持ってくれました。
青天の霹靂(笑)
有り難い事です。
これは書いておかなきゃね。
ツーリングは、ほぼ、神社仏閣参りかなぁ。
あちこちの神様、仏様にお願いして回っていました(笑)
おかげさまで、腰は、全く大丈夫です。
でも、、、
いよいよ髄膜腫を取らなくてはいけなくなり、いつ切るか決まる四月でもありました。
故に、今のうちに、、、
それが、早くバイクに乗りたかった理由です。
それを叶えてくれて、許可してくれたのが、腰椎すべり症の手術を執刀してくれた整形外科の主治医です。
いつでも、どんな話でも聞いてくれた先生は、信頼も信用も出来たし、精神的にも支えてくれた素晴らしい医師です。
感謝しかありません。
忙しくても診察時間を削ろうとされた事など一度も無く、どんな時でも私の気の済むまで話を聞いてくれていました。
だから、手術も、何の不安もなくお願いできたし、迷うことも無かった。
腰の手術を考えている方には、是非、紹介したい医師です。
しかし、、、髄膜腫の手術の方は、そうはいかなかった。
なかなか決まらない日程。
主治医は多忙で、ゆっくり話が出来ません。
五分の診察。
学会の予定も沢山。
外来も予約で一杯です。
地位も実力もある立派な医師、それゆえに時間がないのでしょう。
主人にも、手術の説明をして欲しいとお願いしましたが、短時間の簡単な説明しかする時間が無いと、、、
開頭手術をするのに、簡単な説明しか聞けないなんて、、、不安しかありません。
ゆっくり話が出来るのは、お盆過ぎ。
それまで放置していても、今更変わりないから、、、と。
これでは手術が一体いつになるのか、延びるばかり。
手術宣告があってから、いろいろ、いろいろありました。
私が、手術から逃げていたから、、、とも言われてしまったし。
セカンドオピニオンは、ドクターショッピングだと言われてしまいました。
手術から、逃げようとしても、もう逃げられないと。
逃げていたつもりは無いのです。
出来るなら、したくは無いとは言ったけれど、しなくてはならないならば、覚悟はあります。
ずっと、8年も診てくださっていた先生。
優しい、穏やかな先生でした。
信頼していましたし、手術してもらうならば、主治医しかいないと思っていました。
思っていましたが、、、何か違和感があって、、、気持ちが落ち着きませんでした。
お手術を覚悟してから、既に三ヶ月。
なかなか決まらない日程。
私が悪いのかもしれません。
会うたびに、私が悪いと思わせる、、、いえ、確かに、、、私が悪いのかもしれません。
悩みました。
これでいいのか?
他に私の今の髄膜腫を診てくれて、託せる医師はいないのだろうか?
私なりに探しました。
調べて、探して、電話しまくって、、、
でも、紹介状が無くては、何処の病院でもラチがあかない。
やはり、当初から診ていただいていた医師に託すしか無いのか、、、
とにかく短い時間でも、主人にも医師から話を聞いてもらい、なんなら主人から、医師に、、、とか、いろいろいろいろ考えていました。
一人だけ手術の事を話した友人と、他院のソーシャルワーカーさんに話を聞いてもらいました。
「信頼と、医師を選ぶ権利」
四月はツーリングに行って楽しいばかり、、、でもありませんでした。
ところが、、、
なんと!
凄いことになりました。
神様、仏様が、結託して私を守ってくれているようです。
最高の医師に、執刀してもらえる事になったのです。
話はトントン拍子に進み、7月、髄膜腫の切除手術をする事になりました。
去年は、腰を切り、、、
今年は、頭を切るというわけで、、、
考えたら、全身麻酔での手術、4回目になります。
お産も麻酔分娩だったので、二回出産しているので、6回も全身麻酔を経験するわけですね。
ちなみに、麻酔分娩ですが、赤ちゃんの頭が見えてからの全身麻酔。
大学病院での、計画分娩だったのですが、
二人とも切迫早産で、予定日より早く入院して、促進剤を入れての激しい陣痛、叫びまくって産みました。
が、産声を聞く寸前に意識が無くなるという、、、当時は、最先端のお産?でした(笑)
話が逸れました。
とにかく、七月には6回目の全身麻酔、手術は最長時間になると思います。
フランケン久美子になりそうです(笑)
決まるまで、本当にいろいろありました。
滅入って、落ち込んで、悩んで、、、
這い上がり、動いて、また諦めて、、、
今は、手術日が決まってホッとしています。
お陰で最高の結果になったので、なかなか日程が決まらなかったこと、結果的には良かったわけです。
手術を決心してから、何回も白紙状態になって、前を向いて進んで行けない時間が続いたので、いささか疑心暗鬼。
未だに、信じらんないくらいの奇跡。
そう書いたら、ピンとくる方もいらっしゃるかな。
詳しい経緯は、ブログに公開しても大丈夫か聞いてからにしますね。
さて、、、
私の髄膜腫は「右海綿静脈洞後部髄膜腫」というものらしいです。
頭蓋底という、頭の中の一番深いところにあるようです。
髄膜腫は、脳腫瘍と言っても脳そのものではなく脳を包んでいる硬膜という膜から発生する腫瘍です。
基本的には良性の腫瘍です。
あと二カ月。
父は、特養入所に向けて進んでいます。
申し訳ないけれど、、、納得してくれています。
かなり物忘れが酷くなりましたが、なんとか頑張ってくれています。
前記事から、二ヶ月、、、あらら、ビックリ。
私は元気にしています(⌒▽⌒)
三月末には、整形外科の主治医に、バイクに乗る許可を頂きました。
もちろん、レントゲンをしっかりと診て頂きましたよ。
曖昧な言葉でなく「大丈夫!いいよ!」言ってもらえました。
「但し、最初は、1時間毎の休憩が条件だよ。コルセットもしてね!」って。
本当に良い整形外科医、腕はもちろん確かだと思います。
それ以上に、信頼できる。
何でも話せて、私のワガママとも言えそな願いを、叶えようとしてくれた、、、いえ、叶えてくれました。
実は、バイクに乗れるのは、腰椎固定術後半年くらいからからなぁ〜と思っていました。
しかし、春や、初夏の、ツーリング日和に我慢できない私は、術後五ヶ月で、近くの整形外科に出向で来ていた先生に会いに行き「どんなもんですかねぇ〜」と、聞きに行ったわけです。
50代後半のオバさんが、、、です。
なんとも、お恥ずかしい限りですが、一日も早く乗りたかった理由もあり、それも話しました。
いつものレントゲン撮影に加え、腰を目一杯曲げている写真など、数枚を加えて撮って、しっかり見ていただいた上での許可です。
チタンのボルトはしっかりと骨に入っており、骨化してきているそうです。
「日常はコルセットをしてもしなくても大丈夫。不安な時はしていいよ」との事でした。
不安な時、例えば自転車で父の所や買い物に行く時とか、沢山歩くような時。もちろん、バイクに乗る時もね。
足の痛みは、本当に取れました。
痺れも、ほぼありません。
あんなに痛かったのに、ずーっと正座している時のように痺れていたのに、全くありません。
ただ、やはり固定した腰椎には、違和感とツッパリ感。
まぁ、これは仕方ないようです。
慣れる人もいれば、ずーっと鉄板を背中に入れているような感じが残る人もいる。
痛かった足が痛くなくなって、痛くなかった腰に違和感。
さて、、、どちらが良いか?
やはり、痛く無い方が良いんだと思います。
早速、四月一日。
近場からのツーリング。
以前一度行った事がある、日向薬師さんへ。
当時、改修中だったと思います。
今回は、桜の花が散る中の、素晴らしい参拝となりました。
エープリルフールからの再開。
気持ちは、、、噓みたい、、、でした。
また、旦那の後ろに乗り、再び、風の中を走れることが、嬉しかったぁ。
50代でも、ウキウキでした(笑)
その後も、天気が良ければツーリングへ。
富士山の見える、小室浅間神社。
五百羅漢さんのいらっしゃる長安寺。
箱根の仙石原も美しかったなぁ。
丹沢湖のユーシンブルーも見に行きました。
が、、、崖崩れがあったとかで、途中リタイア。
目的地までは行けませんでしたが、途中でも、川は綺麗な水の色でした。
旦那が、ツーリングに行って歩く時、私の鞄を持ってくれました。
青天の霹靂(笑)
有り難い事です。
これは書いておかなきゃね。
ツーリングは、ほぼ、神社仏閣参りかなぁ。
あちこちの神様、仏様にお願いして回っていました(笑)
おかげさまで、腰は、全く大丈夫です。
でも、、、
いよいよ髄膜腫を取らなくてはいけなくなり、いつ切るか決まる四月でもありました。
故に、今のうちに、、、
それが、早くバイクに乗りたかった理由です。
それを叶えてくれて、許可してくれたのが、腰椎すべり症の手術を執刀してくれた整形外科の主治医です。
いつでも、どんな話でも聞いてくれた先生は、信頼も信用も出来たし、精神的にも支えてくれた素晴らしい医師です。
感謝しかありません。
忙しくても診察時間を削ろうとされた事など一度も無く、どんな時でも私の気の済むまで話を聞いてくれていました。
だから、手術も、何の不安もなくお願いできたし、迷うことも無かった。
腰の手術を考えている方には、是非、紹介したい医師です。
しかし、、、髄膜腫の手術の方は、そうはいかなかった。
なかなか決まらない日程。
主治医は多忙で、ゆっくり話が出来ません。
五分の診察。
学会の予定も沢山。
外来も予約で一杯です。
地位も実力もある立派な医師、それゆえに時間がないのでしょう。
主人にも、手術の説明をして欲しいとお願いしましたが、短時間の簡単な説明しかする時間が無いと、、、
開頭手術をするのに、簡単な説明しか聞けないなんて、、、不安しかありません。
ゆっくり話が出来るのは、お盆過ぎ。
それまで放置していても、今更変わりないから、、、と。
これでは手術が一体いつになるのか、延びるばかり。
手術宣告があってから、いろいろ、いろいろありました。
私が、手術から逃げていたから、、、とも言われてしまったし。
セカンドオピニオンは、ドクターショッピングだと言われてしまいました。
手術から、逃げようとしても、もう逃げられないと。
逃げていたつもりは無いのです。
出来るなら、したくは無いとは言ったけれど、しなくてはならないならば、覚悟はあります。
ずっと、8年も診てくださっていた先生。
優しい、穏やかな先生でした。
信頼していましたし、手術してもらうならば、主治医しかいないと思っていました。
思っていましたが、、、何か違和感があって、、、気持ちが落ち着きませんでした。
お手術を覚悟してから、既に三ヶ月。
なかなか決まらない日程。
私が悪いのかもしれません。
会うたびに、私が悪いと思わせる、、、いえ、確かに、、、私が悪いのかもしれません。
悩みました。
これでいいのか?
他に私の今の髄膜腫を診てくれて、託せる医師はいないのだろうか?
私なりに探しました。
調べて、探して、電話しまくって、、、
でも、紹介状が無くては、何処の病院でもラチがあかない。
やはり、当初から診ていただいていた医師に託すしか無いのか、、、
とにかく短い時間でも、主人にも医師から話を聞いてもらい、なんなら主人から、医師に、、、とか、いろいろいろいろ考えていました。
一人だけ手術の事を話した友人と、他院のソーシャルワーカーさんに話を聞いてもらいました。
「信頼と、医師を選ぶ権利」
四月はツーリングに行って楽しいばかり、、、でもありませんでした。
ところが、、、
なんと!
凄いことになりました。
神様、仏様が、結託して私を守ってくれているようです。
最高の医師に、執刀してもらえる事になったのです。
話はトントン拍子に進み、7月、髄膜腫の切除手術をする事になりました。
去年は、腰を切り、、、
今年は、頭を切るというわけで、、、
考えたら、全身麻酔での手術、4回目になります。
お産も麻酔分娩だったので、二回出産しているので、6回も全身麻酔を経験するわけですね。
ちなみに、麻酔分娩ですが、赤ちゃんの頭が見えてからの全身麻酔。
大学病院での、計画分娩だったのですが、
二人とも切迫早産で、予定日より早く入院して、促進剤を入れての激しい陣痛、叫びまくって産みました。
が、産声を聞く寸前に意識が無くなるという、、、当時は、最先端のお産?でした(笑)
話が逸れました。
とにかく、七月には6回目の全身麻酔、手術は最長時間になると思います。
フランケン久美子になりそうです(笑)
決まるまで、本当にいろいろありました。
滅入って、落ち込んで、悩んで、、、
這い上がり、動いて、また諦めて、、、
今は、手術日が決まってホッとしています。
お陰で最高の結果になったので、なかなか日程が決まらなかったこと、結果的には良かったわけです。
手術を決心してから、何回も白紙状態になって、前を向いて進んで行けない時間が続いたので、いささか疑心暗鬼。
未だに、信じらんないくらいの奇跡。
そう書いたら、ピンとくる方もいらっしゃるかな。
詳しい経緯は、ブログに公開しても大丈夫か聞いてからにしますね。
さて、、、
私の髄膜腫は「右海綿静脈洞後部髄膜腫」というものらしいです。
頭蓋底という、頭の中の一番深いところにあるようです。
髄膜腫は、脳腫瘍と言っても脳そのものではなく脳を包んでいる硬膜という膜から発生する腫瘍です。
基本的には良性の腫瘍です。
あと二カ月。
父は、特養入所に向けて進んでいます。
申し訳ないけれど、、、納得してくれています。
かなり物忘れが酷くなりましたが、なんとか頑張ってくれています。